Frill Rimbelais Arsouille
02 Frill Rimbelais Arsouille
二日目
その日は、出発前から荷馬車にロワールの姿はなく、代わってセランが荷台で足を投げ出してふんぞり返っていた。
「あれ?、ロワールさんがいない・・」
「ああ、あの死神なら馬に乗って先頭だよ。
今日はあいつが騎馬当番だ」
ロワールは騎乗して、キオードと共に先導役に就いていた。
傭兵に限らず、剣士にとって乗馬とは、剣術と同等かそれ以上に必要とされる基本スキルである。
それにしても、セランの言葉には毒があり過ぎる。
「死神って、いくらなんでも失礼じゃないですか」
「いいんだよ、あいつにゃそれくらいがお似合いなんだ」
「なんか・・・、お酒臭いですね、セランさん」
「ああ、昨日は呑み過ぎちまった。
まだ頭がズキズキするんでね、迎え酒だ」
それが騎乗を代わった原因か・・・、二日酔い。
ロワールがいなくなれば、フリルは酔っ払いに興味はない。
自然と、関心はお姫様の方に向けられる。
隣りに座るペルスネージュに聞いた。
「お姫様ってどんな人なの?」
「知らない。
会った事ないのです」
「面識もなし?」
「日雇いだから。
興味もないし。
お金持ちってのは、心がねじ曲がっているのです」
「会った事もないのになんで分かるのよ」
「そう相場は決まっているの」
それは偏見というものだろう。
フリルは、ペルスネージュの言った日雇いという言葉にちょっとした違和感を覚えた。
なぜ、この人達はそんな立場に甘んじているのだろう。
収入の不安定なその日暮らしの傭兵に、何かメリットでもあるのか。
職業軍人を父に持つ彼女は、それをすんなり受け入れられる人生観は持ち合わせていない。
それを、何気なくセランに聞いたところから、思わぬ情報を知る事になる。
「セランさんも日雇いなんですか?」
「当たり前だ、誰が軍隊なんか入るかって」
「伯爵の軍に入る気はないんですか?」
酔っ払いは、横柄に脱力したまま弁舌し始めた。
「伯爵家の傭兵部隊は、シャスール・デスコルト、警護猟兵隊てぇのが正式な呼び名だ。
名前はたいそうご立派なんだが、結局のところは烏合の衆さ。
ならず者の集まりみたいなもんだからな。
渡世人、賊抜け、前科者、中にはお尋ね者だって稀にいるんだぜ。
伯爵の他にも私設の軍隊を持ってる貴族は幾らもいるが、内情はどこも似たり寄ったりだろうな」
「犯罪者?」
「おうよ。
奴等は猟兵隊を隠れ蓑に使ってやがるんだ。
伯爵も、それを知っていながら黙認してる。
頭数を揃えにゃならんし、弱味を握ってた方が御し易いからな。
お互い持ちつ持たれつなのさ。
そんな奴等と連んだところで、まともな組織になるはずがねぇだろ。
賞金首と賞金稼ぎが同じ部隊にいた、なんて冗談みたいな話もあるくらいなんだぜ。
だから、本当に腕の立つまともな奴は傭兵部隊には入らねぇよ。
必要な時だけ顔を出して金を稼ぐ、用が済んだら後は勝手自由に振る舞うのさ。
その方が俺の性にも合ってる」
「じゃあ、何のために・・。
お金を稼ぐんなら、軍にいた方が収入が安定してるじゃないですか」
「週給幾らで雇われて何が楽しい。
俺が傭兵を続けるのは、合法的に人を殺せるからさ。
人を殺しても罪にならず、おまけに報酬まで貰える。
こんな美味い商売、他にはねぇよ」
恐ろしげな事をサラリと言う。
彼も腕には自信があるようだ。
「ロワールさんも同じ理由ですか?
すごい腕利きっぽいのに、臨時雇いって勿体ないなって思ってたんです。
なんで軍に入ってないんだろうって」
「知らねぇよ、ヤツに聞けばいい。
ただし、怒らすなよ。
あいつは、傭兵仲間の間じゃ二枚刃の黒姫って呼ばれてんだ。
葬儀屋御用達とか、棺桶屋を何人も引き連れて歩いてるとか言う奴もいる。
ヤツの足跡の上には屍の山が築かれる、殺した人は数知れずってな。
よほどの命知らずでもなきゃ、あれの機嫌を損ねるような真似はしねぇ。
怒らせたら一瞬で地獄行きだ。
まるで死神だろ。
俺も、まさかそんなのと一緒に仕事をする羽目になるとは思わなんだぜ」
「そ、そんな凄いんですか・・・」
「まあ、怒らせたら怖いって意味じゃ、キオードのヤツも負けず劣らずだけどな。
いや、俺はヤツの方が危ねぇと思う。
キオード・フェルブラン・・・、ヤツは、ああ見えても暗殺のエキスパートだ。
針で一刺し、たった1本の細い針だけで誰でも殺す。
しかも、誰にも気付かれずにな。
刺された本人も、何が起こったか分からぬまま死んでいくんだ。
ヤツぁ本当に怖ぇぞ。
あれを見てると、剣を振り回すだけが能じゃねぇって、つくづく知らされるわ。
ヤツだけは敵に回したくねぇってな。
たぶん、伯爵もそう考えたに違いねぇ。
もし伯爵が死んじまうような事にでもなったら、跡目争いが始まるのは必至だからな。
継承順位の1位はお姫さんだが、親戚一同がそうそうすぐに納得しねぇってのは世の常だ。
他の勢力に雇われるより前に囲っちまおうって考えたとしても無理はねぇのさ。
そっちの方が遙かに得だからな。
キオード、そしてロワールもだが、そんだけ恐ろしいヤツだって事よ。
絶対、ヤツ等だけは怒らせんじゃねぇぞ」
言うだけ言うと、セランは荷台の床で横になって背を向けてしまった。
「じゃあ、隊長さんも相当強いんですね」
「ヤツの事は知らん。
名前すら知らなかったんだ、どうせたいした奴じゃねぇさ。
もう聞くな、俺は寝る」
ロワールが想像以上の達人と知って、フリルは内心震え上がった。
傭兵達の間でも一目置かれる二枚刃の黒姫に、挑戦状を叩き付けてしまったのだから当然か。
今更ながら後悔した。
ペルスネージュの言った優秀という言葉は、決して過言ではないのだと理解した。
その事をペルスネージュに言おうと、横に座る彼女の方を向いた時、荷馬車の動きに変化が起こった。
それまで街道を真っ直ぐ進んでいたのが、ある辻で間道へ曲がったのだ。
「あれ?、横曲がるの?」
ペルスネージュは、何食わぬ顔で平然としている。
「知らない。
何も聞いてないのです」
「なんで曲がるんだろう・・、真っ直ぐ進めばいいだけなのに」
ロジェ伯領を目指しているのならば、街道を横へ逸れる必要はどこにもないはずだ。
自分だけならまだしも、ペルスネージュもその理由を知らないとはどういう事だろうか。
不思議に思ったフリルは、荷台の中を荷物を掻き分けながら前に進み、荷馬車を操舵する召使いに聞いた。
「バローさん、なんで曲がるんですか?」
「分かりやせん・・・。
あっしは、ただ前について行くだけですんで」
「何も聞いてないんですか?」
「へえ」
え?、誰も知らないの?
なんでこうなるの?
誰も知らないという事は、予め予定された行動ではないという事か。
急な予定変更?
何がどうなっているのか全く分からない。
釈然としないまま元の席に戻ると、ペルスネージュが一言。
「お金持ちは気まぐれなのです」
それも偏見だろう。
フリルの疑問を乗せたまま、車列は林の中の枝道を奧へ奧へと進んで行く。
☆
昼になって、食事休憩のために馬車が停められる。
それに合わせて、頭痛の治まったセランが騎馬組に復帰し、ロワールが荷馬車に戻ってきた。
彼女は、昨日と同じに無表情で、一言も発せずに同じ場所に座った。
セランの代わりを務めさせられて立腹しているかも知れないと思えば、むやみに声をかけるのも気が引ける。
でも、先頭にいた彼女が横道に逸れた理由を知らぬはずがない。
フリルは、腫れ物に触る気持ちで尋ねてみた。
「あの、ロワールさん・・、どうして街道を外れたのか聞いてますか?
真っ直ぐ行かない理由でもあるんですか?」
「不思議か?」
「・・・はい」
ロワールは昨日よりも更に無愛想になっていた。
セランに仕事を押し付けられたせいかと思ったら、それだけではないようだ。
「占いのせいだよ」
「は?、占い?」
「旅立つ前に、お姫様が知り合いの占い師に占ってもらったんだそうだ。
この旅がどうなるかをな。
で、どうやら街道を真っ直ぐ行ってはならぬと言われたらしく、少なくとも一度は別の道を通れば災難は避けられる
と教えられたので、それを実行したんだよ。
私も今朝初めて聞かされて呆れたが、くだらないわがままにつき合うのも仕事のうちだからな」
「なるほど、そうだったんですか」
かなり不満あり気なロワールと違い、フリルは素直に納得した。
占いの結果ならば致し方ない。
お姫様のお気に入りというからには、それなりに権威のある占い師なのだろうし、せっかく占ってもらったのにそれを
無視するなんて考えられない。
寝覚めも悪いし。
それを、ただのわがままと決めつけてしまうロワールの方が変なのだ。
「占いとか信じない人なんですか?」
ロワールは鼻で笑う。
「信じてどうなる、不死になる訳でもあるまいし」
いるんだよねぇ、こういう屁理屈こねる人・・・、お父さんみたい。
☆
昼休みを終えて、移動を再開した。
街道を外れて人気のなくなった山道は、静穏という表現しか言葉が見つからない。
馬の蹄音と馬車の軋む音の他は、ただ鳥の囀りが聞こえるだけ。
さすがのフリルも、どちらも無口なロワールとペルスネージュが相手では、会話のネタが尽きて無言になってしまう。
誰か、楽器でも奏でてくれる人でもいたら、この退屈も少しは紛れるのに。
後続の荷馬車内が長閑過ぎて眠気に襲われていた頃、車列を先導していたキオードが行く手に何かを察し、前方を遠く
注視し始める。
よほど視力がいいらしい。
横にいたセランが反応した。
「どうした?、なんかいるか?」
その問いに、キオードはセランをチラ見して、無言のまま左手の親指で後ろに下がるよう合図する。
彼を元に、長閑だった空気が一変し、徐々に緊張感が広まっていく。
セランが前方へ目を凝らすと、黒ゴマ大の物が道の上で動いているのがぼんやりと見えた。
「なんだ?、熊か?、鹿か?
ステーキになりに来たか、もうお前等に用はねぇんだがな」
キオードは、ランドーの御者台の横に並び、オラージュに向け警告を発した。
「前方に敵影」
「敵だと?、なぜ分かる」
「抜刀している」
「賊か」
それを聞いたセランが驚く。
「お前、この距離で見えてんのか!
じゃあ数は?」
「5・・いや6」
「なんだ、たった6人か。
チョロ過ぎだな、見くびられたもんだ」
賊の出現を知ったオラージュは、即座に態勢を整えるべく指示を出す。
「バカモン、盗賊がご丁寧に正面だけから攻めてくるか。
奴等は全体の半分だ。
側撃挟撃に備えろ、狙いはお姫さんだ。
セラン、前方は任せるぞ、キオード、横を固めろ。
トレナール!、停車だ」
命令に応じ御者が馬車を止めると、その横に座っていた執事のラドルがオラージュに反論する。
「なぜ馬を止める、このまま突っ切った方がよかろう」
「いや、ここは俺に従ってもらう。
護衛がいると知れば、奴等は馬を攻撃対象にする。
馬が興奮して暴走を始めてしまうと厄介だ。
それでもいいのなら走らせるが、お姫さんが舌を噛んでも俺は知らんぞ」
令嬢の安全は保証出来ないと言われてしまうと、執事としては従わざるを得ない。
執事が退くと、今度は異変を感じたウルスが客室のドアを開けて顔を出し、オラージュに問いかける。
「どうした、何があった」
「前から賊が来る。
恐らく横にも潜んでいるだろう」
「先手を取られたか」
「向こうが予告でもしてくれりゃ、後手に回る事もねぇんだがな」
「それもそうだ。
では私も加わろう」
「いや、それには及ばんよ。
あんたは客人だ、お姫さんの側に付いていてもらおう」
☆
いきなり馬車が止まったので、後ろの荷馬車にいたフリル達にも異変が伝わった。
「あれ?、止まった。
なんだろう、休憩には早いよね」
話しかけてもペルスネージュはウトウトしている。
ロワールは、咄嗟に何かを感じ取った。
「休憩ではないさ。
・・・・出番だな」
彼女は、側に置いていた二本の剣を右手で鷲掴むと、やにわに馬車を降りて前方へ走り出して行ってしまった。
その素早さは、声をかける暇もないほどだった。
幾多の修羅場を乗り越えてきた嗅覚の為せる技とでもいうのだろうか。
残されたフリルは、ソワソワしながら想像力を働かせる。
出番?、出番って何?
何か事件?
戦闘でも始まるの?
でも、一体誰と?
そうか、誰か来るんだ・・・、味方じゃない、敵。
敵って誰だろう。
誰か、お姫様を狙ってる人がいるんだ・・・。
ようやく事態の異常さに気付き始めたフリルは、自分はどう振る舞うべきかを考えた。
移動に護衛が付くくらいなのだから、お姫様は常に狙われていると考えていい。
自分もその護衛の一団に加わっているのなら、じっとしているだけというのは道義に反するのではないか。
ここは、自分も加勢して応戦すべきだ。
もうすぐ近衛師団兵だし、今はそうでなくとも戦士には違いない。
今後の立場も良くなるだろうし、大人しく嵐が立ち去るのをただ待つという選択はない。
そう結論づけて、自分の荷物から剣を取り出しかけると、前の方で何か動きがあったようで、馬の嘶きや男達の大きな
叫び声が聞こえてきた。
それに触発されて、一気に全身の血が沸き立つような感覚に襲われ、武者震いした。
フリルにとっては初めての実戦になる。
緊張したまま、何かに突き動かされるように慌てて飛び出した。
その時、突然馬車の陰から一人の見知らぬ男が現れたと思ったら、いきなり木の棒で思いっきり殴りつけられる。
あまりの急な出来事に身構える暇もなく、彼女は後頭部を強打され、その衝撃で倒れて気を失ってしまった。
それからの事を、彼女はほとんど憶えていない。
☆
気がついた時、フリルは森の中にいた。
以前までの、時々陽射しが差し込む林とは違う、鬱蒼とした見覚えのない森の中。
鼻をつく生々しい草の臭いと土の臭いがし、全身が冷たく寒々しい感覚に囚われていた。
一体、ここはどこなんだろう。
フリルは、湿気を帯びて冷んやりとした土の上で、厳つい髭面の男達に取り囲まれ、四肢を押さえつけられて身動き
出来なくされていた。
その、原始人まがいの男達が馬車を襲撃した盗賊一味だと理解するまでには、少し時間がかかった。
脳震盪を起こしていたせいもあるが、お姫様を狙っていたはずの盗賊が自分を掠う理由が分からなかったからだった。
未だ前後不覚の朧気な意識の中で、男達の会話の中から、次のような事が分かってきた。
彼等は当初から金品の強奪が目的であり、したがって、馬車の中に伯爵令嬢が乗っていた事は知らない。
また、襲撃の際、護衛の傭兵達によって4人もの仲間が斬り殺されてしまった。
これは、彼等にとっても想定外の被害であり、その犠牲に見合うだけの代償は得られず終いだった。
要するに、この襲撃で彼等が得た収穫は、フリルの身柄だけだったのだ。
それも、荷馬車の荷を狙っていた賊の一人が、仲間達が傭兵共の反撃に遭って襲撃に失敗してやむなく退却する際に、
手土産代わりとして偶発的に拉致したに過ぎない。
地元の人でさえ全く立ち入らないこの深い森の奧までは、追っ手が来る事は不可能だ。
彼等の目的が身代金目当ての誘拐ではない以上、フリルに待ち受けている運命は一つだった。
その運命を覚った時、彼女はパニックになって叫び声を上げ、男達の手を振り解こうと暴れ出す。
女が目を覚ましたのを知ると、賊一味の気組みが一気に上がった。
「こら!、暴れんな!」
「構わねぇ、ひん剥いちまえ!」
男達の囃す声と共に、残酷な無数の手がフリルの着ている服を毟り取り始める。
腕力で無理矢理引き千切る手、ナイフで切り裂く手・・・。
興奮して目が血走っている男達の前では、もはやフリルの抵抗は何の意味も成さなかった。
あらん限りの力を振り絞っているのに、自分の意思ではピクリとも手足を動かせず、まるで四肢に大きな岩が乗って
いるが如くで、半野生の男達との力の差は歴然だった。
どんなに泣き喚いても、それは彼等を余計に焚き付ける伴奏でしかない。
肉欲に飢えた獣は制御不能だ。
一糸纏わぬ姿にされ、曝け出された肢体を目前に、その欲情は爆発寸前だった。
「よし!、脚広げろ!、そっち持て!」
「ほほう、これは上玉だ。
しかも生娘ときてやがる」
「どっかの金持ちの娘に違いねぇな」
「そりゃ、あんだけ護衛が付いてたんだからな。
逝っちまった奴等の弔いだ、思う存分楽しませてもらうさ」
「そうだそうだ、とっととやっちまえ!」
「まずは俺が先だ」
野蛮な、節榑立ったゴツゴツした手が、フリルの体中の至る所を、そのスベスベの柔肌を貪るように這いずり回る。
恥辱に耐え、自分の末路を考える彼女に、希望の光は見えてこない。
ああ・・、私は、このまま犯され、嬲られ、辱められて、ここで死ぬんだ・・・。
お母さん、ごめんなさい。
こんな事なら、言う通り家で大人しくしていれば良かった・・・。
恐怖と絶望の中で、脳が思考停止し、頭が真っ白になって意識が遠くなっていく。
それが、精神崩壊だけは防ごうと、生存本能が危機回避のために決した最後の手段とでもいうかのように。
フリルの純潔は風前の灯火。
その火がまさに消えかけたそこへ、どこからか男の声が流れてきた。
「あ〜、ちっと悪いんだが、その辺にしといてもらえるかな」
「だ、誰だ!」
盗賊共が声の方へ振り向くと、そこに見知らぬ粗末な格好の男が一人立っていた。
ルーエイだった。
「別に、その女がどうなろうと知ったこっちゃなかったんだが・・・、そのおっぱい見てたら、あんた等の好き勝手に
させるのが勿体なくなってきた。
なもんで、連れて帰るわ」
手ぶらで武装もしていないにも関わらず、全く物怖じしないどころか余裕の笑みさえ浮かべるルーエイを見て、盗賊の
親玉と思しき髭面の厳つい男は太眉を顰める。
自分達の縄張りであり隠れ場でもあるこの森に、外部の人間が入って来るなど考えもしていなかった。
「まさか、女を取り返しに来やがったのか・・、どうやってここまで・・」
「山歩きは得意なんだ。
この程度の森なんざ、散歩にもなんねえよ」
「貴様、何者だ」
「俺かい?
ん〜・・・、アンタッチャブルかな」
いかにも適当で不真面目な回答を聞き、親分の横にいた若い小兵が威圧的に怒鳴り声を上げた。
「なんだてめぇ、からかってんのか!」
ルーエイは怯まない。
むしろ、呆れ顔を覗かせた。
「だぁかぁら、誰も俺に触る事は出来ねんだよ。
貴族も、軍隊も、化け物も・・・、悪魔だってな。
あんた等如きが束になったところで、俺には傷一つ付きゃしねえって」
「ざけんな!
邪魔すんじゃねぇ!、とっとと失せろ!」
小兵が手にしていたナイフを投げつけた。
ルーエイは、顔色一つ変えずに、薄ら笑いを浮かべたまま軽く身を捻っただけで躱す。
ナイフはその体を掠めて、後ろの木の幹に突き刺さった。
「やれやれ、あんた下手だな。
そんなに振りかぶって投げてたら、どこ飛んでくるか丸分かりだって。
こういう時は、こうやんだよっ!」
それを手で引き抜くと、投げた相手に向かって下手から指と手首のスナップを使って素速く放り出す。
たった5m足らずの距離を躱されて驚く小兵の男は、避ける間もなく額にナイフを受け、その場で卒倒し絶命した。
「き、貴っ様ぁ!」
「ケンカ売ったのはそっちだぜ。
恨むんなら先に仕掛けたそいつを恨め。
あ、俺の場合相手が死ぬまで終わらんから、そりゃケンカじゃねえか」
仲間の死に意表を衝かれ頭に血が上った賊達を尻目に、ルーエイは、死んだ小兵の側へ駆け寄るなり、目敏くそこに
落ちていた剣を拾い上げた。
そこから一気に攻勢に転じ、あれよあれよという間に3人を斬り捨ててしまう。
親分は、そのあまりの速さに度肝を抜かれ、怯んで後退りしようとして木の根に足を取られ尻餅をついた。
こっちが剣を抜く暇も与えない。
「な、なんだ・・・、何者だ貴様は・・・」
「だから、何遍言わせる気だあんた。
ちゃんと耳聞こえてますか?」
おちゃらけて返すルーエイの平然と落ち着き払った様子を見て、これは只者ではないと覚った。
瞬きする間に3人も始末する手捌き・・・、先程一戦交えた傭兵達の比ではない。
こいつは、かなり場慣れしたプロの殺し屋ではないのか。
だとしたら、このままここにいたら全員殺される。
そう思うと、急激に恐怖に襲われ始め、身の毛がよだって震えが起こる。
盗賊稼業を始めて以来、いや、生まれて初めて感じる生命の危機。
こうなっては取るべき道は一つ、彼は生き残った賊仲間を引き連れ、一目散に森の更に奧へ逃げ去った。
彼等にはそれしか出来なかった。
金品も奪えぬまま全滅したのでは元も子ない。
ルーエイは、追わなかった。
賊共の気配が消えてなくなるのを見届けた後、振り返って地面で寝そべる裸のフリルに声をかけた。
「おい、もう起きていいぞ・・・って、ホントに気失ってんのか。
めんどくせえ奴だな。
おい起きろ、いつまで寝てんだ」
頬をペンペンされたフリルは目を覚まし、我に返って再び闇雲に暴れ抵抗しようとする。
「うわーっ!、ギャーいやーっ!」
「おいおい、暴れんな!
もうあいつ等はいねえよ」
「え?」
耳に覚えのある声が、彼女に落ち着きを取り戻させた。
そして、自分の目に映るルーエイを見て驚いた。
あ、あれ?、な、なんで、この人がここに?
事情は理解出来なかったが、見知った顔を見つけた途端に、フリルの目からはどっと涙が溢れ出した。
やっと、助けられた。
自分は助かったんだ、生きてるんだ、無事なんだ。
安心して、一挙に感情が溢れ、大きな嗚咽と共に泣き崩れた。
暫く黙ったままその様子を見ていたルーエイ。
一頻り泣いて、少し収まるのを待って声をかけた。
「いい加減服を着ろ、こんな所でストリップやったって一銭の金にもならんぞ」
その言葉で、フリルは全裸だった現実に気付いた。
「ヒャッ!」
彼女の着ていた服は、下着もろともボロボロに引き裂かれて周囲に散らばっている。
ルーエイは、自分の上着を脱いでフリルの肩に掛けてやった。
「汚えけど、素っ裸でいるよりはましだろ」
その服のぬくもりが身に染みた。
「あの・・・、賊は・・」
「どっか行った」
「やっつけたの?」
「まさか。
俺が来たら逃げちまっただけさ」
「で、でも・・・」
周囲に首を振ると、草むらの陰に幾つか男の亡骸と思われるものが横たわっているのが見える。
兵どもが夢の跡か・・・。
「気にすんな、たいした事はない。
さて、帰ろうぜ。
歩けるか?」
「う、うん」
彼の言葉は、味も素っ気もないぶっきらぼうなものだった。
それでも、フリルには今まで聞いたどの男の言葉よりも暖かく響いた。
その声が聞けるのは、自分が生きている証しだから。
「帰り道、分かるの?」
「ああ、まかしとけ。
ちゃんとついて来いよ」
彼は、右も左も同じ景色の森の中を、淀みなく歩を進める。
その背中を追いながら、フリルは考えていた。
初めて見た時から、目立った特徴もなく、誰とも馴染もうとせず、勝手気ままで飄々として掴み所のないこの人には、
人見知りをしない自分でも話しかけるのを躊躇っていた。
元々、それほど興味をそそられなかったせいでもあるが、話しかけるのを躊躇わせる独特の雰囲気を彼は持っていた。
まるで、言葉の通じない外国か異界の住人のように感じてしまう。
意思の疎通が出来なければ、何を考え何を欲し、何が好きで何が楽しいのか全く分からない。
その男が、こんなに優しく頼もしく、背中が大きい人だったなんて。
思いがけず、初めて知った風来坊の実像の一端。
フリルは、その時の気持ちを、どう表現したらいいのか分からず戸惑っていた。
「あ、ありがとう・・・、助けてくれて」
「別に礼を言われる筋合いじゃねえよ。
元々そんなつもりもなかったんだ」
「じゃあ、どうして・・」
「ただあいつ等が面白くなかった、それだけかな。
まあ、あんたのおっぱいが気に入ったのは確かだけどな」
お、おっぱい・・?
「いいか、ここであった事は他の奴等にゃ黙ってろ。
じゃないと、あんたのおっぱいの横ん所に黒子あるの言い触らしたんぞ」
ひえ〜、そこまで見られてたぁ〜。
というより、彼がここで何をしたのか、どうやって助けたのか、フリルは全く知らないのだった。
あの時、荷馬車の屋根の上にいたルーエイが、フリルが盗賊に連れ去られる現場を見ていたのは間違いない。
ではなぜ、助けるつもりもないのにその後を追って森に入ったのか。
その理由を、彼は一言も語らなかった。
☆
一方、盗賊一味との一戦を終えた一行は、行方不明になっている事が判明したフリルの捜索を始めていた。
各々が周辺の林を歩いて検索するも、その姿を見つけることが出来ない。
そもそも、どうして彼女は姿を消してしまったのか。
当時、一番近くにいたペルスネージュはうたた寝の最中で、襲撃があった事すら気付かなかった。
普通、それはうたた寝とは言わず、熟睡と言うのだとのツッコミはこの際置いておくとして、そのペルスネージュは、
フリル本人にはこの一団を離れるに相当する理由がないと述べた。
動機になるものが思い当たらない。
ある意味、一番この旅を喜び楽しんでいたのだから。
失踪がフリル自身の意思ではないとすると、盗賊一味に拉致された可能性が浮上する。
それは、彼女の命に関わる最悪のシナリオが描かれる事を意味する。
ウルスは、動揺を隠しながら必死で探した。
どのくらい探したろうか、林の中の草原を捜索していたキオードが、近くにいたセランに声をかけた。
「ここに、草を踏みつけた跡がある」
「あの子のか」
「大きさと歩幅を見ろ、男のものだ」
足跡は林の奧、森の中へ続いているようだ。
「ちっ!、この奧か。
ヤバいな・・、今から行ったら夜になっちまう」
それを聞いた執事のラドルが意見する。
「それはならん。
お嬢様を一刻も早くこんな危険な場所から遠ざけ、宿へお連れせねばならんのだ。
それが君等の第一優先事項だぞ」
「うるせぇ分かってるよ。
じゃああの子は見捨てるってのか」
「致し方あるまい。
あの子には悪いが、元々我々の職務とは関係ないのだからな。
お前達の主人は誰か、考えろ」
傭兵達の中に、その無慈悲とも言うべき意見に積極的に同意する者はいなかった。
しかしながら、誰一人としてラドルが間違っているとも思っていない。
彼は主人と仕事に忠実なだけのだ。
それだけに、否が応にも気まずい雰囲気に包まれる。
ウルスはいたたまれない。
お嬢様一行から見れば、ただ勝手についてきた人間が勝手にいなくなっただけの事。
何の影響もない。
それを、時間を割いてまでして探す義理はどこにもない。
「そうだな・・、それも仕方がない。
では、皆さんは先に行ってくれ。
私は娘を捜します」
「しかしそれでは・・・。
あなたは政府の特使です、一人残して行く訳にはまいりませんぞ。
こちらにも立場というものがある」
ラドルは、後々政府から随行員を置き去りにした事の責任を追及される危険性を考えた。
こんな些細な事がきっかけで、政府、王室と伯爵家の間に溝が出来る事を恐れたのだ。
王室軽視と見なされ、国軍の駐留費の削減といった制裁を科される可能性もあるし、今後、伯爵家が政界進出を目指す
道を絶たれる原因にもなりかねない。
更には、他の貴族達との関係においても、立場的に悪くなる懸念も生ずる。
「それは考慮する必要はないだろう、後で追いつきます」
「しかし、相手は盗賊ですよ。
いくら近衛といえども・・、いえ、決して少尉殿の腕前を過小に見ている訳ではないのですよ、しかし・・・」
ここでロワールが口を挟むと、ペルスネージュがそれに続いた。
「なら、私が少尉と一緒に残ろう。
それなら文句はあるまい」
「私も残る。
フリちゃんが心配だから」
セランが話をまとめる。
「じゃ、それで決定だな。
問題ねぇよな、オラージュ」
「そうだな、今はそれがベストだろう」
「いやしかし、それではお嬢様の護衛の方が手薄になってしまうではないか」
ラドルの心配をよそに、傭兵達の気持ちは固まっていく。
「心配要らねぇって。
後は町まで行くだけだろ、賊が逆襲にくる可能性の方が薄かろうぜ。
こっちは4人殺してやったんだ、向こうの方が戦力的には落ちてるはずさ」
二手に分かれる事で話が決まりかけたところへ、周囲に何かを察したキオードが呟き、それにオラージュが反応した。
「誰か来る」
「何?、どこから」
「向こうだ、森の方」
「賊か?」
「敵なら、こんなに分かり易く足音は立てん」
皆でその方を注目していると、林の中から草を掻き分けて、ルーエイがフリルを伴って現れた。
そこに娘の姿を見るなり、ウルスは無意識に駆け出していた。
「フリル!」
「お父さん!」
しっかりと抱擁する親子。
一度は最悪の事態を想定したウルス、片や、死んだ方がましだと思う寸前まで追い詰められたフリル。
二人にとって、この瞬間がどれほど貴重で待ち焦がれたものだったか。
実際に経験した者にしか分かるまい。
見守る周囲も、二人の様子を見て安堵と喜びの感情に包まれる。
その片隅で、まるで他人顔で静かにその場を立ち去ろうとするルーエイを見つけ、セランが呼び止めた。
「てめぇが助けたのか」
「んまあ・・、成り行きで」
「賊はどうした」
「逃げたよ」
「何?、みすみす逃がしたってのか」
「無茶言うなよ、こっちは丸腰なんだ。
人助けしただけでも褒めて欲しいもんだ」
「ふざけんな、腰抜けが」
「いや、いいんだ。
それでいいんだ・・。
ありがとう、ありがとう・・・」
膝をついて娘を抱きしめるウルスは、ただひたすら感謝感謝だった。
賊の動向がどうであろうと、娘を無事に取り戻してくれた事の方が、彼にとっては遙かに重要だった。
こうして、ようやく全員揃った一行は、足早にその場を立ち去り、予定の時刻よりも遅く次の宿場町へと辿り着いた。
後でフリルが知ったところによれば、襲撃の際に殺された4人の盗賊は、セランとロワールの手によるものだった。
お互いに二人ずつを仕留めて手柄を分け合ったそうだ。
ルーエイは一人で4人の賊を地獄へ送っていた。
これを単純に数だけで比較すれば、ルーエイは腕自慢の二人の傭兵をも凌ぐ実力の持ち主という事になる。
果たして、その評価は正しいのか。
答えを知る者はいない。
☆
宿屋で、フリルは父親と同室で泊まる事になった。
前日は男性陣と女性陣に別れて部屋を取っていたので、これはウルスのたっての希望で実現したものだった。
ウルスは、娘の身に何があったのかは、あえて聞こうとは思わなかった。
気にならないと言えば嘘になる。
知りたくないはずなどない。
それでも、彼女が思い出したくもないであろう記憶を、わざわざ蒸し返すような真似は出来なかった。
ただ、娘と一緒にいてやりたい、娘を安心させてやりたい。
そして、自分も安心したい、そう思った。
少々厳つい顔の軍人さんも、娘を思う親の気持ちに変わりはない。
ところが、フリルは自ら進んで森の中での出来事を父に語った。
ただし、彼女が憶えているのは全体のごく一部であり、ほぼ全てが終わった後の事だけだった。
彼女は、どうしてもルーエイの事を話したかったのだ。
理由はどうであれ、手段は不明ながらも、彼がフリルを救ったのは紛れもない事実である。
あの時、あの場所で、他に彼女を救える人物はいなかった。
彼にしか為し得なかった。
それが、話が進むにつれ、いつしか、彼にしか成し得なかったものに変わっていた。
話をしているフリル自身も気付いていないらしいのだが、よっぽど嬉しかったというのはひしひしと伝わってくる。
聞いていたウルスは、その変化の中に思い込みによる脚色が加えられている事を読み取った。
そして洞察した。
娘の心の中に芽生えたものを。
「だから言わん事ではない。
前に言っただろう、旅がいかに危険なものかを。
もしお前が一人で旅に出ていたら、今頃どうなっていた事か」
「分かってる、私も身に染みたよ。
ルーエイがいてくれて本当に良かったわ、こうして生きていられるんだから」
「あの男には、何度礼を言っても言い足りんな」
「そうだよ。
だから、今からお礼言いに行こうよ、二人で」
「いや、今はいい」
「なんでよ」
「実はさっき、チェックインしてすぐヤツに話を聞こうとしたんだが、既にどこかへ出かけていて会えなかった。
恐らく、酒場へでも行ったんだろう。
しばらくは帰らんさ」
あちゃー、ここにも呑兵衛がいたか・・・。
そうこうしているところへ、部屋のドアをノックする者が現れた。
「こんばんわ、失礼しまぁす。
私は、パラスお嬢様付きのメイドで、リゼッテ・ベルジロネットと申します。
お嬢様がお二人に是非お話したい事があると仰いますので、こちらにお通ししてもよろしいでしょうか?」
メイド服のリゼッテは、黒髪のショートヘアーで、性格の良さを窺わせる愛嬌のある可愛らしい顔立ちをしている。
「そういう事なら、こちらからお伺いしましょう」
ウルスが立ち上がりかけると、ドアの向こうから、そよ風のような清涼感を漂わす落ち着きのある声が聞こえてきた。
「それには及びませんわ」
顔を見せたのは、パラスお嬢様だった。
ブロンドの髪をさらりと靡かせ、足音も軽やかに登場したお姫様は、パッチリお目々の美少女で、一般庶民がむやみに
近付く事すら憚られるオーラが、部屋着に着替えているにも関わらず全身から放射されている。
はあ〜、やっぱり貴族様は持ってるものが違うわぁ〜・・・、後光が差して見える。
フリルは、ベッドに座ったままポカンと口を開けて挨拶をし忘れる。
そのフリルに向かって、パラスが徐に語りかけた。
「そのままで結構ですわ。
この度は、わたくしの不注意により、あなたに多大なご迷惑をおかけしました。
心より陳謝いたします、どうかお許し下さい。
つきましては、お詫びの印に何かお贈りさせていただきたいのですが、ご希望はおありですか?」
お姫様に謝罪されるとは想像もしていなかったフリルは、貴族と話すのも初めてな上に加え、挨拶をし忘れる失態まで
犯してしまった事も重なって、緊張し舞い上がってしどろもどろになってしまった。
「お、お詫びだなんて、と、とんでもない、です。
ルーエイに助けてもらって、それだけで嬉しいんです。
だから、これ以上は何も要りません」
「ルーエイ?」
パラスは首を傾げた。
そんな名前に聞き覚えはない。
背中からリゼッテに耳打ちされて、ようやく旅の同行者の一人だとは理解したようだった。
ただし、何者なのかは全く分かっていなさそうだ。
「それに、誰もお嬢様のせいだなんて思ってませんよ。
事故なんですから。
何の責任もありませんよ」
「そうですか。
そう仰っていただくと、こちらも気が楽になります。
では、いずれ何かの形でわたくしの気持ちを表す事といたしましょう。
それでは、お休みなさいませ」
軽く一礼して、パラスはリゼッテを伴って部屋を出て行った。
フリルは、パラスをとてもいい人だと思った。
お淑やかで礼儀正しく、見ず知らずの平民に対しても分け隔てなく接し、無礼を働いても怒らずに許してくれるとは、
なんて寛大なお姫様なんだろう。
ペルスネージュのお金持ち評を覆す実例が、一番近くにいた。
続