001 初陣
エレベーターで、より外板に近い軍用区画にまで到着すると重力管制は切られていた。急に無重力空間に飛び込んだ格好になったので、少し戸惑う。重力管制が入ったままだと、かえって敵の射撃によって発生する外板の衝撃が内側に響いてしまう。だから戦闘が始まると遠心重力は軍用区画には及ばなくなる。…平民の場合は無重力に対する耐性が弱いので、居住区画だけは可能な限り重力を維持するのだが、それによって被害が拡大することもあるので、一長一短だ。
「コージ閣下、この先のドッグに艤装済みの駆逐艦「ウラカゼ」が待機しています。」
「…早く落ち着きたいところだね。ユメノさん、今回えらいしつこいからね~。」
元気な人だとは思っていたけれど、それはテンションの面での感想だった。しかし戦闘が始まって、衝撃で不安定になることもある足場を踏ん張りながら、ここまで避難してくる過程で、コージ閣下はやはり百戦錬磨の艦隊民なんだな、と痛感させられた。ボクなんかよりも、遥かに長く、かつての銀河大戦期にも参戦していた歴戦の猛者は、落ち着き方も、身の熟しも違うものだな。
「カイト・ニノミヤ少佐、状況報告。」
脳内デバイスにインストールしておいたアプリから声が響く。アキラ参謀総長の端末からだ。召集と同時に臨時で「少佐」扱いか、出世と言っていいのだろうか。
「は。ツバクロ公爵と共に既に工廠区画に入りました。まもなく「ウラカゼ」に近接します。こちらは被害ありません。」
「上々だ。向こうの艦載機に制宙権を取られてしまって防宙戦闘は苦戦している。何とかベイから艦を出そうとしているが、長引くかもしれん。悪いが暫くは召集下のまま公爵の安全確保の全権を委任するぞ。「ウラカゼ」まで到着すれば、艦長が出迎える筈だ。以後の操艦は艦長を頼れ。」
「了承。」
参謀総長からの指示を受けながらも、コージ閣下と一緒に遊泳する手を止めてはいない。そして一枚の気密扉が目の前に立ち塞がった。ドックは艦の進宙前は重力管制をオンにしている筈だ。この気密扉を開けば、「ウラカゼ」だ!
「コージ閣下、重力が戻るはずです。ご注意ください。」
二人で二重になっている扉を抜け、重力管制区画に入る。目の前に艤装が完了している駆逐艦があった。なるほど、あれが「ウラカゼ」か。…タラップが下りていて、一人の男が手を振ってきた。どうやら彼が艦長らしい。よし、やっと一息つける。軍艦に入ってしまいさえすれば、そう簡単に死にはしない。
そう、軍艦の中にいる限りは、それなりに安全なのだ。
気密扉の目の前にあった階段を駆け下りて、「ウラカゼ」に近づいていく。若い艦長が手招きしている。急いで「ウラカゼ」に乗り込まなければ。
だが、そのとき大きな衝撃が走った。至近に敵艦からの砲撃が直撃したようだ。重力管制が生きていたことが災いして艤装のためにドック内に展開されていた工作機械や貨物が大きく揺れた。
「…危ねっ!」
バランスを崩し、ボクは倒れ込んだ。後ろにいたコージ閣下が受け止めてくれたため、身体を強く打ったりはせず、助かった。しかし、辺りには大きな音が響いた。新たな砲撃があったわけではない。先ほどの砲撃の際に大きく揺れた工作機械が崩れたのだ。
「えっ!?」
さっきまで、目の前で手を振っていた筈の若い艦長が崩れた工作機械の下敷きになっていた。微かに上半身が痙攣している。腹部から下は完全に重い鋼鉄部分の下だ。原型を留めてもいまい。…何よりも、頭部が機械のアーム部分の下敷きになっている。艦隊民と言えどもこれほどの外傷では…即死だ。
鮮やかな色の血が広がっていく。アーム部分の周辺には、おそらく脳の一部だろうか、鮮血とは別の体液が無惨にも飛び散っていた。ボクは、コージ閣下が最初にベイの気密扉から出てきたときの絨毯の色を思い出していた。…だが、ついさっきまで、こちらに対して、意識的に、手を振ってくれていた筈の若い艦長の顔をどうしても思い出せなかった。飛び散った肉片の印象だけが頭の中で広がっていく。
「カイト君!!」
コージ閣下の声で我に返った。
「ショックを受けている暇はないぜ。ボクらだって危ないんだから、まずはこの艦長を弔うよりも、何よりも艦の中へ入るべきだ。」
その通りだった。
ボクは、名前も知らないまま、今はもう肉片と化した艦長だったものに対して一瞥した。ボクよりも製造来年数が短そうな人だった。初めての艦長が「ウラカゼ」だったのかもしれないな…。――そして、気持ちを切り替えてコージ閣下と一緒に艦に乗り込んだ。ボクが避難の先導を頼まれた筈なのに、閣下に助けられてばかりだ。これじゃ、いかん。
ごめんなさい、艦長さん。「ウラカゼ」を、お借りします。
***
駆逐艦「ウラカゼ」に乗り込むと、乗員たちが出迎えた。
「見てましたぜ、まさかいきなり艦長が逝っちまうとは…。幸先の悪い始まりの艦になっちまいましたね。」
真っ先に声をかけてきたのは機関担当のエンジニアだった。エイン・アルファー=ラディンという名らしい。製造来年数はボクよりも下な筈だが、見た目は中年然とした筋骨隆々とした男だ。余裕のあるカーキ色のパンツに、くたびれたポロシャツという姿も、いわゆる「オッサン」的な容姿だ。アルファー=ラディン生命工廠で製造された艦隊民には変わり者が多いと聞いたことがあるけれど、どうやら、その噂は本当だったようだ。
「エインさん、悪いけど乗員を一回集めてもらっていいかな。場合によっては戦闘もありうるって話だ。コージ閣下を安全な場所に保護したいし…。ボクは今後の動き方を参謀総長に聞いてみる。」
「合点。声をかけときますよ。」
すぐさま、司令室まで移動する間にアキラ参謀総長の端末につなぐ。
「どうした、カイト少佐。」
「状況報告。公爵と共に「ウラカゼ」乗船に成功。しかしランデブーの際に敵砲撃による衝撃の影響でドッグ内の工作機械が倒壊。「ウラカゼ」の艦長が下敷きとなり、即死です。現状、人的資源の損耗は以上。今後の指示を請います。」
「…なんだと。それは拙いな。」
「周辺状況に変化がありますか?」
「ベイから艦が出せないんだよ。ユメノめ、陥とす気がないくせに、嫌がらせのように機雷を敷設しやがった。…固定砲台による反撃では敵にはろくな被害は与えられん。ヤツが飽きるまで食らうだけってのは、いささかムカつく。」
「仰る通りで。」
「…とりあえず公爵の無事が確認できてよかった。予備役に緊張する仕事を振って悪かったな。さしあたって、「ウラカゼ」艦内で次の指示を待て。」
「了承。」
ちょうど参謀総長との通信が切れたタイミングで、司令室に到着した。なるほど、駆逐艦の司令室というものに初めて入ったが、こじんまりとしている。普段仕事をしている学院の大講堂よりも狭い。その場に、ボクと公爵とエイン以外に6人の人間が待機していた。
「駆逐艦「ウラカゼ」乗員全員が集合しました。私が副長のモモ・ニノミヤです。お疲れ様でしたカイト少佐。」
お、同じニノミヤ工業製造の後輩だ。
――それにしても…。こちらのモモ副長は、名前の可愛らしさとは全く似つかわしくない恰幅のよい御仁で製造来年数が後輩に当たるとは思えない中年的容姿。人懐こさを感じさせる愛嬌のある表情は、接する人を自然と安心させるもので、「副長」というポジションとよく合っている。だが、どうしても考えざるを得ないのだが、もしかしてニノミヤ工業で製造された艦隊民は全員中肉中背以上の体格をしているのか…?
「呼び立てて悪かったね。既にみんな伝わっていると思うけど艦長は残念ながら即死だ。たった今アキラ参謀総長からは、公爵の保護が完了した時点でボクは待機任務に移行する。疫病神みたいになっちゃったけど、もうしばらく「ウラカゼ」に留まらせてもらうよ。」
その場に集まったコージ閣下以外の7人に自分の立ち位置を説明する。
「…状況を知ってる限り、教えてもらえませんか。自分ら製造来年数的に司令部にアクセスできなくて、艦長が逝っちゃった時点で状況がよく分かってないんスよ。」
優男という表現がよく似合う、細身で長く茶色い髪をだらしなく垂れ下げた、ミュージシャンのような外見の男が声をかけてきた。タートルネックのニットも、何故かだらしなく伸びている。
「失礼、こちらは航行担当のアキナ・フジエダです。」
モモ副長が名乗りもせずに質問をしてきた男の素性を説明してくれる。アキナは製造来年数が上である筈のボクに対して、結果的に失礼な態度になったとバツが悪く感じたのであろうか、頭をかきながら猫背になって斜め下を見つめている。…あんま、別にそういうのを気にしたりはしないけどね。
「ボクも予備役から召集されたばかりだから、正直よく分からない。ただ状況をかいつまんで話すと、アンブローズ艦隊はまだ要塞の外で暴れていて、ベイが機雷で封鎖されちゃって反撃の手段がない。司令部の作戦は要塞を「盾」にするってことらしい。…こんなもんしか聞いてないけど、オッケーかなアキナさん。」
「…オッケーっス。サンキューっス。」
アキナが手をぶらりと挙げて答えたのと同時くらいに、隣に立っていた男が口を開いた。すらりと背が高く、髪は健康的な短さ。シャオランほどではないが、「長身のイケメン」といった容姿の男だ。体格はまだ軍務に慣れていないのかやや貧弱で、眼鏡のスタイリッシュなフレームが彼の印象をよりインテリめいたものにしている。…艦隊民が近眼になんてなる筈もないし、明らかに伊達眼鏡だけどね。
「通信担当のクレド・シンデンです。…でも、このドックは外板装甲からほど近いです。…大丈夫かなぁ、とは思いますけど、アンブローズ艦隊がどの程度まで攻撃を続行するかによっては、艦長だけじゃなくて我々も危険じゃないですか?」
「え、そんなに外板に近いのここ?」
ここに来るまでは必死だったので避難ルートしか頭になかった。改めてアプリを起動して、現在位置のドックと外板の位置関係を確かめてみる。…あ、なるほど。近いわ。
「ホントだ。さすがに「スバル」の外板装甲がそう簡単に破られるとは思わないけど。向こうには強襲揚陸艦もないわけだしね。…ただ、まぁ不安になる近さだね。」
「カイト少佐、敵の攻撃がどの程度続くのか見込みが立っている感じなんでしょうか?」
モモ副長が聞いてくる。
「さっぱり分からないかな。ただアナウンスを聞いているとは思うけど、今回の敵将は有名なユメノ提督だ。そう簡単には諦めてくれないだろうね。」
…ここで、ボクはふと気になって提案した。
「まぁ、とりあえず敵さんが去るまで短い間かもしれないけど連れ合う仲間だから、残り3人とも自己紹介させてもらえないかな。…そもそもボク自身がきちんと名乗ってなかった。カイト・ニノミヤ。なんか召集かかったんで今は予備役少佐ってことになっちゃったけど、普段は平民の学院で歴史を教えている。と、いうわけで申し訳ないんだけどアキラ参謀総長からの指示なしだと、何も分からなくて…。いろいろ迷惑をかけているのに、申し訳ない。」
頭を下げたら、モモ副長が恐縮してしまった。…製造来年数的にボクが上官みたいな立場になっちゃっているから、この副長もいささか距離感に困っているのかもしれない。ついさっきまでの、ボクとシャオランがコージ閣下との距離感を図りかねたのと似たようなもんか。
「えーっと、モモ副長、エインさん、アキナさん、クレドさんだよね。あと、そちらの3人のお名前は?」
エインの後ろに立っていた3人に名前を尋ねてみる。…誰から名乗るか、若干の譲り合い、いや押し付け合いか?があった後で、痩せ気味ではあるが鍛えられた体躯が服の上からも分かる、何かスポーツでもやっていたんじゃないかという容姿の男が口を開いた。比較的痩せた体格の男の中では、一番ガッチリとしている。ミュージシャンのようなアキナ、スラッとしたクレドとは明らかに様子が違っている。「軍人」っていうイメージがよく似合う男だ。
「ケンスケ・フジエダです。アキナとは同期で工廠も同じです…。庶務担当ですが。」
意外だ。痩せ組のなかでは一番軍人っぽい男が、庶務担当とは…。
ケンスケに続いて女性の艦隊民が口を開いた。身長は160cmくらいだろうか。女性としては低いわけではないが、艦隊民としては比較的小柄と言うべきか。癖の強い髪がふわふわと暴れていて、そのせいか幼さを感じさせる。
「アリス・ニナガワです。私も庶務担当ですが、通信と兼務しています。…わりと駆逐艦には多いらしくて、兼務って。」
うん、なんかそれは聞いたことがあるような気がする。彼女が一番製造来年数は短いのかな?まだ軍務も慣れていない印象だけど。
「…あ、養成課程の高等教育をこの春に終えたばかりで…。進宙と同時にこの「ウラカゼ」で訓練を兼ねて初任務だった筈なんです。」
あ、やっぱり?
アリスがおどおどと説明し終えるのを待って、最後まで口を開かなかった男がおもむろに前に進み出た。エインと同じような筋骨隆々とした体格だ。うん…ぜったいにアメフトとかラグビーが好きなタイプだ。ただ、エインと違って容姿は若く、またイケメンと言ってもいい整った顔立ちをしている。
「ハイン・グレーダー。砲雷担当。…そっちの公爵閣下のことも紹介してくれねぇんスか、予備役少佐さん。」
あ、ちょっとトゲがある。…これは経験があるぞ。教師の力量を図っている、いわゆる「斜に構えた」生徒の第一印象だ。自分でも自覚してるけど、「ウラカゼ」の乗組員からしたら、いきなり艦長を戦死させちゃったのは、こっちが巻き込んだからだしな。あまり友好的になる理由もない、か。目の前でモモ副長だけが、慌てているけれどね。
「そうだったね。こちらがコージ閣下。第17代ツバクロ公爵。ハッチーのコンサートを観に来るということで、ボクが参謀本部のシャオラン大佐と二人で接待していたところに、こんな事案になっちゃったのさ。」
「ど~も、いまカイト君に紹介してもらった通り、ボクが第17代ツバクロ公爵コージ。堅苦しいのは嫌いだからコージって呼んでくれ。」
…みんな――とくにモモ副長――が唖然とした。まあ、そうだよね。最初の印象としては驚いて当然だよね、ボクもそうだったし。
「なんつーか、フランクなVIPっスね。」
アキナが笑った。あ、なんか気が合いそうな二人だ。
「いやぁ、公爵閣下も大変ですなぁ。いきなりこんな大混乱では!」
エインが豪快に笑った。この辺の人たちは適応能力が高いなぁ…。たぶん一番常識人なんであろうモモ副長や、真面目そうなクレド、何が何やらといった様子のアリスは戸惑うばかりといった様子だ。
「…んで、少佐殿。どうすんスか、この後?ずっと待機なんスか?」
相変わらずちょっとトゲのある言い方でハインが聞いてくる。
「さっきクレドが言ったとおり、ここはわりと外板に近い。艦の中の方が居住区より安全だって参謀本部の判断は分かるけど、そりゃ相対的にって注意書きが必要ッスよ?危険なことに変わりはねぇんじゃねぇっスか?」
トゲトゲしいが、言っていることは至極まともだ。ドック近辺に至っては艦長が圧死しちゃったことでも分かる通り、重力統制が利いている分、安全でも何でもないし。駆逐艦程度じゃ、直撃食らったら危ない。艦が小さい分、一度艦体に穴でも開こうものなら、気密ブロックが少ないせいで、真空に吸い出されるリスクもある。
しかし、アキラ参謀総長からは待機命令しか出てないし…。
…ん?待てよ。
――状況報告。公爵と共に「ウラカゼ」乗船に成功。しかしランデブーの際に敵砲撃による衝撃の影響でドッグ内の工作機械が倒壊。「ウラカゼ」の艦長が下敷きとなり、即死です。
――うん、さっき確かにそう言ったな。艦長の圧死を報告した。
…それに対してアキラ参謀総長はなんて答えたっけ…?なんか、意外な反応をしたような記憶が…。
――…なんだと。それは拙いな。
「…あーっ!!」
思わず大きな声をあげてしまった。すぐ近くにいたアリスが大仰に驚く。うん…、ごめん。そりゃ、驚くよね。でもボクも驚いた。参謀本部の本来の作戦に気づいたからだ。
「ど…、どうしたんですか。カイト少佐。」
モモ副長もボクが突然、大声をあげて何事かといった表情でこちらをまっすぐに見てくる。気づいたまでは良かった。ただ、この計画は艦長が存命じゃないと意味がない。
――…とりあえず公爵の無事が確認できてよかった。予備役に緊張する仕事を振って悪かったな。さしあたって、「ウラカゼ」艦内で次の指示を待て。
艦長の圧死を伝えたことで、アキラ参謀総長は瞬時に作戦を変更した。さすがエライ人の頭の回転は速いんだろう。…ただ、なんとなく不満だ。この場にいる最上位の艦隊民がボクだと分かったから、判断を変更したってことだ。もともとの作戦はボクには実行できないって判断されたんだ。
いや、まてよ?
…それって当然なんじゃないのか?だってボクは艦隊民と言っても、普段は軍務に就いてない予備役だし、平民相手にウケもしない授業をしているだけの、しがない歴史教師に過ぎない。養成課程を卒業していると言っても、その後一切軍務には関わってない。経験値で言えば新米のアリスと何も違いない。
でも。
…いや、やっぱり、ちょっと不満だな。
そうは言っても艦隊民なわけだし、軍務の大半は焼き付けで製造時から理解しているし、やろうと思って出来ないことはないと思うけど。こんなに面白そうなこと、やらせてもらえないなんて…。
ちょっと待て?
ボク今、面白そうって感じたか?…いやいや、そういうのが嫌だから平民の職に就いたんじゃなかったのか?何を今さら。おかしなことを考えるものだよね。
だけど…。
「考えるより先に動いてしまう。」
コージ閣下がぼそりと口走った。まただ。また心を読まれたような気がする。かなりドキリとしてコージ閣下の方を振り向くと、なにやら新しいおもちゃを見つけた子どもみたいに、茶目っ気たっぷりの笑顔でボクの表情を見つめていた。
「カイト君。考えるより先に動いてしまうような人間が大勢集まって、そうやって人間の歴史は大きく動いてきたんじゃない?よい方向にも、わるい方向にも。そういう考えなしが英雄なのか扇動政治家なのか、そういう時代が伝説や物語なのか衆愚政治の時代なのかは、後世の誰かさんが判断するのさ。…それを勉強するのが楽しくて、君は歴史の先生になったんでしょ?」
…。
「たまには、作ってみても面白いと思うよ。歴史の分水嶺に立ってみれば?」
いや、そんな大げさなものじゃないさ。ほっぽらかしといたって、そのうちアンブローズ艦隊は撤退する。今「スバル」を陥とすつもりは、向こうだってないんだから。今ボクが行動しても、しなくても、歴史なんてヤツが大きく変わったりはしないさ。…これは極めて個人的な話さ。
そう、個人的にボクがどうしたいか、だけの話に違いないのさ。
ボクは、アキラ参謀総長の端末に再び接続した。
***
「アキラ参謀総長!カイト少佐より。状況確認、および意見具申。」
参謀総長の端末にアクセスして、すぐに送信した。
「許可する。どうした、カイト少佐。」
「…先に確認を。艦長存命の場合、司令部はこの場で「ウラカゼ」を進宙させて、安全な宙域まで急速離脱させようとしていましたね?シャオランからは「戦闘もありうる」と聞いていました。戦闘とは、その離脱時に敵の制宙圏を抜ける際のものを想定していたということで、間違いはありませんか?」
「確認了承。…その通りだ。だが艦長が死亡した以上、「ウラカゼ」は出せん。ましてベイが封鎖されている。その作戦は支援艦艇によるサポートを前提に立案した。よって状況の変更から、作戦は破却されている。」
思った通りだ!
「ウラカゼ」の司令室に集まった他の人たちは一様に驚いた様子だ。まさか、今日この艦を動かす予定がちょっと前まであったことを把握してはいなかったようだ。
「参謀総長、その上での意見具申。」
「…聞こう。」
「破却した作戦を一部修正の上で、再度実行することを提案します。」
「…なんだと?」
「具体的にはこうです。「ウラカゼ」は進宙後、このドックを出ます。ちょうどドックから出ると目の前に「ウラカゼ」射程圏内で展開している敵弩級戦艦「グレングラッソー」がいます。「ウラカゼ」は主砲一斉射で「グレングラッソー」に僅小な被害を与えた後に離脱します。旗艦が僅小とはいえ、被害を受ければこれ以上「スバル」に嫌がらせをすることと、費用対効果が釣り合わなくなり、アンブローズ艦隊の継戦意欲を削ぐことができるのではないでしょうか?…」
「危険すぎるっ!」
早口で作戦をまくしたてたが、その説明が終わると一瞬たりとも間を置かずにアキラ参謀総長の怒号が響いてきた。
「奇襲がうまいこといったとして、その後はどうするつもりだ!?支援は出せない。公爵の身を危険に晒すつもりか!?」
「支援は必要ありません。一撃目の奇襲と、離脱は同時に行えます。」
「…説明してくれないか?意味が分からない。」
明らかにアキラ参謀総長は苛立っていた。
不思議とボクは高揚した。…そうだ、教える相手は気づいていない解法、気づいていない論理、分からないからと苛立つ生徒に対して、一つずつ解法を説明する。これは授業が珍しく上手くいっているときの感覚に近いんだ。
「敵への主砲着弾と同時に遠心加速制動をオフにします。どんな逆噴射よりも高速で離脱が可能な方法じゃありませんか?」
この方法なら小回りが利く艦載機であったとしても、こちらに取りつくことも出来ない筈だ。
「…えっ?…あ、だが危険にかわりはないじゃないか!?」
まぁ、そうだな、確かに。
「…そんなことせずとも、お前は「ウラカゼ」で公爵を保護していれば安全じゃないか!?何を好き好んで、そんな冒険をする必要があるんだ?」
「総参謀長閣下、「ウラカゼ」通信担当クレド・シンデン少尉です。」
参謀総長との回線にクレドが割り込んできた。
「君からの接続を許可した覚えはない。製造来年数を考えろ、出すぎるな。」
「失礼しました。しかし状況確認のため、こちらのデータを参照して下さい。カイト少佐と、他の皆さんも確認してください。」
早速、クレドが送ってきたデータを開いてみる。それはここまでの敵艦「グレングラッソー」の砲撃と、航跡から割り出した今後の着弾予想と、それによるドック周辺の被害予想だった。…早い。たぶん、このドックが外板から近くて危ないんじゃないかとボクに言ってきた頃には、このデータの作成をバックグラウンドでやっていたんだろう。…すげぇ、見た目のひ弱さに比して想像以上に仕事ができる人だったじゃん。
「ご覧の通り、仮に最悪のケース「予想E」から「予想C」までの場合、このドックに及ぶ被害は人的資源の損耗を現状の1から3に跳ね上げます。正直、このままドックに留まることがベストな選択ではないと考えます。」
確かに。っていうか、司令部はクレドの作った予測データと同等のものを把握してないのかな、大丈夫かいな…。
「アキラ参謀総長、やらせて下さい。リスクが同等なら、せめてアンブローズ艦隊に、今回の件の手痛いしっぺ返しの一撃くらい、かまさせてもらわなきゃ、「スバル」の士気に関わります!」
返事がない。黙考中か…。
…前から思っていたけど、「スバル」の司令部は意思決定までに少し時間がかかりすぎる感がある。今回の接待の間はシャオランが全部仕切ってくれたせいで、何事も急すぎるくらいに進んだけど、普段から平民が愚痴っているのは、そのことだ。
「分かった。ただし責任はとれよ、カイト少佐。」
古典に登場するダメ上司みたいなことは言わずともよろしい。責任が伴わない仕事なんてないんだからさ、やりたいんだから、やらせいっちゅーに。
「全権。カイト少佐を「ウラカゼ」の臨時艦長に任命。モモ副長?」
「副長了承。艦長の司令室着任を報告します。」
ひときわ大きな声でモモ副長が答えた。大声で言わずともアクセスしている参謀総長には伝わるだろうに。
「発、司令部。宛、「ウラカゼ」。作戦司令「修正1192」発令。」
やった!
…うむ、まずいプレゼンのわりには上司を説得できたぞ。あとは現場で実績出さにゃ、上司に怒られ、始末書を書かされるってヤツだ。無理やりもぎ取ったからには成功させてやろうじゃないの。
「作戦司令「修正1192」受領。カイト・ニノミヤ予備役少佐、「ウラカゼ」臨時艦長拝命しました。」
司令部とのアクセスが切れた。
視界が一気に開けて、目の前に司令室の面々が大写しになる。
「ありがとう、クレドさん。あのデータが決め手だった。」
「…艦長代理?いいですか、次からはプレゼンの前にはデータ類は整理して下さい。あと想定問答はしておかないと。それとプレゼンのシャドウはしておいた方がいいですよ。」
…ぐっ。
その通りすぎて反論の余地もない。そうか、自分が考えたことを通すという際には、中身だけじゃなくて、それを分かりやすく伝えるための技術や、共感性を得るための工夫が必要なんだな…。
ん?…と、いうか、それってむしろ聴講生に授業をする際の工夫と同じじゃないか。今まで、そういった準備を意識して授業に臨んだことはなかったな…。ボクの授業が聴講生から失笑を買っていた理由が、今わかった気がする。まさか普段の大講堂を離れたところで、職業的な教訓を得るとはね。
「…さて、じゃあ進宙して、サクッと作戦を実行しようか。機関始動をスタンバイしなきゃね。あれ…?エインさんは?」
今までアキラ参謀総長とのやり取りにばかり集中していて気づかなかったが、目の前にいた筈のエインがいなくなっている。辺りを見回していたところ、そのエイン本人からアクセスがあり、大声が脳内に響く。
「こちら、機関部!「ウラカゼ」の機関はいつでも始動可能ですぜっ!」
なんと、エインは既に機関部で準備を始めていた。…確かに、小さいとは言っても駆逐艦だって1.5kmはある。艦を動かすためには、最初に反応炉と遠心加速制動器をスタートアップさせなければならない。今はこの司令室に至るまで「スバル」の重力統制が利いているけれど、進宙させるってことはドックの重力統制を切るってことだからね。――いち早く作戦を実行するためには、機関担当のエインは先に機関部に走っていてもらう必要があったわけだが…。
「艦長代理、ハインの指示で先走りやしたぜ!サーセン!」
「…いや、エインさん。ありがとう。すぐさまスタートアップを。」
ハインの指示?最初からボクに対してトゲトゲしていた印象のハインがサポートしてくれたってことなのかな?
司令室の中でハインを探す。彼は既に席について砲雷担当用のコンソールの感触を試していた。…こっちはこっちで準備万端のようだ。
「…てっきり腑抜けタマ無しなのかと思いましたぜ、少佐殿。」
タマ無しは失礼だろ。
「艦隊民のくせに、軍務おっぽり出してシコシコとカビ臭い学院なんかで平民相手の商売やってるって聞いてたんでね。悪いけど俺ぁ嫌いなタイプの先輩なんだと思ってましたよ。」
…あー、まぁ、そういう感想はよく分かるよ。シャオラン以外の同期からも、同じような理由で嫌われて疎遠になっていったからなぁ。
「だけど、あんたがアキラ参謀総長に、こいつを提案したのを見て考えが変わりました。あんた、とんだ戦闘狂のギャンブラーだよ。不確実な安全より、不確実な冒険に踏み込もうって魂胆は嫌いじゃねぇ。…砲雷は任せてもらおうか、艦長代理。」
「ま、ハインと私は元々、「ウラカゼ」にこもって安全を得ようとするって作戦には反対だったんです。だから、艦長代理が決断してくれて良かったと思っているんですよ。」
クレドも通信担当の席につく。彼もコンソールの感触を確かめながら手際よくスタートアップの準備を進めていた。
「じゃ、自分はエインの補佐に回ります。…庶務担当は戦闘時はヒマですからね、機関部は人手が必要でしょう。よろしいですか、艦長代理?」
ケンスケが聞いてきた。勿論、拒絶する理由はない。むしろ駆逐艦に直接乗り込んだのなんて、ボクは初めてだ。戦闘が始まったとき庶務担当がヒマになるなんていうことも、機関部に人手が必要だなんてことも、何も知らない。養成課程での焼き付けの知識以外、そういう「現場」の肌感覚については、まったくの無知なのだ。…それで学院では戦争の歴史について教えていたわけだ。「机上の学問」とか「生兵法」とか、データ上の記録ではよく聞くフレーズだけれども、艦隊民としてのボクがいかに長い間、それを実践してしまっていたのかと愕然とさせられる思いだ。
駆け足でケンスケが司令室を出ていく。アキナも航行担当の席についてコンソールをいじり始める。いざスタートアップが済めば、進宙の作業はアキナが中心に進める筈だ。
「…さーて、おっぱじめますか?艦長代理、副長、オッケー?」
気負った様子もなく、相変わらず気合の入らぬよれた雰囲気でアキナが肩をまわした。
「うむ。カイト少佐、いつでも行けますよ。」
しっかりとした太い声でモモ副長が言う。
あー、ちょっと緊張するな…。
「あっ!」
スタートアップを始めようと思ったら、出鼻を挫かれてしまった。コージ閣下が突然、何かを思い出したような声をあげたのだ。
「どうしたんです、コージ閣下?」
「…ボクのポケットの中に一本、こんなものが!」
取り出したのは一口サイズの安物醸造酒。…思い出した、それはボクがさっき「和の国シティ・スタジアム」の売店で買ってきたヤツだ。よく平民の大衆居酒屋で出てくる「平成」って銘柄の、すごく悪酔いしやすいアル添加水醸造酒。ビールだけじゃなくて、と思って半ばギャグのつもりで買ったヤツだ。重力統制切れていたブロック突破したときに、よく拉げなかったな…。
「気密用の強化ジップロックに入れて持ってたんだ。今日の思い出にと思ってさ。」
…用意がいいというか、何というか…。
「これから進宙するわけでしょ?ドックの空気抜く前に、こいつを、さ。」
そう言うと、おもむろにコージ閣下が酒をアリスに手渡した。
「古代の進水式って、女性が酒瓶をぶつけてやるもんだったんでしょ?せっかくだから、この艦の進宙を派手にやっちゃおうぜ。」
安酒を受け取ったアリスが狼狽えて助けを求めるような視線を周りに対して投げた。その様子を見てアキナが大きな声をあげて笑った。少し遅れてハインも吹き出す。いやぁ、この緊急時に突然何を思い出したかと思えば…。
でも、まあ…。
「面白いっ!」
司令室のなかの全員の声が揃った。艦の意思統一確認。と、いうことで駆け足で飛び出したアリスが艦の外板近くにビニールテープで酒を括 り付けた。酒瓶というわけではないので、まあ叩きつけるわけにもいくまいさ。
息を切らすほど慌ててアリスが司令室に戻ってきた。
「…はぁ。…アリス准尉、任務完了しました!」
「了承。と、いうわけで宇宙に船を浮かべる儀式は完了だ。駆逐艦「ウラカゼ」進宙!機関部、スタートアップ開始。機関起動および事後の操作はアキナさん?よろしく!」
「…アイアイ、艦長!エインさん、ケンスケー!よろしくー!」
タートルネックのニットの首元を思いっきり引っ張り、だらしなく伸びた茶色い髪を掻き上げると、アキナは目前のコンソールに集中した。…なるほど、これでいつもニットがよれよれになるのか…。
「モモさん、ドック側の重力と気密のタイミングはお願いします。」
「お願いされましょう!」
機関が動き始める音がする。反応炉に火が入った。遠心加速制動器がオンになる。一瞬、強くGがかかるが、すぐに終わる。ほぼ同時にドック側の重力統制がオフになったのだ。今や「ウラカゼ」は自立重力を発生させている。
「射撃管制、リンク問題なし!すぐにでも戦れるぜ!」
ハインが吠えた。
「あー、そういえば。」
…また出鼻を挫く。コージ閣下が何かを思い出したようだ。
「確か進水式のときに、女性が投げた酒瓶が割れずに終わると、その艦は不幸な運命に晒 されるって話があったなー、っと思ってさ。」
…おいおい、あのパックは瓶じゃないし。割れないじゃん。
「…まぁ、進宙前から艦長が逝っちゃってる艦だしな。今さら不幸とか考えても、アレじゃねぇの?」
ハインが豪快に笑った。…もう戦闘が楽しみでしょうがない、といった様子だ。他のことはまったくこだわらない心境になってるんだろうな。…それにドックが真空になれば、割れるでしょ、それで良いってことにしとこう。
「駆逐艦「ウラカゼ」、進宙完了。たった今から軍務に就くよ。みんな、作戦司令「修正1192」発動だ。敵艦「グレングラッソー」に猫だましを食らわせてやろう!」
司令室内に大きな声が木霊した。脳内デバイスでは機関室にいるエインとケンスケの声も響いている。
…楽しい。
艦を動かして、作戦を遂行するのはこんなに楽しいものだったのか。ついさっきまで、ボクが好んで身を置いていた世界とまったく異なる。今この場の空気。むしろ、嫌って避けていた筈の空気なんだけど、それを楽しいと感じている自分がいる。
「前進、速やかに出渠。砲雷撃戦用意!」
***
ドック外には敵の弩級戦艦「グレングラッソー」が展開している。アンブローズ艦隊を代表する有名な艦だ。艦長であり、この分艦隊の司令官でもあろうユメノ提督は「殺戮者」の異名をとるアンブローズを代表する猛将で、女性ではあるが苛烈な戦い方で過去何度も「スバル」を恐怖のどん底に叩き込んできた歴戦の勇者だ。…さすがに、ボクが考えた小細工が通用するのか、少し不安が過ってくる。
「出渠と同時に右90度回頭。上下角調整+6度。こいつで、「グレングラッソー」のケツにドン、ピシャリっすよ。ハインさーん、よろしく。」
さほど気合を感じない調子でアキナが全員の脳内デバイスに語りかけた。
「よーし、機関部。エインさん、出力よろしく。艦首主砲充填開始。発射から14秒後に遠心加速制動をカット、プログラム頼みます。」
一方、狭いとはいえ司令室中に響くような大きな音で指の関節を鳴らしながら、ハインも各自の脳内デバイスに語りかけた。
「合点!機関部は任せろ!ぶちかましてやれっ!」
相変わらず音量調整がかかっていない豪快な大声で脳内デバイスにエインの声…いや、むしろ怒鳴り声と言うべきかもしれないものが轟いた。
――「ウラカゼ」はドックを出た。艤装を終えたばかりの筈の艦だが、何の不具合もなくしっかりと宇宙に漕ぎ出た。「スバル」の外板の外は様々な光芒が色めき、目がチカチカした。それが自然な星々の光ならばロマンチックなのだろうが、今まさに「スバル」を攻撃しているアンブローズ艦隊の主砲が放つ光彩であることは明らかだった。出渠してすぐ、メインスクリーンに、眼前に展開する「グレングラッソー」を認めた。
予定通り90度回頭。
「グレングラッソー」の後部推進装置周辺――艦の弱点となりうる場所だ――が、がら空きだ。ここまで「スバル」が要塞そのものを盾に使って消極的な抵抗しか出来ていなかったことも幸いした。空母から発艦しているであろうアンブローズ艦隊の艦載機は、「スバル」の固定砲台を潰すために敵旗艦「グレングラッソー」周辺を直掩する任務を怠っていたようだ。
…これは、いけるな。
「艦首主砲、斉射!」
ハインの掛け声と共に「ウラカゼ」が進宙して初めての主砲を斉射した。美しく指向性を維持した光とエネルギーが「グレングラッソー」めがけて伸びていく。数瞬後、艦全体の重力統制が切れた。…全員、この瞬間に備えてシートベルトをした状態で着席していたので、混乱はないものの、不思議な感覚が全身を襲う。そして、制動器も切られたため、主砲の斉射で発生する後ろに向かう反作用を止める力が消え、無重力の宇宙空間で「ウラカゼ」は急加速しながら後進していった。
「…よっし!うまくいった!!」
思わずボクは叫んだ。想定したとおりに作戦が進んだことが、嬉しかった。
「敵弩級戦艦「グレングラッソー」への着弾を確認。損害軽微ならず、結構利いてますよ、これ!」
クレドがはしゃいだような声をあげた。ここまでの短い時間で見せてもらった彼のキャラクターから考えれば、びっくりするような弾んだ声だ。彼もまた作戦が想定通りにすべて上手くいったことで、興奮しているんだろう。
駆逐艦程度のサイズの艦であっても、その主砲の攻撃力は侮れない。一撃で戦艦を沈めることは難しくとも、大破させる程度のダメージを与えることは出来る。もっとも、通常は射程距離が圧倒的に違うため、駆逐艦は小惑星帯などに潜んで奇襲を狙うか、決死の覚悟で突撃を敢行するかしなければ、弩級戦艦である「グレングラッソー」に被害を与えることなど望めないのだが。今回は外板装甲の近くでドックインしていたという条件が良かったのだ。
…体に強烈なGがかかる。
制動器を切っているせいで艦内の重力統制は滅茶苦茶だ。それでも戦闘区域を抜けるまでは安心できない。怒り狂ったユメノ提督が「グレングラッソー」を回頭させて、こっちに向かってきでもしたらボクたちはイチコロだ。
「艦長!ぼちぼち制動戻しますぜっ!」
エインの声が響いた。確かに潮時だ。十分に「グレングラッソー」の射程は出た。速度からいって、ここまで逃げ切れば、もう大丈夫だろう。
「オッケー、エインさん。制動再稼働よろしく!」
「アイアイ!」
再び遠心加速制動が動き始め、艦は急速後退を止めた。艦内の重力も戻り始め、通常の航行へ移行する。
「よし、やられっぱじゃなくて、敵旗艦に一撃はかましたぜ。こりゃぁ、気持ちいいな!」
ハインは興奮した様子で歓声をあげた。
「…ま、これ以上の嫌がらせを諦めてアンブローズ艦隊が撤退してくれればいいんだけど…。」
その目算は立たないものの、元々今回の攻撃は「嫌がらせ」程度のものなわけで、アンブローズ側も被害が想定より上回った時点で、継戦の意味はないと悟ると思う。いずれにせよ、作戦計画自体は成功で、「ウラカゼ」のボクたちとしては作戦の終了に胸をなでおろしたところだった。
「艦長!!」
だが、事態は一変したみたいだ。
クレドが大声をあげた。様子からいって、よい知らせじゃなさそうだ。
「敵駆逐艦2隻、急速接近!「スバル」のベイを封鎖してたヤツです。このままだと敵射程に入ります。」
そういや、いたな。そんなのが。
しかし、まずいな。単純に数の上で不利だ。しかもベイは機雷で封鎖されている。アキラ参謀総長に念押しされた通り、支援は得られないんだった。
「…まずい、こっから先は考えてなかった。」
思わず口をついて出た言葉にモモ副長が顔面を手で覆って天を仰いだ。
さらにクレドの悪い報告は続いた。
「本艦前方より、敵艦載機接近。数およそ120機。」
大丈夫だ、艦載機の方は「スバル」攻撃でほとんどミサイルとエネルギーを使い果たしている筈だ。その後、空母に戻って再装填したという報告はきていない。…ただ問題は駆逐艦の方だ。少なくとも、「グレングラッソー」が健在なうえ、艦載機が展開し始めた前方には戻れない。艦左方向に転舵するのが正解だろうか。同じ駆逐艦同士、速度勝負なら負けないとは思うが、数的不利はどうしようもない。もしも敵に接近を許せば、射撃戦では不利になる。敵の2隻の駆逐艦は、機雷敷設以外は何もしていない筈だ。エネルギーも十分に保っているだろう。「グレングラッソー」に対して乾坤一擲の砲撃を加えた分、エネルギーなら「ウラカゼ」の方が不利になる。
「とりあえず転舵、左90度!機関全速、逃げるぞ!」
すぐさまアキナがコンソールを操作して、艦が動き始める。機関部でもエインが最善を尽くしてくれているようだ。だが、方向転換の分、初動は遅い。ここで少し的に詰められる。…まずいな。
「くっそ、敵に一撃はかませたんだ。逃げ切れなかったら化けて出てやる!」
正直、ちょっと焦っていた。
…そんなボクの様子を覗き込みながらコージ閣下は何故か楽しそうな笑みを浮かべている。…腹立つな。
「カイト君、助けてほしい?」
…??
コージ閣下の言っている意味が最初はよく分からなかった。意味を理解した後も、どうも納得ができない。この状況でコージ閣下には何か起死回生の策でもあるというのか?
「ボクは今日一日でカイト君のことが結構気に入ったんだ、友達として。助けてあげてもいいぜ。ただし、今日の楽しい一日を記念して、これから先はボクのことをコージと呼び捨てで呼んでもらいたいんだ。」
…何を言い出すかと思えば。っていうか、この人は分かっているのか?「ウラカゼ」が沈没するようなことがあれば、同乗しているコージ閣下だって身の危険に晒されるっていうのに。もったいぶらずに、いい策があるなら助けてくれよっ!
「分かりました、お願いします。何か策があるなら…」
コージ閣下が大仰に肩をすくめて残念そうな表情を作る。腹立つな…。
「敬語が抜けてねーじゃん。友達ってことで、よろしく。カイト!」
製造来年数が違いすぎて友達って感覚にはなれない気もするが…。
…まあ、どうのこうの言っている場合じゃない。
「…わかった。…えーと、コージ?何か策があるなら頼む、助けてくれ。」
すごく違和感がある。だがコージ閣下は納得した様子で、満足げだ。そして、おそらくどこかと通信を始めた。…何をしているんだろうか、などと考えている間に答えが分かった。クレドのさっきを上回る絶叫が司令室に響いた。
「…っ!!ベイ周辺の機雷が爆散!ベイから艦が出港します。」
「なんだと?何が起きた?味方の増援か?」
…出港してきた艦が何なのかはすぐに分かった。美しい光沢を放ち、艦の周りに電磁嵐を発生させながら悠然と進む純白の弩級戦艦…噂通りの美しさだ。間違いない、あれはコージ閣下の艦「デリート・スノウ」だ。
「あの程度の機雷なら、「デリート・スノウ」の電磁バリアで突破可能だよ。まぁ、多少は傷がつくかもしれないから、正直強行突破はイヤだったんだけどな。キャラ的にもらしくないし。…でもまぁ、友達の頼みなら、仕方ないかと思ってね。」
え、ちょっと、ちょっと…。
…それはヒドイよ。
事態の急展開が飲み込めた途端、ボクは頭に熱が生まれるのを感じた。
そして、胸やけがするような感覚を感じ、口からはコージ閣下に対する悪態が突いて出た。
「…そもそも、「デリート・スノウ」が出港していれば、全艦隊全惑星中立の存在であるあんたが「スバル」にいるって、アンブローズに示すことになったんでしょ?…「スバル」に余計な被害が出ることもなかったじゃないか。だいたい、コージ閣下だって危ない目に遭って「ウラカゼ」に乗り込む必要もなかったじゃないか!」
コージ閣下相手にまくしたてた。そうしていれば余計な人的被害も出なかっただろうし、何を好き好んでこんなことをしたのか…。
「何を好き好んで、君は危ない冒険を選んだんだ?カイト。」
…!!
「決まってるじゃないか。君はこの作戦が「楽しそうだ」と思ったんだろ?ボクも同じさ。「楽しそうだ」と思ったんだ。…もう気づいているかもしれないけど、ボクはある程度は君の考えが読める。ボクは単なる超長命種ってだけじゃないんだ。…ついでに言えば、再生能力も並みの艦隊民とは違う。あの艦長みたいにミンチになったとしても、ボクは再生が可能なのさ。だから、実のところ今回の件はボクにとって、まったく危ないことなんてなかったのさ。」
…。
ボクはますます頭が熱くなってくることを感じた。何かを口にしようとしたが、胸が苦しくてうまくしゃべれない。
「…なら、なおのこと…。」
なんとかひねり出した言葉はそれだけだった。
「汝、平和を望むなら、戦いに備えよ。――真に平和を愛する者は戦いに備える。他人に頼って自分の安全を買おうとするなんて、それは自律した存在とは言えない、みたいな言葉があるのさ。」
エドワード・ルトワックだ。軍事、安全保障研究で有名な古代変革期の学者であり戦略家。…データ検索をせずとも、授業に登場するような人物であれば、そのくらいは頭に浮かぶ。
「君たちには悪いけど、ことさら「戦いが弱い」とされているのが「スバル」さ。マルク・ドゥ・ビサージュ艦隊に守ってもらわなければ、何度アンブローズ艦隊に滅ぼされたか分からないって、銀河じゃ評判だよ。そんな貧弱で虚弱な空気のなかで育った筈の君に、「揺らぎ」を見つけて面白くなったのさ。堅い殻に篭って戦いを避ける臆病者が、自らの意志で殻から飛び出して、宇宙に船を浮かべようというとき、どんな戦い方をするのか。どんな揺らぎを見せるのか。軍神に愛された存在なのか、それとも漠とした者なのか、ね。」
今日一日、このコージという男を見てきたが、ボクは何も分かっていなかった。
…この男は恐ろしい男だ。
…だが、おそらく唾棄すべき男ではない。
ボクが、いやもしかしたら「スバル」全体が今日、この男の試験を受けたのかもしれない。そんな思いが浮かび、熱かった頭が急速に冷めていくのを感じた。
「あ…あの。」
ボクとコージの間に流れていた空気を察してか、言いづらそうにクレドが口を開いた。
「アンブローズ艦隊、撤退していきます…。「ウラカゼ」に向かっていた駆逐艦2隻も転舵しました。」
どうやら、われわれの危機は去ったようだ。ユメノ提督も、「デリート・スノウ」の存在を認めてしまった以上、これ以上は「知らなかった」は通用しない。全艦隊全惑星完全中立のコージがその存在を知られてしまったからには、戦闘は終了だ。
「欲を言えば、もう少し君の漠とした揺らぎを観察したかったんだけどね。まあ、最初はこんなもんだろう。揺らぎが長く続けば、そのうち「デリート・スノウ」が必要なくなるかもしれないな。…残念ながら今回のお楽しみはここまでってことさ。」
言葉を失う。
午後に感じた感覚のうち、結局最後まで正しかったのは一つだけだ。今日一日、この男に振り回されて面倒なことになるという感覚、それだけ。それだけは結局正しかったんだ。
「どうだい、カイト。楽しかったか、艦隊民として最初の戦いは。」
ボクはなぜ、胸を苦しくさせているのだろう。
不要な人的被害を出させて悪びれもしないコージを不快に感じているわけではなかった。「スバル」が侮辱されたことが腹立たしいわけでもなかった。なのに、なぜこんなにも憤りの気持ちが後から後から湧いてくるのか?
…分かっている。
それは、今回の「勝利」。――「勝利」と称するのが憚られるなら、少なくともアンブローズ艦隊を撤退させるという所定の目標達成と呼びたい。アキラ参謀総長に啖呵を切って提案した作戦の最後の最後で、コージの力を借りたこと、彼の名声を笠に着たこと。…最後の最後で数的不利の状況から敵駆逐艦2隻を、この「ウラカゼ」で返り討ちにするという「冒険」に打って出なかった自分自身に対する失望と、未消化感、未達成感。――最後の最後で日和ってしまった自分への憤りが否めないからだ。
…ボクは、もう少し戦いたかった。
もう少し、冒険を続けたかった。自分と「ウラカゼ」の乗組員の生命を賭金として、もっと「遊びたかった」んだ。今日分かってしまった。艦隊民としての一般的な進路を捨てて、学院で教師になる道を選びながら、結局ボクは戦いが好きなように出来あがっていたんだ、と。
「…楽しかった。もっと続けたかった。「デリート・スノウ」を拒絶するべきだった…。」
泣き言のように、気が付いたら口から言葉が突いて出ていた。
…我ながら恥ずかしい。半ベソかきながら諭されている子ども状態じゃないか。
「ふふっ。やっぱり君は面白いよカイト君。今さら「デリート・スノウ」を拒絶するなんてね。…ただまぁ、悔いが残るんなら、もう少し艦に乗り続けてみればいいじゃないか?」
いや、危機が去った以上はボクに対する召集は解除だし。
…また元の日常に戻るだけだろうさ。
「艦長が子どもみたいにダダこねてるけど、みんなはどうだったんだい?」
コージが司令室のみんなに笑顔で問いかける。ボクは恥ずかしくて顔をあげられなかった。
「このまま艦長やったらどうですか、カイト少佐。向いてますよ、貴方。」
モモ副長の声だ。
「…はっ!さっき言った通りさ。もっと腑抜 けたヤツだと思ってたからな。あの有名な「グレングラッソー」に一撃かませたのは痛快だったぜ。あんたが艦長として、こういう馬鹿な戦いをもっとやってくれるんなら、大砲屋としてはありがたいぜ?」
ハインが抑えた笑い声をあげた。変に大きな声じゃない分、きっと本心だろうな。
「俺も楽しかったッスよ?なぁ、アリスちゃんも、ワクワクしたでしょ?」
「は、はぁ…はい!」
言わされた感のあるアリスは兎も角、アキナも認めてくれたようだ。
「補佐のし甲斐があるとは思います。もしこのまま続けてくれるなら、まずはプレゼンの練習ですよ。一緒にみっちりやりますよ。」
クレドは手厳しい。
「こちら機関部!会話筒抜けでしたからなー、俺からも言わせてもらうと今回の戦闘は楽しかったッスよ。なぁ、ケンスケ?」
「…ははっ、いつも「スバル」の戦い方は冒険が足りないですからね。腹が立つけど、ツバクロ公爵の言う通りですよ。今回みたいなギャンブルめいた戦いはワクワクしましたね。…これが艦民民として製造された我々の悲しい性ってヤツですよ。」
エインやケンスケも通信で脳内デバイスにメッセージを送ってきた。
…うーん、なんというか。
今まで学院の授業で、こんな風に授業をした生徒からリアクションが返ってきたことがなかったから、チームで仕事をするっていうのが、楽しいものなんだなと感じてしまっている自分がいる。…しかし、まあ通常の艦隊民らしく軍務に再就職するにしても、「ウラカゼ」に配属されるかは分からないしな…。
「まぁ…、とりあえず。」
ボクはみんなに語りかけた。
「一応は作戦成功ってことで。まずは「スバル」に帰ろう。」
「凱旋 ですな!」
モモ副長が豪快に笑った。
「あ~、カイト。君たちを助けたせいで「デリート・スノウ」が多少傷ついたっぽいから、もうちょっと「スバル」にいるわ。だから、上にかけあって接待、続きよろしくね。」
…忘れてた。ハッチーのコンサートの続きか。
それにしても、コージはこのドタバタのなかでまだコンサートのことを覚えていたとは…。そう言われると、確かに新曲の前奏の続き部分が気になる。『SAKURA宙に泳ぐ』の歌い出しはどんなカンヂなんだろうか。
「…接待の続きは、引き続きボクが出来るように頼んでみるよ、コージ。」
「サンキュー!よろしく頼むよ、カイト。」
長かった今日一日で、ボクのなかに起こった変化は些細なものさ。
一つ、いっぱしの艦隊民と同じように戦いに高揚することに気づいた。
二つ、知りもしなかったロリータ・アイドルに興味を持った。
三つ、最初は苦手だと思っている人でも、第一印象で判断せずに長く付き合ってみると、案外いい友達になれるんだということを、コージという製造来年数が遥か年上な新しい友人から学べた。
…そんなもんだ。
ボクにとって、すごくささやかな変化さ。でも、この小さな変化が、なんだかすごく嬉しいことに感じる。胸は、もう苦しくない。少し晴れやかな気持ちにさえ、なった。そして頭の中では、明日聴講生に話すのはルトワックの話にしようとプランを組み立てて、授業計画を立てていた。