第二話 現状把握から始めましょう
「よしっと、収穫はこんなもんかな」
彼の家をくまなく探し続けて、大体三時間後。私は朝起きた寝室に戻り、ベッドの上に倒れこんだ。思いのほか疲れてしまったけど、それ以上の収穫も見つかった。
一つは私の中に彼の記憶があったこと。これは予想外だったけど、それ以上に頼もしい収穫だ。多分彼が自我を形成し始めただろう幼少期の記憶から今、私が彼になってしまう前日の晩までの記憶が、確かに私の中にあった。
ところどころ穴抜けの部分もあったけど、そこは多分彼自身も忘れているところだと思うから気にしなくても大丈夫だと思う。今この体の中には私の記憶と彼の記憶、二つの記憶があり、その記憶を私という精神がまとめている状態らしい。うまく説明できないけど、儲けものだと考えて受け入れとこう。
もう一つはカレンダー。オウヴァル16プランタン4-5。彼の記憶に従って読み解くと、オウヴァルが年号でプランタンが春、季節を表していた。そして4-5は月日。オウヴァル16年春の4月5日……という風に読むらしい。ちなみに曜日は現代日本のカレンダーと同じ場所に書かれていた。今日はサムディ……土曜日だ。この世界も土日と祝日が休みらしくて、外は賑やかな喧騒に包まれている。こういった部分は何処の世界も一緒らしい。
原作の開始年はオウヴァル17だったから、今は原作の一年前なのだろう。彼の記憶があって助かった。……無かったら絶対このカレンダーを読み解くなんてできなかったと思う。だって字、見たこともないグニャグニャとミミズがのたくったような奴だし。
彼の記憶を私の精神が纏めているからだろうか。本棚に置かれていた本を試しに読んでみたけど、見たこともないミミズ文字だっていうのに問題なく読めた。後はその文字を書けるかどうかなんだけど……字再試してみなきゃ分からないか。
倒れていたベッドから起き上がって寝室を出る。出て直ぐの廊下を向かって左が彼の私室だ。
私は彼の私室に入り、本や紙の束が積み重なる大きな机を回り込んで未使用の羊皮紙を棚から取り出した。赤いふかふかのソファに座って、彼の机に向かう。忘れないように書き留めなければいけない。
羊皮紙に書き込むのは原作のことだ。彼の記憶を見た限り、この世界に日本語もしくはそれに準ずる言語は存在しなかった。どれだけ私以外の人間が読み解こうとしても、取っ掛かりや法則がなければ見当はずれの解読になるだろう。私以外には読めない暗号、そして私が手軽に読んで確認できる暗号といったらもう、自ずと選択肢は限られる。
机に置いてあった羽ペンをインクに浸し、机に落ちないように構えた。この世界はヨーロッパの中世をモチーフにした世界だ。当然ボールペンなんて便利なものはない。彼の記憶では日常的に慣れ親しんだものだが、この体を動かしているのは私だ。最初から綺麗に書けることは期待しないで、練習の意味も込めて書こう。
この世界の元となっていると私が仮定した原作の名前は「Un souverain attirant」だ。主な略称はすべろん。フランス語で魅力的な支配者という意味らしい。年齢制限有りの18禁PCゲームで、実力派のスタッフ陣が送り出した異色作。実験的な要素がふんだんに織り交ぜられた作品で、脅威のディスク三枚組みというスペック殺しな一品だ。私も他のゲーム消さないと、カクカクしてまともにプレイできなかった。
……補足の意味も込めて、この世界の簡単な地理も書いておこうかな。
私が今いるここはアヴニール王国。エスポワール大陸の沿岸部に位置する、魔法と武力が発達した大国だ。政権は絶対王政であり、王が政治の全権限を持っている。王位継承は世襲制ではなく、アヴニール王国が誇る騎士と魔法使い。その知識と資格を持っている者なら、誰でも王になれるのがアヴニール王国最大の特徴だろう。
選出方法は一対一の勝ち抜き形式。騎士と魔法使い混合で戦い、最後に勝ち残った人が次の王たる資格を得ることになる。もちろん勝ってすぐ王に襲名するわけではないけど、変わった制度だと感じた。他の国でこんな型破りの方法を採ってる国はない。
だけどその制度が功を奏したのか、この大陸でアヴニール王国は最強無敗の国として存在している。
そんなアヴニール王国で最大の規模を持つブラヴール学園が、すべろんの舞台だ。
物語は主人公が二年生になるときから始まる。ブラヴール学園は全四年制の学園で、二年生のとき学科選定が行事として組み込まれている。その学科選定を転機として、主人公の物語は開始するのだ。
騎士科と魔法科、二つの学科の適正をはかって、より適正の高い方へと振り分けられるこの学科選定はブラヴール学園の伝統行事だ。その選定結果は強制ではないが、ほとんどの生徒は振り分けられた学科を選択する。適正の低かった方の学科を選択する生徒は稀だ。
そしてこの行事、主人公にとっては攻略できるキャラクターが決定するだーいじな行事っというわけだ。攻略人数は騎士科と魔法科それぞれに五人ずついて、どちらの科にも出現条件有りのシークレットキャラが一人いる。ストーリーは主人公の卒業まで続くため、攻略中の上級生キャラが卒業した後は休日にデートとかしたりして攻略していく一風変わったシステムになっている。
EDは攻略キャラ一人につき三つ。別名攻めルート受けルート、リバルートだ。
そう、このゲームは主人公の選択肢で受け攻めが変わるのだ。ぶっちゃけ私はリバルートが一番攻略しづらかった。ストーリーの前半部分で受け選択肢と攻め選択肢の割合が五分五分であることがリバルート突入の条件なんだけど、その変の匙加減がマジで難しかった。何度間違えて受け&攻めルートのほうに突入してしまったことやら……。
ちなみにルート名はそのままの意味だ。受けルートは主人公がされる役で、攻めルートはする役。リバはその両方とも。
私しか読める人はいないって分かってても、流石に直接的な表現は控えたほうがいいだろう。ちゃんとオブラートに包んで書けているだろうか……不安だ。
自然と唸りながら、私は羽ペンを握りなおした。騎士科と魔法科の特色についても書いておこう。
まずは騎士科。騎士科の生徒はそれぞれ最初に、自分が極めたいと思う武器を選択するらしい。それを元に使い方や戦略の立て方などを学ぶようだ。
例えば弓を選んだ場合、弓の扱い方を始め、どのような場面で役立つかどのような場面で足手まといになるか。その武器のメリットやデメリットを説明し、それでも極めたいと思ったら詳しい扱い方を学ぶといった感じだ。中には何ていうか、そう、とてもユニークな武器を選ぶ人もいて……本当にもう、私の中の騎士像を粉々に打ち砕かんばかりの勢いだった。彼の記憶の中にモーニングスターを選んだ人もいて、それを見た瞬間かな。私の中の騎士像ががらりと変わったよ。
本来の私の体よりほっっそい体で、鎖の先についているバスケットボール大の棘つき鉄球を、自身の頭上で勢いよく回転させる姿は圧巻を通り越して怖かった。周囲も記憶の中の彼も怖がっていたから、多分この世界でも異常な光景だったんだろう。安心した。あれが常識なんだったら、私多分死ぬ。
思い出してしまった記憶に脱力して、私はペンを置いた。魔法科の特色が書けてないけど、今度にしよう。今はどうにも、書く気が無くなってしまった。
手と手を組んで腕を前方に伸ばし、ぐっと体を伸ばす。慣れない羽ペンでの作業に体が緊張していたらしく、鈍い折れるような音が体中のそこかしこで鳴った。視界に入る腕は細くとも男性のそれで、女のものではない。……その事実が辛い。
彼は何処にいってしまったのだろうか。私はどうなってしまっているのだろうか。不安は、上げてしまえばきりが無い。
「私は……違うか。これからは、僕……だね。気をつけなきゃ……。後は、口調と歩き方と……仕草? 他には何を変える必要がある?」
私は僕になる。違和感なんて与えてはいけない。私は彼ではないから彼を演じる必要はないけど、それでも男性らしくしなけば駄目だと思う。わた……僕は元々女で、完璧に男を演じれるとは思わないけど、しないよりする方が良い。
私が僕になるために必要なことは、女性的な動作を無くすこと。男性的な仕草ができなくても、女性的な動作がないだけで違和感は大分無くなる……はずだ。時間に余裕は無い。彼の記憶によると明後日から始業式だから、実質今日と明日で形にするしかない。ハードスケジュールにもほどがある。
それを考えると、彼に憑依したことは不幸中の幸いと断言しても良いだろう。彼以外のキャラクターに憑依していた場合、僕はその攻略対象の性格を演じる必要があった。彼、アストル・アームが攻略対象の中で唯一の自宅通学生であり、尚且つ徹底的なまでの人嫌いであることが、僕の負担を極端に減らしてくれたのだ。
他の攻略対象は学園寮に住んでいる。一人部屋だからといって油断して廊下に出た瞬間、他の生徒に遭遇する可能性があるのだ。寮では休まる時間もないだろう。そして何より、他の攻略対象は多少なりとも人づき合いがある。その人の性格を演じるのと演じないのとでは、ボロが出る確率もストレスの量も大幅に違うことは想像に難くない。アストルの記憶を確認してみても、彼が誰かと私的な会話をしたことは皆無だった。アストルの詳しい性格を知っている人は誰もいないだろう。それが例えアストルと一年を共にした担任であっても、だ。ソレがどれほど異常なことか、僕は知っている。
……その異常こそが、僕の最大の幸福ってのが皮肉だよね。
「でもま、これを利用しない手はないよね。劇的! アストル君大改ぞー……あ、口調変え忘れてるや。気をつけないとね、じゃなくて……気をつけないとな」
やっぱり、使い慣れた口調を無意識に使ってしまうな。……人前で実践して強引に変えてみるか? 髪の毛も切りたいし、ちょうど良いかも。
僕は長い前髪を摘みながら、彼の記憶で周囲の地理を確認する。歩いて数分もしない場所に美容院があった。多分、行けるだろう。
ソファから立ち上がり、僕は背伸びをした。今はこの世界での一般的な寝巻きのままだから、外に出るなら着替えなきゃいけない。ドレッサーは寝室にあるので、また部屋を移動しないと。僕は机を来たときと同じように迂回し、アストルの寝室に向かった。
今朝、容姿を確認した姿見の横に設置された大きめのドレッサーを開く。
……少ないな。いや、確かにアストルは学校と食料の買出しぐらいにしか外出していなかったみたいだから仕方ないのかもしれないが……、これは流石に少なすぎだろう。
思わず口をへの字口にしながら、僕は脳内メモに服の購入も書き加えた。ゲーム内で彼は一般生徒に不細工だの不潔だのと散々影で罵られていたが、例え初期状態が冴えなくても攻略対象。初めてアストルの素顔スチルを見たときの衝撃を、僕はきっと一生忘れない。
異様に長い前髪とゲーム内でつけてた、だっっさい伊達眼鏡で隠れているだけでアストルは絶世のという言葉をつけても構わないくらいの美形なのだ。すべろんでも貴重な眼鏡要員にして隠れた素顔は美形というテンプレをこなしたアストルに、憑依という形でとはいえ関われたのだ。
これはもう、……着飾らせるしかないだろう。いや着飾らせなくてもいいだろうけど、ソコはソレだ。本人に拘りが無いなら、格好もソレらしくあるべきだと思う。今の僕はアストルじゃないから人嫌いでいる理由もないし、オールおkだろ。
ぐっと拳を一回力強く握った後、いざっとばかりにボタンを手にかけ……ふとそこで僕は、今までまったく意識していなかった重大な障害があることを思い出してしまった。
「……あ、あー……。すっかり忘れてた……。そうだよね。すべろんってBLゲームだし、うん。別に不思議なことじゃないっていうか、僕がうっかりさん過ぎたっていうか……」
無意味に弁解交じりの独り言を呟きながら、僕は眉を寄せた。この体で生活するのに、絶対避けて通れない障害をすっかり忘れていたのだ。手をかけたままのボタンよりも下、ちょうど太ももの付け根の辺りを見る。男性と女性の外見的な差異の最たる部分。その存在をまったく意識していなかった辺り、僕って意外と大物かもしれない。
「……見てない。見てないぞー。僕は見てない。長さとか形とか色とかどっちよりとかそんなの見てない見てない」
嘘です。がっちりしっかり見てます。でもでも、慣れなきゃいけないし、ショウガナイヨネ?
思いがけないハプニング(?)を乗り越えつつ、ファンタジーな構造の服に苦戦しつつ着替えた僕は、腰袋に紙幣と貨幣を入れて準備を完了させた。家の鍵は首からリボンでさげ、僕は両開きの巨大な玄関から外に繰り出した。
次は街中探索&外見改革のお話です