Introduction : 西へ
01 Introduction : 西へ
彼女の名は、フリル・ランブレー・アルスーユ。
王室近衛師団の志願予備役候補生である。
近衛士官である父親を見習って、師団への入隊を志望していた彼女が、資格を得る為の従軍訓練遠征から帰宅した時、
自宅に届いていた一通の手紙を手にした事から、物語は始まる。
戦歴のない、つまり実戦経験のない者は、基本的に近衛師団への入隊は認められない。
国軍の中でも最強のエリート集団とされる近衛師団は、選抜された優良な兵士だけで構成されている。
それが一般的な認識であり、実際そうなっている。
従って、フリルのような軍務歴のない者は、志願してもすんなり採用されるような簡単な話にはならない。
ただ、そうした軍属からの門戸拡大を望む声が後を断たないのも事実で、ことさら彼女が変わり者というのとも違う。
戦乱が遠退き、治安も安泰な現在のような時期には、安定就職先として特に増える傾向にある。
その希望に応える形で、師団では通常の兵士採用枠以外でほぼ毎年若干名が採用されるのが通例になっているのだが、
まるで戦闘経験のない者達を実務に当たらせるのは、王室の警護という特殊な職務の性格上限りなく無理がある。
そこで、その未経験者対策として、志願者には最低でも数ヶ月から半年間程度、国軍の定期教導練兵遠征に帯同して
戦闘訓練と模擬実戦演習への参加を義務づけ、近衛兵としての資質を見極める事になっている。
もちろん、それだけで入隊が叶うはずもなく、他に書類審査や面接等を経た上で判断されるのは言うに及ばず。
フリルの場合、父親が現役の士官である事が有利に働くため、書面による選考の段階で不合格になる事は考え辛い。
それでも、最終的な合否が確定するまでには時間がかかるだろう。
彼女は、剣術には自信があった。
子供の時に父の手解きを受けて以来、この時の為にずっと地道に修練を続けてきた。
そして、やっと訪れた挑戦の機会だったのだ。
模擬実戦訓練でも高い評価を得たし、剣術の試合も確実に手応えを感じるくらいの成績を残していた。
合格すれば、予備役兵として採用される。
近く、その報が届くのは間違いないと思っていた。
☆
その遠征から5ヶ月振りに自宅に帰った彼女に、母親から手紙が手渡された。
差出人は、ルネ・クロイエール。
名前を見て、フリルは思わず歓喜の声を上げる。
二人は同い年の幼馴染みだった。
ルネは、昨年までアルスーユ家の隣りに住んでいた商家の娘であり、現在はロジェ伯爵領内のフォーシュという港町に
転居している。
そのルネからの手紙だったのだ。
内容は、自分は元気で、今ではすっかり新しい生活環境に馴染んで、快適に暮らしているという近況報告だった。
加えて、アクアマリンのように鮮烈なまでに透明な海や、水平線に沈む夕日の絶景はとにかく美しい事。
気候は一年を通して安定していて、暑くも寒くもない事。
外洋に面するという立地上、魚介類は非常に豊富で、しかも美味しい事。
また、大柄な船乗り達や、聞き慣れない言葉を話して異国情緒を漂わす見た事もない服装の外国商人などが行き交い、
運河が幾筋も走る、普通の町ではまず味わえない独特の雰囲気に包まれた街並みの事。
或いは、海外からの貿易品が大量に市場に並び、特に服飾や宝飾品の数の多さと価格の安さには驚かされるなど、今の
生活の充実ぶりを書き連ね、最後に、時間があったら遊びにきて欲しいと締め括っていた。
手紙を読んだフリルは、ピョンピョン跳ねて狂喜乱舞、是非とも遊びに行きたいと母に願い出た。
幼馴染みに会いたいのは言わずもがなだが、理由はそれだけではない。
その文面に激しく好奇心をくすぐられ、王都では感じる事の出来ない異郷の地への強い憧れを抱いてしまったという
のが本音だった。
考えるだけでワクワクして止まらなくなり、期待感で居ても立ってもいられなくなってしまう。
なんとしても、実際に訪れてその空気に触れ、そこに流れる風を肌で直に味わってみたい衝動に駆られた。
王都にいながらでも、外国人や異民族、行商人や旅芸人などの遠方から来た人々を見かける事はしばしばある。
あるにはあるが、それだけで感動する事はない。
自分達の日常生活の中に入り込んでくる人を見るのと、自分がその人達の生活の場の中に入っていくのとでは、意味も
体感も全く違うのはいちいち説明の必要もない。
現地へ行く事でしか感じられないものが絶対にあるのだ。
それこそが、旅のロマンなのである。
そんな夢心地の娘とは対照的に、母は至って現実的だった。
話を聞いても同意する事はなかった。
若い娘を一人で旅になど出せる訳がない。
親ならずとも、当然のように抱くであろう懸念のためである。
フリルは納得せずに抗議した。
言葉の通じない外国に行く訳でもあるまいし、なにより、今はまだ正式ではなくとも近衛師団の予備役兵なのだ。
いずれそうなる。
武道の心得はあるのだから、その辺の町娘と一緒にしないで欲しい。
それでも、母は首を縦に振らない。
「んもう、なんで駄目なのよ」
「当たり前です、考えるまでもない」
「じゃあ、一人じゃなかったらいいのね」
「誰と行く気なの?」
「これから探す」
「バカ仰い。
貴族でもあるまいし、一体誰があなたの気まぐれにつき合う暇があるって言うの」
フリルは思った。
このまま抗議を続けても、母の頑なな姿勢を覆すのは難しそうだ。
しまいには、必殺のエンドレス愚痴攻撃を浴びせられる。
それならばと、今度は父親の帰りを待って説得を試みたが、父・ウルスもまた反対した。
彼女がいかに剣術に優れていると豪語したところで、そんなのは見る人から見ればただの井の中の蛙に過ぎないのは
明々白々。
よほどの達人でもない限り、単独で旅行する女などまずいない。
ここ10年ほどは大規模な戦争もなく、世間的には平安そうに見えても、女の一人旅が叶うほどに安全ではないのだ。
比較的治安が良いのは都市部だけで、地方へ行けば未だに山賊や大型野獣、得体の知れぬ魑魅魍魎が跋扈する。
男でも、職人見習いの若い遍歴修習生が無事に生還する確率は、7割程度に過ぎないという統計もある。
そもそも、父が娘に剣術を教えたのは、いざという時の護身のためであって軍隊に入れるためではない。
近衛師団の入隊志願と受験を許可したのも、剣術のレベルを本人に自覚させるのが目的であり、合格するなど端から
望んではいないのである。
護身のための剣術と殺人を目的とする剣術は、基本形式は同じでも、その理念と技においては全くの別物である事を
理解して欲しかったのだ。
父の意見に返す言葉もなく、結局、彼女はせっかくの従軍遠征明けの休暇を、無為に家事手伝いで過ごす事になって
しまった。
久々の家族3人揃っての夕食なのに、気分の晴れない、なんとも後味の苦いものになってしまった。
☆
事態が動いたのは、数日後の事だった。
その日も、フリルは、家で母に教えられながら苦手な針仕事をさせられたり、掃除、洗濯の他、母が庭で栽培している
ハーブの収穫と、小間使いのように働かされていた。
幼い頃から男勝りで、外で活発に走り回って遊ぶのが大好きだった彼女にとって、一般に女性が嗜むべきとされる家の
中での家事全般は苦痛そのものだ。
料理はもっぱら食べる専門で、作る方はてんでセンスがなく、一度もその出来映えを褒められた例しがない。
一応、世間並みに綺麗好きではあるので、自室など身の回りは常に整頓を怠らないつもりではいる。
それなのに、目敏い母からはいつも手抜きだらけだと指摘される。
その母が得意とするボビンレース編みなどは、横で作業を見ているだけで頭が混乱をきたして目が回る。
そんな、疲労感たっぷりの一日が終わり、陽が暮れる時間になって父が帰宅した。
彼は、食卓に着くなり真顔で予定の急変を妻に告げる。
「出張に行く事になった。
4日後に発つ」
「まあ、なんでこんな急に。
休暇が取れるんじゃなかったの?
どこかで戦争でも始まるのかしら」
軍人の急な出動という報を聞き、心配そうに顔色を曇らせる妻に、ウルスは小さく笑って答えた。
「そんな物騒な話ではないよ。
クルトワーズ伯爵家のご令嬢が・・・、今は花嫁修業と称して宮廷内で暮らしているらしいのだが、父親が病に倒れ
てしまって、急ぎ領地へ帰らねばならなくなったのだ。
その護衛だよ。
まあ、護衛といっても、私の部隊は再編のために休暇中なので同行するのは私一人だし、伯爵家から専属の兵が直に
迎えに来るらしいから、ただの付き添い程度の任務だがね」
「どうして近衛師団が・・・、伯爵家なんでしょ?」
「たいした意味はない。
令嬢の帰省に政府が随行員を付ける提案をして、それが伯爵家に了承されたという話だ。
ちょうど私が非番に当たるので、その任を命じられたに過ぎないんだよ。
近衛だからとか、軍人だからというのは全く関係ないそうだ。
貴族の私的な移動に政府が関与するなど、そうしょっちゅうある事ではないだろうが、過去に事例がない訳ではない
らしいし、ただお供をするだけだから、特に責任を負わされるような立場でもない。
クルトワーズ家は中央政府とは無関係だしな」
フリルが即座に反応した。
「じゃあじゃあ、私も連れてって。
クルトワーズ伯領って言ったらロジェ伯領の隣りでしょ」
「確かに、この王都からだとロジェ伯の領地を通る事にはなるが・・」
「だったらいいでしょ、途中まで一緒なんだし。
それなら文句ないわよね、お母さん」
「そ、そうねえ・・・」
「お父さんもいいでしょ?」
「私の一存では決められないな。
公式の任務に家族を同伴させるなど、簡単には許可されないぞ」
「家族じゃなくて、部下とか訓練兵を連れて行くのよ。
それなら問題にならないわ」
「お前、それをご都合主義って言うんだぞ。
まあ、一応お伺いは立ててみるが、あまり期待はするな」
伯爵令嬢の旅へのフリルの同行が認められたのは、驚くかなその翌日だった。
師団本部を訪れたウルスは、事務課の上官に許可を求めてみた。
上官の回答は、その件に師団は関与しない、近衛兵でもない者の行動に沙汰は付けられぬ、ついては政府と伯爵家の
ご裁可を仰げ、というものだった。
それでは出発までに間に合わなくなるかも知れないと考えつつも、仕方がないので、要件を書いて廊下に控えている
伝令役の少年兵の一人に渡し、急ぎ宮廷へ行ってクルトワーズ伯爵家の関係者に返事を貰ってくるよう命じた。
恐らく、伝令兵は手ぶらで帰ってくる事になるだろう。
貴族の感覚は、一般市民、特に軍人とはかけ離れている。
自分よりも身分が下の者からの言葉は、常に後回しにされるのが当然と考える人達なのだから、返答が届くまでには
どれだけ時間がかかるか分かったものではない。
数日で返信が届けば、むしろ早い方である。
ところが、少年兵は1時間足らずのうちに一通の書簡を持ち帰った。
これにはウルスも驚いた。
いかに師団司令部が宮廷と隣接するとはいえ、宮廷内には王宮をはじめ幾つもの建造物があり、貴族達の別邸があり、
森があり庭園があり、その敷地面積は一つの町に匹敵する。
こうも短時間のうちに用が済まされるとは思ってもみなかった。
「一体、誰から返事を貰ってきたんだ」
怪訝な顔つきで問うウルスに、少年兵は直立したまま緊張気味に答えた。
「は、はい、サンソワン侯爵閣下であります」
「枢機卿?」
予想外な名前に、ウルスは耳を疑った。
その名は聞き及んでいるが、当然の如く面識はないし、近衛師団の活動に積極的に介入する人物とも聞いていない。
書簡を開くと、確かにサンソワン侯爵の署名入りの文書が入っていた。
しかも、この件は全て自分が責任を負う故、ウルスの申請を許可する旨の文言が記されている。
サンソワン侯爵は、枢機卿という役職にある王国政府の要人であり、同時に、一般庶民が一生の内に一度でもお目に
かかれるかどうかも分からない、超が付く上級貴族でもある。
そんな、政治の中枢にいる人物が、自ら全責任を負うとはどういう事か。
クルトワーズ伯爵家は、政府とは無関係ながら、北西部の国境に面した広大な領土を持つ大貴族である。
本来なら侯爵位を授かって然るべき実力者たる伯爵への配慮なのかも知れない。
ウルスに経緯を尋ねられた少年兵は、次のように答えた。
城壁に囲まれた宮廷の門番の衛兵に伯爵家への取り次ぎを頼んだところ、暫し待てと言われた後、出てきた案内係の
兵士に連れられて宮廷内の一つの館へ入った。
館の中で通された部屋にはサンソワン侯爵がおり、そこで秘書か助手のような男から書簡を手渡された。
その際、少尉には肩肘張らずによろしく頼むと伝えてくれと、侯爵から直々にお言葉を賜ったのだという。
どうやら、少年兵が案内された館は、近衛師団の宮廷保安部も入っている宮廷府という政府の施設だったようだ。
そこならば、サンソワン侯爵が出入りしていても騒ぎ立てるほど珍しい事ではないだろう。
いずれにしろ、これで政府と貴族の両方から同時に認可を受けた事になり、フリルの旅の障壁はなくなった。
☆
そして、ドキドキの出発当日。
朝早くから支度を調えたフリルとウルスは、待ち合わせ場所に指定されていた宮廷の通用門の一つへ向かった。
「いいか、くれぐれも他の人達には迷惑をかけるんじゃないぞ。
お前は招かれざる客なんだからな」
「んもう、諄いってお父さん。
だいたい迷惑って何よ、私がそんな事すると思う?」
「余計な事はするなって事だ。
お前は何かあるとすぐに首を突っ込みたがるじゃないか」
「自分の娘を捉まえて出場亀みたいに言わないでよ」
「令嬢に嫌われでもしたら、その場で放り出されるから気をつけろと言っているんだ。
他にもどんな人がいるか分からんから、気を遣って遣い過ぎる事はないぞ」
「はいはい、分かってまぁ〜す」
冷静な父の忠告も、花畑気分の今のフリルには犬の遠吠えにも劣る。
門の前には、既に一台のバンタイプの荷馬車が停まっており、その周囲に数頭の馬と複数の人影がある。
近付くにつれ、その些か物騒な出で立ちの者達もこちらに気付いた。
「おい、誰だあんた」
一団の中で、頭一つ抜けて背の高い男が声を上げた。
喧嘩腰とまでは言えないながらも、初対面の人に対して咥え煙草は友好的とは言えない。
男は、くせのある栗毛色のざんばら髪と無精髭で、腕と脚に金属製の防具を身につけ、腰に帯刀している。
剣士なのは明らかだ。
もっとも、軍隊式の武装とは異なるので、私兵だとすぐに分かる。
ウルスが答えた。
「近衛師団少尉、アルスーユだ。
貴官等はクルトワーズ伯爵家の縁の者かね?」
「これはこれは少尉殿、近衛師団とは恐れ入った。
ひょっとして、政府側の特使ってのはあんたかい?」
「そうだ」
「へえー、そうかい。
木っ端役人でも来るのかと思ってたら、エリート将校様とは思わなんだ。
俺はセラン・ブルヤール。
見ての通り傭兵だよ、伯爵家のな」
セランは、ヘラヘラ笑いながら握手を求めて手を差し出す。
相手が近衛士官と知っても、その不躾な態度や物言いは変わらない。
軽薄そうだ。
「んで?、そっちの亜麻色ちゃんは?」
「娘のフリルだ。
途中まで同道させていただく」
紹介されて、よろしくお願いしますと挨拶するフリルに、セランはニタニタ笑って手を広げ、問題なしと手振りした。
「ほー、旅行かい?
そりゃいいねぇ、旅は大勢の方が退屈しなくていい。
まあ、保護者が一緒じゃ満足に羽も伸ばせねぇけどな」
やはり軽薄だ。
「こっちも紹介するぜ。
あのチビがキオード、女剣士がロワールで、杖持ってんのがペルスネージュ。
後は馬丁だか下男だか、姫様付きの使用人達だ」
チビと紹介されたキオードという細身の青年は、それでも身長は170Cmはあるだろう。
耳当てと顎紐のついたヘアバンドを頭に巻き、特に武装はしておらず、一見するとただの旅人だ。
虚ろな目で常に遠くをぼんやり見ているような、易々とは近寄り難い雰囲気を纏っている。
ロワールという女剣士は、黒髪のロングヘアーで鋭い目つき、一貫して無表情のまま話もしないし笑いもしない。
鈍く黒光る独特の鎧を身に付け、腰の剣は二本差しという姿から、いかにも使い手という印象を与え、若さに似合わぬ
風格さえ漂わせている。
長い杖を持った魔導師と思しきペルスネージュは、フリルと同じくらいの年齢と推察されるが、顔立ちはもっと幼く、
アッシュブロンドの髪に黒い大きなリボンを結んでいるのが可愛らしい。
早朝のせいか、眠そうな半開きの目を擦り擦り、その場で棒立ちのまま動かない。
いずれも、ウルスとフリルを一瞥しただけで、ほぼ無関心で一声も発せず、無視しているようにも見える。
まともに会話が出来るのは、一番軽薄そうなセランだけという事だ。
「その姫様は、まだ宮廷の中か」
「さあね、そろそろ来るんじゃねぇの」
「では、それ以外は全員揃っているんだな」
「そうなんじゃねぇんすかねぇ」
「知らないのか?」
「俺はなんも聞いてねぇよ。
ウチのボスなら知ってるかもね」
「ボス?」
「今、お姫様を迎えに中に行っちまってるよ。
ボスっつっても一番年上だってだけの話で、誰もヤツの命令なんか聞きゃしねぇけどな」
どうやら、一団は総員何名なのか、把握しているのはここにはいないようだ。
☆
そこへ、街角から一人の若い男が、てくてく歩きながら真っすぐ近付いてくるのが目に入った。
周囲には、通用門の前の二人の衛兵とウルス等一団以外に人はおらず、その男が一人だけで歩く姿は容易に目立つ。
「誰だありゃ、少尉殿の知り合いっすか?」
「いや、知らん顔だ」
無造作に撫でつけただけの黒髪に、くすんだ色のくたびれた服を着た男は、小さめのザックを結びつけた棒切れを肩に
担いでいた。
その見た目は、旅行者にしては見窄らしく荷物も少な過ぎるので、浮浪者か渡世人と思われる。
とてもではないが、定職に就いて真っ当に生活している者には見えない。
セランが呼び止めた。
「おい、待てや兄ちゃん。
てめぇ何者だ」
男がぶっきらぼうに答える。
「あー・・、クルトワーズ伯爵の家に行くんだろ。
俺も雇われた」
「なんだと?」
「だから、俺も行くんだよ」
「お前が?、なんで?」
「俺に聞くな」
「下働きか?」
「さあね」
「そんな話は聞いてねぇぞ」
「そりゃそうだろ。
あんたが俺の雇い主でないのは確かだからな」
その、のらりくらりとした返答はセランを苛立たせ、ちょっとからかってやれという気持ちにさせた。
「てめぇ、名前は」
「ルーエイ」
「はあ?、それが名前か?」
「じゃあ、ビーフ・ストロガノフにする」
「いい度胸してんな、てめぇ」
「あんたこそ失礼だぞ、人の名前にケチつけんな」
「そうだな、名は体を表すって言うもんな。
プータローのてめぇにゃピッタリだ」
「なら、あんたの名前はヘボ剣士とでも言うんかな」
「なんだてめぇ、ケンカ売ってんのか!」
「冗談でしょ。
一文の得にもならんのに、体力の無駄遣いはやらねえよ」
「なんだ?、ビビってんのか?」
「なんとでも言うさ、金にならん事はやらん」
「ナメてんじゃねぇぞコラ!」
やはりというか見た目通り、セランは短気で血の気が多い性格のようだ。
わざと挑発して、いつでも一戦交える気構えだ。
一方のルーエイという男は、特に気にかける様子はなく、適当にあしらって軽く流そうとしている。
まあ、そんなに喧嘩が強そうにも見えないし、しかし、瞳の奧では何を考えているのか分からない不気味さがある。
こんな奴等と一緒に旅をするのかと思うと、フリルは少し気が重くなった。
こういう血気盛んな野郎共は、軍の遠征でもさんざん見てきた。
宿営地では、休暇の前日の酒の解禁時間ともなれば、決まってあちこちで殴り合いの喧嘩が恒例行事のように起こって
いたし、営舎内で賭け事をする者や商売女を連れ込む者など、さながら問題児の見本市のような場所だった。
どんなに禁止事項を増やしても、必ずそれを破る者が現れる。
なぜ、こうもすぐにいざこざを起こしたがるのか、全く男というのは理解出来ない。
テンション下がるなぁ・・・。
勢い付いたセランがいよいよルーエイの胸ぐらに掴みかかろうとした時、門の内側で衛兵が動き出した。
一挙に、周囲の注意が門に向けられる。
金属の擦れる甲高いノイズと共に鉄製の門扉が開けられ、中から2頭立ての黒い高級ランドー馬車が出てくる。
御者台には、正装の御者と武装した大男が乗っていた。
こうなると、セランも挙げた拳を下ろさざるを得なくなる。
ここでルーエイをぶちのめしても、誰も注目しないし自分の株も上がらない。
場の空気も弁えないただの暴力男という悪評だけが残る。
フリルは、咄嗟に馬車の客室に目が行く。
すると、窓ガラス越しに、二人のメイド服の侍女と向かい合う見目麗しき美少女の横顔が見えた。
彼女こそ、パラス・エクラン・エーガイユ・ド・クルトワーズ。
クルトワーズ伯爵家の長女、パラスお嬢様。
生まれて初めて間近で見る、高貴なる貴族のご令嬢、正真正銘のお姫様だ。
プラチナブロンドの長い髪を結い、レースの襟のついた白い服を着て、涼しげな顔で目を伏せている。
その圧倒的な美しさに見とれるフリル。
と思いきや、彼女は、お姫様って割りには私とたいして変わらないじゃないと考え、気を休めるのだった。
私と違うのは服ぐらいだ。
ただし、あちらさんが着ているのは破格で、その値は予想すら出来ない。
御者台の、傭兵達のボスと思われる大男が、ウルスを見下ろして挨拶した。
「おお、客人も来ているな。
高い所から失礼する、俺はオラージュ・トゥルビヨンだ。
全員乗ってくれ、出発するぞ」
オラージュの号令を受け、兵達は一斉に動き出す。
セランとキオードはそれぞれ装鞍した馬に跨り、ウルスは賓客扱いなので姫様と同乗するよう指示された。
フリルは、どこに乗ったらいいか分からず悩んだ挙げ句に、姫様の乗るランドーの後部にあるフットマン用のシートを
見つけ、そこに登ろうと思ったら、先に馬丁がそそくさと座ってしまった。
えー、もう座るとこないよ・・・。
行き場を失って戸惑うフリルに、ペルスネージュが小さく手招きする。
「こっちおいで」
結局、フリルはロワール等と一緒に荷馬車の荷台へ乗る事になった。
初めから彼女の座席が用意されている訳はないのだから、荷物に囲まれて粗末なクッションに座る事になっても文句は
言えない。
ちょっと埃っぽいけど、我慢。
☆
馬車が動き出してすぐ、フリルは隣りに座るペルスネージュに話しかけた。
「・・可愛いですね、そのリボン。
ウサ耳みたい」
「飾りではないのです。
周辺の状況を探る触角なのです」
意味不明だ・・・。
「魔導師なんですか?」
「文句ありますか」
「い、いいえ。
ただ、凄いなって、その若さで」
ペルスネージュは、つまらなそうに無表情でボソボソと話す。
どうも、これがいつもの彼女の話し方で、さして機嫌が悪いとかいう訳ではなさそうだ。
「年齢は、魔導師の能力とは関係ないのです」
「そうなの?」
「そうなの」
「でも、お年寄りの魔導師って凄くない?
貫禄っていうか、存在感っていうか・・・」
「歳を取れば、術のレパートリーが増えるだけ」
「えー?、それだけ?」
「経験値が増えて判断力がつく、年の功」
「あぁ、それは納得」
「言い訳が上手くなる、早起きになる、駄洒落好きになる、すぐ私のお尻触る」
「いや、それは関係ないかと・・、誰の事言ってんの?」
「ウチの師匠・・・、エロじじい」
フリルは、魔導師と呼ばれる人には数回しか会った事がない。
都会の市民が日常生活を営むに、薬草や祈祷以外にはほとんど縁のない職業だけに、話に聞くような魔物や怪物に対峙
する姿はあまり想像し辛い。
ペルスネージュのような少女では尚更だ。
「伯爵領からお姫様を迎えにきたの?」
「そう」
「みんな同じ部隊?」
「違います」
「違うの?」
「初対面です、傭兵だから」
「そうなんだ・・・、初対面・・・。
でもそれじゃ、いざって時に連携が取れなくない?」
「ただの護送だから、頭数が揃ってればいい」
「でも、お姫様の護衛ですよ・・、人数も少ない気がするし」
「問題ないです」
「みんな優秀って事ですか。
歴戦の勇士ってほどの歳には見えないけど」
「たくさんの中から選ばれたから、たぶん優秀」
先述した通り、クルトワーズ伯爵領は国境に面している。
領土が広いので、そのぶん隣国と接する国境線も長くなり、必然的にそれを守る兵士も多く必要になる。
通常は、国費で運用する正規軍だけで防衛の任に当たっているが、過去に幾度となく急襲や大規模侵攻に見舞われた
歴代の領主は、いつでもすぐに臨戦態勢が取れるよう、私費で傭兵を雇って独自に軍を組織するようになった。
国境を挟んで頻発する小競り合いには、展開の早い小規模編成の傭兵部隊の方が有用だからである。
そのせいで、領内には常に多数の傭兵達が、雇用の機会を窺って国内各地から集まっている。
今回の令嬢護送任務も、そうした無職の傭兵達の応募の中から選抜された。
「そんなにたくさんいるの?」
「町を歩けば傭兵に当たる」
「ふーん・・・。
じゃ、素朴な疑問、その傭兵達は普段は何してるのかな?
だって、ほとんどの人は戦争がなければ雇ってもらえないんだよね」
「色々」
「色々って?」
「うーん・・、アルバイト」
「アルバイトって、どんな?」
「汚れ仕事」
「ますます分かんない」
ずっと黙って聞いたロワールが、初めて口を開いた。
ペルスネージュのいい加減な説明に、うんざりしたような顔つきをしている。
「農家の手伝いやら、大工仕事やらだよ。
鉱山はそういう傭兵共のいい受け皿になってるし、腕に覚えのある猛者の中には武術学校を開く者もいれば、本業を
替えて傭兵をやめてしまうのも珍しくはない。
国軍の駐屯地周りには特に大勢の傭兵が集まっている。
兵士の訓練の相手として仕事が貰えるし、息抜きの場もあるからな」
「そ、そうなんですか・・」
ロワールの落ち着いた声を、フリルは驚きと喜びを持って聞いた。
今日出会った人達の中で、最も興味を掻き立てられた人が話してくれた。
初めて見た時から、女性で二刀流、しかも若いこの剣の達人と一度話をしてみたいと思っていた。
そのロワールは、一目でフリルの素性を見抜いていた。
「お前も剣士か」
「あ、は、はい、分かりますか?」
「荷物の剣を見れば、おバカのネージュだろうが一目瞭然だ」
「あ、そうですね」
「どこかに所属してるのか?」
「もうすぐ近衛師団の予備役になります、きっと」
「まだ合格してはおらんという事か」
「通知が来てないだけですよ、合格は間違いないです」
「たいした自信だな」
「もちろんです」
「それもそうだな、ただの予備役の試験だし」
ロワールの言い方には棘があった。
フリルが真剣に挑戦した試験を、あたかも子供のお遊びかのようにあっさり切り捨ててしまった。
それを、ふてぶてしいと取るか自信の表れと取るか。
対抗心に火が着いた。
「ロワールさん、腕が立ちそうですもんね。
二刀流の人なんて初めて見ましたよ。
もしかして、剣術教室とかやってるんですか?」
「私が?
まさか、そんな物好きじゃない」
「一度、お手合わせしてもらえませんか?」
「お前とか」
「はい」
「やめておく、勝ち目がないもの」
「始めてもいないのに負けを認めるのは変ですよ」
「フン、甘く見られたものだ。
私に勝てるとでも思っているのか」
「勝つか負けるかは、やってみないと分からないじゃないですか」
「そこまで言うなら考えてみるさ」
「到着までは、何日くらいかかるんですか?」
「こっちへ来る時は一週間かかったが、帰路はそうはいかないだろう。
お姫様があんな強行についていけるはずはないからな」
「じゃあ、それまでに一度」
「そのうちな」
ロワールと腕比べする約束を取りつけて、密かに気合いを入れるフリルに、横のペルスネージュが聞いた。
「決闘?」
「決闘じゃないわ、ただの試合よ」
「やめた方がいい」
「なんで?」
「ロワールは遠慮しない。
なんでもかんでも簡単に斬り刻む」
「知ってるの?」
「こっちに来るまでお肉の調達係だったから、クマでもオオカミでもウサギでも、一撃」
「えー?、食材現地調達?
そんな低予算な旅なの?」
「帰りは違うよ、姫様がいるから」
「あー良かった、料理は苦手なんだよね、私」
「焼き肉ならいいよ。
チョンチョン切って後は焼くだけ、簡単」
「食べるのは得意だよ、私」
「お肉大好き」
そう言って微笑んだペルスネージュを見て、フリルは、彼女とは気が合いそうだと思い嬉しくなった。
道連れの中に話し相手を見つけてひと安心すると、ふとある事に気が付いた。
「そういえば、なにか一つ忘れているような気がするんだけど・・」
「なんですか?」
「誰か、他にいたような・・・」
「セランとケンカしてた」
「そう、その人!
あの人はどうしたんだろ・・」
言われてみれば、先行するランドー馬車にも馬にも、もちろんこの荷馬車にも、その男の姿はない。
雇われたので一緒に行くと言っていたのに、どこにもいないとはどういう事か。
少し気になったロワールが、御者台に乗る下男に聞いてみた。
「おい、一人忘れてないか」
下男は、前方を向いたまま振り返らず、黙って小さく右手で上を指差した。
上?、屋根の上?
そのルーエイという男は、荷馬車の屋根の上で寝転がっていた。
いつの間にそんな所に上がっていたのか。
なんだ、この男は。
全く行動が読めない。
☆
こうして、一行の旅は始まった。
一路、海のある西へ向かって。
王都からは、国内の主要各地へ街道が延びている。
地方の各伯爵領の中心都市までは、直接幹線で結ばれているのだ。
ただし、クルトワーズ伯爵領へは、手前を急峻な山脈地帯に隔てられているため、街道は隣接するロジェ伯爵領を経由
する形で整備された。
強引に山を切り開いて難所を作るよりも、膨大な人手をかけて長大なトンネルを掘るよりも、そっちの方が経済的かつ
短時間で済む。
クルトワーズ領が常に外敵に侵略される危険にある状況を踏まえれば、街道整備にかける時間的猶予はなかったのだ。
まずは、ロジェ伯爵領を目指す事になる。
続
<作者註>
この物語で言う貴族の領土の呼び方は、世界史等(特にヨーロッパ)で語られる場合とは少し異なります。
例えば、フランスのブルゴーニュ伯と言えば、「ブルゴーニュという土地を統治する人」を意味し、その領主は治世と
共に入れ替わるものです。
時代毎に様々な貴族が一つの伯爵名を継承し、中にはスペイン人やドイツ人が名乗った時代もありました。
同じ人でも、統治する土地が変われば伯爵名も変わりますし、一人が複数の伯爵名を持つ事もあります。
要するに、伯爵名とは、人ではなく土地に付くもので、その土地を支配した人が伯爵名を名乗る権利を得るということ
です。
ですので、親子兄弟でも別々の伯爵名を持っていたりして、非常に憶え辛く厄介です。
ここでは、なるべく混乱を避けるべく、地方の名前と領主の名前を同一のものとする事で、可能な限りカタカナの固有
名詞を減らすようにしました。
つまり、クルトワーズ伯爵領とは、「クルトワーズさんが統治する土地」を意味するものとご理解下さい。
伯爵は地方領主、侯爵は王家と縁のある格上の地方領主であり、公爵は王家の血族にして複数の伯爵領を束ねる上位の
領主、という簡略的な位置づけにしています。