第三話 夢幻の少女
白。世界はそれ一色だった。塗り潰されたような、のっぺりと均質な空間が広大無辺に続く。光り輝くような白はどこか圧迫感にあふれていて、世界を押し潰しているようだった。その様はあたかも、白だけがすべてで他はないと言わぬばかりである。
カイルは気づいたらそんな世界にいた。紅い世界とは違い、おどろおどろしい光景ではない。しかし彼は何か得体の知れぬものを感じていた。心が凍えるような、いやなものを。
「今度は白か……? なんでいつもこう……」
独り言をつぶやきながら、カイルはゆっくりと歩く。カツカツと硬質な音が響き、方向さえも満足にわからない世界を彼は進んでいく。するとその前方にふと淡い光が灯った。
光は暖かな気配に満ちていた。それはだんだんと膨らみ、拳大だったのがやがてカイルと変わらないぐらいの大きさとなる。大きく膨らんだ光はやがて人型に変化していった。
光はついに少女となる。水晶のような透き通る蒼髪と、新雪のような肌を持つ少女だ。彼女はカイルの方をみると、華奢な首をこくりと曲げる。
「きっ、君は一体……!?」
「……私が何者かは言えない。それはあなたが自ら知るべきこと。ただ一つ言えることは、私はあなたの味方……」
「じゃっ、じゃあここはどこなの? 君なら知ってるだろう!」
「ここはあなたの無意識下にある世界。夢の世界よりさらに深い真っさらな世界よ。今回はあなたと話がしたくて私が呼んだの……」
「呼んだ?」
カイルは訝しむような顔になった。少女の水晶のような瞳が細まり悲しみを湛える。その顔はさながら消える雪のようにはかなく、もの寂しい。その悲痛な表情に、カイルは深い事情があることを悟った。
「……どんな話があるの?」
「あなたに伝えたいことは一つ。きたるべき時がきたらアルガイネに来て欲しい。裁きの時は近い」
「裁きの時?」
それはカイルにとっては耳慣れない、怪しげな単語だった。どこぞの新興宗教よろしく、最後の審判だとかアルマゲドンだとか、この少女は言うのであろうか。カイルはとっさにそう考えると、眉をひそめる。
しかし少女の顔はどこまでも真剣だった。そこには嘘の入り込む隙など、一切ないようである。『裁きの時』とやらが真実なのかどうかカイルにはわからないが、少女自身はそれを信じているようだ。
「咎人がまもなく蘇る。やはり人類は楽園からの逃亡者、もしくはカインの末裔にしか過ぎなかった……。原罪たる咎人がいま再び現れ、今度こそ世界は原初の混沌へと還されてしまう……」
はたして、この少女は何者なのだろうか。一見して十代後半程度にしか見えない彼女の声からは、途方もない重みが感じられた。幾千、幾万もの時を重ねた大地のような、はたまた無限に広がる空のような。とにかくカイルにとって想像すら及ばないような声だった。
しかし、その声は突き放すような厳しさというものを持ち合わせていなかった。そのためカイルは何とか鉛のような口を開き、少女に尋ねる。
「それは一体……どういうことなのさ。世界が原初の混沌に還るって……」
「全てが終わってしまうということよ。……それを防ぐには最後の始祖であるあなたの力が……いけない、あなたを誰かが起こそうとしている……!」
「ちょ、ちょっと!」
少女の姿が透けていき、空間に溶け始めてしまった。カイルは焦って手を伸ばすものの、少女の姿は捕らえられない。ふわりふわりと手は宙を薙ぎ、少女は霞む。そして次の瞬間、カイルの意識は急速に浮上していった--
「……起きろ! 起きないか!」
「……ふわあぁ。あれ、女の子は?」
「何を寝ぼけておるのだか。ほら、さっさとギルドへ行くぞ。お前が寝過ぎたせいで遅刻寸前だ!」
怒りで爆発したメリナの表情を見て、カイルは昨日のことを思い出した。昨日、カイルはメリナが登録しているギルドという施設に出かける約束をしたのだ。それも早朝から出かけるという約束をだ。
「ああっ、ごめん! いますぐ準備するからちょっと待ってて!」
「まったく、できるだけ早くするんだぞ!」
メリナは足を踏み鳴らして部屋から出ていった。カイルは彼女がいなくなったことを確認すると、すばやく着替えを始める。彼は飛ぶような勢いで服を取り替えていって、みるみるうちにローブ姿へと着替えを終えた。本来はウインドウを使って一発なのだが、今はこうするしかなかった。
「お待たせ!」
「よし、さっそく行くぞ!」
カイルとメリナは家を飛び出すと、階段を転がるような勢いで降った。彼らはそのまま通りに突入すると、朝の街を疾走していく。途中で家の下の店から声がかかったが、彼らはそれをひとまず聞かなかったことにした。
カイルがかなり寝過ごしたが、実際にはまだ早朝といって良い時間だった。太陽は昇ったばかりで、まだ朝焼けが続いている。それなのに紅く照らされた街は人でいっぱいだった。通りは多数の通行人で占領されている。その中を二人は人波を突き破るように激走していった。
通行人の中には普通の人間ではない者たちまでいた。耳が伸びたもの、しっぽが生えたもの、はたまた人の姿をした動物というような者までバリエーションは実に豊富だ。カイルはその姿をじっくりと観察したいと思ったが、ここは我慢だと走り続けた。
そうして走っていると、いきなり視界が開けた。通りの両端にあった高い建物がなくなり、広場のようになっている。かなり広い広場で、中心には丸っこいモニュメントのような物まで置かれていた。
カイルはその広場の先に見えた建物を見て、思わず目を疑った。およそカイルのイメージしていたギルドの建物ではなかったのだ。だがメリナはその建物の門の前で足を止め、息をつく。
「ふぅ、ついたぞ。何とか他の連中より早く来れたな」
「あの……本当にここなの?」
「ああ、間違いなくここが魔法ギルド『青の旅団』の本部だぞ。何かおかしいか?」
「いや、だってこの建物はどう見ても……」
どっしりと視界を占める重厚なたたずまい。さながら山を削ってできたようなその建物からは、三つの尖搭が伸びて天をつく。さらにその建物の周りを、歴史を感じさせる強固な壁が幾重にも取り囲んでいた。厚いところでは数メートルはあろうかという、それはそれは頑強な壁がだ。
カイルが目にした建物。それはどうみても、古びた城のようにしか見えなかった--
少女のセリフが難解なのは仕様です。雰囲気を出したかったので。
……でも、意味不明過ぎるという意見が多数ありましたら何か考えます。