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01 : 二年も過ぎて。





 二年前、トランテはユシュベル王国の直下魔導師団に保護された。名目上は攫われていた子どもの奪還であったらしいが、実際には帰還だ。

 トランテを攫ったという女武人メリルムーアは、それは本人の言い分で、トランテの亡き母であるマリアンの遺言でトランテと世界を漂流していたので、罪に問われることはなかったのである。というより、マリアンにそんな遺言をさせるくらいのことが起きていたので、メリルムーアは今日までトランテを護り抜いたとして高く評価された。ただ、メリルムーアは己れの言い分を覆すことはなかったので、その名誉を受け取ることはなかった。


 ほんの二年前まで世界を漂流していたというのが夢であったかのように、トランテとメリルムーアはユシュベル王国に身を寄せることとなった。


 トランテの帰還に出向いたのは、ユシュベル王直属の魔導師アノイ、少女だとトランテは思っていたが、実際は齢百を超す外見少女のおばあちゃん魔導師で、トランテとメリルムーアが世界を漂流することになったことを知る人物だった。アノイが出向いたことで、メリルムーアが罪に問われるのではなく名誉を得る側になったらしい。今でもそのことに対し、アノイには感謝している。


 驚いたのは、トランテにとってユシュベル王国とは見知らぬ土地であることに変わりはなかったのだが、メリルムーアの帰還を待ち侘びていた人物がいたことだ。


「おーい、師匠、アルカナ師匠」

「うう……もう朝だなんて」

「相変わらず朝に弱いねえ。ルムはもうとっくに出仕したってのに」

「また逃げられた……」

「朝に弱いあんたが悪いねえ」


 朧月(ろうげつ)の魔導師アルカナ・ホルクトック。メリルムーアの夫で、今ではトランテの師匠でもある魔導師は、メリルムーアの帰還を泣きながら喜んだ。情けなくぼろぼろと泣く姿は、しかしメリルムーアに珍しい笑みを浮かべさせていた。


「はあ……おまえも腕を上げたねえ」


 朝食の卓につくと、もそもそと食事を始めたアルカナに、今日の朝食のできばえを褒められる。以前は「切る」「煮る」「焼く」くらいしかできなかったトランテも、アルカナという料理好きの師ができてからはそれらしいものを作れるようになった。今では朝が苦手なアルカナに代わり、朝食作りを任されている。

 ちなみにメリルムーアの料理は、トランテがそうであったように、残念な腕前だ。進歩もない。本人曰く相性の問題らしいが、単に興味がないだけだとアルカナが苦笑していた。


「さて、今日はどうしようか、ラン」

「任務がないなら食堂に行ったら? アルカナの飯、けっこう待ってる奴いるだろ」

「いやいや、おまえの話だよ」

「おれは書庫に行く」

「またかい? 随分と探究心に溢れているね」


 よくやるねえ、と言いたげなアルカナに、トランテは「いや……」と顔を引き攣らせる。


 メリルムーアと旅をしていたとき、不思議な力について、メリルムーアから渡された一冊の書物は、アルカナも世話になったという『魔導師』についてのことが詳細に記されたもので、アルカナがメリルムーアに持たせたものだった。今でも世話になっているその書物は、繰り返し読んでも理解できないことや、繰り返し読むことで理解できるものなど、さまざまだ。旅をしていた頃はそれも仕方なしと思っていたが、アルカナを師事するようになった今、その書物だけではトランテには知識が足らない。


 そもそも、である。


「探究心というか、あんた忘れてるけど、おれ、まともな教育受けてないんだぞ」

「あ……そういえばそうだったね」


 文字が読めることが奇跡的であったトランテの学術は、この国ユシュベルに落ち着いてから学んだものが大半だ。つまり、与えられた書物の半分も実は咀嚼できていなかったわけで、アルカナに解説してもらって納得したものが多い。


 本格的に『魔導師』について学び始めて二年、アルカナがすっかりそのことを忘れてしまうくらいにはいろいろな学を身に着けたトランテではあるが、だからこそ、今でも世話になっている書物の内容すべてを理解し咀嚼したいくらいには、自分が『魔導師』という存在であることを自覚していた。


「あれだね、おまえはわたしに問うことをしないね」

「独学がほとんどだったからなぁ」

「まあ、ルムに『魔導師』のことを説明させようにも、ルムは騎士だからねえ」

「わからん、の一言で終わりだった」

「……。うん、だろうね」


 アルカナにはたくさんのことを教えてもらっている。メリルムーアにも、アルカナ以上のことを教えてもらっている。それでも、気づいたときにはメリルムーアとふたりで旅をしていたトランテにとって、学びとは盗み取るものであって、乞うものではなかった。アルカナはそれが少し不満であるようだが、ある程度育ってしまっていたトランテにとって、今さら自分のそれを変えられようもない。

 それに、誰かに訊くということも大切なのだというのは、アルカナと出逢ってから痛感したものだ。本当にわからないことがあればアルカナに問うようにしている。できるところまで自分の力でどうにかしたいだけだ。


「で、とりあえず訊くけれど、なにを知りたいんだい?」


 アルカナはトランテが自分から訊きに来ないと、話を上手く流してなにを知りたがっているかを聞き出し、さりげなく答えを教える。それは、訊くことができないトランテのための、優しい教え方だ。

 このときは直球であったが、自力でどうにかできるものなら口は挟まないよ、という姿勢だった。


「おれはさ、たぶんアルカナみたいに呪具が必要だと思うんだ」

「ほう、呪具ね。たとえば?」

「剣を握ってるときのほうが集中できる。まあ、ルムのせいだろうけど」

「ああ……ルムの影響がないわけでは、ないだろうね」

「剣は呪具になるのかと思って」

「そもそも呪具とはなんだったかな?」

「力の負荷を担わせるもの、だろ?」

「惜しい。集中力を高める場合もある。そうすると力が増大されることが多いから、それゆえに負荷を担わせる」

「う……そうそう、そうだ」

「で? おまえはその呪具があったほうがいいと?」

「と、思う。アルカナはどう思う?」


 少しだけ考える素振りを見せたアルカナは、その間に朝食を口に運び、トランテがお茶を差し出してから漸く答えた。


「要るかもしれないね」


 おまえはわたしの弟子だから、とアルカナは言う。


「やっぱりか」

「おまえは魔導師の力よりも先に、ルムに剣を習っている。わたしもね、この手に小剣を握ったほうが先だった。それを考えれば、おまえにはわたしのように呪具が必要なのかもしれない。魔導師の力を覚える前に手にしたものがあると、そういう傾向になるらしいからね」


 調べてみるといい、と言われ、早速とトランテは出かける準備をする。アルカナもまた、朝食を終わらせると出仕する支度を整えた。


 太陽はまだ昇ったばかり、騎士になったメリルムーアのおかげで一般的な朝よりも早い時間を朝とするため、外に出ても人ひとり姿が見えない。アルカナが朝を苦手とするのは、ただ一般的な朝とする時間よりも早く行動を起こすからで、これがふつうの家庭であったならアルカナのそれは「苦手」という部類にすら入らないだろう。


「ああそうだ、ラン」

「なに?」

「近々引っ越しの予定だ。ルムが隣街の駐屯所勤務になったから、わたしもついて行く」


 人気のない道をアルカナと並んで歩きながら、初めて聞くそれに目を真ん丸にする。


「聞いてないぞ、それ」

「昨日のことだったからね。というわけで、ラン」


 王都レンベルを離れるというメリルムーアと、その夫で魔導師のアルカナに、どきりとする。


「おまえもついておいで」


 ホッとする。おまえは残れ、とでも言われるかと思った。


 独学で『魔術師』について学んだトランテは、アルカナに師事してしばらくあと、魔導師と名乗ることを許されていた。トランテの場合、知識よりも先に技術を身に着けたため、必要な経験をある意味ではほとんど体験している状態にあったからだ。それゆえ、ひとり立ちにはまだ知識的に不安はあるものの、魔導師と名乗ることに問題はないとアルカナが判断したのだ。


「なんだい、その顔」

「いや……置いて行かれるかと」


 少々焦った、と少し大げさだったが深々と息をつくと、アルカナは肩を竦めて笑った。


「おまえは『灯火の魔導師』ではあるが、わたしやルムのそばを離れて暮らせるほどおとなではないのだよ。おまえ、今年でいくつになる?」

「えっと……十五?」

「まだまだ子どもだ。可愛い息子をひとり置いていったりできないよ」


 くすくすと笑うアルカナに、なにもできない子どもではない、と言いたかったが、確かにアルカナとメリルムーアから離れて生活なんていうのは、もうしばらくできそうにない。そもそも『魔導師』としての知識が、経験的なものはまあ充分だとしても、圧倒的に足りないトランテだ。毎日のように書庫通いが必要で、アルカナに教えてもらいたいことだってまだまだたくさんある。


 それに、だ。


「おまえはもう少し、この国のことや魔導師のことを学ぶ必要があるからね」


 気づいたときには旅をしていたトランテは、少々、常識に欠ける。落ち着いた生活なんてものは、この国ユシュベルに迎えられてから得たものだ。旅のあれこれは身についているが、一所に留まった生活のあれこれは、たかが二年では慣れる程度だ。


「だいじょうぶだ、ラン。おまえにはわたしもルムもいる、この国がある」


 アルカナの朗らかな笑みに、トランテもニッと笑んだ。


「つらい旅じゃなかったよ。楽しいこともあった」

「おや……初めて聞くね、それは」

「ルムが気にしてたから、言わないようにしてた」

「……優しい子だ」


 今少し上背のあるアルカナに頭を撫でられたが、いやではなくくすぐったい。メリルムーアがそういうことをしてくれる人ではなかったからだろう。アルカナの温かさが嬉しい。


「聞かせてくれるかい、ラン。おまえが経験してきた世界を」

「いいよ。アルカナにはちっぽけなものだろうけど」

「そんなことはない。わたしは……ルムについて行くことができかなった、情けない魔導師だからね」


 少し寂しそうにしたアルカナから、トランテとメリルムーアが旅をするきっかけとなったときの話をちらりと聞いたのは、出逢って二年も過ぎたこの日のことだった。またトランテも、旅をしていた頃の話をアルカナに聞かせたのも、この日が初めてのことだった。







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