introduction 01 ある学院から。(11:48)
――と、いうわけで。主権国家体制は旧暦と共に終わりを告げ、その後現在のような平民と艦隊民による分離統治体制が出来あがった。
まとめの言葉を口にしても、聴講生の反応は虚ろだ。無理もない。授業終了予定時刻を既に18分超過している。虚ろと言うよりはうんざりしているといった様子に違いない。気だるそうな表情のまま、キーをタイプする音だけが乾いた響きを辺りに放っていたが、その音すらまばらで、不協和音と表現するのも憚られるほど一体感がない。
――ちなみに、我が「スバル」だけは通常の分離統治とは異なる体制を生み出してはいるが、これについては…。
あ、しまった。「ちなみに」は禁句だ。
教師の言葉が無駄に長くなる魔法の文句。案の定、教室内の聴講生の殆どが一瞬で眉間に皺を寄せた。また、これで時間が延びるぞ、と全員が心の中でため息を漏らしたに違いない。これ以上、言葉を継ぐのは危険だ。ボクだって、そのくらいの空気は読める。
軽く咳払い。うおっほん。古典でしか見たことがないようなわざとらしいやつだ。
――これについては、次回の講座で成立過程を確認することとする。では、以上。あー、復習は紙媒体で一度しっかり覚えるように。外部記憶に頼ることがないよう、えー、じゃあ、終わりにしようか。
終わり方まで締りがない。「ぐだぐだ」という言葉がよく似合う。挨拶もない間に聴講生たちが教室を出ていく。…我ながら情けないくらい教えることが苦手だ。この仕事を始めて3年経つが、未だに「キレのある授業」とやらが何なのか体得できない。
聴講生のやる気がないのも事実ではあるのだが、まあ、それを口にしてしまったら職業人として終わりかなとも思う。ここは職業意識というやつさ。やる気が無くなるのも無理からぬ話で、別に今ボクが話した内容なんて、外部記憶に保存しておけば済むだけの話だ。今の時代、直接講義を受けて自分の脳みそに何かを覚えておく必要性は限りなく低い。遥か古代には、自分自身の脳みそにがむしゃらに何もかも詰め込んで暗記する受験戦争なるものがあったらしいと、知識としては知っているが、その時代の人々の苦労なんて、今の我々には想像することしか出来ないものね。
まばらな聴講生が大講堂から一人もいなくなったあと、教卓周りの機器を片付け始める。授業終了予定時刻から24分が経過している。本当は20分前くらいにやっておかなければいけない作業だな。今やボクの授業が延長するのは周知のことらしく、この講堂は次のコマでは使用しないように学院側が配慮してくれている。…その配慮がありがたいのだけれど、ちょっと情けない。
「…今時、教師が直接語り掛ける授業なんて、非効率なだけじゃないのか?」
欝々とした気持ちに浸っているところに追い打ちをかけるように講堂の後ろの方から言葉が投げかけられた。
「この古臭い感じが気に入っているんだ。…もっとも、聴講生はきっと君と同じ意見だろうけどね。」
「…歴史好きってのは、どいつもこいつも非合理な連中ばかりだな。どうせ教えるんなら、もっと実学的なことを教えればいいのに。」
「歴史だって実学だよ。「温故知新」って言うんだ。――司令部付きが、こんなカビ臭い骨董品紛いの学院に何の用だい、シャオラン。」
「陣中見舞いさ。艦隊民なのに平民に就職した変わり者の同期をからかってやろうと思ってね。」
「そりゃ、どうも。」
「…ま、なんか哀れに感じたからからかうのはやめておこうと思ったところだけどな。」
十分からかってるじゃないか。シャオランとは養成課程で高等教育までずっと同期だった、いわゆる腐れ縁ってやつだ。向こうは今や司令部付きの参謀として、艦隊民の中でも、この「スバル」でエリートに属しているけどね。一方のボクときたら、好き好んで平民の学院に就職して、軍務を離れた変わり者。同期の殆どがボクのことを変態扱いして離れていったけど、こいつだけは未だにちょいちょい声をかけてくる。暇なわけがない仕事をしている筈なんだけどね。ちょっかいをかけてもらえるのもありがたい話で、そこは感謝している。
「ま、俺らは製造番号的には長命種だからな。50年や60年くらいは趣味みたいに、こんな仕事してもいいんじゃない?幸い戦死の心配はないわけだし、50年経って飽きたら軍務に復帰すればいいじゃないか。そのころには俺、出世していると思うから口利いてやるぜ。」
「そりゃ、どーも。でも永久就職希望だからね。」
――そう、ボクは一応長命種として製造されている。つまるところ、本当は「スバル」の艦隊民の中でもエリート戦士になることが期待されていた筈なんだけどね。ただ、幸いこの高度管理社会においても、古代に獲得された「職業選択の自由」は個人の権利として認められている。ボクが今みたいな職業を進路として選ぶことも、その自由の一貫さ。…本当に自由を行使することを、まさか期待はされなかっただどうけどね。
「…で、忙しいはずの参謀閣下が、今日はなんの遊びの誘いだい?」
「こんなカビ臭いところで下手くそな授業に勤しんでいるカイト君は知らないだろうけどね。世間をにぎわせているアイドル、今度プレミアコンサートがあるんだよ。ここにチケットがあるわけさ。」
「アイドルぅ~?シャオラン、そういうの好きだっけ?」
「娯楽は、何事も楽しむ質だよ、俺は。」
見下ろすようにして話しかけてきていたシャオランが階段状になっている講堂を下りてきて、ボクの前に立つ。同期の長命種ではあるが、体格的には明らかにシャオランの方が優れている。190cm近い長身。細身に見えるが、それは長身ゆえのことで、実際に近くで見れば引き締まった体躯はまさに軍人のものだ。我らが「スバル」は、本来はニホン民族が建造した移動要塞なので、その艦隊民も平民もニホン民族の外見的特徴と大差ないはずだが、今や製造の際の遺伝子操作も当たり前に行われている。彼は美しい黄金色のまっすぐな髪をなびかせ、後ろ髪を健康的に短く刈っている一方、前髪は比較的長い。整髪料を使ってはいないはずなのに、最も美しく見える髪型に自然と癖がまとまる。なんともうらやましい。同じような製造番号で生み出されたはずのボクは、なぜに中肉中背の丸顔なんだろうか、人口管理局の悪意すら感じてしまう。
目の前までやってきた、この恵まれすぎている容姿の男は、おもむろに胸ポケットからチケットを1枚取り出す。強化プラスチックのカードに電子記憶チップが組み込んである、よくあるコンサートチケットのようだ。
「いま大流行中の、「スバル」が誇るロリータ・アイドル!ハッチーのチケットだぞ。普通に買おうと思えば抽選のうえ、結構な値段するやつさ。どうよ?」
ロリータ・アイドルと言っても、現代において外見的特徴と実際の製造来年数が一致しないなど当たり前の話。たぶんボクたちと対して年齢は違わないんじゃないかな?すぐに外部記憶に接続してみる。芸能関係のライブラリを参照してみたが、製造来年数は非公表とのこと…。さすがはアイドル。ただ活動経歴から想像すると、やはりボクらと同年代のような気がする。
「…人気なの?」
「すっごい人気。」
「…ふ~ん、なら行ってみようかな。いつ?」
芸能ライブラリのウィンドウを閉じて、スケジュール帳のアプリを起動する。視界に薄青色に半透過したアプリウィンドウが表示される。すべての作業を頭の中だけで出来るというのは便利なものだ。外部記憶と脳みそが接続できなかった時代というのは、さぞかし不便だったんだろうと思う。21世紀以前の人々は、こういう時には一々アナログな手帳を取り出して確認していたのだろうか。
「今日。」
遥か古代に思いを馳せながらアプリ画面を眺めていたら、外部記憶ではなく、目の前の男――シャオランから陽気な声が投げかけられる。今日?いま今日と言ったか?
「この後、ベイにお客さんを迎えに行ってから3人でコンサートへ、って寸法さ。どうせ暇だろ?」
あ、ちょっと腹が立つ。こいつボクが暇だと思って初めから当たりを付けていたな。…それが事実だというのが、さらに腹立たしいが…。
「分かったよ。どうせ今日はこれで授業も終わりだし。機器を片付けるから外で待っててくれ。付き合うよ。」
「サンキュー!」
やれやれ、いつもシャオランのペースに巻き込まれている気がするな。別にそれが嫌いなわけではないから良いのだけどさ。
――てきぱきと片付けを済ませて、講堂を出ようとしたときに、ふと先ほどのシャオランの言葉が気になった。
「…お客さんって誰?」
「こっちはお前も知ってるんじゃないか?「死の商人」の異名をとるコージ。――第17代ツバクロ公爵。今からベイに入港するのさ、彼の艦が。実のところ、接待だよ、接待。」
あー、なるほど。納得。
***
要するにシャオランは司令部の命令で、「死の商人」ツバクロ公爵の接待を拝命したということのようだ。で、ツバクロ公爵様が「スバル」で今をときめいているアイドル・ハッチーのコンサートを接待に所望した、と。知り合いでもない訪問者と二人でロリータ・アイドルのコンサートというのがいかにも気まずくて、栄えある同行者に選ばれたのが、光栄なことにボクだったということのようだ。
ベイの待合ロビーでツバクロ公爵を待ちながら、僕は状況を呑み込んだ。
「悪かったよ、巻き込んで。」
苦笑いしながらシャオランが僕の顔を覗き込む。いや、絶対に悪かったと思ってないだろ、君は。
「いいさ。ツバクロ公爵って人物には興味がないわけでもないし。こんな機会でもなければ会うこともないだろうVIPだもんね。…17代目のツバクロ公爵にして、1000年は生きている超・長命種の唯一の成功体だってんでしょ?もはや伝説みたいな人だよね。銀河の全艦隊、全惑星に対して唯一の「完全中立」が保証されているしね。」
「…ま、彼がいなくなったら銀河から一つ産業が消えるわけだしな。」
「それで「死の商人」っていうのも、アレだけどね。」
中身のない話をだらだらと喋くっていたら、どうやらベイに艦が入港したようだ。公爵の乗艦「デリート・スノウ」は艦表面に高精度電磁バリアーによるコーティングがなされていて、そのために純白の特殊塗料で塗られているという話だ。銀河広しと言えども、これに勝る美しい艦はそうそうあるものではないと言われている。「スバル」の外で見たかったけど、一度ベイに入ってしまったら、全体像は拝めまいさ。
VIP用の気密扉が開く。深紅色に金の刺繍が入った仰々しいカーペットが敷かれた通路を、一人の男が歩いてくる。どうやら、あれが第17代ツバクロ公爵コージらしい。
――ちょっと、想像していた印象と違う。容姿が意味を持たなくなって久しいとはいえ、「印象」っていうのは、肉体のパーツ以外の部分からも影響を受ける筈だが。なんというか、「普通」の男だった。外見は青年期のもので、身長は170cm代前半か…。シャオランは勿論のこと、ボクと比べてもやや低いようだ。公爵という肩書に不似合いな、どこの艦隊でも手に入りそうな定型製造機生産のTシャツに、よれよれになったデニムのボトムス。ベルトからチェーンなんぞぶら下げているのが、むしろ痛い。ボクのようなファッションセンスのない人間が言うのも何だが、崩しているとか、そういうんじゃなく、まったくオシャレではない。まるっきり平民の普段着といった感じだ。
「そして、くわえタバコ…。」
今時、こんな調子の乗り方をしている人物も珍しい。
「遠路、お疲れ様でした。ようこそ「スバル」へ、ツバクロ公爵。ただ…ベイは酸素が不足しがちですので禁煙でお願いしたいのですが…。」
シャオランが遠慮がちに声をかける。一応接待ということもあり、彼のような人間でも気を使った物言いをするらしい。ただし禁煙は守ってもらわないと困る。そのあたりははっきり伝えなくてはね。
言われて初めて気づきましたとでもいった様子で、慌てながらツバクロ公爵はタバコをつまみ、懐から取り出した携帯灰皿で火をもみ消した。…なんだ、あの安っぽい携帯灰皿は。かえってレトロに感じてしまうほど、しょぼい品物だ。
「いやいや、悪いっ。先だってはマルク・ドゥ・ビサージュ艦隊に滞在させてもらっていたもんでね。あっちが艦隊内全面喫煙可能って環境だったもんだから、馴染んじゃってたわ。悪い、悪い!」
うん。決めつけるのは悪いことかもしれないけど。アレだ。この公爵も絶対に本気では悪いとか思っていないタイプに違いない。
「改めて自己紹介すっかね?第17代ツバクロ公爵コージ。あ~、堅いのは苦手なんでコージって呼んでくれ。今回は急に無理言って悪いね。」
思い描いていた人物像と違いすぎて、むしろ少し面白くなってきた。軽い。軽すぎるぞ、この男。これが現行人類唯一と言われる超・長命種?「死の商人」と言われるツバクロ公爵なのだろうか?意外だ…。
「このたび、公爵のお世話を拝命しました「スバル」司令部付き参謀シャオラン・ルーです。それと…、こちらは随行員として公爵のお供をさせて頂きますカイト・ニノミヤといいます。普段は平民高等学院で歴史を教えています。」
「カイト・ニノミヤです。ご高名はかねてより…。お供できて光栄です。」
シャオランと二人で深々とお辞儀をしたら、目の前の公爵はすさまじい速度でボクたちの背後に回り、驚いて頭を持ち上げた二人の肩に手をまわしてスクラムを組むような恰好になった。
「つ~か、言ったじゃ~ん。堅いのは苦手なの。今日は有名なハッチーのコンサートでしょ?三人ではっちゃけて楽しもうぜ!せっかく、こうやって縁があったんだから、さぁ!」
…からみ辛い…。
想像以上にからみ辛いな、この人。脇に目を向ければ馴れ馴れしく肩を抱かれてシャオランもまた、困った顔をしている。同期の俊英として皆から一目を置かれてきたシャオランが、ここまで対応に苦慮する場面って、たぶん製造来初めて見たぞ、ボクは。
「…あー、では公爵。」
「コージで良いよ!」
「…では、うーん。コージ閣下。コンサートまで簡単ではありますが歓待の席を会場近くに設けてもいますので、車までご案内します。」
引きつった作り笑いのシャオラン。あー、これこっそりアプリで撮影して同期に回覧したいなー。やらないけど。…あ、やろうにもボク同期の通信アプリのID知らない人ばっかだ。
「閣下ねぇ~。ま、初対面だしな。遠慮もあるよね。そんな感じで呼んでくれれば良いよ。そういや、シャオラン君と、あと…カイト君!カイト君だったよね?」
なぜ、こっちに被弾する!?
「は、はひっ!」
突然ボクの方にからみ始めた公爵が予想外すぎて、思わず変な返事をしてしまった。
「いやいや~、緊張とかしなくて良いぜ?」
これは緊張ではない。か・ら・み・づ・ら・い・の!…口に出しては言わないけど。こりゃ、思っていたより疲れる一日になりそうだな。あとでシャオランにおごってもらわなきゃ割に合わない気がしてきたぞ。一瞬でも、公爵のことを面白いなと感じた数分前の自分を叱責してやりたい。…面白くないぞ、これ。
「君、さっきシャオラン君から平民の先生やってるって聞いたけど、ど~見ても艦隊民だよね?変わってんじゃん。」
「…よく言われます。」
それにしても、ボクは「ど~見ても艦隊民」に見えるんだろうか?外見はシャオランのような立派な体躯というわけでなし、平民にありがちな中肉中背の普通の容姿だと思うんだけどな…。
「ま、先生って良いじゃん。カッコよい!…ついでに家庭に問題があったり、心に闇を抱えていたりする薄幸の女生徒との禁断の恋愛とかあったりなんかして~。エンディングは電車の中で二人の小指に赤い糸、あ~悲恋!…みたいな?」
ダメだ、この人と会話を成立させる自信がないぞ…。
「…倫理規定違反です。」
「規定とは違反するためにあるのだよ!銀河暦が始まって以来、人間は生物としての野生を失っているぞ!さあ、友よ!一緒に盗んだバイクで走り出そうぜ!」
…人と直接会話をするって、こんなに難易度の高い作業だっただろうか。このまま脳を休止モードにしてしまいたい…。と、いうか巻き込んだ張本人なんだから、助けてくれよシャオラン。
――と、心の中で救いを求めたのが届いたのかは知らないが、シャオランが公爵の肩を叩く。
「公爵、迎えの車が待っていますので。」
「あ~、そうだったね。悪い、悪い!わざわざ歓迎パーティーまでしてくれるって話だったね。サンキュー、サンキュー!じゃ、シャオラン君、カイト君も行こうか!いやぁ、2人と出会えて楽しいぜ、ボクは!俄然コンサートが楽しみになってきた!」
…ボクは俄然辛くなってきました。
うきうきと軽い足取りで車に向かい始めた公爵の後ろに侍るとき、そっと振り向いてシャオランが目くばせをしてきた。言葉なしでも、伝わる人とは伝え合えるよ。あれは「思ったより面倒な件に巻き込んだっぽい、ごめん。」という仕草だ。今度は本気で申し訳なさが込められている類の謝罪。そんなシャオランに苦笑いを返す。「まあ、お互い頑張って乗り切ろうさ。」という意味を込める。たぶん、伝わる。
言葉なしでも、アプリを介さなくても意思を伝えることが出来る相手もいるのに、どんなに言葉を重ねてもまったく分かり合えなさそうな相手もいる…。つくづく人間が生み出した言語っていうものは、不完全なコミュニケーションツールなんだな、と痛感する瞬間である。
***
「スバル」は相当デカい。
全銀河で唯一の移動要塞であり、そのサイズは恒星系中の天体に例えるなら、衛星ないし、準惑星サイズと言って差し支えない。全長529km。もっとも分厚い中心部の全周は115km。総人口が艦隊民が約5400人、平民は約23万人。「スバル」だけでよその艦隊の総人口を優に凌駕してしまう、我が故郷ながら、なかなか立派なものだと思う。
一般的な艦隊は、いくつかの艦の集合体として成立している。一番小さな艦は一般的に「駆逐艦」と呼ばれていて、古代の洋上艦の名前を引き継いでいるわけだが、機能や性能が類似しているわけではない。単にサイズの問題で、慣例的にそう呼ばれているだけ。このサイズの艦だと1.5km程度で、乗り込んでいる艦隊民も10人程度。人数が少ない分、家族めいていて駆逐艦乗りは楽しいと聞いたこともある。そこからサイズが大きくなるに従って、乗員30名くらいでサイズ3km程度の「巡洋艦」、乗員100名くらいでサイズ5km程度の「戦艦」、乗員150名くらいでサイズが7kmを超える「弩級戦艦」と続く。他にも対惑星制圧任務に就く乗員200名でサイズ10km超えの「強襲揚陸艦」とか、サイズ10km超えで一般乗員150名程度に加え多数のパイロットを抱える艦隊護衛の要「空母」なんていう大型の特務艦もあるけど、いくら並べてみたところで、やっぱり移動要塞「スバル」のサイズと比べてしまえばずっと小さいよね。
ふつうの艦隊なら、惑星上陸時にしか使うことがない「車」ってものを日常的に使っているっていうのも、「スバル」ならではと言えるんじゃないかな。ツバクロ公爵の乗艦たる弩級戦艦「デリート・スノウ」といえども、普段は車なんて積み込んではいないだろうし、ドライブってヤツは滅多にできないに違いない。と、いうことで車移動も、ある意味では接待の一貫なんだろうな。
「いいね、楽しいね!フリーウェイ爆走!ワクワクするね。」
…幸い、楽しんでいただけているようで。それにしても、この人は常に楽しそうだな。
「コージ閣下、先ほどマルク・ドゥ・ビサージュ艦隊に滞在していたと仰っていましたが、リモージュ様がご息災でしたか?」
「あ~、リモたんね。女帝さまは相変わらず元気に酒ばっか飲んでたよ!最近はアンブローズ艦隊との小競り合いも落ち着いているみたいでね。おかげでみんな上機嫌!ストレスがないせいか、ボクのビジネスは少し売り上げが微減だけどねっ!」
…シャオランは少し、この人との距離感に慣れてきたのかな。ま、きっとあくまでビジネスライクに「接待」をこなそうと決めたんだろうな。自然と車内での会話は昨今の銀河情勢の話が多くなる。こっちの方がツバクロ公爵がおとなしくていいけど、普段軍務を離れているボクにとっては、ちょっと疎い話題なのであまり会話に参加できない。…それで助かっているような気もするけど…。
「あ、そうそう!カイト君!」
あ、いかん。そんなこと考えていたら話題を振られた…。
「君はうちの商品、やるのかい?」
「…いや、ボクは今まで全然…。」
「っんだよ~!ちょっと顧客になってよ。どこもかしこも健康志向の人ばっかでさ~、最近売り上げがよろしくないんだ!」
そりゃあ、そうだろう。好き好んで肺を真っ黒にしたい人もいまいさ。
「君のイメージにぴったりのパッケージの商品があってね、ほら。これ!」
渡されたタバコのパッケージは全面が黒くて、金字のロゴが印刷されている。なるほど、ちょっとカッコいい…。が…、これ結構ワイルドというか、粋がったデザインじゃないか。ボクのイメージってこんなんだろうか。
「ふだんから「スバル」に卸している銘柄だから、ここでも買えるぜ!この1箱はボクからのプレゼント。まあ、気が向いたら吸ってみてよ。」
「はぁ…、ありがとうございます。」
生憎とタバコを嗜むつもりはないのだけど、まあ、接待。接待。
「死の商人」ツバクロ公爵――。現在、銀河で唯一のタバコ生産業を営んでいる商人でもある。健康に悪いことが分かっていて嗜好品としてのタバコをこのご時世にわざわざ生産するってんだから、確かに「死の商人」なんだけどね。銀河の殆どの艦隊では彼の生業を嫌っていて、愛煙家だらけのマルク・ドゥ・ビサージュ艦隊の関係者以外からは文字通り煙たがられている存在らしい。…ただ、歴史上「死の商人」と言えばたいていは武器商人を指す比喩表現として使われる言葉だと思うんだけどな。それに比べると、なんというか間抜けな通り名にも思えてしまう。もっとも、誰も生産したがらないけれど、一定の需要が未だに消滅しない商品であるがため、ツバクロ公爵は今や古代史の授業でしか見受けられないような艦隊間の「貿易」ってやつを行えていて、それがために全艦隊、全惑星唯一の「完全中立」という立場なわけでもあるのだけれど。
ふと脇を見るとツバクロ公爵が懐から紙タバコの箱を取り出し火を点けようとしている。おいおい、車内だぞ。
「閣下、禁煙車です。ご遠慮ください。」
すかさずシャオランが注意する。
「あ、悪い、悪い。はっはっは。つい癖でね~。」
前言撤回。直接的に人に不快感と健康被害を与えるって意味で、この人は武器商人なんかよりもずっと質が悪い「死の商人」だ。
――それなりにストレスフルな「ワクワクドライブ」とやらを経て、車は「スバル」中心部の商業ブロック入口でフリーウェイを下りた。まだこの人の「接待」が始まったばかりだと思うと、またまた心の中でため息が漏れる。
***
ハッチーのコンサート会場は、スバル中心部に位置する商業ブロックのCエリアにひときわ目立って屹立する「コスモポリタン・ビルディング」から見渡せる麓の位置にあった。115kmある「スバル」の全周部は、分厚い装甲と軍事用の施設に囲まれているため、居住区である中央の人工重力エリアは高さにして10km程度しかないが、とはいえ「コスモポリタン・ビルディング」は重力地表面から天頂部までを貫き、まるで一本の大黒柱のように存在感がある。いま、コンサートの会場となっている「和の国シティ・スタジアム」を眼下に見渡せる「コスモポリタン・ビルディング」350階のイベントホールが貸し切られて、ツバクロ公爵の歓迎セレモニーが催されていた。
「スバル」最高司令官であるハルキ司令、副司令官のタケオ提督、客員提督として「スバル」艦隊に滞在中の黒騎士バサラ提督、参謀総長のアキラ閣下などなど…。ボクみたいな人間からすると雲の上の人たちが一応一堂に会している。…正直、シャオランはともかく、なんでボクがここにいるのか、よくわからない状況だ。シャオランはシャオランで正式な接待役としての仕事があるらしく慌ただしく動き回っているので、ボクとしては話す相手もおらず、手持無沙汰なので窓の外はるか下に位置する「和の国シティ・スタジアム」をぼんやり眺めるばかりだ。遠目なのでよく見えないが、既にコンサートの物販が佳境らしく、平民の大勢のファンが会場を小さな虫のようにひしめき合っている。じっくり、そんな様子を見ていたら、ちょっと気持ち悪くなってきた…。
振り返って、我が「スバル」の最高首脳部と先ほどまで車中で隣に座っていたツバクロ公爵の様子を観察してみる。ベイからここに到着するまでの様子とうって変わって、公爵はおとなしめである。正式な社交の場だから、ということなのかな。会話の内容も少し漏れ聞こえてくる。…一応身分は艦隊民とはいえ、職業的には平民と化しているボクが聞いていい話なのかは疑問だが、誰からも咎められないし、暇なのは間違いないから聞き耳を立ててしまう。
そうやって話を聞いていると、「死の商人」…この後ろに「(笑)」をつけたくてたまらない、ただの健康に有害な嗜好品商人の筈のツバクロ公爵が、なんで、こんなド派手な歓迎を受けるのかが少し分かってきた。彼は全銀河唯一の全艦隊・全惑星完全中立という立場から、マルク・ドゥ・ビサージュ艦隊や、アンブローズ艦隊という普段反目しあっている様々な派閥の間を自由に行き来できる立場にあるんだ。そして、そうした立場上見聞きする些細な変化の情報は、実は「スバル」にとって国際情勢を探る上で非常に重要な分析材料になるようだ。なるほどね、艦隊民の上層部の人たちって、いろんなことを考えて戦っているんだな、と感心させられる。
聞き耳をしていて聞こえてきたところによると、犬猿の仲である筈のマルク・ドゥ・ビサージュ艦隊とアンブローズ艦隊の対立が近頃は小康状態が続いているようだ。我らが「スバル」は立場的にはマルク・ドゥ・ビサージュ艦隊の同盟艦隊ということになるので、アンブローズ艦隊の動きがないというのは、安全保障上は安心の材料となる。そういえば、さっきツバクロ公爵がさりげなく、マルク・ドゥ・ビサージュ艦隊のリモージュ様が上機嫌だったって口にしていたな。
「カイト、カイト!」
ぼーっとしながら、聞き耳を立てることに集中していたら、すぐ横からシャオランが声をかけてきた。少し驚く。我に返る、って表現はこういうときに使うのかもしれない。
「お前、軍務に就きもしていないのに、今聞き耳立ててただろ?」
「あ…ごめん。やっぱまずかったかな?」
「いや、別にいいんじゃないか?普段、はやらない学院の講師なんかやってようと、お前だって艦隊民である以上軍務の召集はかかる身分なんだし。」
「できれば遠慮したいけどね。召集は。」
あ、よく考えてみれば、今回の接待への同行はまるっきり召集だ。
「あ、今回のは個人的な誘いにお前が乗った態だからな。召集義務消化にはカウントされないから、残念。」
「…ちぇっ。」
ボクも艦隊民であるので、普段の職業はともかく「スバル」が本当に危険な場面――他艦隊から宣戦布告された場面では拒否権なく軍務に就く必要がある。ただ、好んで普段から軍務に就いている人間と違い、普段平民に類する職業にある者は「予備役」扱いで、ボクみたいな予備役は召集される回数はある程度決まっている。なので、些細な軍務が回ってくる機会は、一度召集を受けた後はグッと低くなる。…くっそー、今回の件が軍務扱いだったらしばらくは楽が出来た筈なんだけどな。
「製造来年数が相当経過した老兵ならともかく、まだ若いお前みたいな艦隊民が予備役になるなんて、本来ほとんど想定されていない事態だからな。」
「まあ、そうだろうね。」
ボクを形容する言葉は、だいたい「変わっている」だもんな。
「あ、それで。そろそろ社交の時間は終わりだってよ。こっからは司令たちは戻るから、俺とお前で接待の続きをやれってさ。」
「え、司令たち帰っちゃうの?」
「当然だろ。あの人たちが長い時間司令部空けてられるわけがないじゃないか。だからこそ、俺に命令が下りたんだし、お前を誘ったんだからさ。」
「…もう、ほとんど公爵と絡まなくなるかと思ったのに。」
「そうは問屋が卸さないさ。観念して付き合え。そのうち一杯おごってやるから。」
「はい、はい。」
その後、十数分を経て司令たちはツバクロ公爵と親しく挨拶を交わして去っていった。うん、手持無沙汰だな、なんて思ってしまったことは詫びます。暇なままでもよかったよ。ここからコンサートが終わるまでシャオランがいるとはいえ、この公爵(笑)と濃密な時間を過ごすわけか…。
***
ロリータ・アイドルとして今「スバル」で大人気…らしいハッチーは、「スバル」の同盟国たるマルク・ドゥ・ビサージュ艦隊でも知られているらしい。ボクは知らなかったけどね…。
「リモたんがね、すげぇ来たがってたんだぜ?さすがに艦隊ほっぽらかすわけにもいかねぇべ、ってんで向こうの幹部連中が止めてさ。」
「そりゃあ、そうでしょうね。」
思わず苦笑いする。直接お会いしたことはないけれど、リモージュ様とツバクロ公爵は気が合いそうな気がする。リモージュ様を「女帝」として戴くマルク・ドゥ・ビサージュ艦隊は、現在の銀河でアンブローズ艦隊と勢力を二分する大派閥だ。「スバル」は同盟国でもあるため、比較的マルク・ドゥ・ビサージュ艦隊とは交流も多い。ただ、向こうはノリ(と、しか形容できない何か)が破天荒というか、陽気というか…。ある意味で堅い国家システムを維持する「スバル」とはいろいろな部分で文化が違う。純粋な艦隊民だけで構成されているということもあって、平民と雑居している「スバル」と雰囲気が違うのは、ある意味では当たり前なんだけどね。
「そういや、物販じゃELファンしか手に入らなかったね。やっぱ早い時間から並ばないとダメだったんだね、さすが大人気。」
「…ご所望でしたら、用意させましたが…。」
シャオランが少し困った顔をした。曲がりなりにも接待である以上は公爵に残念な気分を味あわせるわけにはいかない。
「いやいや、いいよ。こういうのは手に入れることが目的じゃないじゃん?お祭り感が大事っていうかさ。今日は3人で行列に並んで、もみくちゃにされながらファン3つちゃんと買えたし、これはこれで楽しいよね。」
うん。その感覚は分かる。
…よく考えてみたら、この「死の商人(笑)」は相当なVIPだった。しばらく一緒にいるうちに忘れていたけど、立場的にはうちのハルキ司令やマルク・ドゥ・ビサージュ艦隊のリモージュ陛下と対等な人だったんだよね。でも、偉ぶったところもなければ、(ウザったく感じるくらい)人当たりも良いし、何というか不思議な人だな。そんな大物が、ボクみたいな艦隊民の落第生と一緒になって、平民のアイドルオタクにもみくちゃにされながら、嬉しそうにファンを買って喜んでいるというのも、ものすごく不思議な感じがする。
「さあ、席に陣取るか!あ、でもその前に売店で酒でも買っておこうぜ。あ、あと何か食べ物も!」
…それにしても、すごいはしゃぎ方だ。
「…VIP席ですので、注文すればきちんとした料理が用意できますよ?」
「分かってないなぁ、シャオラン君。それじゃ味がないじゃない。まあ席は良い席にこしたことはないけどさ。やっぱこういう場には、それ相応の雰囲気ってのがあるじゃん。薄い味のビールとか、気の抜けたコーラとかが良いよ。あと、脂ギトギトの揚げ物とかさ、そんなんで腹を満たそうぜ。」
…本当に、VIPなのか?と、いうくらい、何というか庶民的な人だな。歓迎セレモニーの時までは良かったかもしれないけど、3人になった途端、シャオランは一度定めた距離感が、むしろやりにくくなってる気がする。
「気楽に楽しく、ってことですかね、公爵。」
なんとなく軽口がついて出た。
「コージで良いって。ま、でもそういうことさ、カイト君。」
うん。ちょっとだけ距離感がつかめてきたぞ。VIPだと思わずに気楽かつ気さくな感じでボクらみたいな人間をつるみたいってのが、本当に「本音」なんだ。歴史上の英雄には数多くの人たらしがいるけど、この人もそういうタイプなのかもしれないな。
「じゃ、ボク買ってきますよ。」
「お、サンキュー!カイト君。おごり?」
おごり?ボクがおごるつもりはないけど、どうせ支払いは「スバル」の司令部のツケだよね。っていうか、「死の商人(笑)」!曲がりなりにも銀河の独占企業の総帥なんだから、ボクみたいな庶民におごってもらおうとしちゃ、ダメだろ。
VIP席は、すごかった。
ふかふかの座席、ステージ正面から、一番いい場所で観覧できるポジション、手許の端末と接続すれば視覚をズームしたり、ステージ上の別位置のカメラに接続してみたり、思いのまま。普通はこういうコンサートでカメラ接続アプリの起動は禁止されてる筈だと思うんだけど。版権とか、いろいろで。文字通りのVIP待遇だな。
「みんなー!今日はボクのコンサートに集まってくれてありがとー!」
あ…、ボクっ娘ってヤツか。アイドルだから当然だけど、すごいなキャラの作り方が。容姿はなるほどロリータ・アイドルと呼ばれるだけはある。ハッチーは髪をボーイッシュに短く整えた小柄で茶髪の女の子だった。青を基調とした舞台衣装は古代の学園風を意識していて、全体的に細身で華奢で、胸も遠目でもわかる控えめな感じ。会場の最前列の辺りでは絶叫しながら飛び跳ねている観客が大勢いる。熱心なファンだろうか。
「いや~、かわいいね。噂通りだね~。」
コージ閣下は一人でELファンを振り回しながら、とても盛り上がっている。隣で無表情を決め込んでいるシャオランと好対照だ。
「…この手のアイドルのコンサート会場にいるってのは、やっぱりシャオランのキャラに似合わないね。」
「…余計なお世話だ、自覚しているから気まずいんだよ。」
お互いに苦笑いする。午前中まで大講堂でやっていた授業を思い出そうにも思い出せないくらい、常にない慌ただしい一日だった。シャオランの無茶ぶりとはいえ遠い雲の上の存在だと思っていたVIPと、まさにVIP席で、さっきまで知りもしなかった有名アイドルのコンサートを観覧するとはね。
容姿の好みはともかく、ハッチーの歌はなかなか良い。ロリータ・アイドルなんていう肩書から、かなり色物(いろいろな意味で)のアイドルを想像したけど、歌唱力はなるほど相当高い。曲そのものも本格的なロック風で、ボクが好きな重低音が響いてくるタイプのヤツだ。効果的に管楽器の音も織り交ぜているから、メタル風と言っても良いかもしれない。ハッチー自身の音域が広くて、透き通るような高音から重く情感豊かな低温までを歌いこなしている。歌詞は艦隊民ウケしそうな愛国調、艦隊調で、これが平民にウケてるってのも面白い。てっきり平民はもっとポップな曲を好むものだとばかり思っていた。
「ボクはわりと嫌いじゃないな、ハッチーの曲。」
「…貧乳好き?」
「…曲、って言ってるだろう。」
コージ閣下が一人で盛り上がって座席を前のめりになっているので、彼の背中側でシャオランとあれこれ会話をしながら観覧する形になった。1時間くらいは、そんなこんなで3人で(なんだかんだで)楽しみにながら過ごせた。うん、波乱万丈な午後だったけど、こりゃあシャオランにおごってもらうんじゃなくて、おごってやってもいいかな。
「次は今度新しく配信する新曲を歌いま~す!『SAKURA宙に泳ぐ』。聞いてください!」
面白い曲名だな、なんて思っていた。
ちょうどコンサートも中盤を過ぎて、新曲のお披露目っていう段取りらしいな。ふかふかしているソファの肘置きに肘を立てて、頬杖をつきながら新曲の比較的ゆったりとした前奏を聞いていた。
次の瞬間、前奏は急に激しさを加えて疾走感あふれる曲調に変わった。ドラムスの音が激しく加わる。あぁ、なるほど。ボクが好きなタイプだよ。自然と期待感が膨らむ。
激しさを増す曲が、次第に一つの到達点に向けて進んでいく。ハッチーが小さく俯いた後で正面に鋭い眼光を放ち、一口唾を呑み込むように口を引き締めた。さあ、歌い出しだ。
そのとき、ハッチーの曲とはまったく違う音が至近距離でけたたましい叫びを挙げた。不意を突かれて、思わず姿勢を崩して肘をソファから落とし脇腹の辺りをソファの角にぶつけた。ふかふかのソファとはいえ少し痛い。
少し遅れて、その音とはまた違った不安にさせるような機械音が会場全体に響いた。いや…これは「スバル」全体に響いている音だ。艦隊民、平民関係なく全員が日ごろから周知されているけれど、できれば聞きたくないと思っている音だ。――至近距離からの敵襲を警報する司令部からの緊急速報である。
最初に鳴り響いた音はシャオランの個人端末からだった。シャオラン自身の脳内には、たぶんボクが聞いて驚かされたヤツよりはるかに強烈な警報が響いたことだろう。端末に届いた警報はすぐにシャオラン自身の脳内デバイスにも転送されていた筈だ。
「…アンブローズ艦隊の急襲だっ!くっそ、超空間移動通路を潜ったって知らせはなかったぞ、偵察任務のヤツらしくじったな!!」
シャオランが憤りと、それ以上に慌てた表情を浮かべた。――どうやら今回の攻撃は完全に奇襲らしい。防衛体制を整えるのにしばらく時間がかかる。
「え?コージ閣下がここにいるのに、ヤツら仕掛けてきたの!?完全中立じゃないの?」
ボクも動揺していたのか、何か言葉にしなきゃと思ったとき、口をついて出たのは間抜けな科白だった。
「…バカっ!コージ閣下が滞在していることで「スバル」が安全なわけじゃない。向こうが滞在を把握してなかったとシラを切れば、それまでだ。国際法なんてアテになるか!」
「そ。むしろ今ヤバいのは、ボクが「スバル」の中で巻き込まれて死んじゃったりしたら、むしろ戦闘に巻き込んだ非を鳴らされちゃうのは「スバル」だってこと。…いや、もしかしたら初めからそのつもりで、このタイミングで仕掛けてきたのかもよ?」
「…そんな卑怯な。」
「国際法なんてアテにならないのさ。シャオラン君の言うとおり。…でも、まぁボクも死にたくはないな。ハッチーの新曲はちょっとお預けだね。「デリート・スノウ」までは戻れないけれど、近場の「スバル」艦隊の艦に避難させてくれないか。居住区よりは艦の中の方が安全だからね。」
…ただのノリの軽い人だと思っていたけれど、さすがVIPだ。判断が早いし、指示を出すことに慣れている。すぐにシャオランが司令部とアクセスしてコージ閣下の避難ルートを策定する。その間、コンサート会場でも避難誘導が始まった様子で、平民のハッチーファンたちが慌てながら会場から出ていく様子が見える。ハッチーも舞台袖に下がったようだ。
「閣下、ここからC-864エレベーターをお使いください。カイトのIDで解除できるように申請を通しました。それで軍用区画に抜けられます。そこから先のことはカイトを頼ってください、司令部から直接カイトに指示が行きます。」
…え。
ボクが公爵の避難を先導するの?
不審に思っていたところ、僕の視覚に強制的にウィンドウが表示された。司令部からの最優先事項として送られてきた召集令状だ。うわっ…。
「カイト、お前も艦隊民なんだから、そいつへの拒否権はないぞ。俺は今から司令部だ。呼び出しがかかった。以後、直属の司令元はアキラ参謀総長になる。参謀総長の端末経由で駆逐艦「ウラカゼ」までのルートはお前に送信されるから、今のうちにアプリを起動しておけ。C-864から工廠区画まで抜ければ建造中の「ウラカゼ」がドックインしてるから。」
「え、建造中って、大丈夫なのか、それ?」
「進宙してないってだけで完成はしている。やろうと思えば戦闘もできる。とりあえず、急げ!アンブローズ艦隊はもう「スバル」の管制圏内まで来てる…」
シャオランの言葉が終わりきらないうちに、衝撃が走った。ボクはソファに弾き飛ばされる。あー、このまま、この座り心地のいいVIP席でコンサートを堪能するだけで一日が終わってほしかった…。
「接敵。アンブローズ艦隊。弩級戦艦1、空母2、巡洋艦4、駆逐艦12。空母から既に艦載機発艦を確認。距離至近、緊急防宙戦闘開始。」
無味乾燥なオペレーターの声が「スバル」の全艦放送で響き渡った。これは、本格的にまずいな、こちらの防宙部隊が展開する前に、相手に機先を制されてしまった。確かに、急いだほうがよさそうだ。今日一日で、とりあえず死んでほしくはないと思えるくらいにはコージ閣下と仲良くなってしまっている。政事云々抜きで、彼の安全を確保するのが、どうやらボクが今やらなきゃいけない仕事として定まったようだな。
「敵艦識別。弩級戦艦「グレングラッソー」を確認。アンブローズ艦隊ユメノ分艦隊の襲来と判明。繰り返す、敵旗艦は弩級戦艦「グレングラッソー」。」
再びオペレーターの声が全艦に鳴り響く。…やばい。敵アンブローズ艦隊でも猛将として知られるユメノ提督の艦隊だ。強襲揚陸艦が来てないってことは、本気で「スバル」を陥としにかかっているわけではないのは間違いないが、威力偵察にしては、ちょっと強烈だ。うかうかしてられない。相手が有名なユメノ提督だとすれば、分厚い装甲板を貫いて居住区に被害を与える程度までは攻撃を止めないかもしれない、ここに居たら危険だ。
「敵の展開が早い。猶予がありません、コージ閣下。先導します。」
「よろしく頼む。」
ボクは公爵と共にVIP席から駆け抜け、VIP脱出用の専用通路を駆け抜けて「和の国シティ・スタジアム」を出た。その間にも衝撃とオペレーターの緊急放送が矢継ぎ早に繰り返される。迎撃のための艦隊が出ようにもベイ出口に敵の駆逐艦が展開して難しいらしく、要塞の固定砲台で敵弩級戦艦「グレングラッソー」の執拗な砲撃に対抗しつつ、要塞そのものを「盾」とする作戦でいくようだ。相手が要塞を完全攻略する戦力を持たない以上、この作戦は有効だが、その間ずっと砲撃にさらされれば「スバル」の被害も馬鹿にならない。ハルキ司令の忍耐力が試される展開だ。
C-864エレベーターの緊急開錠と起動はボクのIDで出来るようになっていた。商業ブロックCエリアを抜けて、装甲外板により近い位置にある工廠区画へ高速エレベーターを向かわせる。衝撃が激しく、そして感覚が短くなっていく。エレベーターが途中で止まらないかが心配だったが、なんとか大丈夫なようだ。
心臓の鼓動が早い。
戦闘を体感することは、初めてではない。ましてボクは一応これでも艦隊民だ。緊張や恐怖といったものではないような気がする。
不思議と、さっき前奏しか聞けなかったハッチーの『SAKURA宙に泳ぐ』が頭の中でリフレインしていた。静かな曲の始まりが終わって、ここから曲調が激しくなっていくんだろうな。続きの部分を聞きたかった。
頭の中でドラムスが激しく鳴り響く。
「スバル」に走る衝撃がドラムスの音と同調する。
そうか。なんということだろう。ボクは、この午前までとまったく違う大騒ぎに、どこか…いや、間違いなく、ハッキリと、心が高揚してるんだ。
「カイト君。」
ずっと押し黙っていたコージ閣下が声をかけてきた。
「まだ、Aメロも始まっていないよ。落ち着いて。歌い出しが大事だぜ。」
…ボクは今、なにか口に出したか?不思議とコージ閣下に心を読まれたような気がするが。いや、深く考えるのはよそう。今はそれどころじゃない。コージ閣下が言う通り。落ち着いて、自分の軍務をしっかり果たすことだけを考えよう。
だが、ボクの頭の中で、激しい前奏がおさまる気配は、まったく、なかった。
まさか、この時は、このままボクの艦隊民としての初陣が今日になろうとは思ってもみなかった。