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偽善者は落し物を拾う。

「だからここに入る数は…。」


教師の声。

チョークが黒板を叩く音。

紙とシャーペンが擦れる音。

その中に間違いなく混じっている、静かな寝息。

しかし、それは例えば隣の席の人間が耳を済ませなければわからないだろう程、微かな音だった。


「じゃあ、ここはまた次の授業で。」


教師の声に教室内が今日最後の授業から解放されたざわめきを見せる。

しかし、その騒ぎの中全く微動だにせず頬杖をつき、眼鏡の奥で静かに目を閉じている青年が一人、いた。

既に終わったと言うのに教科書を閉じようともしない。

少し開け放した窓から吹き込んだ春めいた暖かい風が彼の黒髪を嬲る。

彼について何も知らない者は、その銀フレームの眼鏡が与える飄々とした印象から彼はきっと、さっきの数学教師でさえも理解出来ないような高度なことを思考しているに違いない、と思うだろう。

しかし、彼の友人である青島伊弦あおしまいずるは躊躇いなくその男の座る窓際の席に近寄った。

青島が想像していた通り、授業始めに開いたであろうノートは真っ白である。

青島はパシリと、しかし強めに頭をはたいた。


「おい、起きろ!授業終わってんぞ!」


「…あぁ、ホントだ。」


ワンテンポ遅く目を開き、現状を認めてから久方都和ひさかたとわは衝撃でずれたメガネをケースに入れ盛大に欠伸をしてみせた。

青島が呆れ顔で都和の机の横で仁王立ちする。


「また寝てたのか。よくばれないな。」


「まあな。お前みたいにうつ伏せになって爆睡しないからな。」


「うっせーよ、俺のことはほっとけ!

ところで久方、俺、面白ぇ話聞いちった。」


「なんだよ。」


青島は、目を輝かせて言った。


「また出たんだってよ、“ヒーロー”!」






偽善者ヒーローは落し物を拾う~





「ヒーロー?」


都和は胡散臭げに青島を見た。

青島から、いや同年代の男子の口から聞く単語ではないように思えたからだ。

逆に、青島は都和の反応に驚いている。


「久方、知らねぇの!?ほんっとに疎い奴だな、お前。」


「むしろそういう話しか知らないお前に言われたくねぇよ。 」


青島は所謂、ゴシップ好きだ。

どこから仕入れているのかとにかく情報が早い。


(まあ、自分が知らなすぎるっていうのもあるんだろうけど。)


そんな事を思いながらも都和は先を促した。


「…で?ヒーローって?」


「あ、そうそう。そっから話さなきゃだな。」


青島は再び興奮した様子で答えた。


「この街によく出るんだよ。

困ってる奴の前に颯爽と登場し、弱い者を助ける、正義のヒーローがさ。

でもフードで顔を隠してて誰も正体は知らねぇんだ。」


かっこいいよな、と青島は続けた。


「昨日もカツアゲされた奴助けたらしい。

…だけどまさかそいつがここの生徒だとは思わなかったよ。」


都和の肩がピクリと跳ねたのに青島は気づかない。

都和は青島を見上げた。


「なんで分かったんだ?ここの生徒だって…。」


「ああ、昨日助けられた奴がここの生徒でさ、上はいつも通り白いパーカーだったらしいんだけど下がこの学校のズボンだったんだと。まあ、フードで顔は見えなかったらしいけど。」


「…ふぅん。」


青島は不満気な顔をした。

都和の反応が気に入らなかったらしい。


「お前なー、興味なさすぎだろ。」


「逆にお前がありすぎだろ。」


「だってさ、かっこよすぎじゃね?あー、一度でいいから俺も見て見てぇ!」


どんな奴だろうな?

そう青島が言った時、丁度担任が入ってきた。

ホームルームを始めるために各々が席に着く。


「…そんないいもんじゃねぇだろ。」


ガタガタとイスが引かれる音に誰に届けるでもなく洩れた都和の呟きはかき消された。


放課後。

通い慣れた道を都和は歩いていた。

部活に入っていない都和の帰りは基本、早い。

時々、運動神経がいいために試合の助っ人として呼ばれることがあるもののそれ以外は寄り道もせずに真っ直ぐに家に帰っていた。

まだ、昼間とも言える道を1人歩く。

陽射しが暖かく照らす。

もうほとんど春だった。

途中ちらりと視界に入った暗い路地裏に続く道を見て都和の頭に友人の言葉がよぎる。


「この学校にいるんだってよ!」


(噂になってるとは思わなかった…。)


都和は昨日そこであったことを思い出していた。




一日前、同じく放課後のことである。


(腹減った。)


例によってバスケの試合の助っ人をしてきた都和は試合後さっさと着替えて帰宅の途についていた。


(今日の夕飯何にすっかな…)


ぼんやりと考えながら歩く都和の耳に微かに声が聞こえた。

笑い声だ。

しかも複数である。


(またたむろってんのか。

あんな暗いとこのでよくやる。)


半ば呆れ気味に都和は暗い路地を見やった。

あからさまに人前でやってはいけないことをしているんだろう。


(大方…喫煙とかか。)


都和はけして自分を善者だと思ったことは無かった。

未成年だろうが吸いたきゃ吸えばいい。とさえ思う男なのだ。

そんなことで注意する気などさらさらない。

都和の足を止めたのは別の理由だった。

笑い声に混じった微かな苦鳴。

都和はそれに釣られるように路地裏に入った。

入って一度曲がった、通りに面した建物の裏に笑い声の主はいた。


「これだけかぁ?」


「ちょっと少ないんじゃねぇの。」


人数は4人。

下品に笑う男達は体格はいいものの雰囲気から同い年位か、年下のようだと都和は認識した。


「俺たち金ねぇの、分かってる?」


「…でも、今日はこれしか」


「ない、なんて言わねぇよ、なあ?」


取り囲まれている方はしゃがんでしまっているのか、背が低いのかよく見えない。


(どちらにしろ、絡まれてるのには変わりねぇな。)


都和はつきかけた溜息を飲み込むとバッグを置き、その中からパーカーを取り出した。

それを手早く着て、目立たないようにバッグにブレザーを被せる。

そして深々とフードを被ってから、都和は死角になっていた角から出た。

薄暗く、また広くもない路地で、流石に真っ白なパーカーを着ている都和の存在は浮いていて皆一斉に都和を見いだした。


「なんだ、てめぇ。」


男たちの一人が近づいてくる。

都和はさらに深くフードを被り直した。


「こいつの友達か?

なんとかいえや、コラ。」


「…。」


何も言わない都和に男のヘラついた顔が強張る。


「無視か、てめぇ!?」


そして、キレた男は即座に行動へ移した。

勢いのあるパンチが都和の顔めがけて繰り出され…


「うおっ!」


「なっ…!?」


パンチは当たらず、男はバランスを崩した。


「おいおい。」


「何空振ってんだよ。」


人が殴られるところを見ようとしていた外野が笑いながら囃し立てる。

しかし、殴りかかった男の顔から余裕はすっかり削げ落ちていた。

当たらなかったのは偶然ではなく、都和が手で男の拳をいなし、少し身をひねったからだということをちゃんと理解できたのはいなされた本人のみだった。

しかし、男としては仲間が見ているためここで引き下がる訳にもいかなかった。


「っ、野郎っ!」


怒気を吐きながら男は都和の背後から殴りかかった。


「ぐふっ…!」


今度こそ、外野も見た。

まるで、見えていたかのように男の腹に的確な蹴りが入るのを。

しかし結果として吹っ飛ばされたのが仲間内の1人だということは男達にとって喜ばしいことではなかった。


「ふざけんじゃねぇ!」


「なんとかいえよ!」


(正当防衛でキレられるって…)


そろそろうんざりしてきた都和はこんどはあからさまに溜息をついた。

そんな都和の雰囲気に煽られ、男達は一斉に襲いかかった。

結局、その時、男達は信じられなかったのかもしれない。

その細身の男がいとも簡単に仲間を蹴り飛ばし一撃で沈めたことを。

いや、知っていても今まで持ち続けていたくだらないプライドが逃げようとする気持ちを押さえつけていたのかもしれない。

そして、彼等は自分の身体で実感することとなる。

都和は2人目の拳をスッと屈んで避けて、鳩尾に拳を突き入れた。

そのまま次の男の足に蹴りを入れる。 痛みで蹲るのを見ていると後ろから気配を感じて都和は反射的に避けた。


ゴッ!


都和のいたところからアスファルトと何かがぶつかる固い音がした。


「よけてんじゃねえよ! 」


(いや、それは避けんだろ…。)


後ろから殴りかかってきた男が手にしていた“それ”は長い木製の棒だった。

端に引っ掛けるための輪がついているとこを見ると、もともと近くの店が捨てた古い箒の柄の部分を咄嗟に持ってきたんだろう、と都和は思った。

いくら古いとはいえ、そこら辺の木の枝とは訳が違う。

都和は注意深く、男を見守った。


「あ、どうした?びびったのか?」


都和の慎重な様子に男の顔に薄ら笑いが戻った。

怖気ついたのだと、そう思ったのだ。

都和が、静かに、冷静に集中を研ぎ澄ませているのを知らずに。


「おらっ!」


男は自ら仕掛けた。

都和は棒の軌道を測り、身をずらして避けると、


パシッ


振り下ろされた棒を掴んだ。


「なっ!?」


その時、咄嗟に手を離していれば、逃げられたかもしれない。

しかし、男には自らを一時でも強く見せたものを手放す勇気は無かった。

目を見開いた男の顔面に真っ直ぐに拳が飛んだ。

僅か、数分。


(あーあ、疲れた。)


それぞれ呻きながら倒れている男達にそれ以上追い打ちをする気にもなれず

都和は壁際でただただ様子を見守っていた男子学生を見た。

驚きのあまり腰が抜けたのかもしれない。

都和が手を差し出すと男子学生は肩をびくりと震わせその手を見つめた。

なかなかその手を取らないのに焦れ、自ら腕を掴み立たせる。


「あっ…。」


何か言いたげに口を開いた男子学生が声を発する前に都和は身を翻した。


(今日は…、めんどくさいから野菜炒めでいいか。)


既に意識を夕飯に移しながら。




(白いパーカーでここにいた奴なんか俺だけだったしな…)


“ヒーロー”と都和自身が明らかに同一人物であることは明確な事実だった。


(まあ、顔見られてないだけまだマシか…。)

暗がりから目を背け、都和は再び歩き始めた。

溢れそうな買い物袋を自転車のカゴに詰め、ゆっくりと走っていく主婦。

黒いカバンを持ったサラリーマン。

犬と散歩中の老人。

様々な人とすれ違う。

この都会と田舎の狭間のような、そんなこの街を都和は気に入っていた。

しかし、だからといって嫌な部分が無い訳ではない。

そういう一面もこの街の見せる顔の一つだ、と都和は知っていた。


(でも知っていてもなんとかしようなんて一度も思ったことはないしな。俺は俺の目の前の奴しか助けない。)


自らの言葉に都和は自嘲気味に笑みを浮かべた。


(だから俺は善者ヒーローじゃない。偽善者だ。)


そんなことを考えている間に、足は勝手に通い慣れた帰路をなぞり、住宅地に差し掛かっていた。

大通りから少し歩いた、住宅地のほぼ中央に都和が一人で暮らすアパートがある。

昔から住宅地であるこの一帯では新築は少なく、住み慣れた匂いのする家ばかりなのだが、都和の借りているアパートはどちらかといえば“住み倒された”といった感があった。

一言で言えば、かなりボロい。

そんなアパートの側面についた黒い金属の階段をゆっくり登る。

登って、都和はピタリと足を止めた。

いや、止めざるを得なかった。


「…んだ、これ…?」


都和の部屋の前に大きな、真っ白な箱が通路を塞ぐように置かれていた。








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