夜会(前)
帝国の第四王子・イライアスはこの国の言葉も流暢で、美しく高貴さの漂う見た目に反し、気易い雰囲気を相手に抱かせる男だった。
帝国の王子にしては非常に身軽で、連れてきたのは魔術師数名の他、側近と思しき鎧に身を包む重装備の騎士がひとり。
夜会には騎士のみを伴って出席している。
貴人の場合、夜会であろうとも側近ひとりにのみ帯剣が許されているが、ここまで露骨な装備は珍しい。
「本人曰く、人前に出せる顔じゃないそうでね。 いつもこうなんだ、非礼を許して欲しい」
「それはお気の毒に。 飲食も不自由でしょうし、後で騎士殿のお部屋になにかお届けしましょう」
ギルバートは僅かな不愉快さを隠し、にこやかに対応した。
「ここはなかなか素敵な国だね。 貴方のような男が王太子ならこの先も安泰だろう。 婚約者殿も実に美しく有能だ」
「恐縮です。 彼女については仰る通りですが」
「おや、惚気けてくれるなぁ」
一応布石を打ち、アントニアにも小声で指示をしておく。
「……アントニア、この先なにがあっても私を信じて欲しい」
「はい、殿下」
(相変わらずの笑みだが、今夜は気分がいい。 この後存分に表情を変えさせてやる)
なにしろ宣言だけなのだ。
夜会が終わった後はローゼリアは侯爵邸に帰す。
アントニアは、今迄の冷遇を盾にヤーノルド侯爵に迫り、王宮に留めるつもりでいた。
なにをするつもりかなど、語る迄もないだろう。
それなりに場が温まった後。
手筈通りに大ホールの中央階段を上がったギルバートは宣言した。
「皆! 帝国からこうして第四王子殿下をお迎えすることができたこの良き日に、先んじて私の婚姻披露を行いたいと思う!」
貴族達からは動揺する様子が見て取れた。
数年前に側妃を亡くし、昨年王妃を亡くしてから伏せっている国王陛下と、まだ若い王太子の治世を案じてのこと。
「皆存じていると思うが、陛下は伏せっており容態は思わしくない! だがこの一年……いや、伏せりがちになった数年前から私が滞りなく公務を担ってきた! どうだ皆、生活は変わったか?」
議会で上がったものに最終的な承認をするのは国王だが、宮廷の顔ぶれが著しく変化したわけでもない。
なのでそれがギルバートの活躍かどうかは兎も角、国は変わらずそこそこ富んでいる。
単なるパフォーマンスに過ぎないこれは、演説内容よりカリスマ性が大事であり、その点で言えばギルバートは国王より優れていた。
「王妃の喪が明けるまでは、と慶事を控えてはいるが、不安であろう皆の為にも伴侶を示したい!」
ギルバートの後ろの扉が開き、楚々、とやってきたのはローゼリア。
皆、『アントニアでは』という困惑を抱きながらもその美しさに息を呑む。
実のところ、自身の見映えや他人の視線に敏感なローゼリアの所作はそれなりに美しい。
王妃たる凛々しさはない代わりにある、嫋やかさは男を魅了し、愛らしい華やかさは女をも魅了する。
「このローゼリアは、我が国の宝である高回復薬を精製する聖女である! 未来の国母となるのに相応しい! ──そして」
僅かに区切ったあと、聴衆である貴族らが差配に疑問や不安を抱くより早く、
「アントニア! 前へ!!」
今もまだ婚約者の筈の女の名を呼んだ。
「ローゼリアを姉として支え、我が婚約者として力を尽くしてくれた其方には、側妃として私達を変わらず支えてくれ!」
側近騎士が僅かに動いたのをイライアスは視線で制し、アントニアの行動を見守る。
(さあ、どうする気かな)
アントニアはローゼリアとは違い、まるでお手本のような隙のない優雅さで前に出ると階段を上がり、踊り場で淑女の礼を取る。
それにイライアスは些か興醒めし、ギルバートは口角を上げた。
ギルバートはローゼリアを伴い、ゆっくりと階段を降りる。
アントニアの前まで行ったギルバートは、小声で優しげに声を掛けた。
「さあ、アントニア。 顔を上げて」
「僭越ながら、殿下……ひとつだけお教えしてさしあげたいことが」
「ん?」
「──嘘を吐くのは貴方だけじゃありませんわ」
そう言うや否や、顔を上げたアントニアは、ギルバートの脛を蹴り上げて素早く後ろに回り、階段から突き落とした。
「ぐっ?! ……ッ!!」
「……きゃあああぁぁぁッ!!!!」
突然のことと脛への衝撃に声を出せないギルバートの代わりに、寄り添っていたせいで巻き添えを喰らったローゼリアの悲鳴が響く。
「これがお返事でしてよ、殿下」
階段を降りながらふたりを睥睨するアントニアは、変わらずにこやかで。
それが見ている者に恐怖を感じさせた。
不幸中の幸いにして、落とされたのは踊り場から。
そこまでの段数ではなく、打ちどころが悪かったわけでもないふたりはすぐに復活した。
「おっ……お姉様がご乱心よ!!」
「……警備兵なにをしている?! この女を捕らえろ!!」
悲鳴と怒声、その中で兵士達がアントニアに迫る靴音と指示の声。
しかし、本当に阿鼻叫喚の様相を呈すのはここからだった。