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姫の王子とエクレアの姫  作者: ゼニ平
第2章
2/5

伊織の災難とエクレアの受難

 「姫野君、最近佐藤さんとよく一緒にいるよね?」

 ピタッと、伊織の箸が止まった。

 菜々美は恐ろしく複雑そうな顔をしていた。

 放課後、料理研究部の部活動で、今日はデミグラスハンバーグを作ったところだった。

 料理が完成し、部員たちでハンバーグを食べていたそんな時、菜々美は伊織に唐突にそんな事を聞いてきたのだった。

 「佐藤さんってどなたですかー?」

 伊織が何と答えるか迷っていたところ、後輩の北島詩織が口をはさんできた。

 「ほら、私達のクラスメイトの佐藤エクレアさん」

 「ああ、エクレア姫ですかー」

 納得したように、うんうん頷いていた。

 「……仲良くはしたいと思っているよ。なぜか嫌われちゃってるみたいだけど」

 と、言葉を選んで話したつもりだったが、あまり良い選択だったとは言えず、後輩達はキャーキャー言うし、菜々美は苦虫を噛み潰したような顔でハンバーグを食べていた。

 「彼女、そんなのに有名なの?」

 慌てて話題を微妙に逸らすことにした。

 「うーん、ほら、まぁ。名前が名前だからね。本人はいたって大人しい子なんだけど、どうしても話題にはなっちゃうのよね」

 エクレア本人が言っていた通り、何もしていないのに彼女の名前は知れ渡っているようだった。

彼女が本当に大人しい性格かは、この際置いておくとしても、だ。

 「あんまり人の輪に入らない子だから、悪い意味でも目立っちゃうしね」

 やはり、彼女の『おとなしくして目立たないようにする作戦』はうまくいっていないようだった。

 「そういえば、北島さん。うちの妹はクラスで馴染めてる?」

 なんとか話題を変えたくて、妹の話題を出した。

 北島詩織は、伊織の妹とはクラスメイトなのだ。

 「ああ、翔君ですかー。ええ、もうすっかりクラスの人気者ですよ」

 「えっ? 翔君? 妹だよね?」

 菜々美が疑問の声をあげたが、妹で間違いない。

 「ええ。翔君は女子ですが、クラスの男子の誰よりもかっこいいですからねー。うちのクラスの女子たちもメロメロですよ」

 伊織は妹のクラスの男子たちがかわいそうでならなかった。

 「そんなかっこいい子なの?」

 「ええ。まるで王子様みたいですよ。おまけに、なんかお悩み解決的な? そういう活動もやってて最近は男子達も助けられててメロメロです」

 前の学校でもそんなことをやっていたが、転校して早々こっちでも色々やっているらしい。

 男も女もメロメロにしてしまうとは、困った妹だと思っていた。

「それで、先輩。あのエクレア姫のこと好きなんですか?」

 貴様、なぜ話題を戻した。

 伊織がじろっと詩織の方を見たが、本人はどこ吹く風だ。

 ようやく普通の顔に戻りかけていた菜々美がまた苦い顔になっている。

 「好き……? うーん……?」

 ひとまず考えるフリをしたが、

 「部長まずいですよ! あのお姫様に姫野先輩を取られちゃいますよ!」

 詩織は火に油をガンガン注いでいた。

 「ああ、だから今日、部長はなんだかぼんやりしてたんですねー!」

 と言うか、もはやガソリンを注いでいた。

 このままだと彼女の怒りの炎で校舎が炎上しそうだった。

 さすがにこれには菜々美も堪忍袋の緒が切れたのか、

 「詩織、ちょっと来なさい」

 「あーれー」

 と、後輩の首根っこを捕まえて部室から出て行ってしまった。

 「王子様じゃなくて姫である姫野先輩が、エクレア姫とくっつくなんて、おもしろすぎますけどねー」

 と、後輩は最後に伊織が気にしている事を言い残して去っていった。

 これでようやく平和になった……と伊織が胸を撫で下ろしかけたが、

 「ねぇねぇ、姫野君。実際の所どうなの? 菜々美とエクレア姫、どっちが好きなの?」

 残った部員達にはそう聞かれてしまった。

 残念ながら、女子中学生は恋バナが大好きなのである。

こういう時どう答えればいいのか、伊織にはわからなかった。

 曖昧に笑って誤魔化すしかなった。


 ◇ ◇ ◇


 それからしばらく経った、ある日の昼休みのことだった。

 「ああ。昼休みいつも教室にいないと思ってたらここにいたんだ。エクレアちゃん」

 昼休み。一人屋上でカレーパンを食べていたエクレアは、のん気な顔で現れた伊織を見てげんなりした。

 「姫野……」

 「いやだなぁ。伊織でいいよ」

 「いや、あたし達いつそんな関係になった?」

 「あれは夕暮れの神社だったねー」

 「記憶にない。あと、名前を呼ぶなって言ってるだろ」

 エクレアはため息をつきながら、苦々しい顔でカレーパンを齧った。

 「でも、なんでこんなところで一人でカレーパンを食べてるのさ」

 そろそろ本格的に夏になってきて、屋外で食べるには日差しが気になる季節だ。

 春先ならここも人気の昼食スポットだが、この時期になってくるとほとんどの生徒はクーラーの効いている教室や学食で食べる。

 しばらくエクレアは質問には答えず無言のままだったが、伊織がじっと見つめてくるので、根負けして仕方なく答えた。

 「……あたしが教室で食べてると、『今日のお昼はエクレアじゃないんですか~?』って言ってくる馬鹿な連中がいるからな」

 いかにも中学生男子の言いそうなことだ。

 伊織は彼女を慰めるように、

 「気にしない方がいいよ。そんな連中」

 「気にしてない。でも、食事は静かに食べたいんだ」

 暗に伊織にどこかへ行けという意思を示したが、当の本人はそれには気付かず、

 「次からは、そんな事言うやつがいたら僕がなんとかするよ」

 と、元気づけようと力強く言ったが、エクレアの反応は冷たかった。

 「期待してない。っていうか、余計なことするな。あたしは悪目立ちしたくないんだ」

 菜々美の話だと現時点でも結構悪目立ちしているようだが、そこには気付いていない様子だった。

 「なんで、そこまで目立ちたくないのさ」

 「家のお隣に、あたしと同じように変わった名前のお姉さんが住んでるんだよ。そのお姉さんがあたしにアドバイスしてくれたんだ。名前だけで悪目立ちするから、普段から大人しくしていた方がいいって」

 そう言いながらため息をついた。

 「そのお姉さん、すごく良い人だし、勉強もできてあたしの家庭教師をしてくれたこともあるんだけど。名前のせいで子供の時いじめられたりとか、今も就活で苦労してるみたいだし……あたしは絶対そんな目にはあいたくない」

 周りに同じような人がいるなら、確かにそんな風に思っても無理は無いのかもしれなかった。

 しかしお姉さん、か。

 「そういえば、エクレアちゃんは弟か妹はいないの?」

 「エクレアって呼ぶな。あと、なぜ下の兄弟限定なんだ」

 「いや、お兄さんかお姉さんはいなさそうだなって思って」

 「ふーん……いないよ。あたしは一人っ子だ」

 「ああ、やっぱり。お姫様みたいに可愛がられてそうだもんね」

 「バカにしてんのか」

 「してないって。ちなみに僕は、1個下の妹が一人いるよ。この学校の2年生」

 「聞いてないし、興味も無いんだけど」

 エクレアは冷たく言い放った。

 「そういえば、もうすぐエクレアちゃんの誕生日だね」

 彼女は、ちょうど1週間後に15歳になる。

 15歳になったら家庭裁判所に改名の申請をしに行くという話だったのだが、

 「ああ、そうだなー……」

 が、彼女はうかない表情だった。

 「どうしたの? 生理?」

 「殺すぞ」

 顔を真っ赤にしてデリカシーの無い伊織に向けて拳を飛ばしてきたが、彼はさっと後ろに下がって避けた。

 「普通、女の子に向かってそんな事言うか?」

 「えー。うち、妹と普通にそんな話してるけどなぁ」

 「家族相手でもやめとけ」

彼女は真顔で苦言を呈した。

「それで、何かあったの?」

 「うーん……」

 言うべきか迷っているようだったが、ため息をつきながらぽつぽつと話し始めた。

 「なんか、最近変なことがよく起きるんだよ」

 「変なこと?」

 「ああ。あたしが自分の部屋で改名の申立書を書いて、そのままちょっと部屋を出て戻ってきたら、書類が真っ黒になってたり……その後1枚また書いたら、書いたはずの書類がビリビリに破られてたりとか」

 「なにそれ怖い」

 伊織はぶるっと震えて、

 「それって、心霊現象ってやつ? お化けがエクレアちゃんに嫌がらせしてるってこと?」

 「ま、まさか! あたしは幽霊なんて信じてないからな!」

 エクレアはぶるっと体を震わせた後、ぶんぶん首を振った。

 かなり恐がっているように見えたが、指摘すると殴られそうだと思ったので黙っていた。

 「あたしは親が邪魔してるんじゃないかと思ってる」

 「エクレアちゃんの親が?」

 エクレアちゃんって呼ぶなと言いながらも頷き、

 「自分の付けた名前を勝手に変えられたくないから、あたしの邪魔してるんじゃないかと思う。まったく、とんでもないクソ親だ」

 「自分の親をあんまり悪く言うのは良くないよ」

と言ったが、エクレアは首を振った。

 「このままじゃ、誕生日を迎えて申立書を出しに行く時、何かしら邪魔されるんじゃないかと思う。下手すりゃ監禁されたりするかもしれない」

 その言葉に、心配になった伊織は、

 「僕、家庭裁判所に行く時、一緒に行ってあげようか?」

 「いらんわ」

 そう、冷たく突き放された。


◇ ◇ ◇


 「……エクレア……なまえを……ちゃだめだ……」

 「…………?」

 目が覚めたエクレアは、首を捻った。

 ここ最近、誰かに語りかけられている夢をよく見るのだ。

 ただ、夢の中で何を言われていたのか、起きた時にはまったく思い出せなかった。

 なんともすっきりしなかったが、今日はそんなことで悩んでいる余裕は無い。

 エクレアにとって、人生が変わるかもしれない。

 そんな日だったのだ。

 だが、

 「おはようエクレアちゃん! 爽やかな朝だね! そしてお誕生日おめでとう! はいこれプレゼント」

 「なんでいるんだお前」

 7月1日。

 この日はエクレアの誕生日だった。

 当然平日で、もちろん学校がある日だ。

 15歳になったエクレアは、制服を着て通学鞄を持ち、学校へ行く振りをしながら、家庭裁判所に申立書を出しに行くために家を出て近所のバス停に着いた。

 が、そこにはなぜか伊織が待ち構えていた。

 彼は大きな花束をエクレアに渡しながらにこにこ笑って、

 「いやぁ、せっかくのエクレアちゃんのお誕生日だし、僕も一緒にお出かけしたいなと思って」

 「今すぐ帰れ」

 彼女は思わず受け取ってしまった花束を突き返した。

 「だいたい、なんであたしがこの時間にバスに乗るってわかったんだ」

 「え? バスが動きだす時間からここにいるだけだよ?」

 「気持ち悪っ!!」

 やっていることはストーカーそのものである。さすがにドン引きしていたが、伊織はそんなことは気にせず、

 「さぁ、エクレアちゃんいざ家庭裁判所に!」

 「エクレアちゃんって言うな。あと、家庭裁判所って大きい声で言うな」

 バス停にいた人たちがエクレアという名前と、裁判所に用があるということを聞いて奇異の目を向けてきていた。

 二人は数分後やってきたバスに乗った。市バスはどこまで行っても200円で、目的地の家庭裁判所はここから30分ほどバスに乗らなければならない。

 「エクレアちゃん。この1週間は何か変なこと起きた?」

 二人席がちょうど空いていたので並んで座ったところで、伊織は尋ねた。

 「起きたっていうか……まぁ似たようなことは結構あった。書類は何十枚もコピーして至る所に隠したから大丈夫だったけど、今日も出かける時に昨日の晩から用意していた服が無かったり、玄関に靴が無かったり……」

 言われてみれば、エクレアの靴は学校指定の物ではなく、普通のスニーカーだった。

 はぁ、と大きなため息をついた。

 「うちの親、こんな子供みたいなイタズラしやがって。どうしてもあたしに改名して欲しくないらしい」

 「エクレアちゃんの両親は、何か言ってた?」

 「3日前、あたしがいい加減にしろって怒ってから話してない。本人達は知らないって言ってとぼけてたけど」

 「ふーん……」

 それからしばらく、二人は無言のままだった。

 伊織は何か考えているようだったし、エクレアは思う所があるのだろう窓の外を向いてしまった。

 が、突然ガタンと音が鳴り、バスが大きく揺れた。

 「え?」

 「なんだ?」

 前を見ると、運転手はとても慌てた様子だった。

 バスはガタガタ揺れながらゆっくりと路肩に停車した。

 他の乗客達もどよめいていたが、やがて運転手からアナウンスがあった。

 「申し訳ありません、タイヤが破裂したようなので、これ以上の走行は危険なため降りて次のバスを待っていただくようお願いします。料金は結構ですので」

 そう言われて、バスを降りることになってしまった。

 外に出てみると、確かにバスの大きなタイヤが全てぺったんこになっていた。

 伊織もエクレアも呆然としていた。

 四輪全てが同時に破裂するなんてことあるのだろうか、と真剣に考えていたが、いつまでもボーっと立ち尽くしているわけにもいかかない。

 「エクレアちゃん、どうする? 次のバス停まで行って別のバスを待つ?」

 次のバス停までは少し歩かないといけない。

 エクレアはじっと考えこんでいたが、首を振って、

 「電車に乗る」

 そう言って、駅に向かって歩き出した。

 5分ほど歩けば、電車の駅がある。

 そこから目的地の裁判所の最寄り駅まで、わずか一駅だ。

 なんとなくもう一度バスに乗ることを避けたくなったこともあり、エクレアは電車を選択したのだ。

 道中、お互いに何も言わなかった。

 ただ、なんとなく胸騒ぎがしていた。

 しばらく歩いて駅にたどり着いたが、なぜか改札の周りには人が大勢溜っていて、みんな構内には入ろうとせず、中の方を見たり、スマホをいじっていたりした。

 「なんだ?」

 明らかに何か起きた様子だった。

 嫌な予感がしながらも、様子をうかがうと、

 「置き石の影響で、現在運転を見合わせております! 復旧の目途は立っていません!」

そう、駅員さんが拡声器を持って叫んでいた。

 またしても二人とも押し黙ってしまった。

 「…………」

 エクレアはそのまま後ろを振り返ろうともせず、人ごみを避けて駅から離れていこうとした。

 「ちょ、エクレアちゃん?」

 「歩いていく」

 確かに歩いて行けない距離では無いが、どことなく自棄になっている感じが気になった。

 「……まぁ、こういう日もあるよ。気にしないで」

 「あたしは気にしてない」

 こちらを見もせずに、どんどん早歩きで歩いて行ってしまうエクレアの後を追う。

二人とも何も言わなかったが、せっかくの誕生日に、人生を変えるような一大決心をする日にこんなにも不運が重なることに、何か不気味な物を感じていた。

 どうしても、まるで、何者かがエクレアの邪魔をしているような、そんな風に感じてしまっていたのだ。

 それから数十分無言のまま二人は歩いていた。

 「あ、あそこ確か命名で有名な神社だよ。エクレアちゃん、どうせなら新しい名前を付けてもらったどう?」

 近くに命名してくれる神社があったので、雰囲気を明るくしようと無理やり話題を作ったのだが、無視された。

 伊織は肩を落としながら、スマホを見た。

 「もうすぐ、だね」

 地図を見ながら彼女に話しかけたが、またしても反応は無かった。

 彼女は裁判所の場所を完全に把握しているようで、地図も見ずにどんどん進んでいく。

 おそらく、あと2,3分歩けば着くだろう。

 そう思った時だった。

 ガタッ、とどこからか音がした。

 伊織は思わず足を止めたが、エクレアは気にせず進んでいった。

「あ、待ってエク……」

 あわててエクレアを追いかけようとした伊織は、見てしまった。

 約10m前方のビルの上、居酒屋の看板が、風も無いのにガタガタと揺れていて、今にも落ちそうになっているのを。

 もしあれが落ちたら、自分の前を歩くエクレアに当たってしまうだろう。

 「エクレアちゃん、危ない!」

 思わず、叫んで走り出した。

 「え?」

 エクレアは足を止めて振り返ったが、その場所が最悪だった。

 よりにもよって、彼女は落ちそうになっている看板の真下で立ち止まってしまった。

 その時、看板がガタッと音を立ててエクレアの頭上めがけて落下を始めた。

 伊織は、全速力で走った。

 そして、ぽかんとしているエクレアを突き飛ばした。

 何が何だかわかっていないエクレアが後ろに倒れながら見たのは、さっきまでエクレアがいた場所、つまり今は伊織がいる場所に、看板が落ちる瞬間だった。

 ドオオン!!

 「きゃぁ!!!」

 「わぁ!?」

 大きな音に、周りにいた誰かが悲鳴を上げた。

 「姫野……?」

 呆然とするエクレアの目の前で、伊織は頭から血を流して倒れていた。

 「誰か、救急車を!」

 周りにいたサラリーマン風の男が、慌てて叫んでいた。

 エクレアは立ち上がろうとしたが、足が震えて立てなかった。

 のろのろと伊織の側まで這って行くと、

 「エクレアちゃん……無事で良かったー……」

 伊織は血だらけになりながら、エクレアの無事を確認すると、そのまま目を閉じて、動かなくなった。

 「ちょっと、姫野! 姫野!」

 エクレアは伊織の手を握って彼の名を呼び続けたのだった。


◇ ◇ ◇


 ぐすんぐすん、と誰かがすすり泣くような声が聞こえてきた。

 そろそろ日も暮れてきて、夜の帳が下りてくる時間だ。

 ここは地方の小さな街の一角にある神社だ。

 夕方を過ぎると参拝客もほとんど訪れないし、遊びに来ていた近所の子供たちもそろそろ家に帰る時間だ。

 こんな時間に人がいるのは珍しかった。

 普段は誰が訪れてもあまり興味が無かったが、その泣き声が余りに悲しげに聞こえたので、気付かれないようにそっと様子を伺ってみた。

 まだ、学校にも行っていないような年頃の少女だった。

 可愛らしいドレスのような赤いワンピースを着ていて、頭には大きなリボンを着けている。派手な格好だが、その少女にはよく似合っていた。

 その少女には見覚えがあった。

 何度か、この神社で友達と遊んでいるのを見た覚えがある。

 しかし、今日は一人のようだった。

 周りには友達も親もおらず、たった一人で泣いている少女が余りにも不憫だったので、思わず、話しかけていた。

 「どうしたんだい?」

 普段なら絶対にこんなことはしないが、なんとなく、気になってしまったのだ。

 少女は驚いたようにこちらを見上げていた。

 知らない人に話しかけられての驚きなのか、自分の姿を見ての驚きなのかはちょっと判断できない。

 「悲しい事でも、あったのかい?」

 少女を安心させるように、できるだけ優しい声で続けて質問をした。

 自慢では無いが子供の扱いになど慣れていないので、できるだけ恐がらせないよう、優しくゆっくり話しかけた。

 少女は迷っているようだった。

 知らない人と話してはいけません、と親にしっかりと教育されているのかもしれない。

 確かに、自分のような者がこんな小さな女の子に話しかけている所など、近所の人が見たら通報されてもおかしくはない。

 まぁ、通報されたところで自分に害は無いのだが。

 だが、少女は迷いながらも返事をした。

 「おともだちが、とおくにおひっこししちゃったの」

 ぐずりながら、そんな事を言ってきた。

 そうか、だから一人だったのか。

 「ずっといっしょにあそんでたのに。もうあそべないっていわれた」

 悲しいことだが、自分にはどうすることもできない。

 正直どうしたものかと迷っていたが、少女は続けて、

 「あたしの、おうじさまになってくれるっていってたのに」

 王子様だって?

 「あたしのおなまえ、おひめさまみたいだっていってくれて、だから、『ぼくがきみのおうじさまになる』っていってくれたの」

 随分とませた子供だ。

 いや、逆に子供じゃないとこんなこと言えないか。

 大きくなったら、『王子様になる』なんて真顔で言うことはできないだろう。

 それくらい、こっぱずかしいセリフだからだ。

 「おうじさまがいないなら、あたし、おひめさまになれない。もう、こんなへんななまえ、いやだ」

 「名前?」

 その言葉に、驚いて反応する。

 名前。

 自分にとっては、大いに意味のある言葉だ。

 「みんな、あたしのなまえ、へんだって、はずかしいって、いうの」

 これは、運命なのかもしれない。

 この少女に話しかけたのも、偶然では無かったのだ。

 「じゃあ、もし君がその名前を捨てる時が来たら……」


◇ ◇ ◇


 「あ、エクレアちゃん来てくれたんだ! いやーみんなお見舞いに来てくれたんだけエクレアちゃんだけ来てくれなかったから寂しくて仕方なかったよー! さぁ、君の命を救ったこの王子様に感謝のハグを!」

 バタン、と開けたばかりのドアをそのまま閉めた。

 あれから3日後。

 学校をサボって出かけた結果、伊織が大けがをする事になったので、親からも先生からもこってり絞られたエクレアだった。

 だが幸いにも伊織の怪我は命に別状が無く、4日ほどの入院で済むそうで、クラスメイト達(だいたいは女子らしい)は代わる代わるお見舞いに行ったそうだが彼女はまだ行っていなかった。

 だが、いつまでも逃げているわけにはいかないと、意を決し伊織が入院する病院に行き、病室の前で数分迷った末にようやく扉を開けて最初に聞いた言葉がさきほどのセリフである。

 そのまま帰ろうかとも思ったが、それではここまで来た意味がない。

迷ったがため息をつきながら再びドアを開けて中に入った。

 伊織は、頭と足に包帯を巻き、ベッドに横になっていたが、ひとまず元気そうだった。

 「何が王子様だ。伊織姫なんて呼ばれてるくせに」

 伊織が自己紹介の時に自分で言ったあだ名は、クラスでは両方とも使われていて、主に男子からは伊織姫、女子からはいおりんと呼ばれている。

 「ははは。それより、来てくれてありがとね。エクレアちゃんは怪我が無かったってみんなから聞いてはいたけど、こうして実際に無事な所を見られて、ほっとしたよ」

 その言葉に、エクレアは言葉を詰まらせた。

 そして、伊織に向って深々と頭を下げた。

 「エクレアちゃん?」

 「ごめんなさい。あたしのせいで大怪我させちゃって」

 普段の彼女とは違って、だいぶ殊勝な様子に伊織は慌てて、

 「ああ、えっと……だ、大丈夫だよ! 見た目ほど大したことは無いし、ほとんど検査入院だからすぐ退院できるし。そんなに謝らないでよ!」

 そしてベッドから降りてまだ部屋の入口で頭を下げているエクレアの側に駆け寄り、気になっていた事を尋ねた。

 「あれから、改名の申立書は出せたの?」

 「まだ。……あんなことがあったから、親の監視が厳しくて、出しに行けてない」

  エクレはようやく頭を上げたが、顔は暗いままだった。

 「……バスも、電車、そしてあの看板も……あたしが、名前を変えるのを邪魔しているみたいだった」

 「…………」

 今までと違い、力無いエクレアの声に伊織は驚いていた。

 「あの日から、この前みたいな変なことは起きた?」

 「起きてない」

 「じゃあ、やっぱりエクレアちゃんに名前を変えて欲しくない存在がいる……ってことなのかな」

 この3日間、エクレアは裁判所に行こうとしていない。

 だから、何も起きなかったということなのだろう。

 それを聞いて、エクレアはうつむいて、

 「あたしは、名前を変えちゃいけないのかな……」

 今にも泣きそうな声だった。

 「調べよう」

 伊織は、そんなエクレアの事を放っておきはしなかった。

 「エクレアちゃんに名前を変えて欲しくない存在が本当にいるのか、どうして邪魔をするのか、その理由を確かめよう」

 そう言って、伊織は部屋の隅に置いていたボストンバックから着替えを取り出した。

 そんな様子に逆にエクレアは慌てて、

 「でも、あんたまだ入院してないと!」

 「大丈夫。検査の結果はまだ出てないけど、体は何とも無いんだ」

 頭と足の包帯を外し、服を脱ごうとパジャマのボタンに手をかけたところでピタッと動きが止まり、振り返って

 「あの、着替えるから外で待っててもらっていい?」


◇ ◇ ◇


 「あれ? 佐藤さん?」

 病室の前で伊織の着替えを落ち着かない様子で待っていたエクレアは、突然話しかけられた。

 「……えーと、藤村さん?」

 料理研究部の部長、藤村菜々美だった。

 エクレアは普段クラスメイトと話すことが滅多にないので、ほとんどの生徒の名前を覚えていなかったが、菜々美はクラスでも目立つ方なので、なんとか思い出すことができた。

 「佐藤さんも伊織君のお見舞いに来たんだね」

 「ああ、ええ……まぁ」

 なぜか、菜々美が伊織の事を『伊織君』、と呼んでいることに少し動揺してしまっていた。

 彼女は伊織と同じ料理研究部で、教室でも普段からよく話しているから、特におかしな事では無いはずなのだが、なぜか無性に気になってしまっていたのだ。

 そんなエクレアの動揺には気づかず、菜々美は不思議そうな顔で、

 「そんなところで何してるの?」

 「姫野……君、えっと……外出許可が取れたらしくて着替えているところなの。だから、あたしは待っているところで」

 咄嗟に嘘をついた。

 ちなみに、伊織の怪我が彼女を庇って負った物であることは、学校の人間は知らない。

 彼は『たまたま落ちてきた看板に当たった』としか言っていなかったのだ。

 「そうなんだ……」

 藤村さんは、何か考えているようだった。

 「ねぇ、佐藤さん。最近姫野君とよく一緒にいるよね?」

 「え、ええ。まぁ……」

 「彼の事、好きなの?」

 さすがに耳を疑った。

 普段のエクレアの態度を見ていれば、そんな事思うわけがないと思ったのだ。

 「……まさか。一緒にいるといっても、あたしの方から、あいつに近寄っているわけじゃないんで」

 それを聞くと、菜々美はにっこり笑って、

 「そう。よかった」

 正直、恐い笑顔だと思ったエクレアだった。

「お待たせ……あれ? 藤村さん今日も来てくれたんだ」

 「伊織君、外出許可が出たんだってね。よかったね!」

 さっとエクレアは伊織に目配せをした。

 伊織も、外出許可という言葉に驚いたが、エクレアの目配せのおかげで合わせることができた。

 「ん? ああ、うん。ありがとう。これからちょっとエク……佐藤さんを送っていくついでに、ちょっと出かけてくるところなんだ」

 「そっかー……邪魔しちゃ悪いし、じゃあ私、先に失礼するね」

 菜々美はちらっとエクレアの方を見たが、何も言わずに帰っていった。

 「彼女、昨日も来てたの?」

 彼女を見送った後、エクレアは気になっていたことを聞いた。

 「うん。料理研究部のこととか、連絡事項があるとかで毎日来てくれてるよ」

 それを聞いてエクレアは渋い顔で、

 「連絡事項なんて、携帯で送ればいいのに」

 「そう言ったんだけどねー。なんか、直接伝えたいからって」

 「それ、本当は……」

 エクレアは、なぜ彼女が毎日来るのかわかる気がしたが、なぜかそれを口にしたくなかった。

 そんな彼女を、伊織は不思議そうな顔で見ていた。

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