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Eminence Grise


 09 Eminence Grise



 悪魔は去った。


 ルーエイは、頭を掻いて乱れた髪をかき上げながら、一つ大きく息を吐いた。

 その後、ゆっくりと床に足を降ろして、ベッドから立ち上がろうとしてフラついてよろけてしまう。

 「やべ、ちょっと使い過ぎた」


 思った以上に体力と精神力を消費してしまっていた。

 上位悪魔の従僕でしかない低級悪魔のサキュバス相手に、使わなくてもいい能力まで使ってしまったのは、彼自身も

 多少なりともリルを気に入ってしまったからで、出来れば殺さずに事を収めたいと考えて取った行動だった。

 彼にとっても、今までで最高の女だったというのは否定し難く、またお目にかかれる事を密かに期待している。

 これでは、結局のところアホのヴァレフォールと同じではないか。

 野郎を虚け者呼ばわりするのはやめようか。


 悪魔が消えればもうここは用済みだ、さっさと帰るか。

 部屋を後にし、出口を求めて廊下を歩き始めるが、どこをどう歩いてここまで来たのか全く記憶がない。

 右も左も、全て同じ景色に見えてしまう。

 来た道程を逆に進めばいいだけだと、楽観視していたのが裏目に出た。

 「ったく、これだから広い屋敷は嫌いなんだよ」


 じっとしていても埒が開かないので、ともかく歩いていけばどこかにぶつかるだろう。

 そう思って歩いていたら、気がつけば、目の前には下へ通ずる石の階段がある。

 「あれ?、下?

  ここ一階だよな・・・、地下か」

 手をついて壁伝いに歩いていただけなのに、何故にこんな場所に辿り着くのか。

 おかしいなと思って考え、ここでようやく納戸の窓から侵入した事を思い出すも、再びあの場所を探しに引き返すのも

 バカバカしい。


 頭を切り替えて、近場で適当な窓を探そうとした時、階段の下から男の声がした。

 「遅いぞ、交替時間はとっくに過ぎ・・・」

 現れたのは、槍を持った一人の若い武装兵士だった。

 「だ、誰だ貴様!」

 「あー、ご用聞きでございます」

 ルーエイは、咄嗟にこの兵士を利用しようと考え、すかさず邪眼で瞳術をかける。


 術をかけられた兵士は、夢遊病患者のようにボーっとその場で立ち尽くす。

 出口を聞き出すため階段を下りたルーエイは、その地下の廊下の奧の方から、なにやら不審な音を聞く。

 なんだろうと耳を欹ててみると、シクシクと忍び泣く女性の声だと分かった。

 壁にかかっていた松明を手に取り、音のする方へ廊下を進んでみる。

 廊下の両側にあったのは地下牢だった。

 左右に数部屋ずつあるその一つに松明を翳すと、牢の片隅で座って下を向き、泣き続ける髪の長い女がいた。


 「あれ、あんた・・・、ここにいたのか」

 その声に反応して、顔を上げた女はフリルだった。

 フリルは、そこにルーエイの顔を見て激しく驚き、目をパチクリさせた。

 「ル、ルーエイ?」

 「ああ」

 やっと、やっと待ち望んだ人に会えたフリルは、溢れる涙と感情を堪えきれず、すぐに駆け寄って彼に抱きつこうと

 した。

 だが、二人の間の物理的障害、冷たい鉄格子に阻まれる。

 彼女は、泣きべそをかきながら強く鉄格子を握り締めた。

 「ル〜〜エイ〜〜・・・」


 やはり、今朝逮捕されたという旅人はフリルだった。

 一緒にいたという近衛の兵士達も、それぞれ別の牢に留置されている。


 「なんでこんな事になってんだよ、あんた。

  俺は約束通りフォーシュまで送っただろ」

 「だって・・・、だって・・・」


 あなたに会いたくて追ってきた、その一言が口から出ない。


 言えないもどかしさはあるけれど、この時は、とにもかくにも会えたという嬉しさの方が勝った。

 「ルーエイこそ、なんでここにいるの?」

 「いや〜、この町の飯が不味いんで文句言ってやろうと思って乗り込んだら、道に迷った」

 「あ、あの子は一緒じゃないの?」

 「一緒じゃねえよ、四六時中一緒にいてたまるか」

 「だ、だって恋人・・・」

 「ばか言うな。

  ただの知り合いだ、仕事仲間だよ」


 この、物凄くへんてこな言い訳も、なんの違和感もなく聞こえてしまうくらいに、彼の言った一言がどれだけ彼女に

 力を与えた事か。


 「私達、捕まっちゃったんだよ。

  理由も言われなくて、何がなんだか分かんないのよ。

  神の啓示だとしか教えてくれないのよ」


 神の啓示・・・、悪魔の囁きだろ。


 「拷問とかされてねえよな」

 「うん、大丈夫。

  何しに来たのかは聞かれたけど」

 「気にすんな、どうせ誰かと間違われただけだ」


 女悪魔の早とちりで刺客と勘違いされ、その煽りを食らってしまった不運な彼女達を牢から出してやりたい。

 さすがの無頓着ルーエイも、捨て猫のような目で彼を見つめるフリルに、そんな親心が芽生えてきた。

 出してやるのは簡単だが、今ここでそれを実行してしまうと、彼女達は脱獄という言い逃れようのない本当の犯罪を

 犯す事になってしまう。


 「悪いがもうちっとここで辛抱しててくれ、明日になったら出られるさ」

 「もう行っちゃうの?」

 「ずっとここにいる訳にはいかねえだろ。

  何も心配すんな、いいな」

 「う、うん・・・」

 「じゃあな」


 立ち去ろうとする彼を呼び止めるフリル。

 呼び止めはしたが、うまく言葉が出てこない。

 振り向いた彼に言えたのは、一言だけだった。

 「また・・・、また会える?」

 「期待して待ってな」


 それっきり、彼は二度と彼女の前に姿を現す事はなかった。


 翌朝、フリルと二人の近衛兵は無事に解放された。


 ☆


 その後、ボーデに戻ったフリル達は、父のウルスと再会した


 この旅での様々な経験は、彼女にとっては何から何までが初めての事ばかりだった。

 楽しいものも、苦いものも含めて。

 それが、今後の彼女の大きな財産になるのは間違いない。


 フリルは、手紙では書ききれなかった事や、その後の出来事についても包み隠さず父に語った。

 サンロジで逮捕されてしまった事も、ルーエイが城の地下牢に来た事も。

 釈放された時、官吏からも兵からも一切の説明がなかったため、なぜ逮捕されねばならなかったのかも、また釈放に

 至る経緯も分からぬままだったが、彼女はルーエイが関与したと信じて疑わなかった。


 「またルーエイが助けてくれたのよ。

  絶対そうだよ、だってわざわざ会いにきてくれたもん」


 ウルスは、彼が約束を全うした後も、娘の面倒を見てくれた事に大いなる謝意を抱いた。

 彼が娘を約束のフォーシュまで無事に送り届けてくれた事は、娘の手紙で知っていた。

 その上更に、サンロジでの誤認逮捕に関しても尽力してくれたというのは、実は想像以上に大きな意味がある。


 通常であれば、不当に逮捕された者が釈放されるまでには相当量の時間を要する。

 官憲に自らの過ちを認めさせるのは並大抵な事ではなく、事実上は不可能と言っていい。

 釈放が認められるには、ある程度長期の拘束を経た上で、何らかの恩赦という理屈を付けて体裁を整える形くらいで

 しか実現しないだろう。

 それを、彼はたった一晩で成し遂げてしまった。

 逆に言えば、彼が早急に動いたればこそ、ただの取り調べだという口実で体面を保ったまま釈放を可能ならしめたと

 結論する事も出来よう。

 それほどまでに、無理に近い事をやってのけたのだ。


 父がそのルーエイの業績に思いを巡らせている間、娘もまた同じ人物について考えていた。

 フリルにとって、彼がその心の中の大きな部分を占めるに至ったのは偽らざる事実であった。

 しかしながら、彼女の願いは何一つとして叶えられる事はなかった。

 結局、彼には何も聞けなかった、何も告げられなかった。

 それでも、彼女に落胆の気持ちはない。

 いつか、必ずまた会える時がくると信じていた。


 「でも不思議だね、ルーエイって・・・、誰なんだろう」


 「私も、あいつが何者なのかずっと考えていたんだが、結局何も思いつかなかった。

  一つ、もしやとは思ったんだが・・・、やはりあり得んだろうな」

 「それ何?」

 「いや、噂だよ、噂。

  いつぞや誰かに聞いた、根も葉もない宮廷の噂だ」

 「噂?」


 「宮廷の中には、常に無数の噂が飛び交っている。

  物騒なもの、滑稽なもの、愉快なもの、恐ろしいもの、その他諸々。

  さながらフリーマーケットの如く、なんでもありだ。

  私もそれほど宮廷内の事情には詳しくはないが、それでも仕事上立ち入らねばならない時もあるし、そういう噂を

  耳にする機会もある。

  その中の一つに、政府の裏組織に関するものがあってな。

  政府に好意的感情を持っていない貴族達の調査と監視、場合によっては実力行使も厭わないという影の組織が暗躍

  しているという噂だ。

  恐らく、この手の噂はどこの国へ行ってもあるものなのだろうがな。

  以前、とある伯爵家の令嬢が宮廷から離れ、実家に引き籠もってしまったらしいのだが、それはこの組織に重大な

  過去の秘密を知られてしまったからなのだと、高貴なご令嬢の方々がまことしやかに囁いていたそうだ。

  冗談にも聞こえるが、要は宮廷から追放されたという事なのだろう、伯爵家に対する警告の意味を込めてな」


 どうやら、ウルスはクルトワーズ伯爵家のパラス嬢もまた、その噂と同樣の憂き目に遭ってしまったのではないかと

 推測している節がある。

 ルーエイがその帰省に帯同した合理的理由を考えて導き出した結果なのだろうが、それは誤りであると正してくれる

 者は、彼の周囲にはいない。


 「組織の概要は誰も知らん。

  人員も、活動実体も、その財源も。

  一説には、その組織は調査が専門で、実行部隊は近衛師団の内部にあるという全く信じられない話まである。

  そして、その調査機関を裏で操っているのが、サンソワン侯爵ではないかと言われているようなのだ。

  まあ、あくまでもただの噂でしかないし、誰も真偽は知らん、知る事も出来ん。

  組織の名は・・・、なんと言ったかな・・・。

  忘れてしまったよ、なにぶん一度聞いただけだからな」


 「ルーエイがその組織の一員なの?」

 「私も一度は疑ってみたんだが、どうにも腑に落ちない。

  結局のところ、噂は噂でしかない。

  誰かが証明してくれるまでは、全ては灰色の闇の中なのさ」


 そう言って、頭の中で自分の言葉を噛み締めるように咀嚼した時、ふと記憶が蘇った。

 「灰色・・・、そうだ、思い出した」



 エミナンス・グリーズだ




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