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突入

観音の姫の秘密

そして一同は月光城へ……


月光城。奥座敷美月の部屋。

        

金糸銀糸の刺繍を施した、美しい内掛けを羽織り、静かに座る美月。

        

ふと、襖越しに声がかかる。

        

結城藩の唯一人の跡取り。桔梗である。


「母上、お呼びですか」

 

「桔梗ですね。お入りなさい」


「はい。失礼いたします」


襖を開け、静々と部屋に入り、美月の前に座ると手を突いて頭を下げる。

        

一連の所作は、凜として清々しい。


「桔梗。母は今朝不思議な夢を見ました……」


「夢……?」


「そう、夢です」


「それは……どのような?」


「恐れおおくも観世音菩薩が、わたくしの夢に参られて……」


「観音様が……?」


母の言葉に戸惑いを隠せない桔梗に、美月は厳かに夢の顛末を語る。

昨夜、美月の夢枕に現れた観音菩薩は、厳かに、結城家伝来の懐剣を娘の桔梗に授けよと命じたというのだ。


「わたくしに、家宝の懐剣をですか? ですがあれは、結城の姫が成人した後に受け継がれるものと聞いております。母上、わたくしの誕生日はまだ一月も先ですが……」


「我が結城藩は代々女系であり、姫は婿を迎えるのが常。その様な事が此のご時勢にまかり通るのは、我が藩が海の幸山の幸に恵まれ豊かであるから。そしてその豊かさ故に隣国に狙われる事があろうとも、決して攻め入られることはありませんでした。全て観世音菩薩様のご加護があってこそなのです」


「観音様のお使いの、遮那王の一族が代々の結城の姫とともに護ってきたから……」


「そうですよ。桔梗、代々の姫たちは守護獣と共に此の藩を護ってまいりました。観音様の御使いである狼は、結城の姫の言葉しか聞かぬ守護獣。結城を護るよう観音様がお授けになった守護獣です。そして、結城の姫は成人すると、姫として血に受け継がれた観音力が満たされ、その声に【慈音】を賜るのです」


「じおん……?」


「【慈音】とは、守護する狼と通じる事が出来る、魂の声のようなものです」


「魂の声……」


「そして同じく此の懐剣も、水晶の数珠と共に結城の姫が、観音様に授かった家宝の宝剣。刃には観音力が込められており、卑小な魑魅魍魎の類ならば必ずや打ち払いましょう」


「母上……よろしいですか」


母の言葉に、熱心に聞き入っていた桔梗であったが、母が一呼吸取ったとき、いつになく口を挟んでたずねた。


「もちろんですよ」


「わたくし、以前よりお聞きしたいと存じておりました。結城の姫と、神山の狼との古の盟約とは、いったいなんなのでしょう。それは、聞いてはならぬことなのでしょうか?」


「いいえ、桔梗。古の盟約…それは古来、一子相伝、成人の儀の折に語られてきたものなのです。その昔、まだ人里に物の怪が蔓延り、妖怪や悪人が跳梁跋扈する頃、結城の始祖となった姫君と、観音様が使わされた狼が此の里を護ったと聞いています。それ以来、代々結城の姫と遮那王の一族はその幾百といわれる封印を護る、担い手でもあるのです」


「封印を護る、担い手……」


「此の懐剣をそなたに与えるのが観音様の御心ならば、わたくしは従うまで。桔梗。恐れることはありません。遮那王の子供達がきっとそなたを守り導いてくれるでしょう」


「遮那王の子供達」


「そうです。成人したあかつきには遮那王がそなたの元へと連れてまいります。その若い狼と力を合わせて、結城の里を、民を護るのですよ。」


「わたくしには、母上のような力はございません……」


「いいえ、そなたはきっとよい護り手となるでしょう。母にはわかります。良いですね、狼王の一族と力を合わせて……慈音を……慈音を信じるのです……桔梗…慈音を……」




「母上、母上……!」


「おぉ、 目が覚めたかぁっ」


蒼王丸の声に目覚めた桔梗は、夢を見ていたことを知った。懐かしい大好きだった母の夢を。


川原で顔をバシャバシャと洗っていた蒼王丸がやってきて、桔梗の顔を覗き込む。


「なんでぇ、泣いていたのか……」


心配そうに覗き込む紅蓮の首元を優しく撫でながら、小さく頭を振る桔梗。


「いいえ、泣いてはいません。今、一月ほど前、母上より結城の姫の力の話と、懐剣を賜った時の夢を見ました」


「懐剣と、姫の力?ほう…そいつは興味深いな……俺もひとつ聞いてみたい」


「蒼王丸様は、もうご存知のお話かも……。結城の姫が成人したあかつきには、観音様のご加護により血に受け継がれた観音力が高まると…。そしてそれこそが狼と心が通ずる【慈音】と言う音。その音が成人した私の声に含まれるようになるのだそうです」


「ほぅ。【慈音】ねぇ…。そいつぁまた、便利なのか不便なのかわからねぇこったなぁ」


「え?」


「だってよ、【声】、がいるんだろ。 俺は遮那王たちの言葉が、頭と言うか胸に響く」


「胸に……いいですね。少し…羨ましいです。幼い時から側にいてくれた遮那と、言葉が交わせたらどんなにか楽しかったでしょう。ねぇ、紅蓮……。あなたはいったい、どのような声で話すの……? 成人したわたくしの胸にその声は響いてくれるのかしら」


紅蓮は何か言いたげに、じっと桔梗を見つめた。


「ごめんなさい。やっぱりまだわたくしには、聞こえないの」


そう言ってさびしく微笑む桔梗の頬に、紅蓮がそっと顔を寄せて頬ずりをする。


「ふふっ、優しいのね紅蓮。今宵、丑の刻」


「丑の刻? あと少しだな」


「わたくしは、成人します。代々受け継いできた観音力が満たされる。そして【慈音】も…。さすればきっと、観音様のご加護で遮那王の居場所を知る手立てとなるはず――」


「…気にいらねぇなぁ」


「え……?」


「何でもかんでも、御加護って言うのが気にいらねぇ。確かに人の運命、きまっているやもしれねぇが、だがよ、運命に抗ったっていいじゃねぇか」


「運命に、抗う……」


「あぁ、そうだ。運命、宿命、知ったこっちゃねぇよ。俺はやりたいようにやるっ。やりたいようにやりまくって気持ち良ければそれで良しってよ! 悪もんは倒すっ、妖怪だろう忍びだろううが、此の俺様がギッタンギッタンにしてやるぜっ! こう…、ちぎっては投げ、ちぎっては投げっ…てよおっ!」


「ちぎっては投げ……。ぷっ、うふふ。それは――楽しそうですねっ」


「そうそう、それそれ、笑う門には福来るってなぁっ。人生五十年、どんな風が吹こうとも、笑っていなしてくれようぜっ! わははははっはーっはっはっ」


「あはははは」


「めでてぇじゃねぇか、誕生日。そしたら紅蓮の声も聞こえるんだろ? こいつは結構優しい声をしてるんだぜ。なぁ、早く姫さんと話してぇよな? 紅蓮」


其れに応えるように、紅蓮が桔梗の顔を舐める。


桔梗の瞳に強い意志と、運命に立ち向かう光が輝く。


「うっふふ、あはは、紅蓮。わたくしも、わたしもとっても楽しみです。最初に聞こえる紅蓮の声。遮那――遮那だったら、いったい何と言ってくれるのでしょう」


「よ~し。此の林を抜ければ、もう城は目の前だ。鬼がでるか、蛇が出るか。面白そうじゃねぇかっ」


「はいっ、ゆきましょうっ蒼王丸様!」





蒼王丸と桔梗姫が雪白、紅蓮を伴い林を抜けるとその目前に、暗闇に聳え立つ月光城が見えた。


「綺麗なもんだなぁ、月を背にキラキラしてやがる」


「いいえ、以前はもっと清らかに光っていました」


「清らか……ねぇ……」


「あの輝きは、本当の月光城の物ではありません」


「そうか――拝みてぇな、本当の月光城の輝きをよ」


「きっと――きっと取り戻して見せます。本当の、月光城を」


「おう」


「蒼王丸様に、見せてあげなきゃ」


「おう、そうだな」


城を目指して進む一同。


不思議なことにすんなりと城の門前までたどり着く。


怪しく光る月光城は、まるで誰一人住む者の無いように、不気味な静けさを漂わせている。


「臭せぇ、臭せぇなぁ――ぷんぷん匂いやがるぜ」


「蒼王丸様?」


「ん? って…くすぐってぇなぁ。いい加減、様はやめてくれよ、様は……。耳の置くがこそばゆいったらねぇぜ。……とにかくこりゃぁ、スンナリ行き過ぎだ。これじゃぁまるで、アンタを待っているようだぜ」


「わたしを、待っている? ……罠ですか」


「まぁ、そんなところだな。事はどんどん悪くなっているようだぜ……。人間の気配が……全くしねぇなぁ」


「全く……」


「城ってもんは、一人じゃどうにもこうにも、成り立たねぇだろ? 女中、侍……たくさんの人間が動かしているはずだ。でもよぉ、其処の門番……。あいつらでさえ、人じゃぁねぇぜ」


「人では無い」


「まぁ、みてな……。いいかい? 此処を動くんじゃねぇぜ。雪白、いくぜ」


静かに言葉を切ると、闇に隠れ雪白と門へ忍び寄る。


息を揃えて門番に飛び掛り、小刀で喉を掻っ切る。


雪白はもう片方門番の喉を銜え、バキリと鈍い音を立て骨を折る。


桔梗は紅蓮と共に、門へと近づき、倒れている男を覗き込む。


「人間……では?」


「ようく見な」


そう言って、男の身体を足で二度三度と小突く。

        

すると、驚く事にその身体は崩れ、着物の中から十八文はあろうかという、百足むかでがぞろりと這い出してくる。


「っ! これはっ」


驚き飛びのく姫の前に出て、紅蓮が前足で踏み潰す。

        

同じくもう一匹は雪白がすかさず踏み殺す。


「む、百足?」


「こいつは、ちぃっとばかり厄介だな姫さん」


「蒼王丸様……これは、いったい?」


「恐らく、百年来の大地割れで封印とやらが解けて妖怪か化け物でも出てきやがった。そんなところだろうな」


「封印の妖怪……。では、やはりあれは父上では――」


「生きちゃぁいねぇな、本当の殿様は。地割れの調査に行った時にでも、喰らって取って代わったんだろう――」


「父上……。母上――」

 

「遮那王はきっと臭いで感づいたにちげぇねぇ。正体を見破られ、邪魔になって鎖に繋いでいやがったんだ。封印される前の力を完全に取り戻すまで、な……目覚めたばかりの化け物なんぞに、遮那王が殺せるはずもねぇ。物言えぬ狼という事を利用して、他の侍どもに繋がせたんだろう。結城の侍を、遮那王は傷つけたりはしねぇからな。だが、解せねぇ……化け物め……遮那王を眠らせ、捕らえてどうしようってんだ」


「……遮那は、父上に唸りはしても、大人しく鎖に繋がれていました。あの時父上は、ずっとわたくしの手を握っておりました。もしや、遮那は……わたくしの身を思って――」


「アンタの話を聞いて思ったんだが、遮那王は千載一遇せんざいいちぐうの一瞬って言うのを待っていたんじゃねえのか?」


「千載一遇の一瞬」


「誰も傷つけずに親玉を倒す。遮那王が目指すのはそこだろう。狼王は、護るべき者は、命に代えてでも護る。それが掟であり、俺達の誇りだ」


「狼王の、誇り――」


「人のこの手による物には観音力が利かない。そいつを百も承知な遮那王だ。だから、アンタの手からしか飲みも食べもしなかった」


「遮那王」


「それと――」


「それと……?」


「いや、まずはそこまでにしとこう。遮那王を見つけちまえば解る事だ」


「わたしが《慈音》をつかえれば――」


「くよくよ考えても仕方がねぇさ。相手が化け物とわかった、人じゃないならかえって都合がいいってもんだぜ。ようは、ぶっ殺しちまえばおしまいだ」


「はい。あのような化け物を此の目で見て、わたしの心もはっきりといたしました。今、父上の姿をして、天守閣に君臨している者。あれは父上ではなかった……。乱心などなさっておられなかった。父の姿を借りた化け物であった。あの時、父ではないと思ったわたしは――間違っていなかった。父上の民を思い、国を思ったお姿は、わたしの心から消えはしません。蒼王丸様」


「おう」


「必ず――父上の、皆の無念を、わたしは晴らしますっ」


「ようし、それでこそ、結城の巫女姫様ってもんだぜ。さぁて、そんじゃぁいっちょ派手にやらかすとするかっ。狙いは親玉っ、天守閣まで――突っ走るぜっ!雪白、俺とお前で露払いだっ。紅蓮っ、お姫様を――落とすなよ!」


言われて紅蓮は頭を下げて身体を低くする。

        

姫は勇ましく其の背に跨り、紅蓮の鬣を掴む。

        

蒼王丸が勢い良く門を蹴破ると、眼前に人の姿をした化け物たちが、有象無象と待ち構えていた。


「いいかってめぇら、耳かっぽじってよおっく聞きやがれっ!俺様は、蒼王丸! 雪白、紅蓮と共に、誇りある結城の守護獣、遮那王の子だぁっ!結城の姫をお連れした、手向かうものは、人も化け物も斬って捨てるっ。雪白の牙で喰い千切る!」


背中の二本の刀を抜き、両の手に構える。

        

襲い掛かる化け物を次々と倒し、進む雪白と蒼王丸。

        

切り開かれた道を姫を背に乗せ、護りながら駆ける紅蓮。

        

桔梗は、この世のものとも思えない地獄絵の中、きつく唇を噛み締め、紅蓮の背中にしっかりとしがみ付く。




『怖い……。地獄とはこのようなところか……。いいえ、わたしは負けない。どのような地獄を駆け抜けようとも、負けるものか、恐れるものか、母が死に、父が死んだ今。わたしが…結城藩、月光城の主だものっ!』


場内を驚く強さで疾風の如く突き進み、敵を蹴散らしながら一同は、天守閣に続く階段へと辿りつく。


「目指すは天守閣! もう一息だっ!雑魚どもは引っ込んでろっ、狙うは親玉っ。邪魔立て無用、押し通るっ!!うおぉぉぉぉぉぉおおお!!!」


物の怪もひるむ雄叫びを上げて、階段を一気にかけ登ろうとする。

        

次から次へと現れる敵に、登るどころか押し戻される蒼王丸たち。

        

天守閣への階段は直ぐ其処であるのに、とうとう背中に壁と突き当たってしまった。

        

蒼王丸と雪白が、紅蓮に乗った姫を庇う様に前に立つ。

        

其の時、桔梗の足元の床が開いた。

        

不意を疲れた紅蓮は均衡を崩すが、なんとか床縁へとしがみついた。

        

雪白が、紅蓮を銜えて上へと引き上げる。

        

だがしかし、背中の姫はなすすべもなく真っ暗な闇の中へと落ちていった。


「蒼王丸様ぁぁぁっ!」


「姫っ! 紅蓮っ!」


哀れ、廊下に仕組まれた罠にかかり、落ちていく桔梗。


襲い来る適をかわしながら、姫の落ちた穴へと蒼王丸は声の限りに呼びかける。


「聞こえるかっ、姫っ! 必ず助けに行くっ、俺を信じて待っていろっ!!」


蒼王丸の声だけが、暗闇の中へと吸い込まれてゆく。





「ぅ…、ううん…」


カラクリ床の罠によって、紅蓮の背から落ちてしまった桔梗は、上から滴り落ちる水滴を顔に受け、目を覚ました。


「ここは……? はっ、紅蓮……! 紅蓮、無事ですか、紅蓮っ。――そういえば、紅蓮は咄にしがみつけたはず……。どうか無事でいて紅蓮、雪白……蒼王丸様」


落ちる際、身体をしたたかに打ちつけた桔梗であったが、幸い足は無事であった。

        

あれだけの高さより落とされながら、まさしく、観音菩薩の加護の賜物であろうか。

        

桔梗は、手を合わせてしばらく我が身の無事に感謝を捧げていたが、やがて何とか立ち上がり、目を凝らして辺りの様子を窺ってみた。


「なんて暗いんだろう……。鼻の先すら見えはしない。


城の地下に、このような場所があったなんて……。

        

湿った空気……それに水の滴る音が……聞こえる」


暗闇に目が慣れはじめると、桔梗は一人闇の中、まさぐって触れた壁伝いに前へと進んでゆく。


「なんとかして、蒼王丸様のもとへ戻らなければ……。っ、あれは?」


冥府のような闇の中、遠く向こうのほうから炎の灯火が小さく見えたかと思うと、前方からこちらへと向かってくる。

        

暗闇に身を潜めて身構える桔梗。小さかった灯火が近づくに連れ大きくなってゆく。ゆらゆらと松明が揺れながら進んでくる。

        

火の根元から捧げ持つものの押し忍んだ様な声が聞こえて来る。


「姫っ。桔梗姫っ。何処におられます。桔梗様っ」


囁くように、それでも呼びかけるように自分の名前を呼んでいる。


それは、聞き覚えのある優しげな声であった。


「滝沢っ……? あの声は、滝沢では……。でも……そんなことが……?」


桔梗の躊躇いには訳があった。


滝沢主税。


父弾正の筆頭側用人。


小姓の頃から父の信頼を得ていた若侍である。


主君である弾正、そしてその妻であり桔梗の母、美月共に、将来は姫の婿にと考えるほどの信頼を得ていた。


眉目秀麗、文武両道である滝沢は、結城の殿に滝沢ありと謳われる、非の打ち所の無い結城侍である。だがしかし、この暗闇で、声だけで、果たして信じても良いのであろうか。


「姫っ、滝沢がお救いに参りましたぞっ。桔梗様っ! 何処にあられまするかっ!」


父、弾正の豹変。


もし、もしも物の怪が成り代わっていたとしたら。

        


――此の滝沢はいったい――

        


それでも、懐かしいその声に桔梗の胸は揺れる。

        

雫に濡れる岩肌を離れ、呼びかける声に向かってゆっくりと近づく。

        

闇に揺れる松明の明かりに向かい、願いを込めて声をかける。

        

どうか――どうか滝沢でありますようにと。



「滝沢……」



「おぉ! そのお声は確かに桔梗様っ! こちらへ、どうかお姿をお見せくださいませっ! 滝沢をお忘れか、どうかご無事な姿を……!」



涙声のような悲痛な声に、桔梗は松明の明かりの元へと姿を晒す。

        

揺れる炎の照らす顔は、見知った滝沢そのままであった。

        

心なしかやつれ、面差しも細く、儚げな美しさを漂わせていた。

        

桔梗の姿を明かりで確かめると、麗しい眉根を寄せて桔梗を慈愛を含んだ眼差しで見つめる。



「良くぞご無事で……良かった……本当に良かった。よもやこのようなところで巡り合えるとは……、きっと観音様の思し召し。お探しいたしましたぞ、桔梗様」


「何故、こんな所に」


「申し上げます……あの日、調査の折に物の怪に襲われた日。飛び掛る化け物より、あろうことか拙者を庇って殿は……殿は……命をかけてお守りいたすと誓っておきながら……姫に合わせる顔など無い身の上。ただただ、殿の無念を晴らすべく、こうして生き恥を晒しておりまする」


滝沢の口から聞く父の最後は、嘗て家臣を思い、民を思った、敬愛する父の姿。

        

桔梗の胸に、懐かしい、大好きだった父の優しい笑顔が甦る。

        

「そうですか、そなたを庇って……父上らしい……」


零れる涙を隠そうともせずに、それでも微笑む桔梗の前に、額を擦り付けんばかりの勢い膝を突き頭を下げる。

        

染み出して雫となって溜まっているその水溜りへ美しい顔を浸そうとも。


「滝沢……」


「姫っ。主君に庇われ生き延びた某にさぞ、お腹立ちでございましょう。何度腹を切ろうと思ったことか。されども、殿の最後のお言葉を守るため、今日まで隠れ、生きながらえておりました。先だってよりの城中での騒ぎを聞きつけ、その中に女性の叫び声。懐かしい姫のお声に違いないと、こうしてお探ししていた所存でございます」


「滝沢。良く生きていてくれました。そなたと再び巡り合えて、これほど心強いことはありません。聞かせてください。父上の最後のお言葉とは――父上は何と?」


「たった一言……桔梗を頼む、と」


「父上……」


「貴女様を無事、弾正様の生家へとお連れしてのち、某は腹、掻っ捌いて殿のお傍に参ります。今は何より、その日がとく参りますようにと。それだけが生きるよすがとなっております」


「なりません」


「姫、ならぬと……? やはりお腹立ちごもっとも、今すぐ死ねとおっしゃいますか。お目汚し、御免っ!」


勢いつけて膝を立て、胸倉に差し入れた両の手でぐっと着物を開く滝沢。

        

其れをいさめて掴んだのは露に濡れた桔梗の白い指だった。


「聞くのですっ。父上が命をかけて救ったそなた、その御心を無駄にするのは許しませんっ。きつく命じます。その命、大切にして生きるのですっ」


「生きよと……」


がっくりと肩を落として俯く滝沢。

        

その耳に聞こえる桔梗の声は、母、美月を思わせるような慈悲深く響く。


「そう、生き抜いて共に結城の里を……民を救うのです」


「……強くなられた……其れに引き換え某は……姫、主君亡き後、こうして生き恥を晒しておりました滝沢ですが、貴方様こそ時代の巫女姫、月光城の真の主。恐れながら此の滝沢主税、力の限りお仕えすると誓います」


顔をあげ、真っ直ぐに見つめる滝沢主税。

        

泥土に汚れたその顔も、固い決意に輝いているようであった。

        

        

結城藩にこの人ありと謳われる滝沢主税。

        

今この時に二人を引き合わせた父と幸運は、はたして観音力の成せる業か――。

        

仕掛けられた罠に落ち、蒼王丸と離れ離れの桔梗に、現れた救いの手であるか。

        

暗く濡れる洞穴の道を、滝沢の持つ松明を頼りに進む桔梗。

        

しばらく行くと、静かに桔梗に告げる滝沢の言葉。



「姫。実は一つ、朗報がございます」


「朗報…?」


「お喜びくださいませ。母君、美月の方様は、ご存命でいらっしゃいます」


「母上がっ!?」


巡り合った父の寵臣滝沢。彼の言葉に桔梗は驚きの声を上げる。

        

信じていた祈っていた母、美月の生存。

        

地獄と化した月光城。

        

罠に落ちた姫、一人。

        

はたして、希望の光は桔梗の行く手に輝くのであろうか。


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