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03契約は猫と共に



 夜の森。

 昼間に訪れた時とは似ても似つかないほど静寂に包まれていた。動物の気配も、虫の羽音も獣の足音すら聞こえない。まるで森そのものが何かを恐れて息を潜めているかのようだった。

 その中心で銀毛の猫はじっとこちらを見つめていた。


「どうだ人間。私の眷属にならないか?」


 口を開いた猫の声は森の空気に自然と溶け込んだ。

 二人の間に沈黙が落ちる。

 まるで時間が止まったかのように静まり返る中、夜風が枝葉を撫でる音、微かに聞こえる夜鳥の声が淡々と響いていた。

 眷属、それはきっと人ならざるものへの扉だ。この体の持ち主でもない自分が勝手に決めても良いのだろうか。答えようと口を開こうとするが躊躇って、口を噤む。

 本当のライシスは死んだ。そして白澄 透も死んだ。

 元の世界で大病を患い、変わり映えのしない白い病室のベットの上で。窓の外で自由に羽ばたく鳥に幾度となく憧れた、テレビで見た日常も、本で読んだ冒険。どれも体験することはなかった。

 生まれてから一度も自由に外を自分の足で歩くことすら無く死んだ。

 それなのにどういう因果関係か、今こうしてここに立っている。ライシスの肉体で白澄 透という自分の精神が蘇った。


 生きている。

 ライシスも、白澄 透も最期に望んだものは同じだった。願っていた。

 叶えたい。


 なら、必要なものは一つだ。

 この世界で、この体でもう一度生きたい。ライシスの願いを叶える為にも。その為には強さがいる。

 少なくとも前の俺のように病弱な体じゃ生き残れない。それは十分、身をもって体験済みだ。


「一つ聞く」

「なんだ?」

「お前の眷属になったら俺は強くなるのか?」


 猫は迷いなく、当然のように答えた。


「少なくとも今よりは頑丈になる。そう簡単に死なれたら困るからな」


 その言葉に胸の奥が僅かに揺れ動いた。

 強くなれる。

 その可能性が少しでもあるのなら賭けてみたい。


 脳裏にライシスの記憶が浮かぶ。

 常に最善を尽くし、誰よりも冷静で合理的に判断していた。

 それが彼にとって自分の存在価値を示す最良だと思ったからだ。それなのに結局は誰よりも弱く、信用もされず、最後は仲間に殺された。

 役立たずだから、戦わないから、命を張らないから。どれも違う、ただ居ない方が都合が良かっただけだ。ケインにとっては自分の価値を勇者たちに示す上でライシスは邪魔だったから。

 その考えからライシスを消した、合理的だ。

 怒りと悔しさで指先に力が入る。これはライシスの感情じゃない、白澄 透という僕の感情だ。

 ライシスの生きたいと願った想いに少しでも報いてあげたい。それがこの体に宿った僕にできる唯一のことだと思うから。

 

「良いよ、契約する」


 赤い瞳が僅かに開かれ、にんまりと嬉しそうに目を細める。


「決まりだな、では――」

「契約だ」


 その瞬間だった。ぞわり、と森の魔力が震えた。


「……ッ!?」


 猫の体から膨大な魔力が溢れ出す。地面の落ち葉はふわりと浮き、周囲の木々は軋む。遠くで夜鳥が一斉に飛び立つ音がする。

 まるで森が怯えているかのようだった。


「よく見ておけ、これが契約の証だ」


 魔力が渦を巻く。銀毛の猫の輪郭がゆらり、と歪み光が溢れる。

 その光の中で猫の小さな体がゆっくりと形を変えていく。小さな体は膨らみ四肢はスラリと伸び、毛並みは光に溶け銀糸のような髪が伸びふわりと夜風に攫われた。

 

 やがて光が消え、そこに立っていたのは一人の少女だった。

 

 腰まで伸びた銀糸のようなふわふわとした髪は月の光を浴び、淡く輝く。白い肌に細身の体、宝石のように深い真紅の双眸は妖しく、底知れない。

 黒い衣装に美しい人形のような容姿。

 丸みを帯びた輪郭と低めの身長はまるで少女のように見える。

 だがその頭部には漆黒のツノが二本。それは彼女がただの人間ではないことを、雄弁に物語っていた。


 その存在だけで空気が震える。

 美しい。

 だが同時に危険だと本能が叫ぶ。


「改めて名乗ろう。我が名はルシフェリア」


  月夜に照らされた彼女は静かに髪を靡かせた。


「ルシフェリア・ノクス」


 言葉を込めるように、真紅の美しい瞳が細められる。

 

「この世界で魔王の名を冠する者」


 心臓が跳ねた。

 魔王、それは人類の敵。魔物の頂点。

 そんな存在が今目の前にいる。


 ルシフェリア、そう名乗った少女は手を差し出した。


「手を出せ」


 言われるがまま手を伸ばすと細い指が俺の手首を掴み強く握りしめる。

 その瞬間、強い熱が走る。

 

「あづっ!?」


 手首から心臓にかけて魔力が流れ込む。自分の魔力とは違う、圧倒的な量と質の魔力が体の奥を焼き付け、魔力を、血を、骨の髄まで無理やり書き変えるように広がる。

 ただ、同時に力が満ちていく感覚は確かにあった。

 未だ焼きつくような痛みが走る手首には黒い紋章が浮かび上がっていた。王冠のような形の刻印、この紋章からルシフェリアの力を感じる、これが契約の証。

 

「これで契約成立。今日からお前は私の眷属だ」


 ルシフェリアが満足そうに微笑んだ瞬間、足元の地面が光った。見たことも無い魔法陣。


「うわっ!?これは」

「転移だ」


 驚く俺に被せるようにルシフェリアが言う。


「大事な眷属をこんな森に放置するわけがないだろう?私の拠点へ連れて行く」

「は、あ!?拠点!?」


 ルシフェリアは楽しそうに笑った。


「我が魔王城だ!」


 次の瞬間、視界が白く染まった。

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