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モニカ

「ミュージシャン、か……」

 先日聞いた言葉を反芻して、ため息をついた。

 これで何回目になるだろう。この言葉は自分の心の中心にどっかりと居座っていた。悪い意味ではない。トラウマになった時とは違う、言葉に不思議な魅力があって、そこから目が離せないのだ。

「どんなだろうな?」

 彼はミュージシャンというものを知らなかった。いや、職業そのものを知らないわけではなく、ミュージシャンという人種の性質をよく知らないのだ。つまり、どんな人間なのかが想像もつかないわけである。

 友人がミュージシャンだ、とか家族が、だとか。そんな人間がどれだけいるだろう。少なくとも彼が関わりを持ってきた人間の中に、それに当てはまる奴はいなかった。ただ、それだけの話だ。

 これまでの生活を続けるならば、奴らがどんな人間か、なんて微塵も気にしないだろう。しかし、彼は見てしまったのだ。ミュージシャンと名乗った人間の色鮮やかさを。そして憧れてしまったのだ、その有り様に。

 ――俺が昔から想い続けてきたこと、願い続けてきたこと。“差異” 他と一緒くたになりたくなかった。千の中の一になりたくなかった。それだけを想って足掻いて生きてきた。自己の独立性を保つために、他との線引きを明確にするために多くのことをやった。そんな俺に家族も国も無かった。そして、自分がどうしても抜け出せなかった枠組みである、この街。これだけを嫌悪して今日を生きてきた。

「けど、結局それも全の中の一に過ぎない。俺は足掻けてすらいなかった」そう言って肩を落とした。

 つまりところ、運命の女神は彼の足掻きをも全のうちに入れたのだ。すべて、現実に嫌気がさして精神の安定を失う思春期の青年、という社会現象の一つに過ぎなかった。

 ――ああ、分かっちまったんだよ、それが。自分は結局、白と黒で構成された人間だったとな。だから学校も辞めた。家族からも離れた。ただ、毎日を消化していくように過ごすと決めたんだ。なのに、彼らが現れてしまった。自分がかつて目指していたものである、彼らが。

「色っつーのは、俺が自然と身につけた人間の見分け方だ」

「何?急に」

 隣に座っているのはスティーブ。突然独り言を言い出す俺を不思議そうに見つめている。

「いいや」

 あの日から数日。あれから連日でここに通い、バスケをしていた。アイツ等を見てから、今の自分が空虚に思え、何もせずにはいられなかったのだ。

「ねぇティムくん。そろそろ試合再開するそうだよ」

「ああ。わかったよ」

 ティム、というのは勿論自分の名前である。ティム=ティリンス。それが俺の名前だ。

 ティムは大きく背伸びをして立ち上がり、気怠そうに首を回しながらコートにおりた。

「じゃあ、今から20分ね。ティムのボールから開始で」

「――」

「では試合開始、――って。ティム?君からだよ」

 ボールを持ったまま、ティムは明後日の方向をむいて固まっていた。

「どうしたの?」

「――シッ」

 スティーブを手で制して、コートの外、スラムの通路を指差した。

 感じる。視覚的な色だけでなく、気配すらも。その溢れ出る生気は忘れることなどできない。

 ティムはボールを放り投げ、コートの外へ向かう。そうしている間にも、その気配は通路をこちらへ近づいてくる。

(何を焦ってんだ、俺は。急がなくても向こうから来てるってのに!)

 そうは思っても足は止まらない。はやる気持ちも。

 ティムが通路に出る前に、相手の方がこちらに行き着いた。フェンスの影から出てくる姿を認めたら、足が自然と止まってしまった。

「あ……」

 少女が一人だけであった。顔には薄い笑みを浮かべている。

「――」

 少女と目があった。交差したのは一瞬であったのに、それがとても長い時間に感じられたのは自分だけなのか。

「クスッ」

 少女は笑う。

「?」

 何が面白い?と言葉がそこまで出掛かったところで少女が口を開いた。

「なぁに? 人のことじっと見て、面白い顔して。やっぱり変な奴」

「やっぱり?」

 変人呼ばわりされたことよりも、今はその言葉の方が引っかかった。

「印象にないでしょ? 私、この前あなたに会って、ビリーとの喧嘩も見てたんだけど」

「あ……あの男の彼女の……後ろにいた二人の片割れか!」

 少女は眉間にしわを寄せる。どうも俺の物言いが気に食わなかったようだ。

「あ、いや。片割れ、というのは訂正しよう」

「プッ」

 また笑われた。

「面白い奴だわ、あなた。私はモニカよ。仲良くしよ」

 そう言って手を差し出してくる。

「名乗れと?それでもって握手を?」

「それ以外に何があるのよ。仲良くしよう、って言ってんじゃん。そんな微妙な顔しないでよ」

 おっと。心境が表情に出てしまっていたようだ。気を付けねば……。しかし握手。そんなこともう何年もしていない気がする。女性と触れ合うというのはなんだかくすぐったい――。

「えい」

 ぎゅう、と握られる手。俺の右手が目の前の少女の両手で包み込まれていた。

 ――刹那のことだ。体中を何かが駆け巡った。補足をしておくが女性と手をつないで恥ずかしかったわけではない。彼女の生気が俺の体を突き抜けていくイメージだ。先程からあえて言っていないが、彼女の色は鮮やかでイキイキとしている。その彼女と手をつないで受け取ったこの感覚は、彼女の気にあてられた、というのが一番近い表現だろう。

「――ハッ!」

 意識が現実に戻ってくる。モニカ、と名乗った少女はニコニコと微笑みながら、俺の手を揉むように握り続けていた。

「――」

「あれ? びっくりして飛び上がっちゃうんじゃないかな、とか思ってたのに、でもなかったね。握られるの嫌なわけじゃないんだ」

 嫌ではない。むしろもっと触っていたい。俺の憧れていたものがここにあるのだから。

「ティム……。ティム=ティリンスだ」

 俺が名を名乗ると、モニカは嬉しそうな顔をしてにんまりと笑った。

(よく見ると、この女は結構美人だな)

「――んで、そのモニカさんがこんなところまで一体何の用で?」

 来てくれたから、再び会うことができたのだし、会いたくてここに通いつめていた自分に言えたことではない。しかし、面目というのもある。取り敢えずは内心の高ぶる気持ちを抑え、クールな男を装った。

「ん? あなたが見たかったんだ。この前から面白い人だなーって思ってたから」

「あ。そ、そうなの?」

 自分は隠しているのに、相手からおおっぴらに会いたくて、と言われると逆に恥ずかしくて、動揺してしまった。格好つけていたのも台無しである。

「ホントはビリー以外の人は会いたいって言ってたんだけど、仕事もあるしビリーをひとりにもできないでしょ? だから暇してた私が一人でやってきたの」

 数日前に初めて会った時の情景が頭の中にフラッシュバックした。

「ビリーってこの前殴った奴か?」

 ふと、あの時のことを思い出すと、また腹が立ってきた。

「俺は悪くないぞ。アイツがキレるのは見当違いだろう」

「フフッ。そこはお互い様ってことで、ほら。そんなに怒らないでよ」

 モニカはティムの反論を笑って躱す。

 ティムが「まあ、いいが……」と言ったところで、後ろのスティーブからバスケを早く始めたいと声がかかった。まだモニカと話し足りなかったので今日は断ろうとしたら「あ、ゴメンネ。邪魔しちゃって。ちょっと待ってね」と言って、彼女のショルダーバックをあさり始めた。

「あなたに渡してって……。ああ、これこれ」

 と、手渡されたのはチケット。紙面には『ライブハウス555』と大きく書かれていた。

「これは?」

「えっとね、私たちがライブしてるスタジオのチケット。ケリーが招待してこいって言うから」

 ケリー?また知らない名前だ。

「ケリーはこの前あなたと話した女の子で、ビリーの元カノよ」俺の疑問に補足してくれた。「ついでに言うと、あなたと喧嘩した次の日にわかれたって」と、すこし面白そうに。

「俺が来てもいいのか?」

「招待してるの。来てよ、絶対。みんなひと目見たがってるんだから」

 にっこりと笑う彼女は、それだけ言い残して足早に去ってしまった。

(どうしたもんかなぁ……)

「ティムくーん。もう試合始めちゃうよ~」

 チケットをポケットの中に突っ込んだ。ただし、折り目はつかないようにそっと。

二話目です。更新、頑張ってます!

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