新たなる来訪者
06 新たなる来訪者
フォーシュは、ロジェ伯領の中では領都サンロジの次に大きな町である。
外洋に面した貿易港でもあるここは、様々な人種の異国人にそこかしこで会える。
航海で寄港するだけでなく、商売のために長期滞在する者や定住している者も多くいるとみられ、住宅街の裏路地でも
普通に外国語が飛び交うような、他の町ではあまり考えられない異国情緒が漂う。
当然、そうした人達向けのエスニックな飲食店なども多々あれば、民族や宗教の違いから、着衣なども見知った物から
そうでない物まで種々多様に入り混じる。
目に映る物のみならず、耳にも鼻にも新鮮であるばかりか、その雑多さは以前立ち寄ったボーデの比ではない。
良きにつけ悪しきにつけ、何が起こるか分からない期待感が弥が上にも高まってくる、そんな町だった。
一行は、フリルが受け取った手紙に書かれていた住所を頼りにルネの家を探す。
フリルの幼馴染み、ルネの父親の経営するクロイエール商会は、港の一角に商館を構えていた。
港には、大きな外国船が多数係留されており、たくさんの日焼けした逞しい船乗り達が荷揚げなどの作業をしている。
そこで輸入品の仲買を始め、商いは好調だと手紙にもあったが、実際その通りなようで、クロイエール家は港湾部に
商館を持つ他に、郊外の高台に別宅を購入するまでになっていた。
商館のエントランスで再会したフリルとルネは、お互い手を取り抱きしめ合いながら息災を喜んだ。
約一年ぶりに顔を合わせ、積もる話も山とある。
フリルの頭の中には、あれもこれもと話したい事柄が次々と浮かび、何から始めてよいのか決め倦ねて口が回らない。
これは立ち話が長くなるなと思わせる展開の中で、さすがに商人の娘のルネは切り替えが速く、友人に同行してくれた
ルーエイ達への丁寧な挨拶と謝辞を忘れず、疲れているだろうからと速やかに客間へ通した。
子供じみたフリルと同い年かと疑ってしまうほど、よく出来た娘だった。
商館には、一行それぞれに個室を充てがっても余るくらいに部屋がある。
そのベッドメイクから晩餐の準備に至るまで、ルネがてきぱきと手配してくれるので、ここで暫く逗留するのを拒む
理由はなくなった。
フリル達の歓迎会を兼ねた晩餐は、ルネの家族も揃い、にぎやかに和やかに進んだ。
食卓には待望のカニが・・。
あいにくと、今は漁の季節ではなかったため、食べ放題のフルコースが作れるだけの水揚げは望むべくもなく、市場に
かけ合ってどうにか一人に一匹分確保するのがやっとだったという。
一匹でもカニはカニ、期待を裏切らないその味に不満を漏らす者はいない。
普段からあまり表情に変化のないペルスネージュも、この時ばかりは満面の笑みで口いっぱいに頬張っていた。
☆
思った以上に盛り上がった晩餐の後、フリルは、自室に戻る前にルネの部屋を訪れ、そこで久し振りの幼馴染みとの
四方山話に時間を忘れて花を咲かせた。
二人の話は夜更けにまで及んだ。
長旅での疲労を気遣ったルネが、まだ話し足りなさそうなフリルを諭し、明日になったら街へ出て一緒に買い物をする
約束をして話を終わらせなかったら、朝日が昇るまで続いたことだろう。
自分の部屋へ向かう廊下で、何気なく窓の外に目をやったフリルは、再び星空の中にフクロウ・・ならぬコノハズク
らしき鳥が飛んでいるのを見つけた。
あれは・・・、前にルーエイの肩に留まってた・・・、同じかな?
そう思うのも無理はない。
フクロウやコノハズクなどの夜行性猛禽類は、人に飼い馴らされたものでもない限り、たやすく人目に付く街中には
現れたりはしないはずだから。
それを、二度までも目撃するとは。
ルーエイはペットではないと否定していたとはいえ、偶然と呼ぶには不自然な気がする。
よほど、あの鳥は彼の事が好きなのか。
彼に確認するのが一番手っ取り早いのだが、もう夜も遅いし、こんな時間に男の寝室に入るのは気が咎める。
宿泊の初日でいきなり夜這いするのかと、周囲から勘違いされてしまいかねない。
やっぱり明日にしよう。
そんなに急ぐ必要のある事でもないし・・・。
フリルの予定では、翌日も平和で楽しい一日になるはずだった。
ルネと二人で外出し、初めての異郷の街を存分に堪能するはずだった。
それが、いざ夜が明けてみると、思いも寄らない事が起こってしまう。
新たに商館を訪ねる者が現れたのだ。
それは、ショートカットで勝ち気そうな一人の少女。
軽装で手ぶら、地元の人間ではなさそうだが旅行者にも見えない。
年の頃からして、商談にきた商人ではない事だけは確かだろう。
では、一体何のためにきたのか。
少女は、応対に出た番頭の男に対し、ここに宿泊している客人に用があると告げた。
なぜ、彼女はホテルでもないここに客が泊まっている事を知っているのか。
その疑問に、彼女は会えば分かるとだけ述べ、重ねて面会を要求した。
エントランスでの違和感を感じたルネが出向いて間に入り、客は自分の個人客で商会の業務とは無関係なので会わせ
られないと断るも、少女は聞く耳を持たず会わせろの一点張り。
意地の張り合いが続き、場はちょっと険悪なムードになりつつあった。
騒ぎを聞きつけたフリルは、階段へ続く二階の吹き抜けから、階下のエントランスを覗き込んでみた。
絶対に認めないルネと、一歩も退かず腕組みする少女が、面と向かって対峙している。
ピリピリとした張り詰めた空気が、こちらまで伝わってくるようだ。
その少女について、フリルにはとんと見覚えがない。
この町には、ルネとその家族以外に面識のある人などいないのだから、ごくごく当たり前の話だ。
では、ロワールかペルスネージュ、あるいはトレナールの知り合いなのだろうか。
一体誰なんだろう。
そう思っているところへ、ロワールとペルスネージュが現れた。
「どうした、下が騒がしいようだが」
「あ、ロワールさん。
どうもあの女の人が私達に会いたいらしいんですけど、知ってますか?」
「いや、見た事のない顔だな。
お前は?、ネージュ」
「・・知らない」
「じゃあ・・、トレナールさん?」
「確かに、あれくらいの子供がいてもいい歳だが、残念ながらあいつは独り身だ。
でもなければ、クルトワーズ家の使用人が我々につき合って、せっかくの休暇を無為に送ったりはしないさ。
こっちに隠し子でもいるなら話は別だがな」
トレナールはクルトワーズ伯爵家に仕える厩番で、年齢は40代の後半くらいだろうか。
大人しくて口数少なく、真面目で実直、まさに勤勉を絵に描いたような男性である。
婚姻歴があるのかは本人に聞いてみないと分からないが、周囲の知らない所で密かに子供をもうけるような浮ついた
男とも思えない。
そんな男にも、若気の至りとかがあったのだろうか。
「あたしが用があるのはあいつよ」
それまで、二階から下を覗くフリル達を察しながらも気付かぬふりをしていた少女が、突然その方向を指差して声を
一段大きくした。
驚くフリル。
え?、なになに?、誰?
少女の伸ばした人差し指の延長線上にいたのは、いつの間にかフリル達の後ろに立っていたルーエイだった。
「なんだフィンク、来たのか」
「お久」
いつもながらのすっとぼけた感情のない声で呟くルーエイに、フィンクという名の少女は笑顔で小さく手を振る。
まさか、ルーエイの顔見知りだったとは。
しかも若い女性。
フリルは、それだけはないだろうと思考の外に置いていた。
というより、その可能性すら考えなかった。
彼のこれまでの行動からみて、とても特定の女性に会うために旅をしてきたとは思えなかったからだ。
慌てて振り向いて顔を見る。
「誰?、知り合いなの?」
「んまあ・・、腐れ縁だな」
彼は、あっさりとそう言い残し、エントランスへ下りてフィンクの元で一言何か声をかけると、そのまま連れ立って
商館を出て行ってしまった。
それを見送るフリルの心境たるや、周章狼狽てんやわんやの大騒ぎ。
ま、まさか・・・、こ、こ、恋人?
ここで待ち合わせしてた?
ここへ来るって、どうやって知ったの?
いつからつき合ってるの?
どこまでの関係?
なんなの、あの女!
早く合理的な結論を導き出そうと焦れば焦るほど、なんだかどんどん怒りが込み上げてくる。
その様子にペルスネージュが突っ込む。
「フリちゃん、焦る」
「あ、焦ってなんかないよ、別に・・」
言葉では何と言おうと、顔を見れば全く信ずるに値しないのがありありだ。
これはとんでもない事になった・・・。
その日一日、フリルは終始その事ばかり考え続けていた。
約束していたルネと街に出かけても両親への土産を買い忘れ、美味しいからと勧められた珍しい外国料理を食べても
味が分からず、楽しみにしていた風光明媚な景色も見そびれる始末。
モヤモヤとイライラした気分のままでは、異国情緒を味わうなどという次元の心理状態には辿り着けなかった。
せっかくルネが色々案内してくれたのに、それを台無しにしてしまったフリルは、反省して気持ちを入れ替えようと
努めた。
自分が何か思い違いしているのかも知れないし、考え過ぎているのかも知れない。
明日になれば、事態が変わっている事だって有り得るのだ。
少し頭を冷やそう。
☆
夕刻になって、商館に戻ったルーエイは、ルネにフィンクも泊めたいと申し出た。
ルネは、フィンクに対してあまりいい印象を持っていなかったが、フリルをここまでサポートしてくれた客人の頼み
とあっては蔑ろにも出来ない。
渋々ながら承知はしたものの、さすがに男女同室は憚るので、新たに一室用意する羽目になった。
こうして充てがわれた部屋で寛いでいたフィンクは、夜遅くになって、ドアの向こう側に佇む人の気配を感じた。
暫く様子を窺うも、一向にドアをノックするでもなく、移動するでもなく、ただそこにいるだけ。
「誰かいるんでしょ、用があるんなら入れば?」
声に導かれ、静かにドアを開けて入ってきたのは、仏頂面で鋭い目つきのロワールだった。
彼女が現れたのを、フィンクはけっこう意外に思った。
それでも、特に断る理由もなかったし、面識のない自分に対し何を話すのか興味も湧いた。
「ああ、あんたか・・・、ルーエイと一緒に旅してきた人だよね。
何か用?」
「あの男について聞きたい。
お前は知り合いなんだろ」
「あ〜、あいつの事か・・。
何?、好きなの?」
「ふざけるとお前も三枚に下ろすぞ」
「他人の部屋に武器を持ち込むんじゃないわよ、無礼だな」
「信用してはおらんのでな」
いかにも不躾でストレートに物を言うロワール。
彼女は、自分に恥をかかせたルーエイの素性を是が非でも知りたかった。
なんとしても、あの卑劣漢の鼻を明かすヒントを得たい。
フィンクの登場はその好機だと思った。
フリルの気持ちを代弁しに来た訳ではない。
フィンクは苦笑する。
「やれやれ、とんだじゃじゃ馬だ」
ロワールも負けじと反論する。
「お前も相当なあばずれと見えるが」
「けど、あんたほどバカじゃない」
「なんだと」
「聞いてるわよ、勝負して負けたんですって?」
「負けてなどおらん!
ヤツが姑息に逃げ回ったりせず、正々堂々と勝負していれば必ず私が勝っている」
「フフン・・、命拾いしたね、あんた」
「なに?」
「まともに斬り合ってたらそんな事言えないよ。
今頃は土の中だから。
きっと花を持たせてあげたのね、あんたが剣の勝負で負けたんじゃないって言い訳出来るように」
「言い訳などではない!
剣では絶対に負けん!」
「ハハハ、無理無理。
勝てっこないよ、あんた程度ではね」
ロワールの主張を鼻であしらうフィンク。
私の実力も知らないで何様のつもりだと、そのいけ好かない態度に不快感を覚えるロワールに、フィンクは驚くべき
内容の話をする。
「だって、あいつにはあんたの目には見えないものが見えてるんだよ」
「なんだと?」
「臭いが見える、味が見える、音が見える、風が見える。
あんただけじゃない、およそ人間の目では追い付けないものが見えてるんだよ。
たとえあんたがどんなに剣の達人でも、そんなのはあいつにとっては何の意味もない。
地を這うミミズか何かと同じだよ。
ルーエイがその気になれば、指一本動かさずに人なんか簡単に殺す事が出来る。
あんた如きでどうこう出来る相手じゃないのよ」
「どういう意味だ、お前は何を言っている。
ヤツは人ではないとでも言う気か」
「ある意味そうかもね。
ただのスケベじゃないんだよ、あれは」
ロワールは、フィンクの言葉をそのまま鵜呑みにしようとは思わなかった。
実際に対戦してみて、ルーエイが並大抵の人間ではないという事は十分理解した。
しかし、それが人智を越えた特別な能力の為せる技だと言われても、素直に信じるには胡乱過ぎて説得力に欠ける。
「ヤツはピエロだろ」
「そういえばそんな事も言ってたっけな。
でもそれは子供の頃の話だよ。
それにピエロじゃない、軽業師だよ」
「ならば、なぜヤツは魔剣を持っている」
「そんなのあたしに聞かないでよ。
あたしだって何から何まで知ってる訳じゃないのよ。
そんな関係でもないしね」
「どんな関係なんだ」
「一言で言えば仕事仲間よ。
以下省略、色々めんどくさいから」
聞けば聞くほど胡散臭い。
「お前等は何者なんだ、目的はなんなんだ」
「それは知らない方が身のためだよ」
「なぜだ」
「だって、あんたあたしの言った事信じてないでしょ。
初めっから信じる気がないんじゃ、言うだけ無駄だろ」
「お前が真実を語れば信じるさ。
ケンカを売りにきた訳ではないのでな」
「あたしに嘘で言い逃れる理由があるとでも?」
「さあな。
少なくとも隠さねばならぬ裏はありそうだが」
「どんな人にも裏と表はあるものよ。
あんただって、剣豪剣豪と持て囃されてるって聞いたけど、ニンジンが嫌いってみんなは知ってるのかしらね」
「き、貴様・・・、なぜそれを・・」
「さあ、なんででしょ」
「まさか・・・、人の心が読めるのか」
「勘が鋭いのかもよ」
なんだ、この女は・・。
ロワールは、意味深に笑うフィンクに言い知れぬ不気味な恐怖めいたものを感じた。
今までであれば、フリルがそうであったように、自分と初めて会う人は皆、恐れを抱き萎縮してしまうのが常だった。
二枚刃の黒姫と呼ばれるようになって以降は尚のこと、正面きって目を合わせてくるのは、己が腕を過信して威張り
散らす命知らずの荒くれ者くらいのものだ。
それが、周囲の自分に対する当然の反応だと思っていた。
ところが、このフィンクという女は、まるで物怖じしないばかりか、僅かの警戒すらしていない。
見た目は至って普通の少女なのに、この落ち着き払った全くの自然体はなんだ。
なぜ、ここまで平気然としていられるのだ。
おまけに、人の心を見透かして嘲笑うかのようなえげつなさも見せる。
つくづく得体の知れない女だ。
☆
夜が明けた。
昨晩、悶々としたまま眠ってしまい悪夢に魘されたフリルは、ヤキモキしながら商館の中をルーエイを探して歩いた。
さすがの脳天気フリルも、寝覚めの悪さの原因が分かっているだけに、ただ気を揉んだまま黙って様子を見守るなんて
していられなくなった。
このもどかしさを晴らすには、直接会って話すしかない。
でも、会ってどうする?
何を話す?
変に浮き足立ってしまわないだろうか。
聞きたい事は一つだけなのに、それをいきなり切り出すのは女性としていかがなものか。
そもそも、あのフィンクって女の子は誰なんだろう。
ボーイッシュで可愛い顔してるけど、見るからにやんちゃそうだし・・。
でも、ルーエイの好きそうな立派な胸してた。
やっぱり恋人なのかな・・・。
いかん・・、だんだん憂鬱になってきた・・・・。
そのルーエイは、波止場の一角にあるレンガ倉庫の横で、のほほんと日向ぼっこをしていた。
側にはフィンクがいる。
「あんた、いつまでここにいる気なの?
さっさと仕事行こうよ」
「ちょっと気になる事がある」
「なに?」
「この町にはお姉ちゃんが極端に少ない」
「それ真顔で言うかな。
いっぱいいるじゃないの、あっちにもこっちにも」
「ばかもん、夜のお相手をしてくれる素敵なお姉さんだ。
昼間はお休み中に決まってんだろ」
「紛らわしい言い方するんじゃない、売女で済むでしょ」
「昨日、酒場で会った爺さんに聞いたんだが、前はもっといっぱいいたんだそうだ。
そりゃ華やかだったってよ。
こんだけデカい町だからな、遊郭の一つや二つあって当たり前だろ。
それが、ここ何ヶ月かでごっそり減っちまった。
なんでも、客が取れなくなったんでよそへ行くって、みんな出てったらしい。
なんか変だろ。
ここの港が廃れたって訳でもねえのに。
航海を終えた船乗りが港に着いて、まず一番に所望するのは酒と女だ、客なら五万といる」
「あんたらしいわね、そんなところに目を付けるなんて。
でもどうでもいい、あたし達には関係ないわ。
何度も催促してやっと来たかと思ったらそれか・・、娼婦如きで時間を無駄にしないで」
「すんませんね、血気盛んな年頃なもんで。
お前がつき合ってくれりゃ、要らん事せんで済むんだよ」
「押し倒したいんならお好きにどうぞ、あたしは拒絶しないよ」
「だったらその体から悪魔を追い出せ。
あいつがいると手も出せん」
「あんたなら殺せるんじゃないの?、エイルニルスを」
「そいつを殺したらお前も死ぬんだろ、そんな勿体ない事俺が出来るか。
そのおっぱいが目の前から消えるんだぞ、俺には耐えられん」
「あ〜もう、二言目にはおっぱいか。
それしかないの?、あんたの頭の中は」
「他にもあるぞ、尻とかケツとか・・桃とか」
「仕事の事、考えてる?」
「あいにくと、俺は行って手伝えと言われただけなんで、何をすんのかも知らん」
「そんな事だと思ってた。
じゃあ、ここからはあたしがリーダーね。
ちゃんと言う事聞いてよ」
「またお前の命令で動くのかよ、なんか面倒臭いな」
「そう腐らない。
あんたの気にしてるお姉ちゃんも関係あるのかもよ」
「なに?、そうなのか?
お前さっき関係ないって言っただろ」
「今思いついたの。
いわゆる夜会って奴のせいかなって」
「夜会ってなんだよ」
「行ってみる?
たぶん今夜もあると思うよ、満月だし」
「満月は昨日だバカ」
「いいのよ、どっちでも。
満月と新月の前後数日は一番夜会が多いのよ、たいがいはね」
「そこへ行けば、客足が遠退いた原因が分かるってのか?」
「原因かどうかは、自分の目で確かめるのね」
ルーエイと同様に、フィンクもなにやら特殊な体質の持ち主らしい。
☆
フォーシュという町は、港を中心にした都市部は比較的平坦だが、その縁辺部は丘陵地の森に囲まれている。
丘陵地は、標高が幾分かあるおかげで海方向に向かって見晴らしがいいので、そこに邸宅や別荘を構えるのが商人達の
憧れであり、ステータスの証しともなっている。
その丘陵の中腹、森の只中に、どこかの商家の別荘だったのだろうか、朽ちた古い一軒の洋館がある。
風雨に曝されて薄汚れた外壁には夥しく蔦が絡み、窓ガラスは方々で破れている上に、そこへ至る細い一本道も、所々
雑草が群生したりしていて生活臭は皆無。
無人になって既にかなりの年月を経ているようで、その佇まいはまさに幽霊屋敷と形容するに相応しい。
周辺に他の人家などはなく、森の中で完全に隔絶され孤立している。
その屋敷を、足音を殺しつつ訪れたのは、ルーエイを伴ったフィンク。
時刻は深夜近く。
二人は、誰もいるはずのない屋敷の辺りからの人の気配を感じ取っていた。
どうやら、屋敷の裏側の方に複数の人が集まって何かしているようだ。
子供の背丈を優に超える深い雑草を静かにかき分け、忍び足で近付いていく。
目が届く位置まで移動して覗いてみると、草むらに覆われた、かつては裏庭であっただろうと推察出来る場所の中に
剥き出しの地面があり、その上には円と五芒星の魔法陣が描かれている。
陣の周囲には複数の燭台が配置され、蝋燭の炎が揺らめいて神秘的な演出効果を発揮し、煙と植物を燻した香が立ち
籠めて一層の雰囲気を醸し出している。
その陣を取り囲むように総勢30から40人くらいの比較的若い男女がいて、各々対になって全裸で組んず解れずの
乱痴気三昧をあちこちで繰り広げている。
その誰もが喘ぎ、呻き、歓喜の声を上げ、トランス状態で悦楽の境地に浸る真っ直中といった様子。
思わず身を乗り出し目を見張るルーエイ。
こういうのは大好きだ。
「おーおー、みんな媾合っちゃって。
夜会ってサバトの事か」
「まあね」
「そうならそう言えよ、俺はまた夜のお茶会かと思ってたぞ。
どうりで、こんな人気のない所へくる訳だ」
「まさにうってつけ」
「じやあ、悪魔がいるのか」
「ここにはいないって、エイルニルスが言ってる。
いるのは、感化され支配された人間共だけだって」
「悪魔の言葉を信じるのか。
あいつ等は嘘つきで有名なんだぞ」
「そんな事言ってると怒って出てくるわよ」
フィンクの言葉に呼応して、彼女の背後から低く響く男の声が聞こえてくる。
「よお、久しいな、ルーエイ。
相変わらず生意気に悪態ついておるな」
「うるせえよ悪魔。
出てこいなんて言った覚えはねえぞ」
気が澱み、そこに黒い影のように現れたのは、フィンクがエイルニルスと呼んだ悪魔だった。
黒衣を身に纏い人間の髑髏を顔に持つ、だがそれが彼の本当の顔かどうかは分からない。
悪魔は、フィンクの体内に憑依していた。
「さぞフィンクが恋しかろうな、発情クソガキよ。
あまり貴様のようなヤツとは会いたくはないのだが、存在を無視されるのも癪なのでな」
「てめえ、その減らず口閉じねえと十字架の刑にしてやんぞ」
「女が死んでもいいなら好きにするさ」
「悪魔が人間を脅迫してるよ」
「貴様こそ悪魔を脅迫するでない、普通の人間が相手なら効果はあるのだがな」
「ホントに忌々しいな、クソ悪魔。
フィンクの命を盾にしやがって。
関係者じゃなかったら瞬殺もんだぞ」
「それは良かった。
貴様の悔しがる顔を見るのは実に心地がいい。
ここで貴様がどれほど欲情したとて、フィンクの体では断じてその思いは遂げさせぬからな。
今更ではあるが、それを忘れさせぬために出てきた」
「諄いぞてめえ。
本当にここにはてめえの他に悪魔はいねえんだな」
「貴様の目は節穴か。
あのようないい加減な魔法陣で、どこの悪魔が召喚出来ようものか。
そんな能力を持った者もおらんようだしな。
おるのは、正直で潔い無垢な民衆達だ。
見ろ、あれこそ人間が本来あるべき姿だとは思わんか」
「なら俺も混ぜてもらおうかな」
「ワシの力を以てすれば、どの女も思いのままだぞ」
「誰がてめえの力なんか借りるかよ。
とっとと消えやがれ」
「ワシこそ、貴様なんぞに力を貸す気など毛頭ないわ」
一頻りルーエイをからかうと、悪魔は薄気味悪い笑いと共に音も立てずに姿を消した。
ルーエイと悪魔の会話を聞きつつ、フィンクはサバトの様子を観察していた。
「あんた等けっこう仲いいんじゃん」
「ふざけるな、あんなガイコツ野郎と一緒にすんな」
「似た者同士なのかもね。
でも、町の大きさの割りには参加者が少ないわね。
さすがに商人の町って感じかな」
「は?
商人の町は盛り上がらんのか?」
「ここは商人や組合の方が大きな力を持ってるから、教会の力が弱くて批判の鉾先になりにくいのよ。
教会からの締め付けがあまりなければ、住民はそんなに強く不自由さは感じないもんね。
その分、経済優先主義は格差が生まれ易いから、そこに不平不満を持つ人は簡単に邪教や悪魔崇拝に手を出す。
ここに集まってるのは、そんな連中の集まりみたいなもんね」
「で、これがお姉ちゃんが減っちまった原因か」
「そりゃあね、ここじゃタダでしたい放題だもん。
わざわざお金払って娼婦を買うのがバカらしくもなるってもんでしょ。
見れば船乗りもチラホラいるみたいだし。
本気で悪魔を崇拝してる人がどれだけいるかも怪しいもんだわね。
だから、もっといっぱい参加者がいるのかと思ってたんだけど、まだこの町の秩序は南部ほどには乱れてないって
事ね」
「あっちは酷いのか?」
「昼間は一見普通っぽいけど、夜は無法地帯って感じかな」
「悪魔の仕業か?」
「たぶんね。
証拠はないけど、だからそれを見極めるのよ」
「なるほど、それが俺達の任務な訳か」
「まあ、出発前に悪魔絡みっぽいとは聞いてたんだけど、実際に来てみたらその通りだった」
サバトにかこつけた乱交パーティーを覗き喜んでいたルーエイは、その参加者の中に見知った顔を見つけた。
「お、見覚えのある顔がいる」
「あらら、あの子はあたし達が泊まってる商家の娘だったよね」
「ありゃあ、あの子ものめり込んじゃってたか」
「このままここにいたら、あんたのお友達も誘われちゃうかもね。
いずれはこの町もサンロジみたいになるだろうし、本当に悪魔の仕業なら、この伯爵領が全部そうなっちゃうのも
時間の問題ね」
「それは、早く仕事にかかれって俺に言ってんのか」
「まあね」
ルーエイが旅に出た目的が少しずつ見えてきた。
☆
翌朝、フリルは驚愕の事態に直面する。
ペルスネージュによって起こされた彼女は、ルーエイが既に旅立った事を聞かされて茫然とする。
見送ったのはルネ一人だけだった。
ルーエイが姿を消した・・・、フィンクと共に。
一体どこへ・・。
ロワールがルネに問う。
「どこへ行ったんだ、ヤツ等は」
「南の方へ向かったように思うから、そっちへ行くなら目的地はサンロジでしょうね」
「サンロジ?、領都か。
なぜ我々を起こさなかった」
「無茶言わないでくださいよ、私だって気付いたの出発の直前なんですから。
既に馬車に乗ってて、私が呼び止めなかったらそのまま行っちゃうところだったんですよ。
それに、昨日のうちに挨拶は済ませてあるって言うから、無理に起こす必要はないだろうって」
「あのペテン師め」
ロワールは、南の空を見上げて苦虫を噛み潰した。
最後まで逃げ通しか・・・。
遂に、来るべき時がきてしまった。
ずっと一緒に旅してきたのに、せっかく仲良くなれたのに・・・。
しかも、まさか別れの挨拶もなしに、勝手に忽然といなくなるなんて。
フォーシュに着いてからまともに話らしい話も出来ぬまま、何の進展もないまま、うやむやのうちに全てを宙吊りの
まま置き去りにされてしまった。
悔しさと焦りと、寂しさと哀しみと、恋慕と失意と、こんなに感情が幾重にも入り混じったこの時の心境を表現する
言葉を、フリルは知らない。
端なくも、彼女の目から涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
☆
路上の人となったルーエイとフィンクは、ひたすら南へ向かって馬車を走らせていた。
「あんた、可哀相な事するわね。
何も言わないでこっそり消えるなんて」
「お前が急がせるからだろ」
「人聞きの悪い事言わないでよ。
お別れの挨拶する時間くらいあげるわよ」
「いいんだよ。
この方が後腐れなくていい。
せっかく寝てんのに、いちいち起こすのも面倒臭いしな。
俺の役目はもう終わってんだ、誰も文句は言わんさ」
「それにしても、ずっと一緒に旅してきてよくあの子達に手を出さなかったわね。
可愛い子とかいたのに」
「最初はそのつもりだったんだが、金も使わなくて済むし。
ただ、考えたらあいつら傭兵とか近衛将校の娘とかなんだよな・・・、後々厄介な事になるのは御免だ」
「ははぁ〜ん、伯爵の令嬢の方を狙ってたな」
「あっちには何があっても絶対手を出すなって、出発前に何度もしつこく釘を刺されちまってたからな」
「フフ、誰もあんたの事信用してないのね、そっち方面では。
よく言いつけを守ったもんだ、可愛くなかったの?」
「いやいや、たいした美人だった。
でも俺はお付きのメイドさんの方が良かったな、おっぱいでかかったし」
「またそれか・・・」
サンロジへ向かう車上、フィンクはこれまでの自身の行動を振り返る。
彼女が王都を発ったのは、ルーエイがパラスお嬢様達と旅に出た日よりも更に一週間ほど遡る。
ロジェ伯領の玄関口エピノーシュまでは街道を西行し、その後領都サンロジへ向けて南下した。
サンロジを調査するのが彼女の目的だったからだ。
町の近くまできた時、他の地にはないただならぬ雰囲気を感じ始める。
実のところ、フィンク自身には、普通の人を超越するような特別な力は何もない。
そこには、彼女が体内に宿している悪魔、エイルニルスの存在が深く関与している。
悪魔は、フィンクに取り憑いてはいても、彼女を操って悪行をさせるような事はしない。
逆に、彼女の要請に応じる形で、その特異な能力を発揮し情報を提供している。
そうなった経緯に関してはいずれ語られるとして、一方が死するともう一方も生き続けられないという運命共同体の
関係にあるのは確かなようだ。
案の定、城塞都市であるサンロジの城門の手前に広がる門前町、そこのスラム街の外れの森の中で怪しい集団の宴を
目撃する。
見てすぐにサバトだと理解したが、真剣に悪魔崇拝の儀式を行っている感じではない。
言わば、その日その場の享楽に耽っているだけ。
参加者の中には、スラムの住人の他、城壁内に住む市民も混ざっているようだった。
その様子から、エイルニルスは彼女にサンロジ市内には入らないよう進言した。
市の郊外ではあれど、こうも大っぴらにサバトが行われるなら、市内はどうなっているのか分からない。
少なくとも、行政や教会は本来の機能を果たしていない可能性が疑われる。
そのため、単独行は自分の身を一層の危険に晒す事になる。
フィンクは、市内への潜入をとりやめ、王都に連絡をつけようと手紙を出した。
数日後、連絡用の伝書コノハズクが飛来し、助っ人を差し向けるので合流するようにと指示される。
以来、コノハズクはフィンクとルーエイの連絡係として頻繁に二人の間を往復していて、今もちゃっかり小型馬車の
片隅に留まって羽根を休めている。
じっと目を閉じて、眠っているようでもある。
「まったく、あんた中々こっち来ないんだもん。
やっとエピノーシュまで来たかと思えば、南じゃなくて北の方に行っちゃうし。
ずーっと待ってたんだよ、あたし」
「仕方ねえだろ、頼まれちまったんだから」
「あんた、やっぱりあの子達の誰かを狙ってたんじゃないの?」
「そんな面倒臭い事せんでも、あっちの・・・クルトワーズ領のアヴァシーのお姉ちゃん達は良かったぞ。
さすがに傭兵相手に稼いでるだけはある」
「まったく、あんたって人は・・」
「お前の方こそ、何やってたんだよ」
「暇つぶし。
嘘よ、ずっと調べてたのよ、サンロジの周辺をね。
ほとんどどの町や村でも、夜はサバトの儀式ばっかり。
そりゃびっくりするくらい当たり前にやってた」
「田舎でも教会くらいはあるだろ。
そいつ等は何やってんだ」
「教会は完全に統制力を失ってるでしょうね。
あたしが調べただけで、あの近隣で司祭が3人、助祭が6人死んでるわ。
ここ数ヶ月でね。
それがどう関係してるのかまでは分からなかったけど、後任が赴任してない所がほとんどだって」
「殺されたのか?」
「病死だったり突然死だってさ。
こうも立て続けなのに、誰も疑わないって変だよね」
「役人も放ったらかしか」
「田舎の役人なんてみんなけっこういい加減だよ。
だいたいが町長や村長やってる大地主に雇われてるだけだもん、余計な事には関わりたがらないのよ。
その町長や村長にしたって、あの人達は年貢と税金の徴収量にしか興味がないから、そこに不満がない限り、住民に
対してあれやこれや文句は言わない。
嫌われたくはないもんね。
住民は意外と平穏に、楽しそうに暮らしてたわよ、見た目は」
「悪魔は?」
「いないわよ、どこにも。
いるならやっぱりサンロジでしょうね」
フィンクがサンロジの周辺で見たものは、明らかな異常事態だ。
頻発するサバト、聖職者の連続死、そして無関心。
どれも、民衆の倫理観と社会意識の乱れ、風紀とモラルの低下を表しており、悪魔的なものの蔓延を示唆している。
領都サンロジで、一体何があったのか。
ようやく、ルーエイが本来の任務に取りかかった。
続