しつけてないペットの留守番ほどそわそわするものは無い。
その頃…
ソラは真面目にテレビを見ていた。
真面目に、というのも都和がソラに言っておいたのだ。
多少はものを知らなきゃ不便だろうからテレビでも見て勉強してろ、と。
そんな、昼下がり。
言いつけ通り煮物を食べてしばらく正座でテレビと向かい合っていたソラの耳に音が聞こえた。
ドンッ
(都和…?)
振り向くと誰もいない玄関が映る。
音は外でしたのだろう。
ソラは立ち上がった。
家から出てはいけないと言われたがドアを開けてはいけないとは言われてない。
ソラはドアを開けた。
(試合に負けられない理由が負けたら部員全員に奢るって約束だったとは…。)
もう日が沈もうとしている。
(秋津の野郎…、今度会ったらなんか奢らせてやる…!)
心の中で文句を言いながら、帰る足は自然と急き立てられるように早足になる。
(なんか嫌な予感すんだよなぁ…)
と、ドアの前に立った時、中から声が聞こえた。
バタバタと激しく動く音もきこえる。
「うわわ、待て待て待て!
君、その手に持っているものを捨てておとなしくしたまえよ!」
ドア越しのためくぐもっていてよくわからないが明らかに、男のものだ。
「ソラッ!」
勢いよく部屋に飛び込み、都和は固まった。
煮物の筍を器用に箸で持ち、にじりよるソラ。
壁に追い詰められ腰が引けた様子でひょろりとした黒髪の男が話しかけている。
都和はため息をついて男に話しかけた。
「…何やってんですか、大和さん。」
「都和くん、見ているだけではなく、彼女の奇行を止めるべきだよ!」
一瞬の隙も見せない、と言わんばかりにソラを凝視する大和は諦め、ソラに話しかけた。
「ソラ、やめてやれ。」
「でも、都和。この人は…」
「いい、だいたい状況は分かってるからとりあえず筍を食え、な?」
「うん。」
もぐもぐと持っていた筍を咀嚼するソラに大和と呼ばれた男はホッとしたように息をつき、ずるずると座り込んだ。
よほど気を張っていたらしい。
「助かったよ、都和くん。
何しろ彼女が吾輩の話を聞いてくれなくてだね…。」
「いや、ソラは悪くないでしょ。
普通誰でもそうしますよ。
大方こんなところでしょ…。」
都和の試合をしてる頃…。
「…都和?」
ソラがドアを開けた。
ゴンッ
「…うっ。」
ソラが開けたドアは開かずに何かに引っかかった。
しかし目の前に映るものは何もない。
ソラは視線を下にずらした。
「…人?」
そこに倒れて居たのは痩せた長身の男だった。
「なんだ、都和じゃない。」
帰りを待っていた人とは違うことを認識してソラはドアを閉めようとした。
と、今度は閉まらない。
「?」
よく見るとドアが閉まらないように男が手で押さえていた。
見るからに非力そうな細い腕がプルプル震えている。
「待て、君…吾輩のこの姿を見て何も思わないのか?」
「思わない。」
本当に何も思わなかったソラは正直に即答して閉めようとした。
が、閉まらない。
「いや、待て。
よく考えてみろ。」
男が顔を上げた。
ボサボサの髪に目が埋れている為、ソラが見えているかは謎だが。
「ここは空腹で自宅を目前にして力尽きた吾輩を助け起こすべきであろう?
」
ソラの頭の中でひとつ、常識ができた。
ん、と頷く。
男があからさまにホッとした。
「そうなのか、分かった。」
「分かればよろし…うわわ、君!?」
ソラに俵のように担ぎ上げられ、男はジタバタと手足を動かした。
まさか助けられると言っても自分より頭二つ分小さな少女に持ち上げられるとは思ってもみなかったことだった。
「大人しくして。」
ソラはそのまま部屋に入るとドアを閉め、部屋の真ん中に男を落とした。
「痛い!こういう時はもっと優しく、だな…。聞いてるのか?」
ちっとも反応のないを振り返ると、冷蔵庫をガサゴソと漁っていたソラが皿と箸を手に歩み寄ってきたところだった。
「その手に持っているものは…!」
「タケノコ。
空腹なんでしょ?」
「いや、吾輩はタケノコは…」
「食べさせる。」
「ちょ、やめ、うわぁああぁぁあ!?」
「ってとこだろ?」
「うん。」
「まあ、ソラが悪いわけではないな。」
2人の、いや実質は都和の非難の目が大和に向く。
大和は見るからに細い腕を組んだ。
「なっ!好き嫌いだけで吾輩を悪者扱いするのか!?
ただ人参、玉ねぎ、ピーマン、セロリ、ブロッコリー、トマト、しいたけ」
「嫌いなもの挙げていくのやめてください。日が暮れますよ。」
冷静に突っ込まれ、大和は大人気なくフンとそっぽを向いた。
「まあ、とにかく、嫌いなものは嫌いなのだ!」
(威張って言うことか?ソレ。)
子供っぽい態度に呆れながら都和はソラに言った。
「ソラ、この人は大和さん。
俺らのお隣さんだ。」
大和が感慨深げに呟く。
「ふむ、俺らということはやはり吾輩の予想通り君は都和くんの伴侶だな?」
「はんりょ?」
「さらっと問題発言しないでください大和さん。」
「ソラ君と言ったか?」
(スルーかよ!?)
マイペースを体現している大和は立ち上がりソラに話しかけた。
「吾輩は都和くんの言うとおり隣に住んでいる敷島大和。天才画家なのだ。」
「がか?」
「絵描く人のことだよ。」
こっそりとソラに教える。
大和は覚束ない足取りでフラフラと玄関に向かったかと不意に振り向いた。
「ソラ君、吾輩の絵を見てみるか?」
ソラは判断出来ずに都和を見た。
「行ってこいよ。
俺も後から行く。」
尋ねたのにさっさと出て行こうとしている大和の後にソラは着いて行った。
かなり踏ん張ってドアを開け、通路の一番突き当たりまで行く。
「こっちが吾輩の部屋だ。」
ガチャリ
「おじゃまします。」
昼間テレビで覚えたばかりの挨拶を言う。
玄関は殺風景とも言えるほど物が無い。
同じ作りの、数歩分しかない廊下を渡り、ソラは大和の背中から顔を出した。
「…。」
「これが吾輩の作品だ。」
大和が自慢気にいう。
星のようなキラキラしたもの。
藍色の渦巻き。
とろけるような白に混じる、魚の群れ。
キャンパスに映し出された別次元の世界の切れ端。
ソラには分からなかったがそれは所謂抽象画だった。
「どうだ、すごいだろう?」
「…すごい。」
ソラは正直に言った。
「すごく、すごい。」
「なっ…!?」
大和は賛辞を期待していなかったのか驚いて目を見開いた。(実際前髪に覆われていて見えなかったが。)
ふるふる震え、ソラの手を掴む。
「ソ、ソラ君っ!君は見る目があるな!」
「?」
「今度は何してるんです。」
何故手を掴まれたかわからず、大和を見ていたソラはパッと玄関の方を見た。
勝手に上がっていた都和は手にタッパーを持っている。
「それは?」
ああ、これ?と都和はタッパーを端っこにギリギリまで寄せられているテーブルの上に置いた。
「大和さんの分。
この人夢中になるとすぐ食べるの忘れるから。」
「都和くん!」
大和は(おそらく)キラキラした目で都和を見た。
「彼女は素晴らしい審美眼を持っている!吾輩は彼女が気に行った!」
「はぁ、さいですか。
あ、人参、筍、抜いたんでこんにゃくと里芋と鶏肉のみの煮物ですけど食べてくださいね。」
「ああ、そのうち食べる。」
「そのうちじゃ、確実に腐るまで食べないので今食べてください。
だいたい空腹で倒れてたんじゃないんですか?」
「ああ、そうだった。」
大和は今思い出したと言うようにいそいそとキッチンに箸を取りに行った。
キッチンの位置は都和の部屋と左右対称である。
「じゃ、俺ら帰るんで。」
「まあ、いつでもきたまえ。」
都和が一声かけるとキッチンからそんな声が聞こえた。
それに頷き、都和に続いて部屋を出る。
自室のドアを開ける都和の後ろでソラが呟いた。
「いい人だ。」
「まあな。“できた”大人ではないけど。」
靴を適当に脱ぎ散らかす。
大和の部屋に行った直後だと余計に乱雑に見える。
(さて、晩飯つくんなきゃな。)
キッチンに直行しながら振り向かずに言う。
「まあ、様子見がてら遊びに行けよ。
俺、土日もお前に付き合ってられねぇし、毎日テレビって飽きるだろ。」
(今日は肉じゃがにすっか。
日が持つし。)
ジャガイモを取り出していると、ソラがひょこっとキッチンに顔を出した。
「土日も学校?」
「…いや。」
(あと人参と玉ねぎと…牛はないのか。豚でいいや。)
「…やりたいこと、か?」
「…まぁな。」
手際良く玉ねぎの皮を剥いていく。
かさかさとした茶色の皮の下からつるりとした白が現れる。
「都和。」
「あ?」
「…都和のやりたいことって、なに?」
「あー、あの変態の言ったやつか…」
剥き終わった玉ねぎをまな板の上に置き、包丁を取り出す。
都和は振り向かずにぽつりと答えた。
「…敵討ち、かな。」
タンッ
玉ねぎが真っ二つに割れた。