夜会数日前、侯爵邸/ローゼリアとデイヴィッド
「あ~あ、面白くないわぁ」
ローゼリアもまた、あれ以来イライラしていた。
疎ましかった姉だが、役には立っていたのだ。
恋の障害として、秘密の逢瀬と情事を盛り上げる役としても、ギルバートと自分の為の時間を作る雑用係としても。
侯爵邸内にしたってそうだ。
美しかった母に似ながら、更にそれよりも愛らしいローゼリアを父と兄は溺愛した。
アントニアの優秀さを皆認めているが、それは、あくまでも都合のいい道具として。
──話は少し遡り、夜会の話の為にギルバートの元へ行った後でのこと。
ギルバートと甘い時を過ごしたローゼリアの浮かれた気持ちは、邸宅に着いてすぐ一転し、今のように苛立っていた。
なにしろギルバートが贈った、姉へのドレスが届いていたのだから。
自分のも後で届くのだろうが、婚約者でないだけに、まだローゼリアへの贈り物はギルバートからとはわからないようにされている。
虚栄心の強い彼女にとって、自慢できないことは苦痛でしかなかった。
きっと、見事な品に違いない──破るなり汚すなりしてやりたいが、釘を刺されてしまっただけにそれもできず、ローゼリアは歯噛みした。
「……お姉様はまだ?」
「はい。 神殿です」
「フッ、聖力もないのにご苦労なこと」
わかってて聞いたことだが、これはローゼリアをそれなりに満たしてくれる。
いくつかの薬草と水を調合しただけの低回復薬は、知識さえあれば作れる。
それに聖力を注いで初めて回復薬となる。
更に、高回復薬は聖力の純度が高い万能薬。
勿論それで全ての病や怪我が治るわけではないが、その治癒力は低回復薬は当然として、回復薬すら比ではない。
薬の調合は全てアントニアが行っており、ローゼリアはそれに聖力を注ぐだけだが、彼女の力なくしては高回復薬足り得ないのだ。
(なにが『敬虔な信徒』よ。 所詮は私の下働きの癖に)
そう、下働きだ。
『妃』という名称がついたところで、同じ。
面倒な仕事を自分の為に肩代わりする、便利な道具。
そう思うと自身の不遇──ローゼリアにとっては、アントニアが生まれてきたことそのもの──も、多少は許容できるというもの。
「退屈そうだな、ローゼリア」
「お兄様、お早いのですね」
「ああ。 パーティーに誘われているんだが、一緒に行くか?」
ふたりの兄であるデイヴィッドは、王国騎士団の副団長として活躍している。
剣技に長けている彼は立派な体躯で、ギルバートとはまた違うタイプの美丈夫である。
しかも侯爵家嫡男で、フリー。
話す機会があったから、と突発的にパーティーに誘われるのはしょっちゅうで、デイヴィッドはそれに気紛れに参加していた。
「素敵! 勿論行くわ!」
そう盛り上がったところに、アントニアが帰ってきた。
「ただいま帰りました」
「フン。 また神殿か? 随分暇そうだな」
淑やかに挨拶をするアントニアを、デイヴィッドが嘲り鼻で笑うと、ローゼリアもクスクスと笑う。
「今日は剣と防具を購入してな。 聖力のないお前の為に部屋に運んでおいた。 明日までに術式を施しておけ」
「明日までに、ですか? それですと……」
「ああ、言い訳はいい。 聖力を持たない癖に神殿に入り浸る程暇なのだから、それくらいできるだろう?」
「そうだわ! お暇なのでしたら、お姉様もパーティーに御一緒しては?」
「……ありがとう、折角だけどまた」
ローゼリアの言葉は気遣いのようでいて、その実アントニアを追い詰めるだけのモノ。
なにしろデイヴィッドに押し付けられた仕事の他に、ローゼリアが聖力を注ぐ為の回復薬の調合もあるのだから。
アントニアは「力不足で申し訳ございません」と頭を下げ、自室へと戻る。
「……可愛げのない女だ」
デイヴィッドはその背中に向けて舌打ちをした。
いつも卒なく、僅かに眉を下げた笑顔を見せるだけのアントニアに抱く、ふたりの憎しみに似た感情が消えることはない。
だが、必要以上に害するのは良くない相手だ。
頭を下げさせれば、それでも多少の溜飲は下がる。
「まあ、あんなの来ない方がいい。 どうせ自慢の可愛い妹はお前だけだ。 ローゼリア、早く用意しておいで」
「はぁい♡」
隣国との小競り合いは続いているが、それはあくまでも一部地域。
数年続いていることで緊張感を失っているのか、王都の貴族はあまりそれを気にした様子もない。
王妃の喪が明けていないので、正式な夜会は自粛傾向にあるが、気軽なパーティーは連日開かれていた。
華美では無い程度に美しく着飾ったローゼリアは、平服に身を包んだ凛々しい兄と向かい合い、互いに褒めた後で馬車に乗り込む。
ローゼリアにとっても、見目麗しく優秀な兄は自慢だ。
ギルバートと比べ、他の男が色褪せて見えるようになってからは、特に。
隣にいても問題なく、虚栄心を満たしてくれる存在。
「でもお兄様、どなたかとエスコートのお約束はされていないの?」
「ああ」
まだ侯爵が若いにせよ、嫡男である彼が自領にて領地経営に携わらないのには、ふたつ理由がある。
ひとつは剣の腕を買われていること。
もうひとつは、婚約者ができないことだ。
縁談の話は山程あるが、全て断ってしまう。
「お前のように愛らしい娘がなかなかいなくてな」
そう嘯くデイヴィッドだが、彼が下の妹を溺愛しているのは事実でも、ローゼリアが彼の理想の女性というわけではない。
彼にはまさに理想であり、恋慕う女性がいる。
デイヴィッドがアントニアを嫌う、一番の理由もその女性──彼の初恋の君にあった。