下 あなたを、待ち続けます
姫流と約束をし、芳枝と復縁をした。
だが朝起きて姫流がいないことに寂しさを覚え、昼ご飯も昔のようにコンビニ弁当に戻った。
仕事仲間に聞かれると「就職活動で一月ばかり忙しいんですよ」と笑う。
芳枝から来るメールを返信しつつ、姫流といるような高揚感がないことに、ある種の絶望すら抱く。
今姫流はなにをしているのだろうか。また、あそこで1人佇んでいるのか。そう思うだけでどうにかなりそうだった。
今すぐにでも迎えに行きたかったが、それは許されない行為だった。
「手前河野っ誰がその厚さの鉄板持ってこいっつった!ボケッとしてるんじゃねぇ。ぶち殺されてぇかっ」
親方に殴られる。確かに、と自分でも思うくらいに俊の力はなくなっていた。
俊自身、姫流が1人いないだけで自分はどうなってしまったのだろうかと思っていた。
「河野とっととこっち来て手伝え」
工藤が大声で呼んでくれて、そっちへ走っていく。
「馬鹿野郎、納期近いのにぼやぼやしてると、マジで殺されるぞ」
元気付けてくれているのがわかった。
姫流がいないからといって、落ち込むなと自分に言い聞かせる。
自分1人の責任で仕事の納期が遅れたりすれば、皆に迷惑がかかる。そう思って奮い立たせる。
姫流が帰った時に無職になっていましたじゃあどうしようもない。そう思えば頑張れる自分がいることに、俊は気づいた。
全ては姫流と再び会うため。そう思うことにした。
そう思い定めないと、狂ってしまう。最初の一週間でそれに気付けた。それを気付けて幸いだと俊は思った。
「ねぇ、俊聞いてる?」
「あぁ、今週末の予定だろ?」
一応話は聞いていた。だが積極的に誘う気はなかった。
むしろ、姫流と会う時間を減らさないで欲しいと思っていた。だが、それを相手に要求することは、約束に違反することだった。
どこか釈然としないのだろう。芳枝は積極的に誘ってくる。
2月前なら、それに心を躍らせたかもしれなかった。
しかし、姫流を知った以上他のどんな女も姫流に勝てる気はしなかった。
「じゃあさ、俊はどこか行きたいところある?」
こう訊かれた時、ないと答えるのは禁じられていた。
「そうだな、静かなところに行きたいなぁ」
「湿原でも散策してみる?」
すぐそこに国立公園の湿原もあった。だがそこまで行かなくともよかった。
むしろ、そんなところに行きたくて言った訳じゃなかった。行きたい場所は、もう決まっていたのだから。
「いいや、末広のほうでパスタの美味い店あったろ?そこ行って、その後は適当にその辺りふらつこうぜ。暇になったら、買い物にでも行けばいい」
「うーん、まぁいいけど……」
芳枝にはぱっとしない案だと思われたようだった。だが、それにあわせてくれることには感謝をしないといけなかった。
そして、同時に俊の胸に罪悪感が残る。最低な行為をしている自覚はあった。
最初は二股だと思ったが、それにさえなっていなかった。俊は芳枝と付き合いながらも、全く芳枝のことを想っていないのだ。
「たまにはいいだろ。クレープ屋も美味いのがあるらしいぞ」
姫流が甘いものが好きだとわかったから探した店だった。
先に偵察として行くのも悪くない。そう思ってしまう。
芳枝と過ごす時間、行為一つ一つすら、姫流との繋がりの為の物でしかなかった。
「工藤さんからでも聞いたの?珍しいね俊がそんな店知ってるなんて」
まぁな、と答える。まさか、他の女のために調べたとは言えなかった。
「それじゃあ、日曜日の11時くらいでいっか?」
一応朝起きていけば、2時間から3時間程度は姫流と会える。
「そうだな、それくらいがいいかな」
以前なら、こんな二股のような行為、絶対にやらなかっただろう。
だが目的は手段を正当化するとは良く言ったものだ。今の俊は姫流という目的のためにならなんでも出来そうだった。
それこそ女の1人を1月だますくらいはできた。
付き合いなおして2週間あまりが経っていた。
芳枝は姫流と違って、派手な女だった。
着ている物や化粧に物凄い金をかけて、エステも通っていた。そこまで自分に投資していた。
だから、そんな自分と付き合う男も自分や、その男自身に投資しないと気がすまない。そんな女だった。
「パスタまぁまぁだったね。でも量多かった」
ミートスパゲティの味はまぁ美味しいと言ってよかった。店を出て川岸を見ると、姫流がずっと対岸を眺めている。
気付いているかいないかわからないが、こちらを見てくれる気配はなかった。
「どうしたの?そんなに川のほうばっかり見て?」
「なんでもない」
そう言って、ぶらりぶらりと寂れた町を散策して歩く。
「あ、あそこ?クレープ屋さん」
暫く歩いて、そして少しお腹に余裕が出たところで行った。
「何にしようかな、結構種類あるね」
俊はソーセージの入ったクレープ、芳枝は苺のクレープだった。
「兄ちゃん、いい女だね」
ありがとう、と言って曖昧に笑う。
もっと良い女がいると知っていたから。勘定を払って、食べながら再び歩く。
味は悪くないのだが、以前食べたたこ焼きのほうが美味しく感じられた。どこまで姫流にやられてるのだろうかと思いながら歩く。
すると足は、当然のように川岸に向いてしまっていた。
「さっきからこの辺り来るね。確かにこの橋有名らしいけど、そんなに珍しい?」
橋を見ていると思ったのだろう。それを否定しないことにした。
他に理由らしい理由が思い浮かばなかったから。
夕日が綺麗だった。流石と思わされるが、やはり姫流と共に見たい。そう思った。
「綺麗だね。夕焼け」
確かに綺麗だった。ふっと気になって姫流を見る。夕焼けに照らされる姫流はまるで、天女のようだった。
だが、それ以上見るのをやめた。見ていれば、堪えきれなくなりそうだった。そして、姫流が気付いて怒るかもしれないとも思ったからだ。
「仕事忙しいの?疲れてるみたいだけど」
元気がないのをそう取ったようだった。
納期は3日前に終わり、やっと楽になったところだった。
「あぁ、まぁな。社長が仕事を次々取ってくるからなぁ」
仕事は多かった。だが、この1月ほどじゃなかった。
一時期は社長は実は社員を殺しにかかっているんじゃないかと思うほどに仕事が多かった。
人を雇わないわけではなかったが、若い人間は辛い仕事に音を上げ、1週間程度。酷いのになると2、3日。最高記録は半日で逃げ出したというのがあった。
「大変でしょ、鉄工所は・・・」
「仕事がなくて大変よりよっぽどいいよ。特に今の時代、この町でそんなに仕事があることは喜ばないと・・・」
仕事に熱中すれば、その分時間の流れが速く感じる。
だからまた忙しくなって欲しいと、心のどこかで思っていた。
1秒でも、短く感じたかった。
それほどまでに、姫流がいないということが寂しかった。
「変わったね、前は忙しくて大変だってよく言ってたのに」
そうだったかもしれない。少なくとも今言ったことは本音だった。
姫流が戻った時に、もっと色んな所へ連れて行ってやりたかった。色んなものを見せてやりたかった。だから、稼ぐんだ。そう決めていた。
だから、本当は芳枝とあまり出かけたくなかった。芳枝は金を使う女だったから。それを必要経費と割り切ろうとしているが、釈然としないものもあった。
あと3日で、約束の1月。そう思った週末、俊は芳枝の部屋に呼ばれていた。
付き合いなおしてからも、芳枝は部屋に入れてはくれなかった。だから、俊からも強く主張したことは無かった。
「あ、来た来た」
俊を迎え入れてくれる芳江。玄関で芳枝のものじゃない靴があった。なにか、嫌な予感がした。
笑顔で背中を押される。
「入って入って」
言われるがままに、入っていく。カチリ、と背後で鍵を何故か締める音がした。気になりつつも、部屋に入った。
そしてそこにいたのは、若い金髪の男だった。
「っはははは」
笑っている。不快で、下品な笑いだと俊は思った。
誰だろうかと考え、やめた。
考えることに意味がなさそうだったから。
「マジできやがったこいつ」
笑いが止まらない、という感じだった。
何となく、予想はしたが背後にいる芳枝を見やる。すると、芳枝も笑いを堪え切れなかったようだ。
「賭けは私の勝ち。ほらね、こいつ来たでしょ?突然別れられたくせに、またのこのこと」
芳枝のその一言で、疑念は確信へと変化した。
そして、わかったからには、最早なんの手加減もいらない。俊はそう思った。
体が怒りと憎しみで動き始める。座っている男の顔面に膝蹴りを何も言わず叩き込む。
鼻が折れたのか、鼻を押さえ悶える男の側頭部をさらに膝で蹴る。
倒れる男。許すわけがなかった。芳枝が何か叫んでいるようだが、関係なかった。
こんな茶番のために、自分は1月もの間姫流と引き離されたのだ。殺しても飽き足らない。そう本気で思っていた。
倒れた男の拳を思いっきり踏んでやる。踵から全身全霊を込めて、踏み潰して砕く。
濁った悲鳴。さらにその砕けた拳をもう一度、踏みつけてやる。
「芳枝、お前知らないんだったよな。俺が中学の時、柔道で全道大会の上位者だったこと。高校時代に空手やってて、弐段もってること」
この女は俊に対する興味がなかった。
だから俊も昔の部活の話などしていなかった。
付き合って僅か一月にしかならない姫流には既に話していたというのに。
「身の程を知れ、雌豚!」
ひっと芳枝が息を呑むのがわかった。
自分がこれからなにされるか、わかったのだろう。逃げようとするが、自分で鍵をかったのが仇となった。
強引に腕を引き、部屋の中に引き込む。
「や、やめてよっ。こないでよっ」
叫ぶ。無視をして頬をまず1発叩く。全身全霊の力を込めて。
「俺はお前となんて居たくなかった。他の女に頼まれて、いてやっただけだよ」
さらにもう1発頬を張る。口を切って血を流していた。いい気味だと俊は思った。
「それに工藤さんへの義理立てっていうのもあったからな」
さらに1発。これを最後にするため張るのではなく拳を硬め突き出す。
ごりっと顎が歪む心地いい感触が腕に返ってくる。
「あと3日我慢すれば、こんな目にあわなかったのにな」
全力で殴るのだけはやめた。
とりあえず、これで姫流との約束を破ったわけではない。自分はあの川岸へ彼女を迎えに戻れるのだと、怒りに変わって喜びが全身を支配する。笑いがこみ上げてきて止まらない。
何時までも笑ってはいられなかった。あれだけの音を出した後だ、辺りの住人が通報するかもしれない。
一応言い訳はあっても傷害罪など負わされれば面倒だ。そう思って俊は部屋を飛び出し、姫流の待つ川岸へと急ぐのだった。
姫流の携帯電話が鳴った。電話の相手は1人しかいなかった。その人以外から電話が来るはずがなかったから。
「もしもし、どうしたの俊?」
俊からの突然の電話だった。電話も1日30分までと決めていた。
もう、今日の分の30分は終わっていた。なのに電話が鳴ったのだ。約束を今になって破るとは考えにくい。
「俺が馬鹿だっただけだ。道化だよ」
ただならぬ何かが伝わってきた。説明を求めると、丁寧に説明してくれた。
懇切丁寧すぎた。怒りで腕が震える。悲しみで足が震えた。
「ごめんね、俊。私が、私のせいで・・・」
「姫流が謝ることなんて、何もない。悪いのはあいつらだ。人様の気持ちを踏みつけにしようとした」
「尤も、自分もあまり人のことを言えないかもな」と自嘲気味に俊が笑った。それに姫流は耐えられなかった。
そうまでして俊は自分のために俊自身を偽ったり、誤魔化したりしてきたのだろう。そう思うと涙がこぼれてきた。
「泣くなよ。電話越しじゃあ、何もしてやれない」
近くの駐車場に来た、すぐに行くと言って電話が切れた。
対岸を眺めていたが、それをやめて辺りを見る。
姫流も早く会いたいと思った。早く会っておそらく傷ついているだろう俊を抱きしめ、抱きしめられたかった。
自分から俊を離そうとしたのに、なんと勝手な感情だろうかと思った。だというのに、想いは膨らみ続けるだけだった。
それから、どれくらいが過ぎただろうか。俊が来ない。
いつもだと電話が切れて5分もすれば、現れる。なのに今日はもう10分以上が過ぎていた。嫌な予感が姫流を支配した。
「俊っ」
叫ぶ。だがなにも答えるものは無い。ただ自分を驚かせようとしている。そう、信じたかった。
声は虚しく響き、消えていく。
「俊、まだなの……」
こちらからとも思ったが行き違いになったらと思い、動くタイミングを失ってしまった。
「姫流……」
引きずるような音と一緒に、俊がやってきた。
やっと来た。やっと来てくれた。
そう思って、俊の元へ駆け出した瞬間姫流は息を呑むのだった。
大量の血を流した俊だった。頭も切っていて顔は半分血塗れ。
なにより衝撃だったのは腹部に深々と刺さった大振りのナイフだった。
「どじった。仲間がいたんだ……」
拳も血まみれだった。
明らかに、俊の血だった。何人か殴ったせいで拳が壊れたのだろう。
残った半分の顔面も腫れ上がっていた。足も、不自然に引きずっていた。そこにも小ぶりのナイフが刺さっていた。
「ごめんな……」
ボロボロだった。もう、長くない事が素人目にも明らかだった。
「腹、刺されちまった。終わりだな……」
姫流はボロボロな俊を支える。俊は苦しそうに、それでも姫流がずっと座ってた場所まで断固として移動した。
「終わりなんて、言わないでよ」
涙が止まらない。だがとてもじゃないが、助かりそうに見えなかった。
例え今から病院へ運んでも無駄だと、傷を見ただけでわかる。
「ごめん。救急車呼んだら、生きて会えないからさ……」
そう言った後、思い切り抱きしめてくれた。残った力を振り絞るようにして。
「目の前に、腐りかけの豚の死体がある。さて、腐る前に、食べてくれるよな」
何を言ってるのか、姫流には一瞬理解できなかった。
理解できた時、なんと酷い人だろう、心の底からそう思った。
「あなたは、俊は私に精気を与えるために来たのっ」
俊の苦痛を堪えた笑顔が、憎らしかった。
「最後の挨拶と、食料提供。寿命で死ぬわけじゃないから、精気取れるだろ?」
苦しいのを我慢して、来てくれた理由があんまりだった。
死ぬために来たというのだ、俊は。姫流に自分の命を食べさせるために来たというのだ。
涙が頬を伝う。今夜はいったいどれだけ泣かされるのか。
「悲しんでくれるんだ。俺を喰うことを」
血塗れの顔で笑う俊。
「当たり前じゃない」
「やっぱり俺は正解だった。やっぱり俺を一番愛してくれるのは姫流だった」
満足気に笑う俊。そんな俊にたいして泣くことしかできない自分を姫流は呪った。
「前に話したじゃないか。俺は豚を殺せない。でもそうしないと生きていけないなら、食べる。今俺はほうっておいても、もう死ぬんだ」
腹から多量の血が流れていた。ボロボロになって、それでも会いたくて来たのだ。
最後の一瞬を共にしたくて、そしてこぼれる自分の命を無駄にしたくなくて、俊は来たのだろう。
「どうせ俺は天涯孤独。他に会いたい人もいない。だから、姫流、俺の精気を喰らって殺してくれ。そして、遺体をこの川に還してくれ」
俊の声が苦しげにかすれていく。
「そんなの、そんなの」
「俺が死んだら精気は吸えない。目の前の食料がただ腐る。それはもったいないことだろ。前に、言っただろう」
姫流の涙は止まらない。そんな姫流の涙を、ぼろぼろの手で俊は拭う。
「落日のこの町も、俺が帰ってくるまではもつだろう。この川とこの橋と、この町がある限り、俺は帰ってくる」
輪廻転生。それを信じてくれと俊は言った。
妖怪である姫流がいるのだ。神様だっていてくれると。
「あなたがそれを望むなら」
涙を流す。とうとう横たわった俊に涙が降り注ぐ。
「私は貴方を喰らいます。あなたの体も私が預かります」
必死に、もう聞こえなくなり始めているだろう俊に語りかける。
「だから、だから帰ってきてください。私を1人にしないで。待ちます。いつまででも、貴方からもらった精気が無くなり果てるその瞬間まで、河姫である河本姫流は貴方を待ち続けます」
にこり、と俊が笑った。よく決断してくれたというように。苦しそうにだが、確かに笑ったのだ。
「最後に姫流、復讐なんてしなくていいからな。あいつらは、あんなヤクザ者共は、人の法で裁かれるはずだ。だから……」
精気を吸われながらも、そんなことを口にする。
無理だと思った。自分はそんなものでは納得できそうにないと、姫流は頭を振る。
「そんなこと、しなくていい。そんなことで、姫流の手を汚さないでくれ。怒りも憎しみも、俺の死体と共に川に還してくれ」
懇願する俊。信じられない願いだった。そして姫流は決断する。
「わかった。俊がそれを望むなら私は復讐なんてしない」
俊は笑った。聞きたかった言葉が聞けた、というように。
「次の、俺は突き放すなよ。次は共に在り続けよう」
「はい。共に在り続けましょう」
頬に添えられた手が、唐突に力を失った。
「俊、俊っ」
泣く。それしか今はできなかった。
「どうして、どうしてっ私の愛する人は、いつもいつも私を一人ぽっちにするの・・・どうして、どうして私を置いて逝ってしまうの・・・」
立っている事もできなくなっていた。
泣き崩れ、ひれ伏すしかなかった。
「あなたも、あなたもやっぱり私を置いて、私を川に縛り付ける・・・」
川に死体を還す。それが河姫たる自分と共に在り続けることだと思ったのだろう。
結局俊も、最後には自分をここに縛るのだと姫流は泣く。
涙は止まらない。でも俊のためにやらねばならないことがあった。
姫流はもう脈の無い俊の腹と腿からナイフを抜く。ぬるりと血が流れ出る。俊のために、俊の仇をうつために、血をそこに絞るように流させ続ける。
まるで人間がここで死んだと言わんばかしに流させる。
「遺体は私が持っていく。でも、それで俊の死がなかったことにされるなんて、そんなことは許さないっ」
泣きながら、その作業を続ける姫流。
愛しい人の血を絞り続ける。
涙とともに零れ落ちる俊の血液。
やがて多量の血だまりができるころには、姫流の涙で小さな水溜りも出来ていた。
泣きながら、姫流は血溜りの中から愛しい俊をを掬い上げる。
「待ってるよ、俊。ずっと待ってるからね。だから、私のこと忘れないでね・・・」
言いながら、川に還す。
とぽん
そんな音がして俊が川に落ちるように飲み込まれる。もう、絶対に誰にも渡さないと誓っていた。
そして、やっと泣くのを止めて、最後に俊の携帯電話を取り出す。
誰に電話するかは決めていた。
「もしもし、どうしたんだこんな時間に?」
「工藤さんですね」
姫流は、決めていた。身寄りのない俊が、自分以外に信用した男にこのことを話すと。
「誰だ、お前。芳枝じゃないよな?」
「覚えていただけているでしょうか。私は河本姫流です。俊の従妹の」
工藤は覚えていてくれた。だがどうしたのかと訊いてくる。
「今、俊が死にました。殺されたんです」
「は?あんた、何言って……」
あまりに唐突だったのだろう。工藤は冗談でも言っていると思ったのだろう。だが全ては、悔しいことに真実なのだった。
「殺されたんです。前田芳枝とその仲間によって。そこでお願いがあります。誰かが来る前に俊を殺した2本のナイフを取りに来てください。場所は……」
最初は冗談だと思っていた工藤が、姫流が真摯に何度も説明するとわかったと言って、信用してくれた。
「これくらいは、許されるよね。俊……」
20分もしないうちに、1人の男が現れた。
工藤だった。本当に1人で来てくれた。指定された場所に工藤は来てくれた。そして血溜まりとナイフを発見した。
「マジかよ……」
天を仰ぐ工藤。嘘であることを願っていたのだろう。それからの工藤の行動は素早かった。警察に電話をしていた。納得しない警察に何度も説明をしていた。
「姫流ちゃん、あんたは何処にいるんだ」
電話が終わって、工藤が呟く。
姫流は工藤になら全てを話しても良いと思った。
「ここです」
無駄な力を使わないと誓ったが、これくらいは許されるだろうと工藤の前に姿を現す。
「っと、本当に突然現れたな」
驚く工藤。自分が人間じゃない事も説明していた。
だが、そこまでは信じてなどいなかったのだろう。それでも突然現れた姫流に驚いていた。
「さっき言ったとおり、私は人間じゃあありませn。だから、警察にどうすることもできません。戸籍がないことが知られてしまえばそれだけでことです。俊の遺体もあがらない。あがらせない。でも、致死量の出血だけがある。それで、殺人を立証してください。それだけで十分です。人は人の法で裁かれるべきだと俊が言いました。私はその手伝いをした。それだけです」
そう言って、姫流は消える。伝えたいことは伝えたと思っていた。
「おい、待ってくれよ。あんた何処に行く気だ?」
消え行く姫流にそう工藤は声をかけた。
「何処へも行きません。私は落日のこの町と橋と川と共に、この場に在り続けます」
声だけを最後に届ける。工藤が必死に語りかけてくるが、もう伝えるべきは伝えた。
姫流は泣いた。やっと静かに一人泣ける時間がもらえたのだ。
「人の法で裁かれなさい」
最後にその一言だけを呟く。誰にも届くことはない。ただ願った。
それから姫流は1秒でも長く俊を待つために、無駄な力は使わないようにした。
誓ったことだ。人の法に全てを任せ、姫流は何時ものように川岸に座る。
来るか来ないか、いつまで待てば終わるのかわからない待ちぼうけを始めるのだった。
どれだけの日が過ぎただろうか、1組の男女が来た。工藤と美作だった。
「まだ、ここに本当にいるのかわからないけど、姫流ちゃん。あいつらは無期懲役をくらったよ。死刑にはできなかった。それでもなんとかここまでは漕ぎ着けた。あんたがすぐに連絡をくれたおかげで、奴らは証拠を隠滅する時間もなかったみたいだ」
「ごめんね、姫流ちゃん。そんなことくらいしか出来なくて」
2人が結婚したのは、指輪を見てわかった。
少し妬ましいが、おめでとうと心から思った。
2人が花束を1つ置いてくれる。俊への手向けに置いてくれる人がいるということが、嬉しかった。
「ありがとう」
届かないだろうが、俊のために苦労してくれただろうこの工藤という男には礼を言わないといけない。そう思った。
「……俊に伝えてくれ。ろくでもない女を紹介した俺を怨んでくれと」
それ以上は何も言わず、ただタバコを一本吸って美作と工藤は帰っていった。
以後毎年同じ日に、工藤と美作は花を手向けにきてくれた。俊が死んだ、秋の日に……。
そうして姫流は今日も俊を待ち続ける。その瞳にあるのは愁い、悲しみだけではなくなっていた。僅か、ほんの僅かではあったが、未来への希望、望みの光があった。
河姫は待ち続ける。終わりは落日の町が消える日か、己が消える日か、それとも待ち人が来る日かはわからない。
変わることなく待ち続ける。唯1人川岸に座り対岸を眺めながら。また後ろから声をかけてくれる者が、待ち人であると信じて。何年も、何年も……。
「なぁ、あんたこんなところで、人でも待ってるのか?」
三夜連続?小説 落日の町の河姫でした。3話全て読んでくださった方はありがとうございました。
初めてなろうで作品を書ききったためにどんな後書きを書けばいいのかわかりません(汗
落日の町の河姫は河姫という題名でもう、5年以上前に書いた作品でした。今見直すと強引な展開が多いですね。特に後半。
そういったところや他に気になったところなど、色々と感想いただけたらありがたいです。
また、河姫はゲーム方式に別ENDが3つありましたが、ノベルゲームじゃないので削りました。
どんなものだか読んでみたいという奇特な方がいらっしゃれば、いつかその部分についても投稿するかもしれません。
引き続きエギルサーガを書きつつ他作品も書いていきたいと思っていますのでまたよろしくお願いします。
それでは、またお目にかかれれば幸いです。




