船出
04 船出
荷馬車から飛び降りたルーエイ。
だが、路肩の一角に群がるオーク達を見て、オラージュの救出を諦めた。
彼は既に事切れていた、というよりも、肉の塊になり果ててしまっていた。
ケダモノ達が我先にと争って獲物を貪り、その血肉の臭いが宴の始まりを告げ、嗅ぎつけた野獣達が周囲に集まりだし
ている。
ルーエイは、何もすることなく踵を返して、横を通過する荷馬車を追い、その後部に飛びついた。
車内から顔を出して、オーク達の様子を見ていたロワールが呟く。
「あれは・・」
荷台の中へ這い上がって、ルーエイは一言言って御者席の方へ向かう。
「ボスに礼を言ってやれ、おかげで助かったってな」
その言葉で、ロワールはオラージュが死んだと覚った。
とはいえ、元々その力量に疑問を持っていた彼女は、それで感傷に浸る事はない。
むしろ、関心はルーエイの手にしている物にあった。
「お前、その刀はなんだ」
「気にすんな、ただの飾りだ」
彼はそのまま御者席へ行き、ペルスネージュと手綱を代わった。
ロワールは、彼の背中を見つめながら考えた。
彼の持つ黒い刀は、剣豪の自分でさえ未だ嘗て一度も目にした事のない代物だった。
剣士でもない彼が、なぜそんな珍しい刀を持っているのか。
どこかで盗んできたか。
この男、益々もって怪しい。
ルーエイの言葉ではないが、怪物達の攻撃にも収束の兆しが見えてきた。
フリルは、野獣の襲撃を退けても安堵出来る心境にはなれなかった。
確認は取れないながらも、味方にも少なからず被害が出ているのを察していたからだ。
実際、バローは森の中へ引きずり込まれて、そのまま消息不明になっている。
あの状況で、彼が今も生きているとは誰も考えていない。
今更戻って生死を確認する事も不可能なので、残念ながら諦めざるを得ない。
それを思うと、手放しでは喜べない複雑な感情が残る。
難局を乗り越え、どうにかこうにか森の出口に差しかかった。
明るい陽射しに包まれ、視界が広がると、道はいつの間にか川沿いに戻ってきていた。
しかも、その先には橋がある。
キオードは、迷わず橋を渡るよう指示を出した。
木造の簡素な橋でも、四の五の言っている場合ではない。
馬車が渡れるだけの幅があれば十分だ。
皆が皆、一刻も早くこの森から離れる事だけを考えていた。
☆
川を越えて少し進んだ所まできて、セランが馬車を止めた。
「よし、ここまで来れば大丈夫だろう」
これで、やっと一息つける。
少し気持ちが落ち着いて、ここでフリルは被害の全容を知る。
振り向いたセランは、後ろの荷馬車で手綱を持つルーエイに向かって声を張り上げた。
「おいてめぇ、なんでてめぇがそこにいる。
御者のおっちゃんがいたろうが」
「オークにやられちまったよ」
セランの顔色が曇る。
「そうか・・・、そりゃ残念だ。
こっちもやられたよ、ボスと、それから馬だ」
一行は、オラージュとバロー、そして馬一頭を失っていた。
フリルの中に、沈痛な思いが広がる。
自分達は生き残った。
しかし、それには代償が必要だった。
我々は、彼等の犠牲のおかげで助かったのだ。
そのフリルに、セランから背筋も凍る衝撃発言が。
「おい、そっちの嬢ちゃん。
あんたの親父もやられたぜ」
「え?」
その上更に、ウルスが怪我を負っている事が分かった。
彼は、馬車の客室の中で足を押さえ、苦痛に顔を歪ませ額に汗を浮かべていた。
パラスお嬢様とメイドが、心配そうな顔で付き添っている。
「お父さん!」
「だ、大丈夫だ・・・」
驚いて荷馬車を飛び降り、一目散に駆け寄るフリルに、父は不安にさせまいと気丈に振る舞おうとした。
その顔色は青褪めている。
キオードがその足を触って様子を診る。
「どうやら骨が折れているようだ。
医者に診せた方がいい」
別の意味で青褪めたのは、それを聞いたラドル。
「な・・、なんという事だ。
特使殿が・・・」
横に立っていたセランが呟く。
「医者か・・・、ボーデくらいデカい町まで行けば、医者の一人や二人はいるだろうよ。
川は渡れたんだ、街道に戻れば明日には着くさ」
「とりあえず添え木で固定する、使えそうな物を探してくれ」
キオードの声に応じ、セランとトレナールは立ち上がって、周辺に適当な材になりそうな木を探し始めた。
ひとまず命に別条はないと知り、フリルは落ち着きを取り戻す。
「もう、びっくりしたよ。
私、お父さんが死んじゃったかと思っちゃった」
「勝手に殺すな、こんな所では死ねんよ・・」
「痛いの?」
「まあな・・」
後ろで、並んで見守っていたルーエイとペルスネージュ。
「お前の持ってる棒を添え木に使えばいいのです」
「俺のは棒じゃねえ。
お前が治してやればいいだろ、魔導師」
「そんな便利な魔法ないのです、魔導師て呼ぶな」
「名前なんてった」
「ペルスネージュ・シャノワール」
「そうか、ペルか」
「ペルは嫌だ。
痛みを和らげるくらいなら出来るかも」
「お、そうか、さすがはペルだ」
「ペル言うな」
妙に仲良くなっている。
キオードとセランが応急処置を終えて、ウルスを馬車の座席に寝かせた。
ペルスネージュの魔法のおかげで、痛みもいくらか落ち着いたようだ。
「そんじゃ、さっさと出発するか。
早くこんな危ねぇ所からおさらばしようぜ」
全員で、森の方を向いて黙祷して亡くなった者達の冥福を祈り、街道を目指してその場を後にする。
馬を失ったセランがオラージュに代わってランドーに乗り、バローを失った荷馬車の手綱はルーエイが握った。
その荷馬車の御者席で、ルーエイの横にはちゃっかりペルスネージュが座っている。
「なんでそこにいる、今まで通り中に入ってろ」
「こっちが風通しがいい」
「俺をクズ呼ばわりしたくせに」
「クズなんて言ってない。
ルーズって言ったの」
「ずぼらか、それじゃ否定は出来んな」
森を出て以来、なぜかペルスネージュはルーエイに懐いてしまっていた。
理由は分からないながらも、フリルはそれを喜んだ。
やっと、ルーエイの本質を理解しようとしてくれる者が現れた。
ペルスネージュは、ルーエイが垣間見せた強力な魔力の片鱗に強い興味を持ったのだった。
「魔法、使えるの?」
「魔法なんか使えねえ」
「だって魔力・・」
「あれは刀を使う為の力だ、魔法とは関係ねえよ」
「魔剣」
「そうなんかな、よく分からん」
「なんで持ってるの?」
「なんでだったかな・・・、誰かにもらったんだったかな」
「誰?」
「んー・・、忘れた」
「なんで?」
「いちいち聞くな、黙って座ってろ」
「教えてくれてもいいのに、意地悪」
「なんとでも言え」
「ぶぅー」
何を聞いてもまともに答えない彼に、ペルスネージュは頬を膨らませて不満を露にする。
「意地悪でけっこう。
お前に好かれたいとは思ってねえよ」
「ルーのくせに」
「そのルーはどっちだ。
ルーズのルーか、俺の名前か」
「ルーはルー」
「面白い奴だ。
もっとおっぱいがデカかったら口説いてたかもな」
「スケベルー、エロルー、ルーエロ」
☆
無事に街道に戻れた一行は、なんとかその日のうちに予定の宿場町に辿り着き、そこで一泊した翌日、八日目にして
ようやく港町ボーデに到着した。
ボーデは、王都とクルトワーズ伯爵領を結ぶこの街道上で最大規模の都市であり、ほぼ中間地点に位置する。
街道を往復する傭兵達にとっては、往路と同じだけの時間を使って、やっと復路の半分を消化した事になる。
本来であれば、ここは単なる経由地なだけなので、一夜を過ごしたら船で出発する。
予定ではそれだけのはずだった。
しかしながら、怪我を負ってしまったウルスに医者の診察を受ける必要が生じた事により、出発の延期は避けられぬ
ものとなった。
一行は、ここで最上級に近い高級旅館に部屋を取った。
初めからその予定だったにせよ、お嬢様の疲労やウルスの怪我を考えれば、その選択は至極妥当なものと言える。
見晴らしのいい個室でゆっくり休んで、それなりの食事も気分転換には必要だ。
チェックインと同時に、ラドルはフロントに早急に医者を呼ぶよう依頼した。
宿に呼び出された医者は、ウルスを診察して、キオードの見立てた通り大腿骨の骨折と診断した。
全治はおよそ6ヶ月。
加えて、完治すれば日常生活に支障はないが、軍人としての職務の履行には無理が出るかも知れないと告げた。
経過次第では、戦闘を含む激しい運動や、過重な労働を伴う活動は出来なくなる可能性が生じる。
少なくとも今後数週間程度は、体を動かさず絶対な安静がなにより重要だと意見を述べた。
これで、ウルスの旅への同行は絶望的となってしまった。
元々、平民の出身でありながら、近衛師団の士官にまで昇進したウルスは庶民の星である。
戦死した彼の父もまた国軍の下士官であったので、職業軍人の家系と言ってもいい家柄ではあるのだが、その大半が
平民で組織される国軍と違い、貴族の子弟も多く名を連ねる近衛師団での平民士官はそう多くはない。
王都に居を構える、つまり、それだけの税金を納められる水準の生活が出来るのはそのためだ。
軍隊の常識は、身分に関係なく階級のみの序列構造で厳格な縦社会を構築する事にある。
昇進の基準は実力と実績、戦功のみで決まる。
コネや財力は埒外に置かれ、評価になんら影響を与えず、一部の特権階級に属する者達だけが指揮権を有するという
前時代的な思想は完全に排除されている、と、建前ではそうなっている。
それでも、平民が指揮官になるのは至難の業である。
ウルスがいかに卓越した技量を持ち、分析力と判断力に長け、戦術能力に秀でているばかりでなく、任務を全うする
強い責任感と、部下をまとめ作戦を遂行する指導力と忍耐力があるかが分かる。
その彼が、任務を途中で放棄せざるを得ないというのは、さぞや忸怩たる思いであろう事は想像に難くない。
治療を終えて医者が帰った後、ラドルとセラン、キオードは、ウルスを交えて今後の方針を検討した。
先に、セランが口火を切る。
「残念だが少尉殿はここまでだな。
俺達はここで何週間も足止めを食らう訳にはいかん。
そうだろ?、執事」
「・・う、うむ・・・」
キオードも追随する。
「伯爵の容体も分からんからな。
出発前より改善しているのか悪化しているのか。
姫様を運ぶのが、まずは優先だろう」
「そういう事だ。
いろいろ世話になったが、怪我人を連れ回す余裕もねぇしな」
ウルスも同調せざるを得なかった。
「それも已む無しだな」
ラドルは不安になった。
既に二人の同行者を失い、うち一人は護衛任務の中心的役割を担う人物だった。
ただでさえ戦力低下は免れないのに、その上更に一人が離れる事になる。
しかも政府の随行員が、である。
ここから先は、よほどの事でもない限り、盗賊や怪物に襲われる心配はないだろうと思われる。
それでもやはり、不安は拭えない。
お嬢様も、怪物の襲撃以降精神的に不安定になっている。
なによりも、随行者を残すという行為を知り、政府がどういう反応を見せるのかが気がかりでならないのだ。
王室を軽視したと判断される事を最も恐れていた。
前例がない事だろうし、どう対処するのが望ましいのか決め倦ねていた。
それを知ったウルスが、ラドルを宥めるように言う。
「そんなに気に病む必要もないと思うが。
私の任務はお嬢様の帰省を見届ける事だが、それが途中で頓挫したからといって政府が困る事は何もない。
私自身は何の責任も負っていないし、だからこそ早々に撤退の決断が出来るのだからな。
よって君等も、私については何も気遣う義務はないよ」
「本当にそれでよろしいのですか?」
「まあ、私個人としては、最後までやり遂げたい気持ちはある。
その意味では非常に無念だが、私のわがままで君等に迷惑をかけるのもまた本意ではない。
それこそ慚愧に堪えないよ。
だから、私の事はここに置いていってもらって構わない。
自分の事は自分でなんとかするさ」
「え?、ではご令嬢は・・、一緒に残るのではないのですか?」
「娘には娘の目的があったから同行させてもらったんだ。
今後どうするかは本人に聞いてみないと分からんが、ここまで来て折り返すとは言わないだろうな」
ウルスの意思は確認した。
それでもラドルは揺れている。
「あなたはそう仰るが、政府がなんと言うか・・・」
そのとつおいつする姿に苛立ち、セランが嫌味混じりで文句する。
「そんな事でビビってたってどうにもならんだろ。
じゃあなにか?、今から王都に遣いを出して許可をもらって来るまでここで待つ気か?
そんな呑気な事でいいんか。
お前の主は誰なんだ、それを考えろ」
「お主に言われとうはないわ」
「なら、少尉殿の娘に特使の代役をやってもらうってのはどうだい。
せっかくここまで一緒に来たんだ、我ながらいい思いつきだと思うんだが。
そのためについて来たと言ったら皮肉だけどな」
これにキオードが反論する。
「いや、それは無理だな」
「頭ごなしかよ」
「この場はそれで落着しても、その事を知った政府が黙っていないだろう。
いくら近衛少尉の娘と言ったところで、本人の肩書きは一般市民と変わらないんだ。
特使の名代は務まらない。
それを追認したとあっては政府の体面に関わる」
そこで、ウルスが代案を提示した。
「なら、私にひとつアイデアがある。
この町には政府の役人がいる」
「なんですと?」
「当然だろう。
ここは街道の要衝であり、同時に港町でもある。
国内外を問わず、無数の人間や物資が入り混じる町だ。
そんな所には、例外なく政府の出先機関があるものだ。
外来渡航者の入国審査や税関業務は地元の役所の所管だが、関税の適正な徴収を監視したり、密貿易を摘発する警察
組織と、それを指導監督する専門の政府関係者が常駐しているはずなのだ。
規模の大小は分からないが、これだけの大きな町ならばそれなりに人員がいて然りだ。
彼等に事の次第を王都に連絡してもらえば、後になって政府から追求される事もないだろう」
「そんな事・・、可能なのですか?」
「貴族の名を使えばなんとでもなるのでは?
必要なら近衛師団の名を使ってもいい。
彼等は高速連絡用の手段を持っているはずだ。
私が帰京してから申告するよりもずっと早いし、なにより第三者を介した方が説得力も増す」
「いっそのこと、その役人に代理を頼めないものですかな。
その方が一番手間も時間もかからずに済む」
「さすがにそれは些か虫が良過ぎるな。
彼等とて仕事があるからここにいるんだ、ここから離れる任務に就かせる事が可能かどうかも分からないし、仮に
可能だったとしても、その許可を得るのにどれだけの時間を要するか分かったものではないよ」
「なるほど・・」
宿のギャルソンを呼んで聞いてみると、確かにこの町には中央政府の貿易局の支部があるという事が分かった。
ラドルはさっそく動く。
便箋を取ると、ペンで数行の短い文を書き、それを封筒に入れてギャルソンに手渡した。
無論、伯爵家の紋章で封印する事も忘れずに。
「では君、そこへ行って誰か役人を一人連れてきてはくれまいか。
この手紙を渡してくれれば、事情は分かるだろう」
ギャルソンは手紙を携えて一旦部屋を出、1時間ほど後に一人の男を連れて戻ってきた。
「はじめまして、私はバルダン・フランドランと申します。
貿易局ボーデ支局で監視官を務めております。
局長はあいにくと手が放せませんで、代わって私が担当を仰せ付かりました。
皆様の滞在中のお世話と、お怪我をされたという近衛師団の少尉殿の治療と身の回りのお手伝いから王都へのお送り
まで、私が責任を持ってお役に立てるよう最善を尽くしますので、どうぞよろしくお願いいたします」
バルダンという男は、髪型も身なりも整った清潔感のある若者で、礼儀正しくキビキビとした態度に好感が持てる。
「さっそくですが、とりあえず今日のところは、宿の方にギャルソンとメイドを各一名ずつ専属で付けるよう要請して
おきました。
一両日中には人を手配いたしますので、それまでご辛抱ください。
なにぶん急な事ですので、ご理解いただければと思います。
王都への連絡は、今日中に文書にしまして明日一番に出そうと考えております。
伝書バトを使えば、翌日に返信を受け取る事も可能です」
おまけに仕事が早い。
さすがに貴族の封印付きの手紙は、想像以上に絶大な効果を発揮する。
それとも、サンソワン侯爵のお声掛かりの近衛師団将校のお世話をするとでも書いてあったのか。
一地方の小役人でも、その名前を聞けば、いい加減で姑息な対処は出来ないと察知するくらい手間はない。
であるならば、真っ先にその内容に目を通したであろう局長が挨拶に来られないというのはなぜか。
ウルスは、皮肉とも取れる言葉で返した。
「了解いたしました、こちらこそよろしく頼みます。
局長殿にもよろしくお伝えください」
ともあれ、バルダンの機敏な行動で、ウルスに関する心配事は取り除かれた。
宿の一室はウルスの病室となり、フリルとペルスネージュが同室で看病する事になった。
政府への連絡にも目処が付いたが、一行はラドルの意を汲んで、その対応を見極めるため数日間の滞在を決めた。
☆
夜も更け、皆が寝静まる時間になった頃、一人の男がそっとウルスの部屋を訪れた。
「夜分失礼するよ、まだ起きてるかな?」
「おお、君か。
昼寝し過ぎたせいか、まだ寝つけないでいる。
身動ぎ出来ないというのは、けっこう辛いものだな」
ウルスは起きていた。
左脚を板で雁字搦めに縛られているのが相当厄介そうだが、ペルスネージュの痛み止めの魔法のおかげか、愚痴を言う
余裕もある。
少し離れたもう一つのベッドでは、フリルとペルスネージュが並んで寝入っている。
「これでも食いな」
男に片手大の布袋を手渡され、ウルスは中を覗いてみた。
「小エビ?、塩茹でか・・・。
せっかくで悪いんだが、骨折に飲酒は禁物なのを知らんのか」
「誰が酒の肴と言った。
ひたすらバリバリかじってりゃいいんだよ。
骨折の治療にゃ海の物がいいんだって、誰かに聞いた覚えがある。
小魚とか海藻とかな」
「お前が買ってきてくれたのか」
「ここは港町だからいくらでも安く手に入る。
運がいいぜ、あんた。
店終いにも間に合ったしな」
高級宿屋の柔らかい物中心の料理に食傷気味だったウルス。
頭付きの小エビの食感は、適度な堅さで噛み心地がいい。
「うん、美味い・・・」
エビを頬張りながら、ウルスは、やっと訪れた機会を無駄にしまいと男に語りかけた。
「ルーエイと言ったな、お前に一つ頼みたい事がある」
「専属のシェフになれってんならご免だぞ。
そのエビは俺が作った訳じゃねえし。
いくら怪我人の頼みとはいえ、それだけは願い下げだな」
「こっちこそ願い下げだ、妻の方がもっと美味い料理を出してくれる」
「そりゃ結構な事で」
「娘の事を任せたいんだが」
「俺に?」
「そうだ、娘の面倒をみてやって欲しいんだ。
元々、私が付き添う条件で許可した娘の旅なのに、その私がこの有り様ではな」
「じゃあ、あの子はまだ旅を続ける気なのか」
「そうだ。
頼まれてはくれまいか」
「おいおい、いいのか?、嫁入り前の娘を俺に預けて。
傷モノになっても責任取らんぞ」
「お前は宿場町に着く度に女を買いに出かけていたからな、その危険性は十分認識している。
まあ、その時は私の持ち得る限りの権力を使ってお前を処断するから憶えておけ」
「よしてくれ、縁起でもねえ。
魔導師にでも頼め。
仲良さそうにしてたし、どうせアヴァシーまで行くんだろ」
「いや、娘の目的地はロジェ伯爵領のフォーシュなんだ。
傭兵の力を過小評価するつもりはないんだが、どうもそれだけでは心許ない」
「フォーシュだと?」
「そこに幼馴染みの友人がいる、その彼女に会いに行くんだ」
「言っとくが、俺の報酬は傭兵より高いんだぜ」
「つまりは、この旅に同行した理由は、ただの雇われ使用人としてではないのだな」
「ちぇっ、誘導尋問かよ」
「やはりな。
何か他に目的があっての事なんだろうとは思っていたんだ」
「・・さすがにあんたはお見通しか」
「伯爵に雇われたのではないだろうと薄々感じてはいたが、その事でお前を問い詰めようとは思わない。
どうせ私には関係のない事だしな。
娘の事を引き受けてくれればそれでいい。
ちゃんと謝礼は払うさ、後払いになるがそれでいいか」
「俺が悪人じゃなきゃいいけどな」
「私はそう思っとるよ」
「根拠は」
「ない、私の勘だ。
娘の命を救ってくれた者を悪人呼ばわりは出来んだろう」
「それ褒めてんのか」
「当然だ。
あの時の礼もまだだったな、あれには心底感謝しているんだ。
あそこで娘の身に何かあったら、私はここまで辿り着けたか自信がない。
まさに勲章ものの働きだ。
感謝のしようもない。
そのお前に頼むんだ、いや、お前だからこそ頼むんだ。
お前が引き受けてくれんと私は安心して眠れない。
引き受けてくれるか?」
「俺の仕事は命懸けなんだ、巻き込まれたら命の保証はないぞ」
「危険なのか」
「たぶんな。
鬼が出るか蛇が出るかってとこだろうな。
ま、俺は死なねえけど」
「なら、契約成立だ。
お前に守れないなら他の誰にも守れまい。
その時は潔く諦めるさ」
「やれやれ、たいした父親だ。
親が親なら子も子だな、親父が怪我したのに旅を続けるなんてな。
じゃじゃ馬娘と親バカ親父もいいとこだぞ」
「なんとでも言うがいいさ。
ただ、少なからずお前を信頼する者がいるという事だけは憶えておいてくれ」
やはり、ルーエイはなにかしらの目的を持って、この旅に便乗しているのは確かなようだ。
☆
翌日は、一日中完全オフになり、全員に自由行動が認められた。
が、ウルスの看病に残ったフリルとペルスネージュのみならず、ほとんどの人は連日の疲れからか、宿を出る事もなく
充てがわれた部屋の中で過ごしていた。
朝から、正確には前夜から、姿が見えないのはルーエイだけだった。
午後になって、バルダンが貿易局の下部組織の機動部隊の隊員の男を二人連れてきた。
一般からは俗に通商警察と呼ばれる、密輸を摘発する実動部隊に属する屈強な若者達だ。
その二人が、今後ウルスの身の回りの世話を全てしてくれるという。
一行が発った後も、必要があれば更に人員を増やす用意もあるとの事で、バルダンはこちらの希望通りに盤石の態勢を
整えるべく動いてくれていた。
その更に翌日、政府からの返答が届いた。
内容は、意外なほどあっさりしたものだった。
ウルスの負傷は公傷と認定され、中途での辞任を認め、代替の人員は派遣しない旨の記載があった。
併せて、彼の治療から帰京までの一切の管理は貿易局の預かりとし、監視官バルダン・フランドランをその責任者と
して任ずる事。
また、家族への速やかな連絡と、見舞いに際しては部隊の部下を同行させ、それらの費用は全額政府負担とする事が
記されていた。
「最後に、近衛師団人事局長殿の署名入りで、伯爵家ご一行の残りの道中の安全を祈念する、と書かれています」
バルダンが文書を読み終えると、セランがウルスの顔を見て笑顔で冷やかした。
「へえー、さすがはエリート士官殿だ。
えらい待遇だな、公傷なら有給休暇みたいなもんじゃねぇか」
一方で、ウルスは冷静に通達内容を分析していた。
「どうやら、師団は政府から対応を丸投げされたようだ」
「はあ?、なぜ分かる」
「こちらの要求をそのままの形で認めている。
まるで責任放棄と言っていい内容だ。
この状況なら、費用は伯爵家に負わせると書いていても不自然ではないし、誰も文句は言えん。
後で請求する腹積もりでいるのかも知れないが、政府はこんなちっぽけな案件にいちいち時間を割いている暇はない
という事なのだろう」
「そんな事どっちでもいいじゃねぇか。
金は払うから後は好きにしていいなんて、他に何が不満ってんだよ」
「別に不満はないさ。
その全額負担も、丸投げされた師団の腹癒せなのだろうな。
政府がどこまで支払うつもりかは分からないが、今はそれを詮索しても無駄だな」
これで懸案は全て解消された。
一行は翌日に町を発つ事を決め、ラドルはさっそく定期船のチケット購入と馬車を運ぶ貨物船の手配に動いた。
☆
ボーデからは、対岸のロジェ伯爵領の港町エピノーシュを繋ぐ定期船が就航しており、複数の海運商社がそれぞれ一日
一往復程度運行している。
航行時間は風や波など気象条件にもよるが、大型の定期船の場合、おおよそ6時間ほどで対岸へ達する。
ボーデは、縦に細長い形状の湾のやや奧側に位置している為、外洋の影響をあまり受けず、海面は年間を通して比較的
安定しているので、それに起因した欠航はそんなに多くはない。
出発の朝、一行はウルスの寝室を訪れて、各々別れの挨拶をした。
パラスお嬢様は、ウルスのベッドの横に跪き、彼の手を取って謝意を述べる。
「アルスーユ様、わたくしは、あなたのご尽力を一生忘れません。
お父様が快癒された暁には、謝辞と賛辞と頌辞と共に最大限の礼を以て遇し、そのご恩に報いる事でしょう。
それまで、どうか特使殿に於かれましては、十分にご慈愛下さりますようお願い申し上げますわ」
多少は貴族というものを知っているウルスでも、こんなに丁寧に礼を言われたのは他に記憶がない。
その上、これがただの白々しい美辞麗句でないのは、お姫様の清らかに澄み渡った美しい瞳が雄弁に物語っている。
本当に素敵なお姫様だ。
最後に、娘のフリルが挨拶をして部屋を出る。
彼女は、しんみりするのが苦手なので、手短に一言だけで済ませた。
それ以上話すと、高ぶる感情を抑えられなくなってしまいそうだったからだ。
「じゃあお父さん、行ってくるね」
続