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07 : 物語は始まっていた。





 ルルフェル・アズールは正確だった。特に待ち合わせ場所を定めたわけではなかったが、カウベリタの騎士駐屯所の片隅にある魔導師専用の部屋に、ルルフェルは訪れた。そこに行けばトランテには確実に逢えるとわかっての行動だろうが、街を動き回っていることの多いトランテが待機している状態のところに訪れるのは、これは運だろう。


「今日は蒼か……深紅もよかったけど」


 王都から近いとはいえ、数刻は馬車で揺られる距離を、ルルフェルは蒼い礼装をまとって赴いた。礼装といっても、深紅の礼装とは違い、道中のことを考えての型は地味だ。もっと派手な型のほうがルルフェルには似合っていて、なんだか勿体ない。しっとりした黒髪は丁寧にまとめられているが、きっちりと結わえられているわけではなく、飾り気もなく、いたって質素だ。こちらは似合っているが、せっかくだから銀細工の髪飾りでも贈りたいところである。きっと彼女には、トランテが想像する銀細工がとても似合うだろう。


「…………」


 駄目だ、思考がどうもおかしい。


「なにか?」

「いや。わざわざ足を運ばせて悪かった」

「いいえ、わたくしから申し出たことですから、かまわないでくださいまし。それより、お決めになりまして?」

「ああ、うん、まあ、その前に場所を移動していいか?」

「長居する気はありませんから、まだお考えの最中であられるのでしたら出直します」

「いや、きみが来たら休暇になるよう申請しておいたから、時間に問題はない。あるのは場所だ。おれときみが向き合って話をするには、ここは不釣り合いだからな」


 ルルフェルを促し、トランテは場所を、駐屯所から宿舎へと移動する。距離的には歩いて数分だが、たったそれだけで人の気配は随分と遠くなる。昼間は常に人が出払っているためだ。

 ルルフェルは今日も従者をふたり連れていて、その手には日傘があった。礼装と同色の日傘だ。この前も日傘を差していたが、陽光が苦手なのだろうか。

 思考が駄目だと思いつつもつらつらとルルフェルのことを考えながら、予め用意しておいた宿舎の客間に彼女を通し、こちらもまた準備していたお茶を用意する。ひとりで座るにはゆったりすぎるくらいの長椅子にルルフェルが収まり、従者が扉の付近で控えた。手ずからお茶の用意をするトランテに、ルルフェルは少し驚いていた。


「こんなお茶は口に合わないだろうが、おれの好きな香茶なんだ。よかったら」

「……いつも、このようなことを?」

「ん?」

「いえ……なんでもご自分で、できてしまうのですね」

「そういう生活しかしたことねぇから」


 侯爵令嬢のルルフェルには理解しがたいことだったのかもしれない。だが、そういう怪訝そうな雰囲気ではなく、ルルフェルは感心したようにトランテが淹れたお茶をゆっくりと飲んだ。


「……美味しいです」

「それはどうも」


 料理することが楽しくなって、好きになったのはいつだったか。同じ頃、お茶の淹れ方にも拘って研究したので、ちょっと自信がある。美味しいと言われれば嬉しいし、美味しいと彼女に思ってもらえるのは誉れだ。


「……きみとの、ことだが」


 お茶で一息ついたところで、トランテのほうから口を開く。


「先に、オルベニア家の当主に逢ってから、きちんと返事をしたい。おれ、未だオルベニア家の当主に逢ったことねぇから」

「お逢いになっておりませんでしたの?」

「つい最近まで知らなかったからな」

「それは……そうでしたの」


 ルルフェルは、あまり動かない表情に一瞬だけ困惑を浮かべた。どうやら、トランテがオルベニア家のことを知っていて放置していたのだと、そう思っていたらしい。


「ただ、きみに一つ、確認したい」

「なんでございましょう?」

「おれが魔導師で、魔導師ってのがどんな生きものか、きみはわかってんだよな?」


 本当は確認などしなくていいだろうけれども、念のため繰り返すように問えば、彼女は確かに首を縦に振った。


「存じております」

「……それでも、おれにきみとの話を、受け入れて欲しいのか」


 魔導師に強制的な、政略的なそれは無意味だと、多くの者たちは知っている。けれども、師団長ロルガルーンが言っていたように、当人でない者たちには理解し難いことで、だからなんだ、と首を傾げられるものだ。ゆえに、わかっていて魔導師にその話をしてくる貴族は、その力には権力もあると考えて魔導師を身内にしたいためか、優先的に自分たちを護らせたいなどという身の保身による欲目で、魔導師自身の意志を平気で無視する。

 ルルフェルにも貴族のその欲目があるのか、とトランテは失望しかけたが、いやまて、と彼女をよく見て、どうもなにか違う気がすると思い直した。

 そう、ルルフェルはトランテを捕まえて、妻になりたいと言った。トランテを望んでいると言った。欲しいと言った。

 駒にされがちな貴族令嬢から、そんな言葉が出るだろうか。演技にしても、畏怖され恐怖を抱かせる魔導師を前に、嘘を貫き通せるだけの覚悟があるだろうか。

 ルルフェルから窺えるものには、確かに覚悟のような強い意志を感じるトランテであるが、それが家のためのものとは思い難かった。


「わたくしとの婚約、あなたには悪いものではありませんでしょう? これまでの生活が変わるわけでもありません。魔導師であると同時に、貴族でもあると、そうなるだけですもの」

「まあ、魔導師には、確かに関係ねぇよ。身分ってのは」


 身分だけのことを考えれば、べつに貴族であろうがなかろうか、そんなものは関係ない。

 だが、考えてみて欲しい。

 ルルフェルのそれは、トランテのことを一方的に考えたもので、つまりそこには彼女の意志が見られない。彼女の望みはトランテであるが、トランテに嫁ぐことでルルフェルにいったいなんの利があるのか、彼女は語らない。


「……もう一つ、確認する」

「はい、なんなりと」

「きみがおれを望むのは、きみの意志か?」


 もし、たとえば、トランテにこの時点で唯一の伴侶がいたとしたら、ルルフェルとの話は破綻する。だが、それはトランテがルルフェルとのことを受け入れたとしても同じだ。ルルフェルと夫婦になっても、トランテにその感情が芽生えなければ、不幸になるのはルルフェルだ。いや、彼女だけでなくトランテも、必要のない罪悪感に苛まれることになる。互いに幸福な道を歩めない。


 けれども。


「わたくしの意思にございます」


 ルルフェルの、はっきりとした気持ちは、不幸すらも受け入れる気だ。いや、だからこそ、彼女からは覚悟が感じ取れる。


 お手上げだな、とトランテは肩を竦めて苦笑した。


「わかった。なら、オルベニア家のことは抜きにして、おれは真剣にきみとのことを考えるよ」

「? それは……」

「きみにとって、おれがオルベニア家と縁があるのは、偶然なんだろ?」

「え……ええ、そうです」

「つまり、おれがオルベニア家に養子入りする件を断っても、きみには関係ないだろ?」

「礼儀上、オルベニア家を無視するわけにはまいりませんので、言ってしまえばそれだけです」


 やっぱりか、と立て続けに苦笑がこぼれる。ルルフェルにはトランテのそれが理解できないようであるが、トランテは笑うしかない。

 ルルフェルは、ただただ、トランテに求愛しているのだ。

 こんなに素直で、けれども遠回しなことが、こんなにも面白いとは今までに思ったことがない。じわじわと込み上げるものが、不快なものではないことが不思議で、新鮮で心地いい。


「なあ、ルルフェル嬢……おれとつき合ってみようか」

「え……?」

「婚約する前に、いや、そのために、まずは互いを知ることから始めねぇと、おれたちの間に進展はねぇから」


 こんなにあっさりしていていいのか、と思わなくもない。けれども、以前アルカナから聞いたことがある。

『これが不思議でね。じわりと、沁みるのだよ。わたしは鈍感ではないから、それはもう直に、湧き上がってきたね。気づいたときには、もう目を離せなくなっていたものだよ』

 アルカナは、メリルムーアとの始まりをそう語った。

 今ならそれがわかる。

 トランテは、出逢ったその瞬間から、笑えばいいのにとか、濃紺の礼装も似合うだろうにとか、銀細工の装飾を贈りたいとか、そんなことを考えてしまっていたのだ。そんなことは、これまでの二十年間で初めてのことで、だから、アルカナの言葉の意味が理解できる。


 たぶん、こういうことなのだ。


「どう? おれが欲しいなら、おれを望むなら、まずはおれ自身をもっと知ったほうがいいんじゃねぇか。おれも、きみを知りたい」


 ふと微笑んで、やはり表情のないルルフェルに首を傾げる。答えを促す間、ルルフェルはただ真っ直ぐトランテを見つめ、そして僅かに紅玉の瞳を綻ばせた。


「そうですわね」


 正直、自分の変化に戸惑わないわけがない。あっさりとしたこの感覚は、納得できるものではない。

 それでも、心が、身体が、感じるのだ。

 望ましい関係に、幸福でしかない関係に、きっとなれる。


「……魔導師って、実は単純なのかもしれねぇな」

「はい?」

「ここにいたのか、って思っただけだ」


 ルルフェルがなにを思い、なにを考え、トランテを望むのかはわからない。表情のない彼女は、感情のすべてをそこに隠している。それが、トランテの出方を窺っているだけであって欲しいと思う。

 トランテはルルフェルをじっと見つめ、にこりと、笑みを深めた。

 答えは始めから出ていたのだ。

 出逢ったその瞬間に、その物語は始まっていた。







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