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10 : 地に足がついた。3





 ひたすら雨が降り続けること二日、漸く頬を打つ雨が消えたとき、とても澄んだ綺麗な空気を朝一番に深く吸いこんだ。


「過ぎたか……峠を越す前に散ったみたいだな」


 ひどく重い色をした曇天は、雷鳴を轟かせはしたものの、浸水や落雷被害を出さなかった。移動しながら変化したその後の曇天は、トランテが新鮮な空気を吸いこんだときには疎らに散り、小さな雨雲となり、王都を避けて南西に消えていった。


 きらきらした朝陽を身に浴びながらほっと息をついたトランテは、その背後に気配を感じて顔だけ振り向く。


「ずっとここにいたのかい」


 アルカナだ。その背に二対の翼を出し、空を移動してきたらしい。


「動けなかったんだよ、情けないことに」


 いたくてここにいたわけではない。いや、ここにいたい気持ちはあったが、そもそも雨宿りに移動するだけの気力がなかったのも事実だ。おかげで、寒気も感じなくなってしまったほど身体は冷え、感覚が遠い。少し、無理をしたようだ。


「立てるかい」

「無理だな」

「まったく……ほら、腕をお貸し」


 立つこともできないくらいに四肢の感覚が麻痺しているせいで、アルカナに強引に腕を持ち上げられても痛みすら感じない。その肩を借りてどうにか立ち上がってはみたものの、足も動きそうになかった。


「守護石はとんでもないね……まだまだ改良の余地があるわけだ」

「ここに配置したのは、初期の守護石だからな。改良したら一番に交換させるさ」

「そうしてもらわないと、うちの若手が使いものにならなくなってしまうよ」


 アルカナも若いとは言い難い年齢になってきたため、体力の衰えは否めないのだろう。まったく動けないトランテを運ぶくらいのことはまだできるが、それもあと数年というところか。

 年月とは、かくも意外に早く、刻を進める。


「とりあえずここから降りるよ。さすがにわたしも、おまえを支えながら空中飛行は怖いからね」


 アルカナは翼種族らしく翼を持っているが、その機能は、アルカナひとりを運ぶのが限界だという。また飛行距離も、カウベリタの街を一周するくらいしか、持続性がないらしい。

 トランテはその体重のほとんどをアルカナに支えられながら、動けずに座り込んでいた詰所の屋根から降りる。二日分の雨を吸った外套はぐっしょりと濡れて重いが、それはアルカナも同じだ。幸い、外套を任務中用の厚手のものにしていたので、外套の下の衣服をそれほど汚してはいないが、さっさと沐浴して着替えてしまいたいくらいには、いい具合に濡れて冷えている。


「熱い湯に飛び込みてえ」

「同じく。ルムに用意してもらっているから、早く帰ろうね」


 ふわりとした嫌な感覚で地に足がついたあと、立って歩く感覚を取り戻すために少しだけ動きを止める。だが、いくら待ってもやはり手足に力は戻らない。守護石はトランテから根こそぎ魔導力を吸っていったようだ。


「魔導師ってほんと、万緑に協力を乞うて生きてんだな」

「なにを今さら」

「いや、なんか、実感した。おれって、アルカナが言うとおり、地に足がついてなかったみたいだった」

「ほう? いったいどんな心境の変化だい、ランよ」

「……彼女が」


 ふと、背後の詰所を振り向く。朝陽が上ったばかりで、嵐が去っても人々はまだ起き出していない今の時間は、どこも静かだ。詰所も静かに、嵐が過ぎ去ったあとの静謐を保っている。


「アズールの姫さまが来ているのかい」

「来るなって言っておいたんだけど、言い方が悪かったみたいで。いや、まあ、彼女のこともそうなんだけど、なんかいろいろ考えたら、今のこの生活が悪くねえって思ったんだわ。旅してた頃は、仲間とかそういうの、ルム以外にいなかったし、欲しいとも思わなかったから」

「おまえは一匹を好む傾向にあるからね、あれだけたくさん愛敬を振りまいておいて。だが、そうかい、漸く同胞に、人々に意識が向いたわけだね」

「そんなとこ。この煩わしさが、すげえ、いとしく思った」

「いとしい、かい……言うようになったね、ラン」


 いいことだよ、とアルカナが嬉しそうに笑う。妙に照れる笑い方をされて、トランテは少しむず痒い。野放しで褒められるのは、いくつになっても嬉しいものらしい。


「しかし、さて、アズールの姫さまが来ているなら、相応の宿を手配しなくてはね。宿舎の客室でもいいかな」

「目的はおれだし、宿舎の客室でいんでねぇかな」

「あとで迎えを寄越そう」


 今はとにかく自分たちのことをしようか、とアルカナが歩き出す。思うように動かないトランテの足はアルカナを邪魔してしまうが、仕方ないことだ。謝りながら体重を預ければ、可愛い息子だからね、とアルカナは気にしない。


「そういえば、堅氷と水萍はどうなった?」

「鈍感は四方にある守護石の解析中、水の巫女は散った曇天を惹きつけつつさらに散らすために移動したよ」

「なんだ、鈍感と巫女って」

「そのとおりだろう」


 カヤとマルを渾名ですら呼ばないアルカナのそれには、グラスコードから感じた少しいやなものは含まれていない。単に小ばかにしているような言い方だ。しかし、上手い表現ではある。カヤは確かに鈍感であるし、マルは巫女っぽい。


「……なあ、守護石は街を護ったか? おれの力は、役に立ったか?」

「おや、心配かい? この光景を見れば、一目瞭然だろうに」


 嵐のせいで、飛び散った枯草や塵などが道に散乱しているが、それだけで、家屋は傷一つなく、住民の嘆く声なども聞こえない。ただただ、嵐が過ぎた静寂さだけが、カウベリタの街を包んでいる。洗われた空気が、訪れた快晴を喜ぶかのように、とても澄んでいる。


「護れた、のか……」

「旭影が言うには、数年ぶりのひどい嵐だったけれど、実質的な被害はほとんどないそうだ」


 住民に被害はない、それだけで充分だ。やはり守護石は偉大な呪具だった。


「もっと、上手く、使いこなしてぇなぁ」

「なら、協力を惜しまないことだね」

「もともと惜しんでねぇよ」

「それ以上に、取り組むといい」


 頑張るんだよ、とアルカナに微笑まれて、当たり前だ、とトランテも笑む。


 会話しながらゆったりと道を進んでいたが、気づけばもう騎士駐屯所まで来ていて、敷地の入り口にはグラスコードの姿があった。こちらに気づいて、軽く手を振ってくる。


「あれ、そういやアルカナたちも、守護石に力吸わせたんだよな?」

「そうとも。いやはや、あれは疲れるね」

「え、それだけ?」

「わたしと旭影は、一つをふたりで負担したからね。それに、今配置されているものにより改良を重ねたものだから、それほど負担はなかったのだよ」


 だからこうして飄々と動けるのだと、アルカナはトランテを運ぶことに苦を感じていない。近くまで来たグラスコードも、多少の疲れは見られるが、トランテほどではない。


「灯火はしばらく休みだな。だいじょうぶか?」

「動けねぇよ」

「ふむ……まあ、終わったことだし、ゆっくり休め。事後処理はわたしと朧月でやろう」

「任せた」


 アルカナに支えられた反対側をグラスコードに支えられ、ちょっと大げさにも思えたが、そのまま宿舎へと移動する。

 自力での歩行をしなくてよくなったため、急速に訪れた疲労感に、トランテの意識は宿舎に入る前に落ちた。アルカナとグラスコードになにか声をかけられたが、それに返事をすることもできなかった。


 そうして、身体の節々の痛みで目が覚めた。


「さすがに、風邪引くわな……」


 掠れた声に、咽喉の痛みを訴えられる。ぼんやりとした思考は、もう少し休眠を要請してくる。


「起きたか」


 と、寝かされていた寝台の横から、カヤが顔を見せた。


「よう、堅氷」

「悪かったな。負担がおまえにだけ、重く向いたようだ」

「街が無事ならそれでいいさ。それより、水くれ。咽喉乾いた」

「ああ」


 水瓶は寝台の横に用意されていたので、中身を器に移してもらい、ゆっくりと身体を起こした。ひどくだるい身体の痛みは、眠り続けていたせいだろう。

 ごくごくと水を飲み干してホッとすると、背中を枕に預け、カヤを振り向く。


「どうなった?」

「街は変わらない。守護石は改良を加えたから、次は今ほど負担もかからないだろう」

「そうか。水萍はどうした?」

「あのまま、どこかに行った」

「行っちまったか……またしばらく逢えねぇな」

「そうだな」

「おまえも、もう行くんだろ?」

「ああ。おまえのおかげで、改良点が浮き彫りになったからな」

「協力は惜しまねぇよ。なんかあったら呼べ」

「……頼む」


 すでに出立の用意は整い、トランテの目覚めを待っていただけの状態だったらしいカヤは、言うことを言い終えるとすぐに椅子を立った。またな、と声をかければ、素気なく「ああ」と返事があるだけだ。相変わらず愛想のない魔導師である。


「堅氷」

「……なんだ?」

「助かった」

「? それはおれの台詞だ」

「いや、おまえのおかげだよ」


 じゃあな、と再びカヤを追いだすように手を振れば、首を傾げながらカヤは部屋を出て行った。


「おまえがいたから、守護石は世に出てきたんだ。いったいどれほどの魔導師が、このときを待ち望んでいたことか……」


 魔導師となって、それまでの魔導師がどれだけの努力を積み重ねてきたか、トランテは知った。カヤの存在は、待ち望んでいた力なのだ。やはり多少は羨ましい。けれども、それでも、カヤのようになりたいとは思わない。今自分が持つ期待を、カヤはたくさん背負っている。トランテには無理なことだ。


「堅氷が帰ったようだね。調子はどうだい、ラン」

「おう、アルカナ師匠」


 カヤが立ち去るとすぐ、アルカナがひょっこり顔を見せる。トランテの状態を気遣ってか、一番に飛んできそうなマリオンの姿はない。


「まだ顔色が悪いね」

「そうだな。悪ぃけど、もうちっと休ませてくれ」

「かまわないよ。あれから街も、いつもの姿を取り戻したからね」

「マリは?」

「おまえに逢いたがっているが、状態を考えるとね……連れてくるかい?」

「次にしてくれると助かる」

「そうしよう。しかし、アズールの姫さまはそうもいかないよ」

「へ?」


 部屋に入って来ようとはしなかったアルカナは、その後ろから、黒髪の美しい女性を覗かせる。ルルフェルのようだ。


「彼女がつきっきりでおまえの世話をしていた。お礼を言いなさい」

「え……え?」


 アルカナに促されて部屋に入ってきたルルフェルは、少し顔色が悪い。表情は相変わらず、カヤのように動かないが、その目は赤くなっていた。


「お倒れに、なられたと……そのあとも、熱がひどくて……その」


 気まずげなルルフェルは、トランテと視線を合わせようとせず、落ち着かなそうにそわそわしている。

 考えてみれば、トランテがこうなる事情となった守護石の話を、ルルフェルにはしていない。アルカナから少し聞いてはいるだろうが、だからトランテの看病を申し出たのだろう。


「まあ、座りなよ。ちょっと話そう」

「ですが……」

「少しくらい平気だ。それに、この状態になんのは、初めてじゃねぇから」

「……そうなのですか?」

「三回めくらいだな」


 魔導力の枯渇は初めてではない。守護石の実験でどうしてもこうなってしまうのは、すでに学習済みである。ので、アルカナもとくに慌てることなく、メリルムーアに至ってもあまり心配はしていない。


「守護石に魔導力を吸わせたから、枯渇してるだけだ。戻るのにしばらくかかる。守護石のことは聞いたか?」

「アルカナさまに、少し」

「まだ改良が必要なんだ。おれはその実験に協力してんの」


 病気でもなんでもない、ただ疲れているだけだ、と言えば、ルルフェルはその顔色に漸く赤みを取り戻した。


「そう、でしたか……いえ、アルカナさまにも、病気ではないと伺ったのですが」

「ふつうに風邪っぴきではあるぞ」

「え……っ」

「あの雨ん中に二日もいりゃあなぁ」


 だるさをもたらすこの熱は風邪のほうなので、だから眠気がひどい。風邪を引くとひたすら眠るトランテである。

 くあっ、と欠伸をすれば、ルルフェルはそっと、トランテに身体を横にするよう促してきた。


「悪いな、相手できなくて」


 身体を横たえながら苦笑すると、ルルフェルはゆるゆると首を左右に振った。


「いえ、わたくしが悪いのです。注意されていたのに、それを無視したのですもの」


 そういえば、ルルフェルに説教する予定だった。注意したのに、嵐が訪れたその日に赴いた彼女に、どうして来たんだと叱る予定だった。


 けれども。


「……おれに、逢いに来てくれたんだろ」


 考えてみれば、それだけだ。

 ルルフェルは、ただ、逢いに来てくれただけなのだ。


「迷惑をかけてしまいました……申し訳ありません」

「んなこたぁねえよ。吃驚したけど」


 ルルフェルは行動力があるだけだ。互いを知るためにまずは「つき合おうか」と言ったのはトランテで、ルルフェルはそれに頷いたのだ。

 だから、驚くことはあっても、怒ることではない。

 むしろ、あのときルルフェルがいたから、トランテは意地でも守護石を発動させ続けることができた。


「きみが無事でよかった」

「……トランテさま」

「危ないめに遭わせたくなかったんだ。怖かっただろう」

「っ……いいえ、いいえ、そんなことはありません。トランテさまは護ってくださいました。この街を、人々を、わたくしを」

「ん。でも、怖かったろ?」


 あの嵐の中で、実はルルフェルが震えていたのを、トランテは知っている。この国の災害は、人々の心に深い傷を与えているのだ。あの嵐で、ルルフェルが怖くなかったわけがない。


「もう怖いことはねぇから、安心しろよ」


 だいじょうぶだから、と微笑めば、瞠目したルルフェルの瞳が潤み、しかし俯いてその涙をトランテに見せることはなかった。

 だから、笑って欲しいなぁと、思った。







*最後、アルカナはによによしながらこっそり退場しています。


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