第五話 登るべきは塔
今回から内容が変化します。
ですが、基本的な登場人物や大筋は変化しないのでご安心を。
驚愕を描く少女の赤い瞳。その純白の顔はほのかに青く染まり、息は荒れる。カイルはミースのただならぬ様子に思わず身を固めた。メルナも同様に、背筋を冷やす。
「どうしたんだよ。いったい何があったのさ」
「いえ、カイルのデータがあまりにも異常だったから……。ちょっと驚いただけよ」
「それで登録はできるの?」
「わたし一人では判断しかねるわ。マスターに相談しましょう。ついてきて」
ミースはテクテクと近くの扉まで歩いて行くと、その前でおいでおいでと手招きをした。カイルはそれに素直に応じて彼女の元へと歩み寄っていく。それにはメリナも続いた。だが、メリナが近づいていくとミースは彼女に向かって手のひらを突き出した。明らかに来るなという制止である。
「あなたはここに残って」
「どうして? 私は一応カイルの保護者だぞ」
「あなたがいると話がややこしくなるかもしれないわ。それはカイルのためにはならない」
「むぅ……」
メリナは不満げに頬を膨らませてうなった。しかし、ミースは眉ひとつとして動かさない。人形のように、堅い表情をしたままだ。そのあまりの無表情ぶりに、メリナは仕方なく元の場所へと戻っていく。
そうしてメリナが元の通り椅子に座ったところで、ミースは確認するようにカイルのほうを見た。カイルはその視線に黙ってうなずく。するとミースは扉を開けて、廊下の奥へと歩いて行った。
廊下は古びていた。苔の生えた跡のようなものが見える石壁が、長い時代の流れを感じさせる。二人はその中を静かに歩いていた。会話もなく、響くのは足音のみ。それさえも、厚い飴色の床板に吸い取られて本当にかすかだ。
二、三分歩いただろうか。二人は階段を上り、二階へとやってきた。その時だった。カイルは前方を歩いていたミースの影を追い越して、彼女の隣に並ぶ。そして自分のほうを覗き込んできた彼女に、少し遠慮がちに口を開いた。
「……どうしてメリナさんを置いてきたのさ」
「彼女は根本的な部分で優しすぎるの。これからマスターと交渉するけど、そのとき彼女の優しさは邪魔になりかねないわ。結構ドライな話になりそうだったから」
「そっか……」
--人間きれいごとだけでは生きていけない。
カイルはとっさにそう思った。異常な能力を持っているらしいカイルを受け入れるのには、それ相応のリスクが伴う。おそらく、そういうことに対しての話し合いをこれからしに行くのだろう。
そういう場合、どうしても汚い話が出てくる。それをミースは、人がいいメリナには受け入れられないと思っているのだ。だからこそ彼女はメリナを置いてきたのであろう。
カイルがそうして少しばかり考えていると、二人はそこだけ周りと違う雰囲気の場所に来た。まわりが古びて少し埃をかぶったようなのに対して、そこだけは真新しい感じだ。壁はきれいに表面の石が張り替えられていて、床も赤絨毯が敷かれている。絨毯はふんわりと毛足が長く、高級感でいっぱいだ。
その一角にあった扉には、金文字でマスター執務室と刻まれていた。ミースはその扉をコンコンと叩く。すると中から、意外なほど軽い調子の少女のものと思しき声が返ってきた。
「ふわあぁ……。朝もはようから誰や?」
「ミースよ。ちょっと相談したいことがあって」
「ちょっと待ってな……。準備できたで。ほな中に入り~」
ミースは扉をあけると、中に吸い込まれていった。カイルも少し緊張気味に、若干角ばった動きで中へと入る。すると、彼の目の前に机によりかかった少女の姿があった。カイルは思わずびっくりしてその少女を凝視してしまう。
少女が格別美人だったからとかそういう理由ではない。まあ、丸っこい顔立ちと大きな蒼い瞳をしたかなりかわいらしい少女ではあったが。むしろ、カイルが注目したのはその少女の服装だった。
水玉模様をした桃色のパジャマに、先端に白いボンボンのようなものがついたナイトキャップ。それにあわてて羽織ったのか崩れてしまっている白いコート。さらにカイルが部屋の中を見渡すと、部屋の隅に掛け布団がめくれ上がっている天蓋付きのベッドまである。少女が今の今まで眠っていたのが丸わかりだ。
ミースはその情けない少女の様子に露骨に顔を曇らせた。彼女は細めの眉を吊り上げると、パジャマ姿の少女をあきれ果てたかのように睨む。その迫力はまさに燃え上がる炎のよう。どこぞの自由業の人たちでも逃げだしそうなほどだ。
「またこんな時間まで寝てたの? 寝すぎだわ」
「う、うちはまだ若いんやからな。ほら、若い子はたくさん眠らなあかんやろ? そ、それより何の用で来たんや?」
「実はここにいる男の子のことで話があって……」
ミースは少女の近くに寄って行くと顔を近づけて話を始めた。こそこそと、カイルから視線をそらすようにして二人は話をする。すると、話を聞いている少女の目がだんだんと見開かれていき、不穏な色を帯びていった。
話が終わるころには、少女はさきほどとは別人のようになっていた。服装などはまったく変化していないのに、威圧感などが比べ物にならないのだ。ここにきてようやく、カイルは少女がマスターと呼ばれるに値する人物であることを悟る。メリナとは方向性が異なるが、まさに歴戦の猛者といった風格が今の少女にはあるのだ。
少女はカイルの方に目をやった。カイルはそれに視線を合わせると何も言わずに一歩前へと出て、少女のいる豪奢な執務机の前に立つ。すると少女は後ろの窓から差し込む陽光に目を細めながら、ゆっくりと話を始めた。
「あんたがカイルなんか?」
「ああ、そうだよ」
「うちはこのギルドのマスターをやっとるアリアや、よろしくな。で、さっそく本題なんやけど……。うちとしては入れるのはかまへんよ。ただ一つ条件がある」
「条件?」
「そうや条件や」
アリアはいたずらっぽく笑った。ただしそれは子供のように無邪気というわけではなく、何か黒いものを内包しているようである。カイルはとっさにその腹の内を探ろうと身構えたが、アリアはますます笑うばかり。完全に上をいかれていた。
「……どんな条件なんだ?」
「大したことやあらへん。うちのギルドには今ではなくなってもうたけど昔は入団テストがあってな。それをこなしてほしいんや」
カイルが想像していたような条件ではなかった。てっきり彼はギルドに保障金を納めろだのそういった金銭にかかわるような条件だと思っていたのだ。そのため金を持っていないカイルは安心して少し拍子抜けしたような顔でアリアに聞き返す。
「それだけでいいの?」
「それだけでええよ。うちとしてはあんたが水準以上に仕事ができるってことを証明してほしいだけや」
「なるほど。ギルドにとって、あやしい人間を登録するリスク以上にリターンがあることを示してほしいと」
「賢いね。そういうことや」
「それで、その入団テストの内容は?」
「……この街の南にある蒼の塔を最上階まで登って、合格の証である宝石を持ってくることや」
アリアはそう静かに重々しく告げた。部屋の空気が静まって、その声はシンと染み入るように消えていく。それを聞きつけたミースの顔がたちまち血の気をなくして青ざめる。目は丸く見開かれて、唇は震え。彼女は焦ったように早足で二人の横へと移動してくると、強い口調でアリアに提言した。
「塔のモンスターはここ数年で増大した魔力の影響を受けて、非常に凶暴化しているわ。しかも最後に使ったときにからくりが作動したとかで内部も難解な迷宮に変化しているのよ。ただでさえ死亡者が多発して取りやめになったのに、それ以上に危険なことをやらせるつもりなの!」
「そやかてなぁ、カイルを入れるのにはリスクが伴うんや。本人が善良なええ奴やったとしてもこれだけ能力が高いとなると厄介なことがありそうやからね。だからこれぐらいできんと、入れる側のギルドにはメリットがないんよ」
「それは確かにそうだけれど……。ちょっと限度を超えているわ」
ミースの言葉にアリアは少し考え込んだ。それだけ蒼の塔が危険であるということなのだろう。彼女はカイルの年の割に幼く見える顔をもう一度見ると腕を組み、頭を下げてウンウンとうなり始める。そのまま彼女は数分の間思考の海に埋没した。
そうしてしばらくたったとき、彼女の頭にふとひらめきがあった。彼女は頭をあげると明るい表情でカイルのほうに向きなおる。
「わかった、今回は特別や。カイル、仲間を何人か連れて行ってもいいで。ただし、仲間はギルドの人間にすること。それと仲間にするにあたって金とか物のやり取りをしないこと。この二つを守ってな。そうそう、黙ってても調べればわかるから、嘘はだめやで。ようはギルドで仲間を作るのもテストのうちってことや」
「わかった、その内容でいいよ」
「じゃ、期限は一週間や。精一杯頑張ってな。うちは応援しとるで!」
アリアは今度こそ、裏のない笑顔を見せた。大きな蒼い瞳が明るい透明な光に満ちて、彼女本来のかわいらしさが全面に現れる。蒼い瞳と魅力的に膨らんだ桜色の唇が織りなすそれは、まさに咲き誇る大輪の花のような実にすばらしい笑顔だ。カイルはその笑顔に顔をほころばせながら部屋を退出していった。
こうしてカイルはギルドに入団すべく、蒼の塔の攻略に挑むこととなったのだった--。
青の旅団の入団テストは実はふつうの魔導士にとっては相当な難関だったりします。イメージとしてはハンター試験よりは簡単な程度と想像してください。