第三話 改革前のハプニングと友人フラグ
人の賑わう異国情緒漂う町並み。街道を歩く人々はカラフルな髪を風になびかせ、店先を覗き込んだり、立ち止まって世間話に花を咲かせている。
「……すごいな……」
アストルの家から外に飛び出した僕の目に入ったのは、そんな光景だった。
思わず感嘆の声を上げながら、街道に沿って足を動かす。物珍しさにきょろきょろと辺りを見渡した。
やっぱり目につくのは道を歩く人の髪の色や服装だった。ピンクや水色など、本当に色とりどり。人工毛や染色のような不自然さもまったくない。これ……見てる分には目に楽しいけど、自分の髪がピンクとかは無理だな。アストルの髪の毛は黒に近い深緑だったから本当に良かった。
完全に目元まで覆ってしまう自分の前髪を一房つまみ、眺める。脳裏に思い描く見慣れた自分の髪とこの髪に、これといった違いは見当たらない。……むしろ女のころの髪より艶とか手触りとか、色々こっちのほうが……。いやいや、そんな馬鹿な。女として多少なりともトリートメントとかに気を配っていた私の髪より、不規則で自堕落な生活を送っていたアストルの髪のほうが綺麗じゃねとか……絶対認めねえ。
……うん、やめよう。これ以上考えちゃうと僕、これから行く美容院で丸坊主にしてくださいとか言いかねない。丸坊主は駄目だ。一時の感情でそんなことしたら僕は生き恥を晒すことになってしまう。イケメンの丸坊主とか誰得だよ。何をどう間違っても俺得にはならない。落ち着け僕。びーくーる、Be coolだ私。
吸って、吐いて、軽い深呼吸を二度ほど繰り返す。早く美容院に急ごう。間違っても僕が丸坊主にしてくださいとか言いださないうちに。
もっと街並みを観察したい気持ちを抑えながら、早足に急ぐ。ちゃんと内股にならないよう気をつけながらだ。
一本の大きな街道から、左右に枝分かれした道を右に曲がって直ぐの場所に目的地が見えてきた。考え事をしてる間に随分と近くまで来ていたらしい。
目的の場所である美容院は赤いレンガで造られた二階建ての建物だった。ハサミの絵が大きく描かれた木製の看板を上に掲げていて分かりやすい。店の扉は開いていて風で閉まらないよう重しで抑えてあり、店内の様子が見れるようになってる。店の中からはハサミの切る音と水の音、楽しそうな喋り声などがここまで漏れ聞こえてくる。
「おーっし、いざ」
「ふざけんじゃねえぞゴラァアアア!!」
店内の陽気なしゃべり声に後押しされるように、さあ入ろうと足を一歩踏み出したところで僕は思わず止まってしまった。店内から男の怒声やガラスの割れる音が聞こえる。きゃあ、や、うわっなどの声も混じり、活気づいていた店内は一瞬で静まり返ってしまった。
「何してくれてんだよ! アァ!?」
「な、ええ?! お、俺はお客さんの言うとおりに切っただけ、ですが……」
怒り狂った男の怒声に、驚いたような、戸惑ったような青年の声が答えた。
「確かに切れっつったけどなああ! こんな風にしろとは言ってねえだろうがよ!!」
「……っあぁもう! こんな風も何も、俺はお前の言うとおり切ったってーの! 自分の髪質とか顔とか自覚せんと注文すっからソンナ風になっとんだろうが! 八つ当たりはよしてくれ!」
いっそう大きく喚く男の声に、戸惑った声を上げていた青年も苛立ったみたいで、声を荒げて言い返し始めた。
興味を引かれた僕はなるべく足音を立てないように店のほうに近づき、開かれた入り口から中を覗き見た。胸倉を捕まれながら言い返しているエプロン姿の青年。そして
「ぷっっ……、くっ……っっ」
その青年の胸倉を掴んで喚いている男の顔を見た瞬間、体に衝撃が走った。体をくの字に折り曲げ、声を止めようと口元に手を当てたが、止まらない。生理的な笑いを止めようと思って止められるほど、僕は器用ではなかったらしい。
腹筋が小刻みに痙攣し、体がぴくぴくと震える。店内の視線が僕のほうに集中してるけど、うん。無理だ。あの男、何て格好してんだよ。
「んだテメエ! 何か文句でもあんのかゴラァ!」
「げふっ……! ごっひゅ……、あはっ、あーっはっはっはっは!!」
なけなしの抵抗が男の声を聴いた瞬間吹き飛んだ。僕の努力を無駄にしやがって。ああもう面白い。顔と髪の毛のチョイスが……も、無理だった。
想像していただきたい。顔は厳つい、ヤのつく家業の人とか、DQNとか、めっさ強そうな強面のおっさんの頭に、ちっこい無数の縦ロールがぴょんぴょん生えているところを……。色々な意味で、もう、キッツイ。主に僕の腹筋とかが。マジで衝撃だった。例えるならハゲ頭の校長先生がピンクのふりふりドレスで全校集会をしてるぐらい衝撃だった。爆笑ものだ。
「テ……テメエ……! 笑ってんじゃねえええええええ!!」
「おっわ、ちょ、避けろお前!」
顔を真っ赤にして飛び掛ってきた男を、体を右にずらして避ける。頭に血が上ってる状態の人間ほど、あしらい易いってのが僕の持論だったりするんだ。突進してきた男は勢いを殺せず、そのまま店の正面、民家の壁に頭ごと突っ込み、あっさりと倒れた。店の玄関には、目をぱちくりさせて驚いた顔をしている青年が立っていた。僕が避けきれないと思って、助けようとしてくれたのだろうか? 避けろって叫んでくれたのも彼みたいだし。
騒ぎに気づいたのか、大通りの方からざわざわと人が集まってきた。男がぶつかった民家からも人が顔を覗かせている。頭を抑えて起き上がった男はびくっと怯んだ。目の前には自分を笑った僕が仁王立ちしてるし、店内の客からは白い目を向けられている。どんどん集まってくる野次馬にまで、その奇抜な格好を晒すことになってしまった男はたまらないだろう。
「あっは、ごめんオジサン、一応我慢したんだけど無理だった。でも笑っただけで突っ込んでくるって、どうなの? 僕は思わず笑っちゃっただけで、何もしてないのだが?」
「うっせえ! テメエが笑いやがるからいけねえんだろうが! ぶっ殺してやるっ!」
のろのろと体を動かして怒鳴る男は、状況がまだ把握できてないらしい。巡回の騎士とか来たら、間違いなく捕まるのは自分の方なのにな。
わざとらしく口角を吊り上げ、少し大げさな仕草で肩を竦めて見せる。視線を大通りの野次馬に向けながら、僕は優しく男に忠告してあげた。
「あっれ? そんなこと宣言して大丈夫なのか? こんなに大勢の人がいる前で、無関係の僕を、よりにもよって殺すだって? 君は随分と大胆らしい。巡回の騎士様が到着されたら、どちらが悪いのか、周囲に聞けば直ぐ分かる。なーんにもしていない僕と、その僕に突然飛び掛ってきた君。子供でも分かる。僕をぶち殺すだなんて騒ぐよりも前に、することがあるんじゃないのか?」
にやにやと意地悪く顔が歪んでるのが分かる。僕ってもしかして、性格悪いのかも。男は震えるように大きな体を揺らすと、辺りを忙しなく見回して青ざめる。ようやく周囲の様子と、自分の現状の危うさを理解したらしい。
「っぐ、ぉお、覚えて……あ、や、忘れやがれぇえええ! っくっそぉおおおおおおおおおおおおお!!!!」
吼えるように叫んで、男は細い路地に走っていった。というか、うん。随分と切実な捨て台詞だったな……。結構挑発したから、お決まりの台詞を言うかと思ったんだけど……、自分の格好を覚えられてるほうが嫌だったらしい。まあ無数の金髪縦ロール姿なんて覚えられたくないか。
走り去っていった彼の背中は怒りと空しさ、悲しいなどが混ざった複雑なものに溢れていて……切欠を作り、挑発までしたことに少しだけ罪悪感を覚えた。
……せめて、冥福を祈っておこうか。
「あー……、ちょっといいか?」
「へ?」
両手を合わせて黙祷を捧げていたら、先ほど男と争っていた青年が遠慮がちに話しかけてきた。予想していなかったとは、間抜けな声を出してしまった。不覚。
青年はまだ去る気配の無い野次馬を見回した後、ちょいちょいと右手で手招いた。元々お店に用もあったし、招かれるまま店内に入る。
青年は扉が閉まらないよう置いていた重しを取り除いた後、扉を閉めて僕の方を向き直り、おもむろに両手を顔の前で勢いよく合わせた。ぱちんと合わさった両手が大きな音を立てる。
「助かった! ありがとう!」
「……え? あの、僕が特に何かした覚えは無いんだが」
拝むような形で手を合わせ、頭を下げた青年に慌てた。身に覚えの無いことで感謝されても困惑することしかできない。僕がやったことといえば、男を挑発するように大笑いしたことくらいだ。困惑する僕に、青年は笑いながら顔を上げた。
「いやさー、お前があのタイミングで笑ってくれんかったら、絶対口だけじゃ終わらんかったと思うんだ。そうすっと、あれだ。さっきアイツが割りやがった瓶以上の被害が出て……俺がお袋にどやされてまうってー結果が……」
青年を改めて見る。ふんわりと明るい茶色の髪。二本の黒いピンで前髪を右に止め、後ろは寝癖みたいにはねている。若干垂れた青い目は青年の外見を穏やかそうに見せているが、本人の性格は違うらしい。どちらかといえば活発な、悪戯っ子みたいだ。
「まあ、お前が大爆笑してくれたお陰さんで、俺もお袋にどやされん!」
「そうだねぇ……どやさないわけぇ……無ぁいでしょうがッッ! こんの馬鹿息子ッ!!」
がつっという硬い音と共に、青年の頭が消えた。……いや、訂正。音と共に青年が前のめりにしゃがみ込んで、視界から一瞬消えた。頭を両手で押さえて声もなく呻いてる青年の後ろで、恰幅のいい女性が拳を握り仁王立ちしていた。
「仮にも客に怒鳴って手ぇ出そうとする馬鹿が何処にいるってんだい! さっきのは客も悪かったがアンタも悪かったよ。客の注文素直に聞くからこうなるんだ。結果が見えてるんだから、煽てるなり何なりして注文内容を変更させるくらいしな! まったく、アタシの息子とは思えないくらい手ぬるいね!」
「~ッいったぁああ!! 何も殴ることないだろ! あ、嘘ですごめんすんません。やから拳握らんでお願いお袋の拳骨は本気でしゃれにならんのだから、死ぬ。死なんでも馬鹿になる。お袋もこれ以上息子が馬鹿になるとか駄目やね? ね? やから許して勘弁して反省してるから」
あんまりな説教を繰り広げた女性に一瞬反抗しかけて、直ぐに平謝りしだした。うずくまってた場所で両手をついて頭を下げて綺麗な土下座を披露する。あ、ここにも土下座の文化ってあるんだ。
土下座した青年を放置して女性がこっちを見た。なんだろう。僕も何か言われるのかな。
「すまないねお兄さん、巻き込んじまって。お兄さんのお陰で助かったよ。お礼といっては何だけど……お兄さん、髪を切る予定はないかい?」
「あります。元々、髪の毛を切るつもりでここまで来てたので」
「そうかい! そいつは丁度良かった! さっきのお礼だ、タダで良いよ」
「……良いんですか? 大したことしてませんよ?」
「いーのいーの! あたしが気にしなくて良いってんだから、気にしなくて良いよ。ラッキーぐらいに思っときな」
あれぐらいでタダとか、良いのだろうか。……良いって言ってくれてるんだし、ありがたく受け取ろうかな。せっかくの好意だし、タダだし。うん、ラッキー。
「ほら、そんなとこでグズグズしてないでとっとと起きな! ああお兄さん、あたしは他のお客さんを切ってる途中だから切れないけど、変わりにこの馬鹿が切るけど良いかい?」
「……流石に、縦ロールは勘弁してほしいんですが」
むしろそれって嫌がらせではないだろうか。女性に言われて土下座の体制から起き上がった青年は、僕の言葉にショックを受けていた。がーんと言う効果音が聞こえてきそうな顔で涙目になってる。ちょっと可愛い。が、流石に自分が縦ロールを味わうのは勘弁願いたい。お礼どころか嫌がらせだ。
「ああ、それなら大丈夫だよ。腕は確かだ。……さっきの客は、運がなかったねぇ。自分の注文した髪型が、まさか自分の髪質と相性最悪なんて思いもしなかったんだろうよ」
僕の心配は杞憂だと笑ったあと、女性は客を待たせているからと奥の方へ。玄関には立ち上がった青年と、僕が残された。
「あーっと、不安かも知れんけど大丈夫だから。さっきの客みたいなこと、早々無いってか俺も初めての体験やったし。やから、えーっと、……頼りないかもやけど、俺で良い、かな?」
僕が不安かもって言う彼のほうがよっぽど不安そうで、思わず顔がゆるむ。可愛い。絶対この人受けだ。妙な確信を抱きながら僕は頷いた。
「良いよ、大丈夫。……けど、縦ロールは勘弁だからな?」
「……! せ、せんせん! 絶対せん! 任せとって! 絶対カッコよう切るから! それじゃ切る前に髪の毛ぬらすからこっち来てくれ」
おどけて笑うと、彼はぶんぶんと激しく頷いた。にこにこ笑った彼の顔は少し火照って、赤い。先導するように奥へと歩く彼についていくと、数歩もしないうちに振り向いた。
「っと、その前に名前聞いてもえーかな? いや変な意味と違くて、恩人さんを何時までもお前呼ばわりとか心苦しいし、ちゃんと俺の名前も言うし、えっとだからまったく変な意味はのうて」
「アストルだよ」
「ふへ?」
何だか逆に変な意味に捉えてくれと言わんばかりに、変な意味はないと強調する彼に頬が緩む。今の僕の名前。アストル。人にこの名前で自己紹介するの、変な感じだな。
「アストル・アーム。僕の名前。……で、君の名前は?」
「アストル……アストルな、オッケー。覚えた。俺の名前はエガリテ。エガリテ・アミだ。改めて、よろしく!」
数回僕の名前を呟いて頷くと、彼は、エガリテはそう言って笑った。
差し出された手を握り返す。
もしかしたら、うん。この世界最初の友人ができるかもしれない。
「こちらこそ、よろしく」
友達ゲット目指して、まずは会話から初めてみようかな。