神殿
「娘には聖力がないと……?!」
そう喚き散らす男を、複数の神官が宥める。
男はヤーノルド侯爵、マシュー。
数年前に爵位を継いだばかりの男だ。
娘にもなにかしらの箔が欲しいのだろう。
彼に限らず、こういうことはよくある。
(だが……長くなりそうだ)
「おいで。 小さなお嬢さん、爺が中を案内してあげよう」
「……」
マシューに気付かれないようにその場に現れた神官長ローレンスは、宥めている神官の一人に目配せし、『聖力がない』と言われた娘──アントニアの小さな手を引いた。
アントニアはまだ、僅か5歳。
とはいえ父が自分のことで喚いていることぐらいは、朧気にであろうと察せられる歳。
泣く、怯える、萎縮するなどしてもおかしくない状況から、気を利かせたのだ。
現に、アントニアは大きな瞳から滔々と涙を流していた。
この国が『神』と崇めるのは、慈悲と仁慈、寛大と寛容の女神・クレメンティア。
この国ではかの神の愛し子として『聖力』を持ち、研鑽を詰んだ者を『聖女』と定義している。
持つ聖力の量に差はあれど、その数は多い。
この国の女性の大半が聖女の資質を持つと言っても過言ではない。
(だが実際に神殿で力を注ぐ者はごく僅かだというのに。 いちいちこだわり、あろうことかクレメンティア様の御前で喚き散らすとは。 『寛大と寛容』の意味もわからぬ愚物めが)
高い知能と先王の王弟という地位を持ちながら、神に仕えることを選んだ神官長ローレンス。
優しさと潔癖さ故に人の愚かさを嘆き、人の世を憂いた彼は、信仰に救いを求めた。
それは更に人の汚さを感じる結果となったけれど、政争から逃れたことで心の安寧を取り戻し、今は諦念混じりの俯瞰で捉えている。
だが子供に付加価値を求める行為には、むしろ年々苛立ちが増していると言っていい。
子供というのは、希望の塊。
慈しみ、愛すべき存在だ。
不思議なもので、老いる程に強くそう感じるようになっている。
「その目じゃ案内しても見えんだろう。 これを使いなさい」
とはいえ、子供の扱い方は未だぎこちないこの老神官が幼子の涙を拭いてあげることはなく、そう言ってハンカチを渡す。
「ありがとうございます」
ニコリ。
涙を流しながらも微笑み、そう礼を言う幼女。
思いの外、しっかりしている──そう表現するには、あまりにも奇妙に思えた。