王宮(前)
国境での小競り合いが徐々に苛烈さを増し、いよいよ隣国との戦争という緊張の高まる中。
帝国の第四王子殿下という重鎮が訪問する為、歓迎の夜会が盛大に開かれることとなった。
「アントニア、君には夜会での第四王子殿下の案内役をお願いしたい」
「畏まりました」
第四王子・イライアスの案内役に選ばれたのは、ヤーノルド侯爵令嬢アントニア。
この国の王太子、ギルバートの婚約者。
王妃は既に亡くなり、諸外国には伏せられているが国王は病に倒れている。
場を執り仕切るのは王太子──この機会に合わせ、急遽王太子の婚姻披露を行うこととなった。
隣国と本国の両国は帝国の友好国であり、属国ではない。
虎視眈々とその機会を狙い、始まるであろう戦に横槍を入れられる前に、帝国には国力を示す必要がある。
「重責を伴う仕事だが、アントニアになら安心して任せられるよ」
そう優しくギルバートは微笑む。
優秀なアントニアは5ヶ国語を話せるが、特に帝国語は流暢。
やることとしては、帝国の第四王子を部屋まで迎えに行き、エスコートされるかたちで貴賓用の扉から入場し、特別席まで案内する。
第四王子も外国語には長けているらしいのであとはその場での適宜判断となるが、基本的には付かず離れず、邪魔にならない程度にサポートをする感じになるのだろう。
「場が温まったあたりで、私が殿下に再度挨拶し、婚姻披露に移る。 紹介だけだが国内貴族と、なにより帝国の殿下がいる……覆されることはないから安心してくれ」
そこまで言うと小さく嘆息し、ギルバートはアントニアを熱い目で見詰めた。
「……ようやく君を、あの家から解放してやれる」
早期に王妃教育を終えたアントニアだが、立場的にはまだ婚約者。
王妃が采配を振るような仕事をやってはいるが、表に出ないようなものだけ。
それは『まだ婚約者である』という事情の他に、アントニアの生家での彼女の立ち位置にあった。
流石に王太子殿下の婚約者なので、物理的に害されることこそないものの、彼女は冷遇されている。
きっかけはアントニアが、この国の貴族子女が多く持つ聖力を持っていなかったこと。
だが、それ自体が本質的な問題ではなく、ひとり妙に毛色の違う娘を父は自分の子か疑っていたことにある。
貴族子女に多い聖力がないことで、更にその疑いを深め、大喧嘩の末に妻が出て行ったことで、また更にアントニアを憎むこととなった。
しかし同世代の娘の中で抜きん出て優秀だったことが功を奏し、王命でギルバートとの婚約が結ばれた。
ふたりの婚約が結ばれたのは、ギルバートが12歳、アントニアが7歳の頃。
待望の正妃の第一王子であるギルバートは、非常に尊大で我儘な子で。
当初は『こんな地味な女、僕には相応しくない!』とアントニアを拒み、なにかにつけては意地の悪い言葉を投げ付けたモノだった。
容色に優れたこともあって、甘やかされていたギルバートだったが、だからといって厳しい教育が施されなかったワケでもない。
成長するにつれ落ち着いてきたのか、10代も中盤を越える頃にはアントニアへの当たりも柔らかくなり、こうして彼女を気遣えるまでになっていた。
「殿下のお気遣いには、いつも心より感謝しております」
アントニアはニコリと淑やかに笑ってそう言うが、それがギルバートには少し不服だ。
彼女はいつも完璧に微笑んでいる。
知らない者が『冷遇されている』と聞いたところで信じないくらい、そこには微塵も悲壮感がない。
「今日この後は?」
「神殿の方へ」
「そうか、君らしい」
聖力がないアントニアだが、特別な用事がない限りは王都にある大神殿へと欠かさず足を運び、祈りを捧げる。
口さがない人間は『聖力がないくせに』『あざとい行為』と蔑むものの、女神像を前に祈る姿はどこか恋に落ちた乙女のようにすら感じるくらい、熱の篭ったモノ。
大神殿の神官長である気難しい老人、ローレンスが『彼女こそまさに、敬虔な信徒』と口にする程。
「失礼致します」と淑女の礼を取ったあと、応接室の扉に向かおうとするアントニアの腕を軽く掴み、自分の胸へと引き込む。
「たまには態度でも示して欲しいな」
「……不慣れなものですから」
小さな声でそう言って俯くアントニアの表情を想像し、ギルバートは柔らかな身体を楽しむように一度強く抱き締め、慈しむようにそっと離した。
「アントニア……私の妃となるに相応しいよう、君のドレスはとっておきの物を作らせている。 王子が心を奪われないか心配だよ」
「まあ、殿下ったら……」
手の甲に軽く唇を落とし、ギルバートはそのままアントニアの手を引いて王宮の入口までエスコートする。
婚約者を紳士的に見送った後、彼はそのまま自身の私室へと向かった。
──それから一時間後。
ギルバートは、自室にある女を招き入れていた。