傾国の美姫
今伏せっている国王。
彼の望んだ側妃は、帝国の姫君だった。
帝国との繋がりを求めるにしてはあまりにも無礼だが、相手は『姫君だった』というように、降嫁したばかりで未亡人となってしまった元姫君。
王太子だった頃に一目惚れし、何度も帝国に向けて『王妃に』と打診するも、その度すげない返事を寄越されるだけの、叶わない恋の相手……だった筈の美女だ。
その美しい側妃と国王の間に産まれた、アントニアと同い歳の姫──それがデイヴィッドの初恋であり、今も想いを寄せる相手。
名を、クリスティアナという。
側妃の意向で学園に通うことが許されなかったクリスティアナ。
彼女をデイヴィッドが見たのは、彼が16、クリスティアナが12の時。
それはギルバートに頼まれて、書庫へと赴いた時のこと。
「ヤーノルド卿、申し訳ございませんが今書庫は使用しております」
「殿下の命で資料を取りに来ただけだ。 すぐ終わる」
「……それでは、なるべくお早く」
(なんだ、一体……)
今まで止められたことなどなかったので訝しんでいたが、その理由はすぐにわかった。
「!」
書庫の奥の方。
ソファに腰掛けた美しい少女が、静かに本を読んでいた。
(あの方は……クリスティアナ王女?)
側妃を娶るとなったのは、王妃がギルバートを出産して間もなく──誰もが反対するのを推してでも国王が欲した為、『傾国の美姫』と揶揄された程に麗しい側妃。
彼女にそっくりという程ではないが面差しはよく似ており、それでいて全く違う雰囲気を持つ。
側妃を儚げな精霊と喩えるなら、凛々しい女神のような。
女に心をときめかせたことなど、これまで一度もなかったデイヴィッドの胸は高鳴った。
「……どなた? なにか私に御用?」
「し、失礼。 ヤーノルド侯爵家が子息、デイヴィッドと申します。 少し資料を取らせて頂きたくお邪魔致しました。 す、すぐ立ち去りますので……」
「そう」
警戒心を顕に無表情で振り向き、素っ気なく本に視線を戻す。
そんな姿すら美しく気高い。
(……ああクソ、気の利いた言葉も言えんとは)
さっさと立ち去らねば更に不興を買ったにせよ、もう少しなにかなかったのかと後悔した。
堅物だなんだと言われながらも、モテることには満更でもないデイヴィッドは、紳士として女性に世辞のひとつくらい言う程度の如才さは持ち合わせていたつもりだった。
それがまだ年端もいかない筈の少女に緊張してしまい、あまりにもままならない。
媚びるような笑顔を向け、寄ってくる他の女達とはまるで違う。
「……デイヴ? ははあ、 アレが気に入ったか」
「!? ……アレ、とは」
「異母妹のクリスティアナだよ。 美しいだろう? だが気に食わない娘だ……」
忌々しげに呟くギルバートの意を測りかねて黙っていると、振られたのは意外な話だった。
「14になったらあの娘は帝国に留学する」
「えっ……」
絶句したデイヴィッドに、ギルバートは真剣な顔を向けた。
「戻ってきたら降嫁先を決めねばならんだろうが、下手な相手に嫁がせたら危険だ」
低く密やかにそこまで言うと、一転。
にこやかな笑顔を向け、肩に手を置いて距離を詰める。
「……どうだデイヴ、王国騎士として働く気はないか? 侯爵家当主じゃ弱い。 だが騎士としてひとかどの功績を挙げてからなら、私も遠慮なく推挙できるというもの」
「──!」
甘く囁くように言われたそれこそ、餌。
だがデイヴィッドの中には、迷う理由などまるで見当たらなかった。
──そして現在。
「あらお兄様、帰ってらしたの?」
「ああ……そうだ、今日はふたりで食事にでも行こう。 退屈しているだろう? 個室なら目立たないさ」
「わぁ、嬉しい!」
個室のレストランでディナーを楽しむ中、ローゼリアは思い出したようにギルバートからの伝言を告げる。
兄の目がいつになく輝いたのを見て、小首を傾げた。
「『報奨』って?」
「ふふ……それはそのうちな。 それより、いよいよ始まるぞ」
「なぁに?」
「戦だよ。 お前もこれで『王妃となるに相応しい』と世間に知らしめられるな」
「……!」
「帝国の王子のおかげで一時不問にはなっているが、あの夜会のことへの責任を家としてどう示すべきか難しく、父上が参っていてな。 全く、死んでまで忌々しい女だ…… だが私とリアの活躍でそれも払拭できるだろう」
「そうね……」
デイヴィッドの剣技はこの国一と言っても過言ではない。
しかもまだ若く、体力もある。
高回復薬を用いたこの一戦だ、短期の力押し一択。彼の役目はその最前線にて敵を蹴散らし、隣国の王城を制圧すること。
その為に数年前から、現在一部戦闘地域になっている場とは別の経路を確保するなど、着々と準備を進めてきた。
(そろそろクリスティアナ様も帰国なさる頃……どんなに美しく成長されていることだろう)
己の実力に於いては絶対の自信がある彼には、戦果を挙げる想定しかない。
報奨のことを考えて上機嫌なデイヴィッド。彼は気付いていない、妹の顔色が変わっていることに。
(まずいわ……このままじゃ……!)
背中にじっとりとした汗が滲み、その一雫がゾワリと筋を伝っていく嫌な感触。
アントニアがいなくなると、領地から王都へやって来た父、マシュー。
ローゼリアは父に、散々高回復薬を作るよう言われ、辟易していた。
実際に調合までをしていたのはアントニアだが、姉がいなくなったことで、ローゼリアは気紛れに自分でも調合から行ってみた。
だができたのは、高回復薬より圧倒的に治癒力の低い、回復薬のみ。
使用人に調合させた物や、出回っている低回復薬に聖力を注いでみたものの、結果は同じ。
そしてあの日、アントニアに作らせた分のストックは、もう残り僅か。
(開戦じゃ、益々アレは取っておかなきゃ……調子が悪いことにして、暫く伏せっていようかしら)
常日頃から『使えるか、使えないか』を重要視するギルバートだが、父とは違い『高回復薬を作れ』とは言わず、自分を気遣ってくれていた。
そのことで『彼に愛されている』という自信を取り戻した反面、『嫌われたくない』という気持ちも再燃している。
──ここぞという時に出せなかったら、どうしようもない。