第四話 自分改革は前途多難
「そいじゃ、ここに横になったってー」
エガリテに案内されたのは、暖簾のような布で区切られた長方形のスペースだった。
中には等間隔で並べられた……ベッド? 綿毛の塊? のようなものが設置されており、どうやらここで髪の毛を洗うらしい。美容院に置いてあるシャンプー台を想像していたので、ちょっと驚いた。
それは丁度人一人が横になれる大きさで、頭の方向には窪みのようなへこみがある。羊毛やクッションの綿みたいにもっふりとしていて、柔らかそうだ。……本当にここで洗うのか?
「なあ、ここで頭を洗うのか?」
「そうやよー。あ、もしかして初めて見たのか? そんだったら、洗ってる最中にこの植物の説明もするけんな。大丈夫だから、横になってくれねえ?」
「ん、分かった」
……植物なんだ、これ。
促すエガリテに頷き、横になる。想像したとおり柔らかく、ふんわりとしていて、意外なことにもっちりとした感触も感じる。
窪みは僕の頭より少し小さいくらいの大きさに見えたのだが、頭を下ろすと窪みはゴムのように広がり、僕の視界の端に窪みのフチが見えるくらいの大きさに広がった。
「タオルかけるけん。洗っとる最中にずれたりした、遠慮なく言ってくれよー」
その声と同時に、視界を遮っていた深緑の髪の毛を白が覆った。その色も直ぐに視界から移動し、僕の目は白一色になる。タオルの柔らかい感触が気持ちいい。窪みの中が、甘い匂いのする液体で満たされていき、僕の長い髪の毛が液体の中を漂うのが分かる。……水? なんだろう、好きな匂いだ。
「それじゃ説明するから、何か気になったことあったら直ぐ聞いたってな? あ、分からんとこはしょーじきに分からんって言うけん、どうしても知りたかったら他の人とかに聞いてくれ。俺も専門家ってわけじゃねえし」
言いつつエガリテが僕の髪の毛を、根元から毛先にかけてゆっくりと梳かす。エガリテの指先が皮膚を掠める感触がくすぐったい。
「分かった、疑問に思ったことは直ぐに聞くことにする」
「おし! これはなートルトルっちゅう名前の植物で、これは加工されとるから本来の形とはちゃうけど立派に生きてるんだぜ? 今アストルが頭おいてる窪みの部分が口で……ってああああストップ待ってアストル大丈夫やけん体に害とかないけん殺気立たないで怖いから!!」
衝撃的な事実に思わず嵌められたのか、この受け受けしい純朴で嘘の下手そうなエガリテに、この僕がまさかそんなっと混乱のあまり起き上がりかけた僕を慌ててエガリテがトルトルの口部分に引き戻した。
どさくさに紛れて引っ張られた髪の毛が痛い。禿げちゃったらどうすんのよ……根に持つぞ、僕は。あと殺気なんか出してない。むしろ出し方を知らないのに出せるわけがないだろ。
そんな僕の複雑な思いを察したのか、エガリテが最初のとき以上に優しく髪の毛を梳いてくる。今度は指の腹で頭皮を揉むように梳くから、ちょっとしたマッサージを受けている気分だ。
「あー焦った……トルトルは確かに植物生物やけど、生き物に対しての害はまったくと言って良いほどないんだ。人間の髪の毛についとる埃とかゴミとかを食べるねんけど、そのままじゃ食べれんから自分の体に溜め込んでる水分と、トルトル特有のトル蜜を混ぜた液体で口の中を満たして、その液体ごとゴックンすんねん」
「……へえ、凄いんだな」
何なのお前ほんと何なの僕を萌え殺したいのゴックンすんねんって何だよぶりっ子か、そうなのか、自分の可愛さ分かっててやってるのマジもうマジ……エガリテ……あざとい子! 僕もう自分が奇行起こさないようにするので精一杯で素っ気無い返事しかできねえよエガリテだから落ち込むな、ちょっと素っ気無い反応にしょぼんとするな、萌えちゃうだろうが!!
「なんや折角説明してんのに味気ない反応じゃな……まあでも、凄いっちゅうのは的を射てるな。トル蜜は人の髪の毛からトルトルの餌……埃とかゴミとか、そういうもんを剥がれやすくする性質があるんよ。この国で売られ取るシャンプーとかにもトル蜜が使われとるやつ、結構あるんだ。アストルが何のシャンプー使ってるかは知らないけど、トル蜜入りじゃねえやつ使ってるなら断然トル蜜入りシャンプーのが良いぞ!」
「……ずいぶん力説するんだな。エガリテもトル蜜入りシャンプー使ってるのか?」
「もっちろん当然だ! なんたってトル蜜入りシャンプはー確実に汚れが落ちるし、トル蜜の保湿成分のおかげで艶々のサラサラなんやよ?」
えっへんと胸をはる姿が簡単に想像できるような声音で、まるで女子のような可愛いことを言うエガリテ。僕はさっきからエガリテに何度萌え殺されてることやら……この美容院に入って正解だった。まさかこんな美味しい受けと出会えるなんて、僕の幸先は前途洋々だ。
「エガリテがそんなに勧めるなら、僕もトル蜜入りシャンプー……使ってみようかな」
「お、ほんまに?」
「ほんまに、だよ。でもそうすると……髪の毛の匂いとか、エガリテと一緒になるのか?」
この世界って香りつきとか、香りの種類とかあるんだろうか?
「エガ「いいいい一緒って! 一緒って! 何恥ずかしいこと言うとるん?! 男同士やのに、なん言ってんだよ!!」
とても上ずった声で、なんとも美味しい反応ご馳走様ですエガリテくん……でも僕ちょっと君の将来が心配になってきたよ。何様だよって自分に突っ込みたくなるようなことを考えながら、それでもやっぱり心配になってくる。このぐらいのことで一々そんな過剰に反応していたら、それこそ悪い女にでも騙されるんじゃないだろうか。視界はタオルで覆われてるからエガリテの顔は見れないけど、何だか顔を真っ赤にしているような気がする。勘だけど、多分あってるんだろうなあ。
「ああああもう、おし、しまい! お終いだ、トルトル全部汚れ落としきったみたいやしアストル終わったで! タオルどかすけん、もう立っても……? ……!!!」
言葉と共に視界を覆っていた白が取り払われ、想像どおり顔を真っ赤にして眉をしかめたエガリテが目に飛び込む。エガリテは一瞬きょとんと目を丸くした後、先ほど以上に顔を沸騰させて目を見開いた。……何だ、この反応? エガリテは何に驚いてるんだ?
「どうしたんだ? エガリテ……僕の顔に何かついてる?」
僕を指差して魚のように口をはくはく閉口させ、声もでない様子のエガリテに首を傾げる。確かめるように自分の顔を触って、会得が言った。
何てことはない。エガリテは、僕の顔そのものに驚いたんだ。
今の僕は先ほどまで髪を洗っていたためオールバックの状態だ。僕の顔を遮る前髪は後ろにいっているため、今の僕は顔がモロに出ている。エガリテは、僕の整った顔にこの反応を示したんだろう。
自惚れでも何でもない。
僕の、アストルの顔はそれだけの反応を引き出すに足りるものだ。何せ、曲がりなりにも乙女ゲームの攻略対象。顔立ちが整ってなければ意味がない。きっと僕が私として、エガリテの立ち位置にいたとしたら同じように真っ赤になると思う……けど、今の私は僕で、僕はアストルだ。エガリテのような反応はできないし、やろうと思っても無理だろう。
だからか、エガリテの反応が新鮮な反面……少しの気恥ずかしさを感じる。本来の体じゃないのに、なんとも不思議だ。それだけ僕がアストルに慣れてきたってことなんだろうか。
分からない。分からないけど、とりあえず
「この状況、どうしたものかな……」
今だ僕を指差した状態で固まったままのエガリテに、頬を指でかき苦笑する。
さあて、どうやってエガリテを正気に戻したものかな?
とてもお待たせしてしまって申し訳ありません。これからも不定期になるかも知れませんが、エタらないよう頑張りたいと思います