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09 : 地に足がついた。2





 予想していた通りに雨が降り出したとき、カウベリタの街は発令されていた警報によって、賑やかな街を静寂が包む街にした。被害を考えて戸口は板で塞がれ、出歩く者もいない。唯一、今日カウベリタに入ったばかりの商団が、魔導師の警報を聞かされて慌てて宿に入る姿が見られるくらいだ。それも僅かな時間で、あっというまに宿も看板を下ろした。間に合わなかった商団だけが、各所にある兵士の小さな詰所に押し込められた。


「今日の予定は今ので終わりか?」

「一つ、到着が遅れている商隊がありますね……空の様子に気づいていれば、途中で引き返していると思いますが」


 王都から移動してくる商団は必ずその予定を国に報告することが義務づけられていて、急変する気候から人々を護る体制が整えられている。ゆえに、予定通りとはいかなくても、大体の日程で人の流れは把握されていた。ただし、旅程を報告する義務のない旅人や、ひとりで放浪する行商人などはその例外だ。人の流れを完全に把握することは難しい。


「雨も降り出したからな……引き返していて欲しいけど」


 カウベリタと王都の間には、峠が一つある。立ち位置によっては空の様子を窺えないこともあるため、到着がおくれている商隊が引き返したとは断言できなかった。


「どうされますか?」


 関所の兵士長に、トランテは人の流れが途絶えた道を見据えてから、仕方ない、と肩を竦める。


「途中まで様子を見てくる。あんたらはもう動くな。各所への連絡も控えて、直撃に備えてくれ」

「しかし、それでは灯火どのが」

「そのための魔導師、だろ。頼んだぞ」


 トランテがいる、ということに安堵していたのだろう兵士長は、トランテがこの場を離れることを渋ったが、情報を持っていないかもしれない商隊のことを考えれば、トランテはそちらへ走らざるを得ない。人々への被害が、いつだって甚大な災害なのだ。


「すぐに戻る。それに、堅氷の魔導師も来てるんだ。安心しろとは言えねぇが、そこまでひどくはならねぇよ」


 絶対的な安心ではなくとも、その材料となる魔導師はいるから、と勇気づければ、兵士長も騎士の端くれだ、渋々だが理解してくれる。

 トランテは外套を着こみ、頭巾を深く被ると、詰所を飛び出した。

 雨が降り始めていくらも経っていないのに、もう視界が霞むほどの雨量になっている。守護石がそろそろ発動してもおかしくない。


「時間ねぇな……急がねぇと」


 守護石が最初に発動されたとき、そこに吸われた魔導力はカヤのものであったから、そのときは知らなかった。トランテの魔導力を吸わせる段階になって、それがとんでもない呪具だと知ったが、しかし協力したことを悔やんだことはない。

 守護石は、その力を吸わせた魔導師に、負荷が向く。どんな負荷であるかは、想像に容易い。魔導力が枯渇した状態に陥り、しばらく魔導師として使いものにならなくなるのだ。守護石に魔導力を吸わせる段階でもそうなるのに、発動したあとに派生する負荷によってもそうなるのだから、平然と守護石を扱うカヤは本当にバケモノだ。大魔導師が発案しただけで終わってしまったのも、仕方ない。いや、カヤという存在がいたから、発案が可能になったのかもしれない。発動維持、改良に重ね改良を施すカヤの技量は、まさに国の守護者たるガディアンに相応しいと言えるだろう。


「羨ましいねぇ」


 トランテは自分の限界を知っている。限界という言葉すら知らないようなカヤは、正直羨ましい。けれども、だから、カヤのようになりたいとは思わない。それがトランテの限界で、それ以上はただ身を滅ぼすだけなのだ。自滅なんてことほど、悲しい結末はない。


 守護石が発動するであろう時間を計算しながら、トランテは王都への道を走る。峠に入るところまで行けば、その気配から、遅れているという商隊がどうなったかわかるだろう。


 と、雷鳴が重く響いた。


「ちっ……思った以上に早ぇな」


 嵐は、想像以上に早い足取りで、かつ性急にその性質を悪化させている。

 守護石が発動してもおかしくない。

 そう思ったときだ。


「トランテさま!」

「え……?」


 立ち止まってカウベリタの街の空を睨めていたトランテの耳に、聞き憶えたばかりの声が届き、驚いて視線を正面に戻した。


「トランテさま!」


 また聞こえたとき、小さく見えていた峠の入り口に、商隊らしき集団があった。どうやらここまで来て、カウベリタの街の様子に気づき、気づきはしたもののどうしようもなく移動停止していたらしい。そしてそのなかに、よく目を凝らして見えたのは、地味な外套に身を包んだ女性だ。


「る……っ?」


 ルルフェルだ。なぜここに彼女がいるのか、というかあれほど嵐が来るからカウベリタには来るなと言ったのに、どうしてここまで来てしまったのか。雨は届かなくとも風が強くなり始めたそこで、ルルフェルは風に飛ばされる外套を抑え込みながら、必死にトランテを呼んでいた。

 注意を無視したことへの怒りが瞬間的に込み上げたトランテだが、それよりもなによりも、まず商隊と一緒にいるルルフェルを保護しなければならない。峠付近にまで嵐は届いておらずとも、通過する可能性を考えれば、嵐の真っただ中にあるカウベリタの街にいたほうが、魔導師の力によって護ることができる。

 慌てて、かつ冷静に努めながら、トランテはそちらに走った。途中で外套の頭巾が吹っ飛んだが、幸いなことに峠付近にまで雨脚は届いていない。吹きつける風は鬱陶しいが、それよりもまずルルフェルだ。

 とにかく走って、走って、思った以上にそこまで距離があることに驚く。よほど遠くからトランテはルルフェルを見つけ、またルルフェルもトランテを見つけたらしい。けっこう走った。よく声が聞こえたものだ。


「ちょ、な、ええ?」


 体力には自信のあるトランテではあるが、驚きと焦りとで、ルルフェルのところにまで行ったときには息が上がってしまっていた。格好悪いことこのうえない。


「来るなって、言ったのに……なんで来ちゃうかな、きみは」


 息を整えながら、怒鳴ろうと思ったそれは思った以上に弱くなった。


「申し訳ありません。ですが、もう少しあと、と聞いたので……まだ、だいじょうぶかと」

「あー……そうか、おれの言い方が悪かったのか」


 近いうちに大きな嵐が来るから、だからカウベリタには来るなと、ルルフェルには言っていた。自分が逢いに行くから、待っていてくれとも。ルルフェルは待っていられなかったのだろう。

 自分の言い方が適切ではなかった、とトランテは脱力し、そしてルルフェルと一緒にいる商隊を見渡す。


「ほかに、商団はいたか?」

「い、いや、見かけてない。王都を出たのもわしらが最後で……途中で雲行きが怪しいことに気づいたが、今日を逃すと出られなかったもので」


 商隊の長らしき老人が、引き返すにも移動の期限が迫っていてどうしようもなかったと、だがここまで来て動くこともできなかったと、項垂れた。ルルフェルとは、引き返すかどうかを揉めていたところで鉢合わせたらしい。ルルフェルには引き返す選択肢がなかったようだ。


「きみはまた……ああもう、説教はあとだ。とにかく、ここに留まっても仕方ねえ。移動するぞ」


 守護石発動までの時間がもうあまりないと感じ、ルルフェルのことは後回しにして、商隊にそう号令をかける。


「だ、だが、あの様子だと……」

「狼狽えんな。カウベリタは魔導師が在住する街だぞ」

「あんたは……魔導師か」

「見りゃわかんだろ。灯火の魔導師トランテだよ。街までの安全はおれが確保する。とにかく移動だ。ひどくなる前に、詰所に逃げるぞ」


 商隊はトランテの正体を知って安心したのか、踏み止まっていた足を即座に動かしてくれた。幸いなのが、商隊が商団ではなかったことだ。移動人数が少なく、荷物もそれほど多くないので、全員が小走り気味で移動できる。問題はルルフェルだが、馬車ではなく徒歩でここまで進んできたらしい彼女は、思った以上に健脚だった。ただ、今日の従者はひとりで、そちらは歳を召していたため、こちらは商隊の馬車に乗ってもらった。ルルフェルにも勧めたことだが、荷を引く馬にこれ以上の負担はかけられないと、われ先に走って行かれた。


「おい、こら、待てって!」


 外套の下は動き易い服装をしているようで、これがなかなかに早い。心配は無用のようだ。

 なんとなく舌打ちしたい気持ちを抑え、トランテは空の様子と、守護石発動の時間を考えながら、商隊とルルフェルの道の安全を確保しながら、関所へと戻る。緊張から誰もが無言であったが、雨が身に降りかかり始めるとさらに緊張の度合いが増したようで、安堵していた表情も険しくなった。


「灯火の魔導師どの!」


 詰所で、動くなと言ったのに、兵士長とその部下数人がその帰りを待って外で待機していた。


「動くなって言っただろ」

「動いてはおりません。外で待機していただけです」

「出るなってことだったんだが……はあ、まあいい。これで最後だ。彼らを頼む」


 兵士長とその部下たちに最後の商隊を任せた、そのときだった。

 ぐらりと、視界が揺らぐ。

 身体から、力が抜けていく。


「灯火どの?」


 身体を揺らし、その場に立ち竦んだトランテを、兵士長が訝しんで呼ぶ。商隊と一緒に保護されたルルフェルが、早くその身を温かな家屋に入れて欲しいのに、動かないトランテの元に駆け寄ってきた。


「トランテさま?」


 柔らかで、涼やかで、甘い声。眩暈を押し殺しながら顔を上げれば、雨のせいですっかりびしょ濡れになってしまったルルフェルの蒼い顔が見えた。


「中に入れ。それ以上身体を冷やすな」

「ええ、わかっております。けれど、あなたさまが」


 差しのべられた手のひらが、ふわりとトランテの頬を包む。そこからもたらされるぬくもりに、なぜだろう、ひどく安堵した。


「守護石が、発動した……」


 頬にあるルルフェルの手に、己れの手を添えて深く息をつく。眩暈が少し治まった。


「守護石……?」

「おれの、力を吸わせてある、呪具だ……時間がねえ」


 身体から力が抜けていく。それは、いくら守護石に吸わせてあるとはいえ、足らない分の魔導力をトランテから吸収しているためだ。同じようなことを、アルカナやグラスコードも体験していることだろう。だが、その数はトランテのほうが多い。

 トランテは握ったルルフェルの手に力を込めると引っ張り、とにかく詰所の建物に入れと促した。


「兵士長、彼女はアズール家の姫だ。丁重にもてなしてくれ。従者がひとり、商隊と一緒にいるから」

「は、了解。ですが灯火どの、顔色が」

「おれはいいから」


 どれだけの時間、この感覚に耐えられるか、トランテには予測不可能だ。まだ限界には達していないと、それだけしかわからない。だが、長くこの状態でもいられない。

 ルルフェルの前で、護るべきカウベリタの住民の前で、醜態は曝せない。その矜持だけで踏ん張って指示を出し、心配するルルフェルを詰所に押し込む。


「トランテさま!」


 強引さにルルフェルは怒ったようだったが、怒りたいのはトランテのほうだ。だがその気力も、今は湧かない。いや、むしろルルフェルがいることで、踏ん張りがきく。


「おれがいいって言うまで、出るなよ」


 ルルフェルを捜して商隊から離れた従者に、ルルフェルを押しつけて扉を閉める。兵士長やその部下たちのことも、同時に詰所に押し込んだ。


「耐えろよ、おれ」


 雨脚が強まる。けれども、それ以上のことは起こらない。守護石が発動した以上、被害は最小限に抑えられる。それを確実なものにできるのは、枯渇した状態になるまで守護石に魔導力を吸わせることだ。それと、晴れを呼ぶ堅氷の魔導師カヤの存在が、どれほどの影響を嵐に与えてくれるか。


 この日、カウベリタの街を襲った嵐は、数年ぶりに強大なものであったと、トランテはあとから知った。







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