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終章

 一年後。


 十数名の新人職員を前にリリーは大声を張り上げていた。

 どうにも触媒カタリストとして配属される職員は生意気で良くないと自分のことは棚に上げて眉をひそめる。


「ちょっと! 聞いてるの? 真面目に研修を受けないと命にかかわるんだからね!」


 ホワイトボードを指示棒で叩きながら、ざわめく教室内を治めようとリリーは必死だ。


「いい? 被疑者が激昂げっこうして攻撃に転じたり、逃げだしたりしても慌てないこと。パートナーとの連携は特に重要よ! ひとりでは絶対に行動せず、捜査は必ず二人一組!」


 それを教室の後ろの扉からのぞきながら、くぬぎは笑いをこらえる。

 それを見上げて隣りにいたルウが椚の横っ腹をひじでつついた。


「ごほっ。すまん」


「リリー、真面目」


「知ってる。だからこそ安心して任せている」


 実際、リリーはいい先輩だった。

 面倒見もよく、視野が広い。

 それに必要があらば周囲を納得させる勢いがあった。

 烏合うごうしゅうである特殊班での取りまとめ役としては必要な気質だ。


「はーい。リリー先輩。イッコ聞いていいですかあ?」


 語尾を伸ばして、やる気はなさそうだが、プライドは高そうな大学でたての新人職員が頬杖をつきながら質問をする。


「なによ」


 リリーは不機嫌を隠さず、腕を組んでいやいや答えた。


「ほらあ、伝説のお、あの事件で活躍したひといたでしょ。俺、あのひとと会うの楽しみにしてたんすけど……」


「あ。あたしも生の話聞きたい! たったふたりで乗りこんで事件を解決したんでしょ。しかもワ・ケ・ア・リ!」


 それまで研修内容に興味も示さず退屈そうだった面々が一気に興味を寄せ、口々に話し始める。

 教室内はまるで統率とうそつの取れない猿山のようだ。


 リリーのなにかがブツリと切れた。


「うるさーい!!」


 叫ぶと同時にそのツインテールに巻きついていたいばらが教室内を縦横無尽じゅうおうむじんけ巡る。


 教室内は破壊の嵐に見舞われた。

 床は割れ、窓ガラスは散り、壁にひびが入る。

 生意気そうだった新人職員たちだったが、それが幻覚だとわかっていても、あるものは椅子から転げ落ち、あるものは机の下に隠れ、あるものはおびえるあまり念仏を唱えだした。


 静かになった教室でリリーが咳払いをする。


「いいですか。このように被疑者は追い詰められるとなにをするかわかりません。くれぐれも油断して、相手の力量を見誤らないこと! わかりましたね!」


 は、はーいと従順な返事がする。


 教室の外で椚が深く頷いた。


「なるほど……。ルウが見学はここからするべきだと言った理由がわかったよ」


「ね」


 大きな飴玉で左頬を膨らませながらルウが得意満面だ。

 最近、ルウの細かな表情の変化が椚にもわかるようになってきていた。


「先輩、ひとつ質問してもいいですか」


 挙手きょしゅをしながら恐る恐る質問を投げかけるのは、眼鏡をかけた真面目そうな青年だ。

 怯えたようすがあわれに思えてリリーはため息混じりに仕方なくそれを了承する。


「どうぞ」


「えっと、先程のお話では必ずふたり一組で捜査は行わなければいけないんですよね。だけど、その……大守おおかみ先輩だけはパートナーがいないって聞いたんですけど……」


「それは……」


 ため息をつきながらリリーは答えた。


十和とわはひとりであってひとりではないからよ」






 一年前に鹿妻かづまの起こしたあの事件は、先般の大規模な『夢幻むげん』の取締に対する反社会組織の報復だと公式発表されていた。


 それにより、特殊班であった鹿妻悠一朗かづまゆういちろう間宵慧まよいけいが犠牲となって帰らぬ人となり、その場にいた反社会組織のメンバーと反社会組織に連れ去られた六反田茜ろくたんだあかねは暴発を起こし、ミセリコルディアを全世界に撒き散らしたのち命を落とした、というのが警察庁や厚生労働省の描いた筋書きだ。


 カメラで一部始終を映していたものの、茜のアイテールであるはえの大群がすぐに画面上に殺到したため、ことの成り行きをそこから知ることができるものがいなかったことも高官の筋書きに沿う結果となっていた。


 だが、それは偽りだとまことしやかに囁かれている。


 世界に広まった十和のアイテールが嘘を許さなかったためだ。


 それに加え、十和自身罰せられることを望んでいるふしもあった。

 だが結局、陰謀論いんぼうろんなど的はずれな説も囁かれるなか、真実は有耶無耶うやむやになり、半年の謹慎処分は下されたものの、それ以上のおとがめはないまま今日に至っている。


 淡い霧は消えず、世界をいまも覆っていた。

 それによりこの世界で嘘は通用しなくなっていた。


 相手の本音も自分自身の本音もが透けて見えてしまうのだ。

 そのことに絶望し外出を控える人間も少なくなかった。

 素っ裸で公衆の面前を歩いているようだと表現するものさえいた。


「でも、リリーはこの世界好きよ」


 自販機の設置された休憩室に椚とリリーとルウはいた。

 むかし鹿妻がいた居室はいまは別の鑑定官数人の部屋となっており、整理整頓され以前のように気安く入りびたることもなくなっていた。


「どんなところが?」


 湯気の立つコーヒーの表面を見つめて、椚が聞く。

 紙コップから伝わる熱さに相変わらず猫舌の彼は飲むのを躊躇ためらっていた。


 その隣でミネラルウォーターを喉を鳴らして飲んでいたリリーが答える。


「だって、厚化粧の香水臭いおばさんが、いかにも善良な市民ですって顔で上品な言葉の裏にあざけりを隠すより、あんたのことが嫌いで足を引っ張ってやりたいって本音ではっきり言ってもらえたほうが戦いやすいじゃない」


 椚はその答えに苦笑する。

 非常にリリーらしい。


「それにね、そのほうがリリーは人間っぽくって好きなの。いろいろ問題はあるんでしょうけど、似非えせ常識人が溢れてておかしくなってたこの国の本音を吐きださせるには、ちょうどよかったんじゃないかしら」


「一理あるかもな」


「実際、そういうクレーマー的な人間は自分の本音が周りにも透けちゃうものだから、正当性をアピールできなくって、だれも非難できなくなっちゃったみたいだし」


 世界は混乱した。

 暴動が起き、トップが総入れ替えとなった国もあったらしい。


 日本はそこまでではなかったが、甘い汁をすすっていた政治家は辞職を余儀なくされ、詐欺さぎまがいのことをしていた会社は廃業した。

 好き合っているように見えた恋人同士も友人関係も一瞬でこわれ、憎しみ合うものもいた。


 だが、悪いことばかりが起こっているわけではない。

 犯罪は未然に防げることが多くなり、言葉が不自由なひとたちとのコミュニケーションが可能になった。

 嘘や悪事が伝わるかわりに、優しさや愛情もダイレクトに伝わるため、駄目になる関係ももちろんあるが、相手の本意がわかり誤解が解け、より一層の信頼関係を築くこともできた。


 そして、世界は自然とそれに適応をし始めていた。

 特に年端のいかない子どもたちは、疑問も持たずに心と心だけで会話をするらしく、新世代ニュージェネレーションと呼ばれ始めていた。


「ひとの脳は常態化するとは説明されていたが、ここまでとは思わなかったよ」


 椚が呟くと、リリーは意味ありげな視線を送ってよこした。


「最近は局長も奥さまと随分仲がよろしいようで」


 動揺した椚は持っていた紙コップを思わず握りしめそうになる。


 うふふとリリーはいやらしく微笑む。


「局長がむっつりだったなんて知らなかったわ。そんなに奥様を愛されていたなんて」


 羞恥しゅうちで首筋まで赤くしながら、椚は耐える。

 この世界で言い訳は通用しないのだ。


 と、助け舟のように呼び出しがかかった。

 リリーとルウの時計型の通信機が光る。

 ルウは慌てて紙コップのホットココアを飲み干す。


「あら、呼び出しね。そういえば今日、十和は」


「ああ。別の現場だよ」






 屋上に十和はいた。


 横には黄金色きんいろはさみを手にする慧と、まだ子犬のシベリアンハスキーがいる。


 世界はきりかすんでいた。

 ときどきそのなかで瑠璃色の蝶を目撃するものがいるらしい。


 ピリピリと光って腕時計型の通信機から突入命令がくだされる。


「さて、一稼ぎしてこようか」


 十和がジャンプすると、その後を彼のアイテールがつづいた。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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