第十二話 始祖再生計画
今回はどシリアスです。ご注意ください!
不気味に輝く緑の液体の中を泡が上る。その泡につつまれてゆたうのは無数の人体。筋骨隆々としてその身の丈は二メートルほどもあろうか。肌は浅黒く鋼のような光に満ちていて、顔は彫が深く頬に傷がある。歴戦の戦士という言葉はこの男のためにあるかと思えるほど風格のある男だった。
それをカイルは茫然と見つめていた。彼の心に浮かぶのは黒い何か。形容しがたいがそれはとても不快で、嵐の海のように底知れぬ闇をはらんでいた。彼はそれに対してなんとも対処することができずに、ただ人形のように目の前の光景を見つめている。
カイルがそうしていると、その後ろで悲鳴が上がった。彼がゆらゆらと鈍い動作で振り向くと、彼の少し後ろでメリナたちが石化したように立ちつくしている。彼女たちはそのまま、目の前の光景に怯えているかのような不安定な歩き方でカイルの方までやってきた。メリナとゲーツははっとしたように目を丸くしながら、アイスはすがるようにゲーツに顔を押しつけながら。
「これは一体……どういうことなんだ」
「僕にもわからない……。メリナさんの方こそ、前にもこの塔に来たことあるんじゃなかった?」
「来たことはあるが、こんなものを見るのは初めてだ! そもそもこんな悪趣味なものがあることを知っていたら、ギルドが入団試験に使うわけないだろ!」
「それもそうだよな……。とりあえず、これが何なのか調べよう。急いでるとこだけど、ものすごく嫌な予感がするんだ。ゲーツさんとアイスも調べるのを手伝ってくれるよね?」
ゲーツとアイスは無言でこくこくと首を縦に振った。カイルはそれにうなずいて応えると、不快感をこらえながら部屋を見渡す。水槽から発せられるかすかな光に照らされた部屋は大型のコンピュータのようなものと、資料のような物の入った棚で埋め尽くされていた。資料の方はビニールのような変わった材質でできていて、てらてらと水槽からの光を反射している。その一方でコンピュータの方は埃が積もっていて動くかどうかはきわめてあやしそうだ。
ひとまずカイルはコンピュータの方へ、メリナやゲーツは資料棚の方へと分散して調べることにした。四人はそれぞれの担当する場所へと、正面にある水槽から目をそらしながら器用に歩いて行く。そうしてゆっくりと四人がコンピュータの前と資料棚の前に着いた時、カイルは少し驚いたように息を飲んだ。
「地球と同じ……?」
コンピュータのキーボードにあたる部分が、驚いたことに地球製のものと変わらなかった。しかも使われている言語までもがローマ字だ。アルカディアは国産VRMMOだった。なのでこの世界で使われている言語が日本語であることにはさほど驚かなかったカイルだが、この一致にはさすがにびっくりして一瞬だが動きが止まってしまう。しかし扱う分には好都合なので、彼は引っ掛かるものを感じながらもコンピュータの電源を入れた。
『システム起動。パスワードをどうぞ』
ボウッと黒いディスプレイに光が点った。すぐに青い画面とパスワードと書かれた空欄が映し出される。周辺にある武骨な機械がゆるい動作音を出して、あちこちにつけられていたランプが輝き始めた。カイルは驚くほど古いコンピュータが無事に起動したことに対して、おおっとばかりに感心する。しかしすぐにパスワードと書かれた空欄に現実を叩きつけられた。
「……困ったな。パスワードなんてわからないぞ。メリナさん、そっちの資料に何か番号とか変な記号の羅列みたいなの書いてない?」
「私の読んだ資料には特に番号とか記号の羅列なんて書いてないな。二人はどうだ?」
「俺のも書いてないな」
「私のもですよぅ。というか番号とか記号の羅列なんてなんに使うんです?」
アイスはツインテールを揺らして首を斜めに傾けた。サファイアブルーの純真な瞳が、カイルを射抜く。カイルはそれに少し動揺したものの、彼女に笑って答えた。
「この機械を使うためには暗号みたいなものを打ち込む必要があるんだ。だからそれが資料の中にないかと思って」
「へえ、カイルさんはその機械を使えるんですか。すごいです、そんな機械は王都の学者さんでも使えないのに」
「もといた土地にこれによく似た機械があったんだ。だから学者じゃないけど使えるんだよ」
「へえ、カイルさんのいたところって進んでるんですねえ……」
アイスは感心したように溜息をつくと、また資料を開いて調べ物を始めた。カイルはそれをみると、ふたたびディスプレイの前に視線を移して考え込み始める。しかしなかなか妙案は出てこなかった。
こういうパスワードの類は何回か間違えて打ち込むとシステム自体が駄目になることが多い。要は間違えることができないのだ。しかもパスワードに関することはほぼノーヒント。コンピュータの専門家でも何でもないカイルにははっきり言って頭を抱えることしかできない。だがそうして考えているだけでは仕方ないので、彼はごく低い確率に賭けてみることにした。
「こうなったら適当にやるしかないな。えーと、最初の数字は……」
カイルの指が気ままに「1」と書かれたキーを叩こうとした。しかしその瞬間、彼の指が止まる。そして彼の脳内に奇妙な声が響いてきた。それはどこかものさびしげな少女の声で、カイルはそれにひどく懐かしさを感じる。それは紛れもなく、この世界に来て最初の夜に出会った少女の声だった。カイルは驚いたように顔をあげて、彼女が来ているのかとあたりを見回す。
『私に任せて。私は本質的にコンピュータに関することなら専門なのよ』
「き、君はあの時の!」
『ふふふ……』
「あ、ちょっと!」
少女の声は不思議とよく通る笑いだけを残して消えていった。カイルはあわてた様子で叫ぶが、その声にメリナたちがおかしな顔をして振り向いたのですぐにディスプレイへと視線を戻す。なぜ彼女がここで表れたのか、彼女とこの異様な光景は何か関係があるのか。カイルには考えるべきことは山ほどあった。しかしこの場において一人で考え込むのは得策ではないだろう。彼が一人で考えたところで答えは浮かばぬだろうし、時間が過ぎるばかりだった。
そうしてカイルは不完全燃焼したような表情でディスプレイを見下ろし始めた。すると、青い画面に白い稲光のようなノイズが走る。画面の下の方から数え切れぬほどの0と1からなる数字の塊が上がってきて、たちまちのうちに画面を占領していった。そうしてしばらくすると、今度は画面が暗転した。それを見るやいなやカイルは興奮したように画面にかじりつく。
「すごい、本当に助けてくれたんだ……」
暗転した黒い画面に、紋章が浮かび上がった。濁った血のような紅で、逆三角形の中心に目が描かれている。どこか呪術的なイメージを与える紋章だ。しかしカイルはそのようなことに頓着せず、わくわくしながらカーソルを移動させてその紋章をクリックする。するとガラスのように紋章が砕けるエフェクトのあとで、画面上部に大きく「記録:始祖再生計画」と表示された。
始祖再生計画と記されたタイトルのもとに無数の項目が現れて、それぞれ難解な言葉で自己主張をし始めた。そういった分野に強くはないカイルはその中でもっとも下にあった研究員手記と書かれている部分を選択する。それぐらいしかまだ十五歳の少年でしかない彼には内容が理解できそうもなかったからだ。そのデータが問題なく画面に展開されたところを彼は確認すると、メリナたちの方に振り返った。
「みんな集まって! 資料が見つかったよ」
「本当か、カイル? というよりもほんとによくそんな機械が動かせたものだな。まるで古代人だ」
「ま、まあね……。それよりこれを見てよ、ここが何の施設だかわかるよ!」
カイルの言葉に、メリナやゲーツたちが三々五々集まってきた。彼女たちはカイルの後ろに立つと、物珍しそうにコンピュータの画面を覗き込む。カイルはそうして全員がそろったところで画面をスクロールさせた。すると次々と画面に文字が現れる。さすがに長い時が経過しているのでところどころデータが読み取れずエラーと表示されてしまっている個所もあるが、おおむね読み取ることができる。メリナやカイル達はその画面にくぎ付けとなって資料を読んだ。
『三月七日 いよいよ始祖再生計画がスタートした。この計画には全人類の存亡がかかっているといっても過言ではない。この計画如何によっては始祖の代より悠久の時をかけて育まれた文明も灰燼に帰すであろう。我々の肩に人類の命運はかかっているのだ
四月八日 素体にはアーガスを用いることが決定した。やはり最強の戦闘力を誇った始祖である彼ならば、やつらにも対抗できる可能性が高い。もし彼の再生が成功すれば我々は勝利に向けて一歩前進するだろう
七月五日 素体の培養はきわめて順調に進んでいる。だが、ここで大きな問題が発生した。肝心の魂が肉体に宿らぬのだ。魂が宿らぬ状態では始祖といえども我々と変わらない。これではあの忌々しい化け物どもにダメージを与えることはかなわないだろう……。やつらにダメージを与えるために必要なのは物理的パワーではなく始祖の魂が持つ高い存在階層の力なのだから。
八月十五日 状況はきわめて切迫してきている。もう八割がた地上は焼け野原だ。だが、われわれはやつらに対して有効な手段をほとんど見いだせていない。かろうじてわかっているのは連中が人類に対して強烈な敵意を持っていることと、連中には近代兵器が通用しないこと。さらに連中にダメージを与えるには始祖の魂に由来する高い存在階層の力が必要だということだけだ。まったく、世界中の学者が研究しているのにこれだけしかわからないとは、なんたるざまだろうか……
九月十一日 ついに始祖再生計画が大きく進展する研究成果が上がった。悔しいことにこの部門の成果ではないが、それはこの際構わないだろう。人類自身が滅んでしまってからでは元も子もない。
成果を上げたのは魂を研究している部門だった。彼らの研究によればすでに絶命している大多数の短命種の始祖の魂は、並行宇宙間のはざまにある量子の海を漂っているらしい。彼らはそれをサルベージして、我々に運用できる兵器に加工しようというのだ。我々の偉大なる祖先に当たる始祖に対して畏れを知らぬ行動だとは思うが、私たちはそれを遂行するしかないだろう……。
十月二十一日 兵器の試作品が完成した。その兵器の名を我々はERROR! 表示不可!』
ここから先の記録はすべて破損してしまっていて表示することができなかった。しかしカイルに衝撃を与えるにはそれだけでも十分すぎた。彼は吐き気を催して思わず口に手を当てる。つま先から頭の先まで氷のように冷たい何かに覆われたような痛覚が、容赦なく彼に襲いかかっていた。彼は襲いかかる言いしれぬ不快感に前のめりになり、コンピュータによりかかる。その顔は血の気が引いていて、彼の感じている底知れぬ恐怖のようなものを如実に表していた。
始祖というのはおそらくアルカディアのプレイヤーたちのことだろう。彼らはカイルが来るよりはるか昔に、この世界へと来ていたのだ。そしてここの記録から判断すると、彼らが古代文明を築きあげたのだろう。ここのコンピュータの規格が地球によく似ていたのも、言語が日本語なのも彼らが築いた文明を基にしているとすれば筋が通る。なんら、無理のない仮説だった。
だがここの記録によると、古代文明は最終的に始祖を利用して兵器を造り上げたようだ。この文明を滅ぼそうとしている敵がなんであるにしろ、カイルには理解しがたかった。本能的に拒否している事柄といっていい。それどころか、彼の中ではそれは殺人以上に残忍を極めた行為に思えた。まさに血に飢えた悪魔のような所業に感じられたのだ。そう、道徳というものを一切排した狂気の行動に。
それを不快に思ったのはカイルだけではなかった。メリナたちも同様に険しい顔をしている。二人とも手記の内容をどれだけ理解できたのかはわからないが、目が先ほどまでとは違っていた。視線は氷となり、白眼には赤い血管が走り。拳も力が込められてわなわなとふるえていた。背中からは不穏なオーラのようなものまで出ているように見える。それらが示しているのは激しい怒り以外の何物でもなかった。
アイスはその四人の中では比較的、平静を保っていた。単に書いてある内容が理解できなかっただけかもしれない。だがとにもかくにも彼女だけがこの場で唯一、通常の精神状態をかろうじて保てていた。
「三人とも、何が書いてあったのか漢字があんまり読めない私にはわからないですけど、落ち着きましょう。それにそろそろ上に登らないと時間までに帰れないのですよ!」
「……それもそうかもしれん……」
「ここはひとまず戻るしかないか……」
カイルたちは何とも言えない後味の悪さを感じながらも、この場はアイスに従った。彼らは鉛で足ができているかのような重苦しい歩調で部屋から出ていく。そして大きく大きく深呼吸をすると、また塔の最上階を目指して一歩ずつだが歩き出した。それまでとはどこか違う、悲しげな足音を塔に響かせながら--