夜会(後)
夜であっても王都は明るい。
中でも一際明るいのが王宮であり、夜会の行われているここ、本殿大広間。
シャンデリアの華やかな硝子の装飾が、そこに灯した明かりを反射させ、キラキラと輝きを放つ。
だが一瞬。
その光を遥かに凌駕する、眩い閃光がホールを包んだ。
階段を降り切ったアントニアに迫る、前後……というか前と斜め上、そして左右からの数多の兵が、バタバタと倒れる。
「うふふふふ、大成功ですわね♡」
そうクスクスと笑うアントニアのドレスのスカートには、ぐるりと一周、まるで水玉模様のように穴が空いていた。
(クリノリンに術式を仕込んだのか……!?)
倒れた兵には外傷もなく、死に至らしめるような攻撃ではなさそうだが、暫く戦闘が不能になる程度には攻撃力があるようだ。
腰を抜かしたのか、未だ床に這いつくばったままのギルバートとローゼリア。
倒れた複数の屈強な男達。
その中央でひとりだけ立っているのは──まるで子供のように、クスクスと笑うアントニア。
いつも柔らかな淑女の笑みを湛えるか、時折凛々しい顔を見せるくらいの、理知的で穏やかだった筈のアントニア。
彼女がそう笑うと、似てはいなくとも『やはりローゼリアと姉妹なのだ』と感じる程、無垢で愛らしい。
だがそれが周囲に与えるのは、恐怖でしかない。
「くっ……はははっ! 彼女やるなァ!」
貴族らが叫び、我先にと逃げ出す中で、イライアスは腹を抱えて笑っていた。
王国近衛兵が安全な場所へ誘導しようとするのを軽く制する。
「生憎、帝国王子はそんなにヤワじゃないんだ。 でもそうだな、彼の代わりに護衛くらいはしてもらおうか」
「はっ、ハイ?」
「行っておいで」
鎧の騎士は僅かに頷くと、素早くアントニアの方へ走る。
それは全身に鎧を纏っているとは思えない程の俊敏さ。
(迅い……ッ!)
それに気付いたアントニアから、再びの閃光。
どういう仕組みかは不明だが、アントニアのクリノリン砲弾は一撃のみではなかった。
再び数人の兵士が倒れる音。しかし──
「ッ!」
鎧の騎士から放たれた音は、軌道を避けて高く跳び上がり、アントニアの真横に着地した足音。
「……地獄で会おう」
喧騒の中、これまで一言も発しなかった男の囁くような声がアントニアの耳朶を擽る。
携えた長剣がスラリと抜かれる僅かな金属音を心地よく続き、アントニアは鎧の中の瞳と視線を合わせ、目を細める。
先の台詞じみた言葉にクス、と小さな笑いを零して。
──トスッ
「……ッ」
それは、あまりに呆気ない幕切れ。
まるで果物かなにかをフォークで突き刺すような軽さで、アントニアの細い肢体を騎士の長剣が貫く。
喉からひとつ、渇いた喘ぎ声を漏らして血を吐いた彼女の身体から、騎士が剣を抜くことはなく。
ゆらりと揺れた身体を、そのまま抱き留めて支え、担いだ。
シン、と静まり返ったホールに響くのは、彼の足音のみ。
そのまま主であるイライアスの元に向かい跪いた様は、狩猟で獲物を捧げる姿。
「──いやぁ、なかなかのサプライズだったなぁ。 楽しませて貰ったよ、王太子殿下」
向けられた視線と言葉に、ギルバートは慌てて立ち上がり、居住まいを正す。
だが、今更だった。
「で、殿下……」
背中に冷たいモノが走る。
帝国の第四王子の歓迎会での、有り得ない失態。
主賓であり帝国の王子の御身を危険に晒しただけでなく、解決したのは彼の側近。
密かに、そして着々と戦争の準備を進めていたが、隣国の兵力と帝国とでは比べモノにならない。
敵に回すことはできない相手だけに……この不始末の代償は支払わねばならないだろう。
──高回復薬を以て。
(クソクソクソッ! あの女ァ!!)
全ての目論見が無に帰した怒りを隠し、ギルバートは悲壮な表情を作り、片手で顔を覆う。
「ッ私も! 私も驚きを禁じ得ません……! 彼女は賢しく寛容で、自ら立場を引く程とても妹想いだったと言うのに……! ああ、アントニア……!!」
謝罪をせねばならないにせよ、この場ですぐは不味い。
まずは国内貴族へのパフォーマンスで非の全てをアントニアに押し付ける。
それと同時に動揺と哀しみでままならない、といった演出で間を持たせ、イライアスの様子を窺うことにした。
「ふふ。 君はどうやらお父上と同じご趣味らしい」
場にそぐわない笑いと共に放たれた、遠回しで痛烈な批判。
だが、続いたのは意外な言葉だった。
「だが生憎、彼女は不慮の事故でお亡くなりになったようだ」
「……!」
それは一切を不問にする、というもの。
「妹想いの彼女は身を引き、今宵仲良くなった我が騎士と共に国を出る途中、残念ながら事故に遭った。 亡骸だけでもこちらで引き取ろう……いいね?」
「も、勿論です……!」
(先程のアントニアの攻撃……クリノリンに施された術式の解析が狙いか……?)
魔術に明るい帝国が目を付ける程の駒を失ったことに落胆しながらも、今は安堵の方が大きい。
「改めて、王太子夫妻の寿ぎと元婚約者の餞を。 私達はここで失礼しよう……寛容の女神・クレメンティアの敬虔な信徒だったという彼女の為に、箱舟が必要だからね」
そう言ってイライアスは軽やかにくるりと向きを変えると、颯爽と去っていった。
それはまるで、何事も無かったかのよう──
イライアスが、剣の刺さったままのアントニアを肩に背負った騎士を従え、いつの間にか彼を守るように取り囲んでいる魔術師達がいなければ、の話にしても。