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母娘哀れ(ははこ あはれ)

「なんと、それでは母上は弾正に生き血を吸われながら、この洞窟の地下牢で生きておられるというのですか……!」


「いかにも。さようでござります。御母君、美月の方様は、あまつさえ食事も与えられる事無く、牢にてつながれ、夜毎おぞましき物の怪に生き血を啜られながらも……。かろうじて、洞窟の岩肌から滴り落ちる水の雫だけでお命を永らえていらっしゃいます」


「母上……なんと惨い……」


「あの、お美しく気高いお方がおぞましい物の怪に……。命を賭してもお救いせねばと、歯噛みをしながら身を潜めること数日。隙を見て格子越しにお声をお掛けしました。たとえ刺し違えようとも、物の怪に一太刀浴びせ、殿の無念を晴らしたいと」


「母上は、なんと」


「それが……何分衰弱されて、お声も途切れ途切れで……。ですが確かに、常世の刃では物の怪を倒す事ができぬと。桔梗を、桔梗を探してとお話になられました。そして、次代の巫女姫となる貴方様だけが、物の怪を 調伏せしめる事ができるのだとも」


「巫女姫となるわたくしだけが……」


「はい……桔梗様……何か……母君よりお預かりのものは、ございませぬか……?」


母より授かった、懐剣。

      

桔梗は思い当たる節があったが、他人には、いや目の前の滝沢に話してはいけない……心が其れを留めようと囁く。


押し黙る桔梗にいぶかしげに見つめる滝沢であったが、深く残念そうに溜息をつくと再び語り始めた。


「さようでござるか、お心当たりはござらぬと……ならばお聞きくだされ、もし、この先何かお気づきになられましたならば、必ず拙者に。あの日、霧に紛れ、おめおめと生き延びた拙者は、倒れるように城へと駆け戻りました。一刻も早く事の次第を月光城へ知らせよとの殿の命に従い、恥を忍んで戻ってまいりましたが……既に城中、物の怪の巣窟、そして驚くことに中庭では遮那王が……」


「遮那王が!? 遮那王がどうしたのですっ」


滝沢は、かいつまみながらも自分が見た一部始終を桔梗に話して聞かせた。

       

中庭で、遮那王が弾正の姿をした物の怪の毒牙にかかり、様変わりしてしまった事。

       

そして、城中の老若男女が同じ様に血を啜られておぞましい物の怪と化した事。




「遮那王が、物の怪となって人を襲って血を啜った……真ですか!?」


「城中は、まるで地獄絵図。形相変わり果て、死人のように崩れかけた者達……ですがあれは……きっと皆、恐らく遮那王と同じく」


「もう……」


「元の姿に戻ることは……幼きものもおりました……」


「滝沢」


「はっ」


「あの美しかった月光城が……血に塗れ、異臭を放つ魔窟となっているのを、わたしは見ました」


「姫……」


「恐れ多くも観音様のご加護を頂いた、結城の里を穢し、あまつさえ民をもその毒牙にかけた物の怪をわたしは……決して許さない」


「許さぬ……と」


滝沢の声の一瞬のくもりを、桔梗は気づくことが無かった。

       

はぐれてしまった紅蓮、雪白、蒼王丸。


遮那王の子供達が、家族が、敬愛する母、誇り高い狼王遮那王の、変わり果てた姿と対面してしまったら……きっと真っ直ぐに立ち向かう」



――彼らはきっと――   



「彼ら……姫、お聞きくだされ。最早、此の城に人は我らのみ」


「滝沢、此処は何です。月光城の地下深く、このような洞窟があったなどとは、わたしは知らされてはおりません」


「それは拙者も同じく、このような大掛かりな地下牢が存在していたとは……」


「地下牢」


「母君が捕らわれておりますのは、以前よりあったと思われる古い地下牢でござる。常に魔物は、城中より、階段にて訪れます。しかし、その上は恐らく天守閣、敵の本陣。ですが姫。此の洞窟は、何処か外へと続いておりました。」


「外へ?」


「微かに吹く風を頼りに探っては見たのですが、地震の時にでも崩れたのか、今では行き止まりとなっておりました」


「そうですか……」

       

「此処は恐らく戦に備えての、隠し洞。何時作られた物かは、計り知れぬ所ではございますが……それよりも何故、殿に化けているあの物の怪が此の場所を知っておりましたのか……もしや、殿のお姿ばかりでなく、記憶までもを手に入れているのでござりましょうか。いいや……其れも解せぬこと、あの者は奥方様の御名を知らなかったそうでございます」


「物の怪の理など、どうでも良いことです。母上のお身体が心配です。滝沢っ、直ぐに母上の元へ案内を。まずはご無事を確かめたい」


「ははっ、承知つかまつった」




その頃、姫とはぐれた蒼王丸は雪白と共に血に塗れながらも、辺りの敵を一掃した。

       

姫の名を叫びつつ、細身の剣を両手に握りしめ、疾風の如く駆け、襲い来る嘗て人であった者たちを薙ぎ払ってゆく。

       

戦う二つの背中の影で、紅蓮はといえば桔梗が落ちた床穴をじっと見つめ、片時も離れようとはしない。

       

耳をそばだて、じっと暗い闇に桔梗の声を探しているようにも見えた。


「なぁ、雪白、ひでぇよなぁ……完全に化け物になっちまった者、死んで人に戻っていく者。見ろよ……あんなちいせぇ子供までいやがる……ちいせぇなぁ……」


広間に繰り広げられた死屍累々の惨状。

       

積み上げられた死体の山のその前に、蒼王丸は静かに座り込んでいる。

       

其処には、年老いた庭師から、台所方の女、子供までもが倒れている。

       

斬られ、霧散していった者、門番達のように黒いムカデとなり、飛び掛ってくるモノもいた。

       

だがしかし、死んだ後、薄っすらと微笑を浮かべ、人へと戻る者もまた……いたのである。

       

蒼王丸が雪白を振り返ると、雪のように白く美しかったそのたてがみが、禍々しい穢れた血で赤黒く染まっている。


「なんでぇ、お前真っ赤っかっかじゃねぇか。それじゃぁ紅蓮と区別が出来ねぇなぁ……へへ」


力なく笑う蒼王丸に、雪城はくぅんと鼻を鳴らし、頬に残った涙の筋を撫でる様に舐め拭う。


「よせやい……心配いらねぇよ……なんのこれしき、しょげちゃぁいねぇよ。こいつらみんな、今頃きっと極楽で、昼寝でもしてるに違いねぇって。この坊主だって、あの娘だってよ、きっとよ……きっと今頃、母ちゃんと一緒に旨い飯を腹いっぱい食ってるぜ……なぁっ」


蒼王丸は自ら切り捨てた幼子の頭を大きな手でがっしりと掴んだ。

       

そして己の衣を引き裂くと、赤黒い血で汚れた頬や額を丁寧に拭い、指で見開かれた瞼をそっとおろし、大切そうに頭を撫でる。

       

何度も何度も。

       

まだ柔らかい子供の頬に、大粒の涙が一つ二つと零れ落ちる。



……ちいせぇなぁ……。



呟きながら小さな頭を撫でる蒼王丸の肩に雪白が頭を預ける。

       

静まり返った大広間。

      

突然、紅蓮が雄叫びを上げる。

       

蒼王丸も雪白と顔を見合わせる。

       

雪白が蒼王丸の額にこつりと自らの額を当てる。       


「さぁ、迷子の姫さんを探しに行くかぁっ! こんだけ探して見つからねぇんだ、どうやらやっぱりあの穴に飛び込むしかねぇみてぇだなぁっ、雪白、紅蓮っ」


その声に待ってましたといわんばかりに紅蓮が、我先に穴へと飛び込んだ。

       

後に続かず雪白は、穴を見つめて飛び込みあぐねている。

       

其の穴は何処までも暗く、底が見えない。


「なんでぇ、雪白こえぇのか? 兄ちゃんが背中におぶって行ってやろうかぁ?」


蒼王丸がニヤニヤしながらからかうと、雪白は鼻に皺を寄せて睨みつけ、ついっと顔を横に向けた。


そうしてそのまま勢い良く穴の中へと飛び込んだ。

       

少しして、下からギャンッという紅蓮の声が聞こえた。


「はっははぁ、紅蓮の上に落ちやがったな。お~いきこえるかぁっ。ちゃんと避けとけよぉ? 俺もいくぜ~。姫、待ってろよ……。きっと探し出して助けてやるからな。せ~の、でやぁっ」


勢いを付け、蒼王丸も続いて飛び込む。

       

流石に蒼王丸に落ちて来られては堪らぬとばかりに、紅蓮と雪白が後ろへ飛びのく。

       

大きな身体に似合わぬ身軽さで、蒼王丸はくるりと身体を猫のように丸め、音もなく降り立った。


「なんでぇここは……随分とじめじめしてやがるな…」


上から滴り溜まった水で雪白がバシャバシャと身体を洗っている。


「なぁに洒落めかしてんでぇ。どうせまた汚すのによぉ」


むっとしたように蒼王丸の傍にやってくるとおもむろに身体をブルブルと震わせて水飛沫を浴びせかける。


「それをやめろっていうんだよっ! いつもいつもやりやがって、つっめてぇなぁっ」


雪白は蒼王丸の言葉など何処拭く風というように、身体を舐めている。


「くっそぅ、おっぼえとけよっ雪白」


紅蓮がガウと短く吠える


「そ、そうだ、紅蓮の言うとおりだ。遊んでる場合じゃねぇぞ? 雪白のバカタレ。姫をさがさねぇとなぁ。雪白の鼻が頼りなんだぜって…。あ、あぁ、そうか~! 其れでお前血を洗い流してたのか…。なんだ、まんざらバカでもねぇのな、雪白」


鼻を上げ、横目でチラッと蒼王丸を見ると、ぷいっと横を向き、それからふんふんと鼻を鳴らして雪白が先頭を進む。

       

紅蓮も同じ様に桔梗の臭いを求めて辺りを嗅ぎながら進む。




「ここを……そなたが……?」


「はっ。美月様をお救いすべく、拙者が少しずつ切り、壊しもうした。いつか必ずお役に立つはずと」


滝沢の後に続き牢の前へとたどり着いた桔梗であったが、もとより鍵の掛かった扉を開ける術もない。

       

牢内の母に叫ぼうとも、鎖に繋がれ美月はグッタリと項垂うなだれている。

       

途方にくれている桔梗の足元で滝沢が牢の柵を一本一本静かにはずしてゆく。

       

三本ほど抜くと其処には人一人やっと通れる程の隙間が出来た。


「中々に大変でござった。この一見、何事も無いように合わせ、コツが解らなければはずせないという……この手間がですな……」


得意そうに薀蓄を垂れる滝沢を尻目に、するすると牢の中へ入る桔梗。

       

「母上っ。桔梗ですっお助けに参りましたっ……母上! っ此れは……!」


懐かしい母のもとへと駆け寄って驚愕する。項垂れた首筋には無数の牙の痕がドス黒く残っている。

       

血の気を失った青白い腕も、足も、枯れ枝のように細くなってしまっていた。


「なんて惨いっ。母上、わたしです。桔梗です、お解かりになりますか」


「桔梗…桔梗なのですか……母は、もうそなたの顔を良く見ることが出来ません……本当に、桔梗かえ……?」


「母上っ」


「桔梗……あぁ……本当に、良くぞ……良くぞ無事で……っ……もしやそなた……そなたも捕らえられたのでは」


「いいえ、お助けに参りました。母上……会いたかった……」


「助けに……? いいえ、此処に居てはいけません……! 逃げてっ、逃げるのです……はやくっ」


「嫌ですっ。逃げるのならば母上も一緒ですっ」


凜と応える桔梗。

       

その瞳は泪に濡れながらも、涼やかに澄んでいる。

       

美月は優しく微笑む。

       

生気を失った青白い肌と乱れ髪が、その美しい顔に凄まじい色気を添えている。

       

だが、見つめる優しい瞳は変わらず母の温かい眼差し娘を思う一人の母のそれであった。


「強くなりましたね……桔梗。最後に……そなたの声が聞けた…それだけで……母はもう満足です。早く此処から……お逃げなさい。お願い、生きておくれ……」


「今すぐお助けします」


涙を拭うこともせず、桔梗は辺りの石を拾うと、母を繋ぐ鎖のかせを強く打ち壊そうとする。


「滝沢っ、手伝ってっ」


「はっ、ははっ!」


滝沢も続いて手ごろな石を拾い、力の限りにもう片方のかせを叩く。

       

桔梗も滝沢も涙を流し歯を食いしばり、石を握る指を滲む血で赤く染めながら、叩く。

       

ぐったりと項垂れていた美月は、力を振り絞り語りかける。


「桔梗…無駄です。他にも誰かおるのですか…? 良いから早く、逃げるのですっ。そのかせは…物の怪の髭で作ったもの……おぞましい妖力が込められています…此の世の物では壊れはしない……其れよりもその様に大きな音を立てたら…あいつが…あいつが気づいてやって来る……」


「物の怪の…髭……はっ、ならばきっと、これでっ!」


言うが早いか、桔梗は帯の間より家宝の懐剣を取り出した。

       

そして、両の手にしっかりと握り大きく振りかぶって叫ぶ。


「南無、観音力っ!」


鎖めがけて刃を振り下ろすと、驚くことに刃は閃光を放ち、たちまち鎖は一本の黒い針金の様になって霧散した。


「おぉっ! 姫っ、そのお力はっ」


もう片方の鎖も同じ様に霧散させ、崩れ落ちる母、美月の身体を受け止める桔梗。


「母上っ」


「お方様っ」


「桔梗……誰…?……タキ…ザワ……?」


桔梗の手にする懐剣をうっとりと見つめる滝沢の目が鈍く光った。


「これが観音力……」


解き放たれてもまだ朦朧とする中で美月は懸命に意識の霧を晴らそうとしていた。


「……キキョウ……」


「さぁ、早く此処から逃げましょう母上っ」


「き…桔梗…っ」


「なんと……これは素晴らしい宝剣でござりますな桔梗様、某にも見せてくだされっ」


「桔梗…いけない……」


「ささっ、その腕にて母君をお抱えなされ、生きて再びめぐり合えよろしゅうござりました。刃で母御を傷つけめさるな、大切な御宝剣は某がお預かりいたしましょうぞ。さぁ、さぁ」


滝沢の優しい微笑と声に桔梗は思わず懐剣を差し出す。

       

其の時、満身の力を込めて美月が桔梗の腕を止める。


「なりませんっ、 其れは、其の男は、滝沢ではっ」


「え」


「チッ、余計な事を。ええいっ、死にぞこないめっ! やかましいわっ!!」


滝沢は叫ぶと同時に、鋭く尖った針のように爪を伸ばし、勢い良く美月の腹へと突き刺した。


「はぅっ! あ、あぁ……!」


「母上っ! 滝沢っ! 何をする!!」



「小娘っ、いいからその宝剣をこちらへ――寄こせ!!」


「あっ!」


傷ついた母を抱く桔梗の手より、力任せに懐剣を取り上げ滝沢は、狂ったように嘲笑う。


「ク、ククククク…! ワハハハハハッ! やった、やったぞ…! ようやく手に入れたぞっ!これで我が身を脅かすモノなど、最早、何も存在せぬ!!!」


「母上、しっかりして母上っ……!」


「ニゲテ……。滝沢はあの日、父上と共に死んだはず…。その男は滝沢の姿を借りた……化け物……」


「あぁん? 此れはまたなんと酷い言われ様じゃ。いつまでも懐剣の行方を教えぬそなたであっても、こうして親子の対面をお膳立てした我の情けに、化け物とは……あいも変わらず何と云う言い草じゃぁ……美月ぃ。あれ程可愛がってやった我ではないか、つれないのぉ……?」


「おのれ……父上ばかりか滝沢の姿まで……! 物の怪ぇっ、名があるならば名乗ってみよ!」


「威勢のいい姫じゃ…母によぅ似ておるわ……忠義芝居…中々に楽しゅうござった、姫君……可愛げのない美月には、もう飽いた……これからは、若いお前と楽しむとしよう……手始めに……そうじゃなぁ……まずは良い声で鳴いてみよ。ほれほれ……我が怖いか? 恐ろしいかぁ? ふっ、ふふふふふ……ほうれ、その様に目を吊り上げず、ちこうまいれ……桔梗。愛でようぞ……とらまえようぞ……ほんに……若々しく旨そうじゃ……」


ゆっくりと滝沢の手が伸びる。

       

其処にはもう以前の麗しい青年の面影は微塵も残ってはいない。

       

青白い顔に光のない闇を湛えた穴のような瞳。

       

生臭い息を吐きながら、まるで鼠を追い詰め戯れる猫のように、ちょいちょいと桔梗の頬を爪で突く。

       

血を流し、瀕死の母を抱えながら、じりじりと後ずさる桔梗。

       

背中に当たるは、洞穴の岩肌……。

       

桔梗、絶体絶命の其の時に、飛び込んできた赤い影

       


――紅蓮である――



「ぎゃぁぁぁあああっ!」


「紅蓮っ! 雪白! 蒼王丸様もっ!」


――も?――


飛び込んできた紅蓮は、勢い良く滝沢の腕を喰いちぎった。

       

腕から黒い血飛沫を噴出して、唸りながらよろける滝沢。


銜えていた腕をぶんと放り投げ、紅蓮は美月と桔梗の前に燃え盛る炎の壁のように庇い立つ。


「おのれぇぇぇ! 何者じゃっ!」


「じゃかましぃ! おめぇのほうこそっ、何もんだぁっ! あぁ~そうか、悪もんか。こいつあぁいい、こいつぁいいやっ。がっはっはっはっは。問われて名乗るもおこがましいが……。俺様はなぁ……正義の味方、蒼王丸様だ!!」


「くぅぅぅぅっ、おのれぇぇぇ…! 調子に乗って邪魔だてしおって、いまいましい……! 下郎がっ!! 許さん、許さんぞぉぉぉぉっ!!」


「上等じゃねぇか、三下が!! ほらほら、どぅする、どうするよぉっ!」


二本の剣を向け立ちはだかる蒼王丸と、牙をむいて唸る雪白。

       

肩を押さえながらぎりぎりと歯軋りをして双眸を光らせていた滝沢は、奪い取った懐剣をがっちりと口に銜えたかと思うと、そのままバキバキと恐ろしい音を立て噛み砕いてしまった。

       

そうしてニタリと不気味に笑うと、今度は素早く放られた自分の腕を拾い、その口に銜えた。


「うぉ? なんだなんだっ。いよいよ正体あらわにおめみえかぁっ?」


ごうごうと唸るように凄まじい瘴気を、その背に黒く立ちのぼらせながら滝沢は、

       

首を大きく左右に揺らがしたかと思うと、にいいっと口から耳までに亀裂を走らす。

       

そして一瞬、口に銜えた自分の腕を、首を振って上へと放り投げ、再び落ちてきた腕をがっぷりと耳まで裂けたその口で銜えなおした。

       

その上驚く事に、青白い首がにゅるりと上へ伸びはじめる。


「あ、あれは――」


口からチロチロと出入りするその舌は赤く細く、先が割れて蛇のようにうねっている。

       

腕も足もおぞましい無数の蟲の足となり、ざわざわと蠢いている。

       

結城侍の誉と謳われた滝沢主税はもう其処には居ない。

       

否、最早その姿は人間の形すら留めてはいなかった。


「百足か…だが門番のとは桁ちげぇだぜ」


今、蒼王丸たちの目前で骨格すらバキバキと音を立て、身の丈、軽く十尺は超える大百足へと変化したのである。

       

百足は自分の腕を口に銜えたまま、洞窟を打ち破って逃げ昇ってゆく。

       

その巨体は岩をも突き抜けて上へ上へとうねりながら進んでゆく、砕かれた岩と共にガラガラと洞窟の岩肌が崩れ落ちる。

       

大百足の通った跡には城へと続く巨大な縦穴が出来上がった。


「逃げろっ!」


「だめですっ! 岩で塞がって通れませんっ!」


桔梗はぐったりと傷ついた母を抱え、波打って揺れる牢の中を降り注ぐ岩を避けながら、牢より出ようと試みる。

       

が、格子もろとも打ち砕かれて出口は無い。

       

其の時、紅蓮めがけて頭上から巨大な岩が落ちて来るのを桔梗は見た。


「紅蓮っあぶないっ!」


その声に、素早く身をかわす紅蓮。


「紅蓮は大丈夫だっ。桔梗その人を俺に渡せ、奴の通った穴から抜け出すぞ!」


「はいっ」


収まりかけた地鳴りの中で、蒼王丸が美月を桔梗の腕から受け取り背中に背負うと頭上から物の怪の声が雷鳴の如く響いてきた。


「小娘っ、生きておるのか、しぶといことよっ! 母に免じて、お前の問いに応えてくれようぞ。聞くが良いっ、結城の姫よっ……! 我こそは百年前、結城の姫の手によって封印されし地底の凶王、煉獄丸じゃっ!」


「煉獄丸」


「地底で呪い続けて百の年、今こそ我は甦ったぁぁっ! 積年の恨みはらさで置くべきかっ。にっくき結城の者どもは根絶やしじゃっ、孫子の代まで祟ってくれようぞ!」


「お。おのれ……外道」


「天守閣にて我は待つ、命を惜しむ知恵無くば、登って参れっ、畜生どもを伴ってなぁっ…! 野良犬ともども喰らい尽くし、骨の髄までしゃぶってくれるわぁ!! ふ、ふははははははっ、あーっひゃっひゃっひゃっ!!!」


「おうともよっ! 直ぐに其処まで登っていくぜっ、化け物野郎!きたねぇ首を洗って大人しく待っていやがれっ! 狼王の牙と爪を、とっくりと、てめぇに味あわせてくれてやるぜ!」


「そうそうそれと、もう一つ、誇り高い巫女姫のお前の母美月はなぁ、此れまでも此の先も……永遠に俺様の女だぁっ!!」


強く唇を噛み締めて桔梗が叫ぶ。


「おのれっ、黙れ黙れ、黙れっ!!」


「チッ、腐れ外道が――!」


「うっ、うぅぅ……桔梗……」


「母上っ、蒼王丸様、母上が!」


「思った以上に深そうだな……ともかく、此処は危ねぇ、時期に崩れる。上へ進もう、なぁに上の敵ならほとんどもう片付けてあるからよ…残るは親玉と取り巻きだけだ。何処か静かな場所を見つけたら…そこでゆっくり……死に水をとってやんな……」


「……母上は、死んだりしないっ!」


「おう、そうだな……。よし、行くぜっ!」


次々と落ちて来る岩を避けながら、物の怪の開けた穴を上へと進む蒼王丸たち。

       

奪われてしまった懐剣は壊されてしまった。

       

煉獄丸と名乗った物の怪を打ち倒すことは出来るのか。

       

桔梗の母美月は助かるのか……。

       

そして……行方知れずの遮那王はいったい……。       

    

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