第二話 嘘、それはつかれたもの
カイルの頭はからっぽになった。考える力を失ってしまったようで、真っ白になって何も出てこない。心は身体から抜けて宙を漂っていく。それは屋根を通り抜けて青空を高く高く上っていった。
だがとりあえず、カイルはメリナに部屋にいた事情を説明することにした。むろん本当のことは言わない。口から出まかせの嘘っぱちである。彼はにわかに錆び付いた頭を、必死になって回そうとした。
意外なことに、嘘はすらすらと出てきた。人間、追い詰められるとなんでもできるものであるらしい。たどたどしくはあったが、カイルはもっともらしい嘘をメリナの前に並び立てることに成功した--
「……となるとこういうことか? お前は辺境に住んでいる魔法使いで、自分の部屋に魔法で帰ったつもりがなにかの事故で私の部屋についた。それでたまたま、私の部屋がお前の部屋に良く似ていたから勘違いをしてしまったと……」
「そういうことだね。本当にごめんなさい!」
カイルは悲痛な表情で深く頭を下げた。腰の角度はちょうど三十度ほど、謝罪には理想的な角度でだ。それを見たメリナの表情はほんのわずかにだが、険しさが抜ける。彼女の怒りはほんの少しだけだが和らいだようだ。
「まったくとんだはやとちりだな、いい迷惑だ! しかし、それだとお前は書もなしに魔法が使えることになるな。どういうことだ?」
「……ええっとあの、書ってなんですか?」
カイルは心底困った顔をした。アルカディアには「書」と呼ばれるようなアイテムはない。この世界特有なもののようだった。そうなるとカイルはおとなしく白旗を上げて、メリナから話を聞くしかないのだ。下手に知ったかぶりをするとろくなことに合わないことぐらい、カイルは知っている。
メリナは原始人でも見るような顔をした。田舎者ではなく、原始人である。そのあまりの顔にカイルはいろいろと思ったが、開きそうになる口を堪えてぐっとつぐんだ。
「どれだけ田舎に住んでいたんだ? 山奥の仙人だって知ってるようなことだぞ。いいか、書というのは……。ああ、今から説明するからこの網をなんとかしてくれ。話しにくくてたまらん」
「ああ、ごめんなさい! 忘れてたよ! 魔力よ、その源たる世界へ還れ、ディスペル!」
「おっとっと!」
魔力の網は淡く光る粒となって宙に消えていった。急につっかえのとれた格好となったメリナは、その場でよたついてしまう。その少し間の抜けた様子にカイルは口元を歪め、ぷすっと小さく息を漏らす。
「こら、笑うな!」
「ごめんごめん、笑わないよ」
「……まあ、今のは特別によしとしてやろう。私は心の広い大人なんだからな。それより書についてだったか。これはみんな書と呼ぶが、正式には魔導書というものだ。人間が高度な魔法を使うのを補助してくれるアイテムだよ。旧文明からの遺物で、これがないと人間はほとんど魔法を使えないはずなのだが……」
メリナは疑わしげな視線をカイルにぶつけた。カイルはとっさに何か良い考えはないかと頭を捻る。だが、さきほどとは違って妙案は浮かばない。カイルの限界を、とうに越えてしまっていたようだ。
「うっ……ぼっ、僕はすごく遠い所から来たんだ。この大陸の外にある場所からね。そこでは書がなくても魔法が使えたんだよ。だから僕は人間だけど書なしでも魔法が使える……」
--だめだ、いくらなんでも苦し過ぎる……! カイルは嘘がばれるのを覚悟した。薄く口を開けて、いつでも呪文を唱えられるように備える。ばれたらすぐにメリナを拘束して、ここから逃げ出すつもりだった。
しかし、メリナはカイルの考えたような反応はしなかった。彼女は考え込むような顔をしてゆっくり部屋の奥へと移動していく。そしてそこにあった椅子に深く腰掛けると、まっすぐにカイルの瞳を見つめた。その目は見透かすようで、さながら氷。濡れた刃のようだった。
何かを試されているようだ、とカイルは感じた。彼はとっさにメリナの蒼い瞳に向かって視線を返す。痺れ、なおかつ固まる空気。二人はにわかに見つめ合って、カイルの中で緊張感が高まっていった。
その見つめ合いは何十秒か続いて、部屋の中の空気は引き締まっていった。カイルはメリナの見透かすような瞳に汗をかきつつも、負けじと彼女の瞳を見続ける。すると不意に、メリナがぽつぽつと口を開いた。
「……悪い者ではなさそうだ。嘘っぽいが信じてみることにしよう。現に魔法も使えていたしな」
「信じてくれるのか?」
「ああ、まだ一応といった程度だが」
「ありがとう。それじゃ失礼するよ」
カイルはローブをひるがえすと、素早くメリナの部屋の入口へと移動しようとした。怒られるのはいやだし、警察みたいな連中を呼ばれたりしたらとても困る。最悪お尋ね者になりかねない。ひとまずここは逃げるしかなかった。しかし、そんなカイルに向かって後ろから、優しげな声がかけられた。
「おい、待つんだ。えっと、カイルだったか? お前ここで生活する当てはあるのか、ほとんど身一つだろう?」
「えっ、ああっとないです」
突然のことにカイルは馬鹿正直に本当のことを言ってしまった。するとメリナはあきれた顔をして彼に近づいていく。だが、その表情に先ほどまでのとげはなかった。彼女はそのままカイルの肩に手をかけると大きなため息をつく。
「当てもないのに飛び出すのか? まったく、おまえ馬鹿だろう? 野垂れ死にするぞ」
「じゃあでもどうしたらいいのさ。戻れない以上この街に飛び出すしかないだろ」
「……泊まってけ。明日家の前に死体が転がってたりしたらいやだからな。もちろん、出世払いでたんまり家賃は払ってもらうぞ!」
「あ……ありがとう!」
カイルは興奮した様子でメリナの手を握った。彼はありがとうと壊れたレコードのように何度も何度も叫びながら、握った手を振る。その顔はきらきらとしていてまったくもっていい笑顔だった。メリナはその笑顔に少し照れくさそうに顔を赤くして、カイルから視線を逸らせる。そして小声でそっとつぶやいた。
「……この部屋の隣に物置部屋がある。物をどかしたら最低限の生活ぐらいはできるだろう。今日のところはそこへ泊まれ」
「わかった、そうさせてもらうよ!」
「勘違いするな。私はカイルがもし野垂れ死にしたりしたらわ・た・しの寝覚めが悪いから面倒をみるだけだ。そこのところを履き違えるなよ!」
--その後、カイルはメリナの案内で隣の部屋へと移動した。部屋の中は「物置」とメリナが言っていただけあって、大量の物が散乱して足の踏み場もない。しかし、部屋自体は物置として造られたものではないらしく、日当たりの良い住み心地の良さそうな部屋だった。特に年季の入った木の風合いがなんとも良い感じだ。
こうしてうまく生活拠点を得たカイルは、熱心に部屋の片付けをした。そうしていつのまにか夕方になり、カイルはメリナと食卓を囲む。地球と変わらぬ温かなスープや魚が湯気を立てて、香ばしいハーブの香りがカイルの鼻腔をほどよく刺激した。腹が減っていたカイルは、その美味そうな食事に思わずがっつく。
「うまーい! これ全部メリナさんが作ったの?」
「それ以外に誰が作るんだ。私が作ったに決まってるだろう」
「へえ……」
フォーク片手に、カイルは心底意外そうな顔をした。彼の目はきれいな真ん丸になっている。そのあまりの驚きっぷりにメリナは頬を膨らませた。
「なんだ、私が料理できたら悪いのか!?」
「……そんなことはな、ないよ」
「だったらそんな顔するな! ……それはよしとして明日からのことを話そう。明日、私はカイルと自分の所属するギルドへ行ってみたいと思う。そこでカイルのギルドへの入団手続きをするんだ。ギルドで依頼を受ければ金を稼げるからな。ああ、ギルドってわかるか?」
アルカディアにおいて、ギルドという施設は欠かすことのできない施設であった。モンスター討伐を中心に、クエストと呼ばれる依頼を斡旋しているそこはプレイヤーにとってなくてはならない施設だったのだ。もちろん、カイルもこの施設の世話になっている。なのでカイルの答えは当然イエスだ。
「知っているよ。クエストを受けるところだよね?」
「ああそうだ。そういうところはカイルのいた土地と変わらないのだな。よし、そうと決まれば明日は早いぞ。さっさと眠るとしよう」
「は~い、わかったよ」
その後まもなく、カイルは部屋に戻って床についた。明日への不安、少年特有の未知への期待感。その二つが入り混じった複雑な感情を抱きながら、カイルは夢へと誘われた--
まだ不完全ではありますが、ここから先の展開のプロットができました!
ですので、ゆったり更新になることはあっても続けていく目処はなんとか。
完結までまだまだかなり時間がかかるでしょうが、これからもよろしくお願いします。