第十話 脅威、最強魔法
「せやあああァ! 紅蓮一刀斬!」
裂帛の叫びとともに、紅に燃える刃が振るわれる。空気は裂けて、紅い斬撃がその間隙を走る。放たれた一撃はゴム質の外皮をやすやすと切り裂いて、濁った緑の鮮血があたりにほとばしった。サンドワームは半身を空に高く上げると、そのまま左右に分かれて轟音とともに崩れて砂に埋もれる。細かな砂の粒子が舞い上がって煙のようになり、メリナはたまらず目を細めて顔をしかめる。
彼女がそうして一匹倒すと、すぐに脇からまた新手の敵が現れた。まったくいくら倒してもきりがない。だがメリナは再び剣を構えると、新たなサンドワームへと突入した。
そのメリナのすぐ近くではゲーツが銃を乱射していた。雷鳴がとどろくように銃声が連続しては、青白い光が敵を穿つ。そのやわらかな肉を吹き飛ばされて、サンドワームは体中から次々と汚濁した血を撒き散らしては動きを止めていった。しかし次々と新たなサンドワームが、すでに動かなくなった仲間を強引に這い上ってはゲーツに迫ってくる。ゲーツは弾を装填しながら徐々にではあるが後退していった。
戦闘が始まってから、まだわずかな時間しか経過していない。だがサンドワームたちの異常なまでの物量にすでに二人は押され始めている。まだカイルたちの付近へは侵入を許していないが、いずれにしろ時間の問題だ。滔々と濁流のような勢いで攻めよせるサンドワームに対して、二人はもう後がない。カイルたちのいる車まであとわずかな距離しか残されていなかった。
「くっ! なんて数だ! カイル、魔法はまだか!」
「まだ……あともう少しだ……」
「わかった、もう少し何とかしてやる!」
メリナは視界いっぱいに迫りくるサンドワームを一瞥した。彼女はそのまま少し後ろにいるゲーツと目を合わせると、気合いを入れなおすべく準備を始める。彼女は大きく息を吸い込み、足を肩幅に開いてしっかりと大地を踏みしめた。
「……はああああァ!!!!」
メリナは拳を握りしめて、全身に力をみなぎらせる。その細い富士額にはスッと血管が浮かびあがって、それに同調するかのように精神も高ぶっていく。心が震え、その根底にある魂も脈動する。心臓は早鐘を打ち、体中がカッと燃えるように熱を帯びた。すると、彼女の持つ大剣にはめられている紅の宝玉がボウッと淡い光を帯びた。メリナの視界の端に写されている、緑のバーもにわかに伸び出す。九十、百、百十……。バーの下に表示されている数字も次々とめまぐるしく移り変わっていった。
数字が百三十と示したところで、緑のバーは動きを止めた。それと同時にメリナの足が地面を蹴る。腹の底に響く衝撃音が轟いて、彼女の体は弾のような速さでサンドワームの群れに向かって飛び出した。その刹那、燃える刃が閃いてサンドワームの巨体から血がほとばしる。サンドワームはおぞましい雄たけびと轟音を響かせながら砂漠に横たわる骸となった。メリナはそれを横目で確認すると、すぐに次のサンドワームへと進路を向ける。スピード、パワーそのすべてがさきほどまでより一回り以上の向上を見せているようだった。
「メリナのやつ、ここにきてさらに燃えてやがるな。俺もやるとするか、雷嵐弾!」
ゲーツもメリナに負けじと先ほどよりも激しい攻撃を始めた。青白い光弾が吹き荒れて、まさに壁のような勢いでサンドワームの群れを押し返す。この時、彼の視界に移る緑のバーもまたメリナと同様に百三十という値を示していた。二人の戦闘力の向上はすべてこのFゲージの上昇によるものなのだ。
Fゲージというのは、魔導書の動力源たるジェネレータと人間の精神を直結させるシステムである。これにより、一時的に百パーセント以上の力を発揮することも可能なのだ。ただし、完全に自由にコントロールできるわけではない上に逆もありうる。つまり、精神状態次第ではマイナスの効果もありうるのだ。しかも、百パーセント以上の力を発揮するときには大きな負担がかかる。とくに二百パーセントを超えるような状況になると、体に負荷がかかりすぎて死ぬことさえざらだ。
だが、このような問題点があってもFゲージシステムはきわめて有用なシステムには違いない。現にメリナたちも完全ではないがある程度Fゲージをコントロールすることにより、ここぞというタイミングで力を発揮することができるのだ。ある意味で魔導士は追いつめられた時こそ真価を発揮する。
二人はサンドワームの群れをわずかに押し返し始めた。一歩一歩だが、着実に二人は前進していく。紅い斬撃や、青い光弾が放たれるたびにサンドワームはその数を一匹ずつ着実に減らしていった。しかしそのとき、メリナの体が崩れた。彼女はそのまま、砂を舞いあげながら膝を屈する。
「大丈夫か!」
「なんとかな……」
「くそっ、カイル! まだなのか!」
「まだだ……これじゃこいつらを倒しきれない!」
カイルの眼前にはすでに、白く輝く光の球があった。大きさはカイルの頭ほどだが、それは圧倒するような膨大なエネルギーを周囲に放っている。その球を台風の目のようにして周囲には暴風が吹き荒れて大気を閃光が走っていた。カイルはそれに向かってその膨大な魔力を注ぎこみ続けている。
カイルの使おうとしている魔法は、アルカディア最強魔法との呼び声さえある「メギド・ジハード」という魔法だ。これは魔力の球を中心として巨大な火球を形成する魔法で、これが当たれば最強クラスのボスキャラでも大ダメージは免れない。
ただし、その制約はすさまじい。詠唱の長さもさることながら、魔力を球にためるために非常に長い時間を有するのだ。その時間は約三分間。一秒単位で戦況が変わるボス戦においてこれはきわめて長い時間だ。そのため、ほぼ一撃必殺に等しいような威力を有する魔法だが使用された例は少ない。かくいうカイルもこれを使用するのは久しぶりだ。
カイルは魔力を絶え間なく球に注ぎ続けた。そのおかげか、球はどんどんと輝きを増していき周囲の砂などが巻き上げられていく。そしてとうとう、サンドワームを焼き払えるだけの魔力が蓄えられた。カイルは杖を構えると、慎重にサンドワームの群れの中心に狙いをつける。
だがその時、メリナに一頭のサンドワームが襲いかかった。彼女はとっさにかわそうとするものの、その動きは緩慢。とてもサンドワームの巨体をかわしきれない--。
「メリナさああァん!」
「メリナあああァ!」
カイルとゲーツは雄たけびを上げた。彼らの叫びは砂漠の大気をとどろかせ、天に響く。妙に時間が間延びして、彼らにはサンドワームの巨体がメリナに襲いかかるのがひどくゆっくりに見えた。上空に跳ねたサンドワームの体が、ゆっくりゆっくりメリナの上へと落下していく。しかし、そんな間延びした時間を鋭い炸裂音が突いた。それと同時にサンドワームの体が爆発して、その軌道がメリナから外れた。カイルとゲーツはすぐに振り向くと、その炸裂音の出所を確かめる。するとそこには、風変りな銃のような物体を片手にひっくり返っているロイの姿があった。
「へへっ、俺だっているんだぜ!」
「ありがと! さあ行くよ、伏せて! ……メギド・ジハード!!」
カイルの杖が球を押し出した。球は青い一条の線を描きだしながら、響く金属音とともに宙を切る。それは勢いを緩めることなく針に糸を通すような正確さでサンドワームたちの中心に着弾した。
止まる時間、失われた音。沈黙が来襲して周囲の一切がその動きを止める。カイルたちもサンドワームたちもともに石化して、その場に固まった。わずかにはらはらと落ちる砂だけがこの場で動く唯一のものだった。
直後、あたりに陽光をも軽く飲み込んでしまう白い閃光の津波が押し寄せた。熱と衝撃波も同時に炸裂する。砂とサンドワームの巨体はいっしょくたになりながら巻き上げられ、神が天上から空を叩きつけてきたかのような大気の鼓動が巻き起こった。さらにそのあとを青く燃えたぎる集熱の炎が半球状になりながら飲み込んでいく。
「ふおおお!」
「おわああああァ!」
そのとき眠りについてしまっていたアイス以外の四人は声の限りに叫びをあげた。彼らは吹き飛ばされてくる砂や焼きつくすような光に思わず目を閉じて絶叫している。彼らは爆風に負けないように懸命に足を踏ん張りながら、その惨禍の中を数十秒にわたって耐えた。それは彼らには永遠に思えるほど長く感じられる数十秒だった。おそらく、彼らの生涯の中でもこういうときは数えるほどしかなかったことだろう--。
「ううっ……。おかしいな、ここまで威力はなかったはずだけど……。うわあああァ!」
最初に目を開いたカイルは周囲の状況を見て、思わず絶叫した。彼の目の前にあったのはさきほどまでの砂丘ではなく、巨大なクレーターだった。彼のいた位置からでは底が見えないほど深く、その周囲の砂はすべて焦げたように黒ずんでいる。サンドワームは一頭残らず粉々に吹き飛んでしまったようで、肉片一つそこには残されてはいなかった。ただ肉が焼けたような鼻をつく臭いと、肌を焦がすような熱気が充満しているだけだった--
カイルがそうして茫然としているころ。その砂漠から遠く離れた地下深くに暗い部屋があった。その黒曜石のように黒い床には天使語からなる複雑な呪文が刻まれ、壁には十字架に槍が撃ち込まれている紋章が描かれている。それはさながら、教会に掲げられる宗教画のようなある種の迫力を感じさせた。ただし、それから感じられるのは申請で高潔なイメージなどではなく、ある種の悪魔的な存在であったが。
その宵闇が沈殿して出来たような深い闇に包まれる部屋の中央には、五角形のテーブルが置かれていた。その頂点にあたる部分にはそれぞれ五人の男たちが座っている。彼らは皆、顔全体を覆うような白いのっぺりとした道化のような仮面を着用していてその顔はうかがい知れない。だが、その目の隙間からはときおり皓皓と輝く冒涜的な視線が見て取れた。
五人はテーブルの中央にある水晶に目を奪われていた。それには大陸の地図のようなものが示され、そのちょうど中央からやや西南西に外れた場所が激しく点滅している。それはくしくも、カイルたちがいる砂漠の位置とぴたりと一致していた。彼らはそれをみると、体を揺らして息を急く。
「この強大な魔力反応、間違いない。やはり始祖だ」
「だが、なぜ始祖が今頃になって……。連中は旧世界とともに滅びたはずだ」
「第四エノクの示す裁きの時が近づいておるからな、その影響かもしれん。だがこれは好都合だ。この始祖をうまく使えば、我らの計画の進行に有益だろう」
「それはもしや……生命の樹の核にこの始祖を使うということなのか?」
「コピーを使うよりはオリジナルを使った方がよかろう。あれはしょせん、紛い物にしかすぎぬからな」
そういって男は恐ろしい笑いを響かせた。それに続き、ほかの四人も笑い始める。笑いというのは本来、もっとも人間味が出るものだ。だが五人の男たちの笑いにはそういったものの一切が欠けている。さながら、人間の形だけを模した機械が笑っているようだ。それはひどく醜悪で狂気に満ちている。しかしその不気味でなんとも嫌な笑いは、暗い部屋にしばらくの間こだまし続けたのだった--
カイルの使った魔法の威力が異常ですが、それについての説明はまた後日ということでお願いします。