婚約破棄オブザイヤー2023
冬である。因習村である。婚約破棄である。
「いやおかしいですよね?!?!」
エリトス・ユージンは絶叫した。
手には『司会⭐︎』と書かれたマイクを握っている。
∮
今年も婚約破棄は流行りに流行った。
2023/1/1から報告された婚約破棄は3777件、そのうち新たな報告は3146件(世界のデータバンクサクヒン・ケンサク調べ)。
もはや突撃となりの婚約破棄、犬も歩けば婚約破棄されると言っても過言ではない。
そうして紆余曲折の上出来たのが婚約破棄オブザイヤーという催しで、身分も人種も種族も地球内外生命体も問わず、色々な国が今年1番面白かったりヤバかったりした婚約破棄を発表する、というものだった。
一昨年はある魔術大国の女王が、投影魔法を利用した当事者出演の寸劇形式で発表し、学芸会のようなクオリティが逆にシュールでバカ受けし、MVPを掻っ攫った。
去年は逆に何も大きな問題がない、という婚約破棄がその後の2次会に行く途中の諸々も含め、目新しさから満場一致でMVPに選ばれた。(参照:婚約破棄オブザイヤー2022)
そうして去年のMVPーーーエリトス・ユージンは、今目をひん剥いて叫んでいる。トンチキな悪夢が、また行われようとしていることに対して。
ユージンは知るよしもなかったが、婚約破棄オブザイヤーのMVPは来年度の司会を務める慣わしとなっている。去年は魔術大国の女王が臨場感たっぷりに司会を務め上げ、今年は当然、ユージンの役目であった。
婚約破棄オブザイヤー2022の次の朝、久しぶりにベッドで目覚めて、変な夢見たな…いやでもリュスカとの事は夢じゃないよな夢であって欲しくない、でも婚約破棄とかオブザとかイヤーとかは多分夢だな、と思考が完結したところで、枕元に置かれた開けば音が鳴るタイプのメッセージカードにファンファーレを流された。
MVPおめでとう〜次は司会を宜しくね〜とデカデカと書かれた虹色のカードと同封の紙には、いくつかの質問があって、記入したらその紙がいつのまにか消えていた事以外、もはやトンチキな夜のことは、意識の外に放り込んでいたのだが。
12月のこのクソ忙しい時期に、【転移魔法始めました〜会場へはこちらから〜】というカードを上司から渡された時から、嫌な予感がしていた。いやまさかな、と思いつつ開かないわけにはいかず、その瞬間に書かれていた魔術陣が光を放って
ーーー今に至る。
最初に視界に入ったのは、鬱蒼とした森だった。薄暗い森の中、木々に阻まれ視界の悪い中、遠くに開けた場所が見える。
なに?????と思いつつ、とりあえず明るいそちらに向かえば、迎えたのは村らしい集落と、崩れかけの門と、門に吊るされたビスクドールだった。
「は?」
人形?とか、ここどこ?とか、どうして毎日遅刻もせず出勤して必要なら残業も徹夜もして真面目に働く俺がこんな目に?とかの感情は、口に出すと「は?」にしかならない。
それでも寂れた門の右の看板に彫られた文字に端末で翻訳をかければ、そこにはナタンサ村、と書かれていた。
………………とりあえず、入ってみよう。
∮
「よそもんが!よそもんが、何しにきたんじゃぁぁぁぁ!!!」
クワを持った老婆に叫ばれる。
開幕10分である。
「なにも?!?!」
追いかける3秒前、という顔をされて、慌てて逃げ出す。もう嫌だこの世界。
異様。
入ったその村は、そうとしか言えない場所だった。
今にも降り出しそうな曇天と、薄暗く視界を遮る霧。
目を凝らせば右足と腕がないブリキの兵隊の人形が木に幾百と吊り下げられていたり、目をくり抜かれるか目に当たるパーツのないビスクドールやぬいぐるみが、まばらにあるボロ家の扉に、必ず吊り下げられていたり。
金髪で巻毛の10才くらいの双子に、ただにこにこと笑いかけられたり。もちろん話しかける勇気はない。
ホラーが苦手な人間であればパニックになるか泡吹いて逃げ出していただろう、いや俺も逃げ出したいけれど。
そうして会釈で通り過ぎた2人を除いた第一発見者がいたと思ったらこれである。武器を持っていない分、双子の方がよっぽどマシだ。
招待状を握りしめる。走馬灯すら浮かんできた。
もの凄く恩のあるわけではない上司、特別頼りにはならない同僚、去年のあの日から何度も共に出掛けて、半年前に告白してOKを貰った可愛い彼女。
ついこの間リュスカの両親にも挨拶に行って、楽しく酒を酌み交わしたのに、どうして俺はこんなところにいるんだ。
彼女の両親はお酒が好きで、リュスカの生まれ年のワインを何十本も買って、成人した娘と飲み交わすことを楽しみにしていた。
歓迎してくれた彼らは飲みやすい1本をユージンのために開けてくれて、リュスカの父は2人が結婚した時にはとびっきりの1本を開けよう、ともいってくれた。
気が早いんだから、けれど本当にそうなったら嬉しいわ、と奥さんに嗜められたのも含めて、とても良い夜で、走馬灯に相応しい良い思い出だ。
いや待てまだ死ぬわけにはいかない、まだ彼女を両親に紹介、いやその前に行きたいカフェが、美術館が、劇がいくつもある。
やってられっかクソ!!!と叫んだ瞬間
ーーー招待状からぶわっと、膨大な魔力が溢れ出す。そうして視界は、白い光に包まれた。
∮
目を開く。ぼんやりとした視界の、焦点が合う。
広い部屋だった。並べられた大テーブルと、その上の国籍問わず並べられた、さまざまな料理。
あら早かったわね、と、こちらに気づいた妙齢の美女に声を掛けられる。
ぬばたまの黒髪、ものすごい美貌。去年ビールのジョッキを豪快に振り上げていた、白くしなやかな細い腕。
覚えている。魔術大国の、女王様だった。
「もう良いの?まだ1件も家に入っていないし地下牢も人形祠も前村長の墓も見てないでしょう。まあ貴方は今年の司会だから、早く会場に着きたかったとかかしら」
「ちかろう」
「ええ。今回のテーマは体験型忘年会なの。村の入り口に転移してスタート、村を好きなだけ探索して、因習の数々を楽しんだあとで忘年会。もしかして、ちゃんと招待状を読んでいないの?」
「たいけんがたぼうねんかい」
読むも何も、開いた瞬間に転移させられた。言われて魔術陣の下を確認すれば、たしかにそんな事が書いてある。
満足するまで探索した後の集合場所は村中央の、唯一扉に人形の掛かっていない小屋だとか、恐怖に負けたり飽きたら招待状を握って念じれば会場に転移できる、とも。
「いや転移させるにしてもこの部屋に直接で良かったじゃないですか!」
「そんな……せっかくの因習村なのに探索しないなんて、ありえないでしょう?!」
何を言っているの?と理解出来ないものを見る目を向けられて、頭を抱えた。
目眩もする。ナタンサ村 is どこ。そうして何より、自分がこれから、わけわからん村で行われるわけわからん会の、司会をすることに。
「……まずはナタンサ村って、どの国にあるんですか?」
たしか去年枕元に置かれていたアンケートの紙には会場をどこにしたいか、という項目もあって、去年と同じ酒場でいいと書いたはずなのだが。
「つまらないじゃない、ボツよボツ。ここはラッレバっていう国の、南にある村の1つよ。色々あって、国の方から申し出てくれたの。あなたの国からはかなり離れているから、名前も知らないかもしれないわね」
その通りだったので、頷いた。
去年と同じくらい広い会場はまばらに人がいて、目が合うとひとりの男性がぺこりと頭を下げてくる。お辞儀を返してから、女王があれがラッレバの国王、と言うから目を剥いた。VIPじゃねえか!
一応村全体に遠視魔法は掛けてあるの、この水晶玉で投影も出来るのよ、と教えてもらったり、遠くで水晶玉を挟んで何かを話している面々に挨拶したり。エントリーNo.の一覧よ、と薄っぺらい紙きれを渡されたり。
「いや俺に司会は無理ですよ!」
「大丈夫よみんな酒入るんだから。去年はわたくしだからどうにかなっただけで、毎年もっとグダるわ」
サポートはしてあげる、と言われたがそういう問題じゃない。視界の隅では、水晶玉に次々と人がうつり始める。他の参加者も、村に訪れ始めたらしい。
「よそもんが何しに、なっ、よ、よそもんばっかじゃぁぁぁぁぁ!!!!」
ぞろぞろと現れる聖女とか外国の王族とかなんか後光の差している人とか魔族とか宇宙人とか以下略以下略に、老婆が振り上げたクワが震える。
双子の笑みも、心なしか引き攣っていた。
∮
「えー今日はお足元の悪いなかーーーひっすいません!エントリーNo.1!!!ラッレバの……あ、この国の方なんですね……リリエラさん!ご職業は魔法少女……魔法少女!?!?」
村に到着した時は時計の短針は真下くらいだったのに、会が始まったのは19時ごろだった。おそらくとっくに、日は沈んでいる。そうそうたる顔ぶれにまずはご挨拶を、と頭を下げようとしただけでブーイングされ、1番前の席に座ってもらっている女王にも巻きで、とジェスチャーされる。
普段会合や夜会や祭儀に週10で参加されているお偉い方々は、長々しい最初の挨拶に大変厳しい。
腹はくくった。くくれていなくてもくくるしかない。最初の発表者の名前を呼ぶ。
出身国とちょっとした経歴しか載っていないエントリー順の表に目を通し、読み上げ、頭に?が浮かんだ。魔法少女。なにそれ魔術師の派生か?
そうして、簡素な木のステージに少女が現れる。
明るいピンク色の髪と衣装が印象的な、13、4才ほどの子だった。
膝より上の丈の、フリルがたっぷりついた大きく膨らんだスカート。胸と膨らんだ袖にはハートの飾り、ピンクのツインテールを留める大きなリボン。
彼女はぴょんっ、と身軽にマイクスタンドの前に立ち、……ぼたぼたと、涙をこぼし始めた。
ユージンの国では見ない服装だが、まあ宇宙人よりよっぽどまともだよな、と思っていたから目を剥いた。声をかけるより早く、彼女は泣きじゃくりながら、叫んだ。
「わだじ……っもういらないっで、ずでられだんでずっ……!!!よわいがらっで!いづもげがばっがりずるがらっで!!!ゔぇぇぇぇぇぇぇん!!!」
「うぇっ?!な、何があったんですか」
「わ、わだし、このくにで、ミヤ、親友と、みんなで、魔法少女をしてたんです。『玩具の僕』達と戦って、倒して……なのにきゅうに、あんたはお荷物だからいらないって、メンバーから追放してやるって、いわれてぇぇぇぇ!!!」
「お、落ち着いてください。あ、ほら水!」
流石婚約破棄オブザイヤー。最初からトンチキである。
それにしても追放かーーー。水を差し出しながら、頭の片隅で考えた
魔法少女?玩具の僕?とかを置いても、ユージンより一回り若い子供が、友達に裏切られて泣いているのだ。気の毒だし、可哀想だ、とはおもう。
それはそうとして、追放である。彼女の言っていることは、紛れもなく追放だ。
追放もの。婚約破棄と比肩する、世界のトレンドである。パーティから追放、国外追放、この場ではどちらも追放ものと呼ばせていただく。
今年の報告件数は1832件、ちなみに婚約破棄かつ追放ものは365件ある。世の婚約破棄の11.6%は追放ものなのだ。シナジーが有り余っている。
おい誰だこの子を婚約破棄オブザイヤーに呼んだの、もっと相応しい場所があるだろ追放オブザイヤーとか、いやそんなトンチキがあるのかは知らないけれど多分ある、だってこの世界だもの。
大丈夫かーお嬢ちゃん!と野次が入る。言葉は雑だが、声音は挨拶しようとした時のユージンへの態度より100倍優しい。
「ひっぐ……プリンセスにはわたしがなるからって、ミヤが、あんたはイスラデラス様に相応しくないってえ……」
ずっとずっと、一緒に頑張ってたのに!と少女は真っ赤な目を擦る。プリンセス。婚約破棄要素もあるのかもしれない。
「ええっとまず……魔法少女とは?そして、イスラデラス様とは、どなたでしょうか」
「……ミヤは、わたしの幼なじみです。いっつも一緒にいて、誰よりも大事な親友でした。このストラップもお揃いで……。わたしたち、今年の初めに、いっしょに魔法少女になったんです。ぬいぐるみとかロボットとか、人形とかに襲われて、もうダメだって思った、気がついたら変身してた。わけ分かんなかったけど、ミヤを助けたくて。気がついたら魔法とかも使えて、奴らを、やっつけることが出来ました」
「それからなんか、どんどん敵が現れるようになって。なんでかここに敵が現れるとか、どうやったらやっつけられるとかも、分かるようになって。最初はミヤと一緒に頑張ってたけど、おんなじ魔法少女の子が仲間になってくれて。大変だったけど、誰かを助けているって思ったら、嬉しかったんです。
イスラデラス様は、わたし達が強い敵を倒した後とかに時々現れて、褒めてくれました。魔法少女達の世界の王様らしくって、人形達を倒して、平和な世界を取り戻して欲しいって。こっちの世界の魔法少女達の中で、1番頑張った子をプリンセスとして、魔法少女の世界に連れて行ってくれるとも言ってました。ミヤ、きっとイスラデラス様が好きだったんです。わたしと居るより、プリンセスになる方が大事だったんです」
顔は……どんな顔だっけ。でも本当に、格好良くて、背も……あれ?身体なんて……。でもでも、本当に素敵な方でした!
えっっっリアクションし辛い。蝶のストラップが付いた携帯を握りしめて、まだ目を潤ませる少女に口籠ると、代わりにありがとうございましたー!と声を掛けられる。女王様を見ると、これで良い、とハンドサインがあった。
まだ泣き出しそうな少女は、とぼとぼと席へ戻っていく。隣の席の女性が、頑張ったわね、と頭を撫でているのが見えた。
「え、えぇ……つ、続きまして、エントリーNo.2、ジャリビア王国のトマス・ヴァイリッチ様!あなたの国では何があったんですか?」
「ああ、俺だな。……あんたら、猿の手って知ってるか?」
次にステージに上がったのは、背が高い金髪の、気品溢れる男だった。年はユージンより5才ほど上だろうか。
悠々とステージに立った男は、ぐるりと聴衆を見回して、そうしてユージンに視線を向けた。
猿の手。単語の答えにすぐに思い至る。有名な話だ。
「ええっと……西の方の話でしたっけ。一人の息子がいる老夫婦が、ある時猿の手と呼ばれる、ミイラの腕を手に入れた。それは3つだけ、願いを叶える力を持っていて……って言うやつですよね」
「おお、そうだ!よく知っているなぁ。その話はうちの国が発祥でな。詳しくはこうなんだ。
ーーーある日、老いた夫婦とその息子は、どんな願いも3つ叶うと言われる、猿の手のミイラを手に入れる。
半信半疑の彼らはものは試しと、大金が欲しいと猿の手に願う。その願いは息子の死を代償に叶えられた。息子の勤務中に事故が起こり、多額の賠償金が手に入った。
嘆き悲しんだ夫婦は、息子を生き返らせてくれと猿の手に願う。すると夫婦の家のドアを、激しく何者かがノックする。死者を蘇らせる、その結果を悟った夫婦は、「息子を墓に戻せ」と願う。するとノックの音は途絶えた。
……まぁ、そんなに都合よく美味い話は転がってないって話だな」
トマスは首をすくめる。そうだ、そんな虚しくなるような話だった。
「この猿の手が、うちの国には存在した。そこから始まるのが、うちの国の婚約破棄の話だ」
ある公爵家の子息がいた。彼には許嫁の侯爵家の令嬢もいて、仲睦まじく過ごしていた。2人並ぶ様は、鳥の番のようだったよ。両家の親も周囲もみな微笑ましい2人を見守っていたが、それを快く思わない人間もいた。ーーーある男爵家の令嬢だ。
「彼女は人一倍権力欲が強くてな。身分の高い男の妻になりたがり、そうして望んだのが公爵子息だった。王太子も年が近かったが、王妃は大変そうだし公爵子息のほうが顔がいいから、とな。けれど自分は男爵家と身分は低く、忌々しいことに彼には婚約者もいる。そこで大金を掛け、手に入れたのが、猿の手だった」
「……本当に、そんなものが実在するんですか?いえ、すみません!疑うわけではないんですが」
なんでも願いが叶うなんて、そんなものが実在するなら、大変な事になってしまうのではないだろうか。
「そう思うのは当然だな。けれど、実在する。数十年、あるいは数百年に一度、この国には現れるんだ。そうでないと説明のつかないことが起こって、猿の手を使った、と言い出す人間が現れる。そういうものなんだ。ーーーもちろん、猿の手を生涯大事に仕舞い込んだり決して口外せずに、だから知られていないだけのケースもあるだろうがな」
話を戻すぞ。彼女は公爵子息の妻になりたいと猿の手に望んだ。そうしてその願いは叶えられた。
公爵子息の家は没落し、かなり不自然な経緯で、財産の大半を失った。そうして許嫁との婚約も破棄になり、令嬢の男爵家だって婚姻を結べる程度の家になってしまった。
「……猿の手が、それをしたって事ですか?」
「そうとも言えるな。頭を抱えたのは男爵令嬢だ。私はこの国有数の貴族の彼だから結婚したかったのであって、顔が良くても優秀でも、没落した家の男なんて、と憤り、焦った。
誰がやったんだ、って話なんだがな。けれどなにかの力がかかっているかのように、男爵令嬢と子息の新しい婚約は、着々と結ばれそうになる」
そうして2人が初めてちゃんと顔を合わせた時に、公爵子息は言った。公爵家が没落したのは王家の陰謀だと。ああもしも、俺に相応しい権力があるのなら、君を王妃にだって出来るのに!と。
男爵令嬢は、2つ目と、3つ目の願いを決めた。
「彼の家がかつての権力を取り戻し、誰よりも偉くなりますように」そうして「私が、国で1番偉い人間と結婚し、生涯ともにいられますように」と。
…………そうして子息の公爵家は、権力を取り戻した。公爵家の没落はある不正が発覚した故だったんだが、それは王家によって捏造された、冤罪だと分かってな。元々王家の評判は悪かったから、王は実権を奪われ、政の全ては議会で決める事となった。
そうして男爵令嬢は禁止されている猿の手を使ったことがばれ、1つ目の願いから王家に組する者と判断された。離宮に閉じ込められている王太子の妻となり、2人揃って生涯幽閉が決まった。「国で1番偉い人間の妻に」は、こうして叶えられたわけだ。
まぁ、こんなところだ。なにか質問は?
男の青い目が、ユージンを見下ろした。
「ええと……まず、どうして王太子は幽閉されたんですか?」
「公爵家の没落を目論んだのは、王太子だったからだ。そいつは女好きでな、公爵子息の婚約者の、侯爵令嬢に目を付けていた。評判のいい公爵子息への当て付けもあったんだろうが、気に食わない男を潰し、その恋人を手に入れたいと考えた。結局叶わなかったわけだが。
……ところで君は、猿の手には悪意があると思うか?」
「悪意ですか?あるでしょう。最初の有名な話では、息子は死んでいますし」
「そうか。……俺の国では、あれは手段を選ばないだけで、善意も、悪意もないと伝えられている。金が欲しいと願われて、ちょうど息子が死ねば補償金が手に入った。だから息子を死なせた。息子を生き返らせろと願われた。容姿や、状態に関する要望はなかった。だから、外見を取り繕うことなく、無残な姿で蘇らせた。それだけだと言われている」
今回もただ、1番あり得る形で願いが叶えられただけなんだ、と男は言う。
「最初の願いーーー公爵子息の妻になりたい。これは2人の地位に差があることが問題で、だから公爵家は没落した。ちょうど王太子が公爵家を追い落とそうと、陰謀をめぐらせていたからな。それが成功する、という形になった」
「公爵子息とその許嫁の令嬢は、最初の願いが叶った時に、何かあるのでは、と考えた。そうして、猿の手を誰かが持っているのではないか、とも。それくらい、あまりにも話が出来すぎだった。昨日まで何もなかったのに、いきなり彼の家は財産と、領地の大半を失ったんだからな。
ならば猿の手を持つのは王太子か?違う。あの堪え症のない王太子のことだ、あいつなら公爵子息が事故死するなり婚約者の令嬢が手篭めにされるなり、次のなにかが、すぐ起こっていだろう。そうしてもしかして、と思う人間が現れた。
ーーーある男爵家の令嬢だ。不自然なほどスムーズに、子息と彼女の婚約は、結ばれようとしていた」
そこで2人は一計を案じた。この事態を解決するには彼らも猿の手を利用するしかない、と。なによりも、互いを想っていただけなのにちょっかいを出されたことへの、憤りもあった。
「公爵子息は男爵令嬢に会い、自分が権力を取り戻せるように猿の手に願うよう彼女を誘導した。そうしてそれは1番あり得る形で、現実となった。
……捏造が明らかになり、王家は信用を失った。元が王太子の企てだからな。そうして王家の不正を暴いたとして、公爵家はかつて以上の権力を手に入れた」
そうして男爵令嬢も、断罪された。
公爵家は早々に議員制を始め、国の舵取りを議会に任せる、という形をとった。実権を奪っただけで、王が国の頂点であるという方針は変えないままに。実権を持っているでも地位があるでも、偉い、には色々な形があるわけだ。
猿の手になにもさせないために、王太子と彼女の結婚も行わせた。
猿の手が3つ目の願いを叶えるために、他国が攻め入って国が滅茶苦茶になる、とかが起きたら溜まったもんじゃないからな。まぁ、俺たちがそうするのを含めて、猿の手の思い通りかもしれないが……。
願いの叶え方にしても、男爵令嬢に公爵子息に相応しいような功績があったら、また別だったんだろうがな。
身の丈に合わない願いは、その身を滅ぼす。猿の手らしい婚約破棄騒動だったと、そう思うよ。
薄く笑って、彼は手を振った。姪とその恋人の話を聞いてくれてありがとう。最近やっと国が落ち着いて、新体制も軌道に乗ってな、ようやく来月結婚式を挙げるんだ。
ぱちぱちぱち、と手が叩かれる。
「ありがとうございました!次はーーー」
∮
この世界やべえな、とエリトス・ユージンは思った。
標本愛好家と聞いていた婚約者と初めて顔を合わせた時に、剥製と標本だらけの地下室に連れてこられて「一目惚れしたんだ……これで君と、永遠に……!」と言いつつホルマリンの瓶を見せられたり(股間蹴り上げて帰った)。
行く先々で手作りのお菓子や刺繍されたハンカチがポケットや荷物に入りこんでいて、心配になって教会に行ったら、ウェディングドレスの女性の幽霊が肩にしがみついてますと言われたり(泣きながら除霊した)。
去年より怖い話多いな、こんな村でやっているからか?と思いつつも相槌を入れ、次の発表者を呼ぶ。割と上手く回せているなと感じながらも、ハブvsマングースvs婚約者を観戦する事になった令嬢の話とか(マングースの勝利)、婚約破棄した令嬢が自宅の屋根裏に住み着いていた男性とか(復縁した)、とんでもない話を流していく。
会場も大盛り上がりで、皿も酒も、どんどん空けられていく。厨房もないのにどうしているのかと箸休めの時に聞いたら、転移魔法の応用で他所から持ってきているらしい。
「この会場も、村に建てた小屋より余程大きいわよ。空間魔法でこの場所と小屋を繋げているの」
焼き鳥片手にそう教えられた。なんかすごいことが起こっているのは分かるが焼き鳥好きだなこの人。
もうすぐシメね頑張りなさい、と言われて頷く。小屋の外は見えないけれど、きっと、真っ暗になっているだろう。
∮
「それでは最後に発表してくださる方は……ラッレバの国王様、フュディア様!あれ?確かラッレバの方は、最初に発表して頂いたような……?」
その年にその国で、1番面白かった婚約破棄の発表のはずなのだが。開催地特権とかだろうか。
ステージに立ったのは、開会前にお辞儀した、あの男性だった。そういえば彼は会の間、どんなトンチキで会場が盛り上がって爆笑の渦になっても、緊張した面持ちを崩さなかった。
「そんなところだ。……まずは本日お集まり頂いた皆様に、心より感謝を申し上げます。これからお話しさせて頂くのは、今年の忘年会をこの村で行いたいとお声掛けした理由で、我が国の汚点。そうしてこの村でたった今、結ばれようとしている婚姻の話でもある」
しん、と静まり返った。誰もが国王の、伏せた瞳を眺めている。
「数百年も昔、或いはこの国が興る前から、この国にはある怪異がいました。それはひどく美食家で、偏食家でした。若い娘を好み、それを汚して食いつづけていた。汚れ、といっても、物理的なよごれの事ではありません。人間の悪意や恐怖、けれどそれも、厳密には違うのでしょう」
それは、この村を住処としていました。昔は生贄を要求して満足していましたが、村に若い娘が少なくなると、他所から求めるようになりました。
「村人を使い他の村から拐わせたり、買わせたり……村人達はもう、その頃には全員が汚れに呑まれて、自らの意思を失っていました。意思どころか寿命も意思もない、あれの傀儡と成り果てていました。
その姿はこの村を訪れて頂いた際に、皆様もご覧になったと思います。村人達は人形や玩具を集め、あれは玩具に命を吹き込む。そうして出来た傀儡は新たな犠牲者を求め、汚れを周囲に振り撒く。お恥ずかしい話ですが、そんなことがもう、何百年も続いているのです」
えっっっっとんでもない村じゃん。
なんてとこ探索させようとしてんの女王様、探索してんの参加者の皆さん。
思ったがとても、口に出せない。
「胃袋に容量があるのか偏食なのか、あれが直接食う人間の数は、そこまで多くありません。せいぜい、1年に1人といったところです。
いつからかあれは、唯一直接食す人間に、役割を与えるようになりました。
先程述べたように、あれは汚れに呑まれた若い娘を食します。汚れとは移るもので、汚れたものに傷つけられることで、傷を負ったものは汚れます。
より多く汚れさせるために、あれは食す人間を、汚れた傀儡と戦わせることにしました」
目を付けた少女を、君は魔法少女に選ばれたと、騙して。
ガタ、と椅子の倒れる音がした。
立ち上がったのはリリエラだった。揺れるピンクのツインテール。まだ赤みの残る目元。泣き止んで、けれどその顔色は真っ白だ。
「ま、待って……そんなの、じゃあ、イスラデラスさま、は」
「その名はあれの数多ある呼称のひとつであり、あれがあれ自身を指すときに、よく使うものだ。
年の初めに、あれは目を付けた少女達に魔法少女という役割を与え、戦わせ、年の終わりに1番汚れた娘を捕食する。選ばれなかった少女はあれの傀儡となり、来年以降の魔法少女達のサポートをさせる。少女達の心が壊れるまで」
「永く在るだけあって、あれは国の中枢にまで根を張っていた。利用でも信仰でも、情報は秘匿され、多くの命を犠牲にしながらも、滅ぼすことは叶わなかった。……今年私が王となり、初めて詳らかにできた」
この国の王は、深く深く、頭を下げた。
「いま、今年選ばれた少女の、最後の戦いが始まろうとしているーーー敵の本拠地が分かった。そういう筋書で、玩具の怪異と呼称されるあれが用意した傀儡と、魔法少女ミヤの戦いが、始まっている」
お願いします。あれを滅ぼしてほしい。
そうして我が国の民を、どうか守ってほしい。
∮
リリエラ。
あんたなんて大嫌い。
すぐへらへら笑うところが大嫌い。
わたしが怪我しただけで、めそめそ泣くのも大嫌い。弱いところが大嫌い。それなのに危ないとき、すぐわたしを庇おうとするのが大嫌い。
だいっきらい。
幼なじみだからって、いっつもわたしについて歩くところが大嫌い。ミヤってわたしを呼ぶ、返事があるって疑わない明るい声が大嫌い。どんな花より鮮やかな、ピンクの髪が大嫌い。わたしより色の薄い、それでもおんなじ茶色の瞳が大嫌い。
方向音痴なところが大嫌い。それなのにずんずん進むところが大嫌い。挙句の果てに迷子になって、ぴーぴー泣きながらわたしを呼ぶのも大嫌い。わたしなら見つけてくれるって、信じてるところも大嫌い。
ねぇ、リリエラ。
わたし、あなたのことが嫌い。ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ。
あの日ーーー1年前のあの日、迷子のあなたを見つけたと思ったら、あなたは変なきぐるみとかに囲まれてて、わたしも襲われて、ロボットの硬い腕に殴られて。
もうだめ、なんでって思った時にあなたは魔法少女になって、わたしも魔法少女になった。
訳が分からなかったけれど、あなたは魔法少女になるって、それでみんなを守れるならっていうから、わたしも魔法少女になろうと決めた。
あなた1人であんな奴らに勝てるはずがないから。ぼこぼこにされて、痛い思いをして、泣いちゃうだろうから。
魔法少女という役割が加わっても、日常は全然変わらない。学校に行って、朝は寝坊して、夜はスマホをいじって夜更かしして。ああでも、おなじ魔法少女達と出会えたのは良かった。放課後色々なところに行った。賑やかで、楽しかった。
それなのにーーーそれなのに!
12月になって、すぐのころだった。
あなたはいつもイスラデラスにきゃあきゃあ言っていて、全く困っちゃうわ、と他の魔法少女達に愚痴をこぼしたとき。
「ふふ、そんなことを言わないで?あなたも彼の方に糧となれることを、楽しみにしているでしょう?だからこそ、頑張って『玩具の僕』を倒しているんだものね」
アヤカは4つ年上の、6人いる魔法少女の中でも、1番のお姉さんだった。腰までのさらさらのストレートが綺麗で、羨ましくてお手入れの方法をたくさん聞いた。快くなんでも教えてくれて、でもまずは夜更かししないこと、と眉間をぐりぐりするような、そんな面倒見がいい、優しい彼女。
そんな子が、瞳を細めて、うっとりと夢見るような顔で、普段と全く変わらないように、そう言った。
「…………そうそう。アタシたち、『玩具の僕』に攻撃を受けても怪我はしないでしょ?けれどちゃんと、ケガレは溜まってるんだよね。めっちゃ戦って、ケガレを溜めて、イスラデラス様に美味しく召し上がって貰えるように頑張んないと」
ユーリはスポーツ万能で、頭も良くて、飼っているロシアンブルーを溺愛している。将来は獣医になりたい彼女も、ティントで紅い唇を吊り上げる。
「ほんとだよぉ。今1番ケガレてるのはリリエラだけど、すっごい強い『玩具の僕』が出たら、まだ分かんないもんねぇ。選ばれなかった魔法少女はまた来年って言われるけどぉ、来年には来年で、また新しい子が魔法少女になるしぃ。いっつも結局、その年に魔法少女になった子がイスラデラス様に選ばれるもんねぇ」
レイナはお菓子が好きでいつも持ち歩いていて、けれどいくら食べても太らないんだよねぇとのほほんと語る子だった。マシュマロを口に放り込んで、飲み込んでから、そうわらう。
「そういうものなんじゃない?その年の魔法少女のうち、よりケガレた1人をイスラデラス様は召し上がる。選ばれなかった方は、来年以降ケガレる新しい魔法少女達の戦いのサポートをして、よりケガレるように頑張らせる。私達4人はミヤとリリエラのオマケなんだよ。でもほんっとに頑張ってケガレたら選んで頂けるかも知れないし、絶対絶対、負けないんだからね!それに、来年以降ミヤが私達の仲間になるのも嬉しいし。一緒に頑張ろうね!」
そうしてーーー1番最初に、一緒に戦うようになった、同じクラスのメリア。間違いなくクラスで1番可愛くて、友達も多い人気者。
暖かい手で両手を包まれて、とっさに振り払った。
心臓が嫌な音を立てる。
彼女達は、わたしの仲間は、友達は、いま、なにを言ったの?
「ふふ、痛い!仕方ないなぁ、ミヤは。……あ!これから『玩具の僕』が、学校の裏庭に来るよ。頑張って一緒に倒して、沢山ケガレを溜めて、イスラデラス様に褒めてもらおうね。ほら、リリエラはもう向かってるよ!」
にこにこと笑いながら、メリアは椅子を引いて、教室を出ようとする。
視界が白と黒に点滅して、ぶれる。廊下を走って階段に向かおうとする、あの子の姿が見えた。リリエラ。わたしの幼なじみ、だいじな親友。
「あ、ミヤ、みんな!多分これから、裏庭に『玩具の僕』が現れると思う、そんな気がする!頑張って、一緒に倒そう!」
なにも変わらないあなた。そういえばーーーあなたは、彼女達は、わたしは、どうして、いつどこに敵が現れると、分かるの?
どうして、『玩具の僕』は私たちの前に現れるの?どうして魔法の使い方を、私たちは知ってるの?どうしてなんの疑問も抱かず、わたしたちはあいつらを倒していたの?
変身の仕組みは?最初、わたしたちはどうやって魔法少女になれたの?イスラデラスはどうして、わたしたちが敵を倒すと嬉しそうにするの?
メリアが同じクラスになったのはいつ?4つ年上のアヤカがなんでこの学校に?違う学校のはずのユーリとレイナが、どうしてここにいるの?
敵も、味方も、用意されたものだったの?
彼女達の言うことが本当なら。さっきまで、なにかおかしいとすら思わずに。わたしたちはずっと、殺されるために敵を倒していたの?
ぜんぶぜんぶ、わたしを、あなたを、殺すためだったの?
「…………だめ」
地面がゆれる。分からない。怖い。助けてよリリエラ、わたしの親友。
でも、
「だめ……行っちゃダメ、リリエラ!あなたは、戦っちゃだめ!」
そうだ、彼女達は、リリエラが食べられちゃうって言ってた。1番危ないって、沢山戦ったら、あの時折現れる変な男に、食べられちゃうって。
やだ、嫌だよ、リリエラ。たすけて。いかないで。
こんな情けない声、情けない言葉、あなたに掛けたくない。それでもちっぽけなプライドより、あなたが大事で。だってわたし、あなたの親友で。
言葉は、ちゃんと届いた。
そうしてあなたは。
くるり、と振り向いて。
「そんなわけにはいかないよ!」
「だってわたし、魔法少女だもん!」
そう、笑った。
そうよね、いきましょう、とアヤカが、ユーリが、レイナが、メリアがわらう。
「じゃあーーーさきに、いってるね!」
そう、あなたは走っていく。
ああ、止められない。わたしじゃ、あなたを止められない。
崩れ落ちた膝が痛かった。滲む視界が熱くて、泣いていると気が付いた。
ねえ、リリエラ。
私、あなたのことが嫌い。
イスラデラスに惹かれているあなたが嫌い。戦わないでって言ったのに、聞いてくれないあなたが嫌い。にこにこ笑って騙されている、あなたのことが大嫌い。
大嫌い大嫌い大嫌い。
だから、あなたはもう、魔法少女をやめて。
「あんた、お荷物だからいらないのよ!メンバーから出て行って!」
わたしの言葉に、全くわからない、という顔をしたあなたの目に、だんだんと涙が溜まっていく。
どうしてとか、いやだよミヤとか、悲しい声に胸がスカッとする。
そんな顔をしたって駄目。わたしあなたが嫌いなんだから。わたしが怪我しただけですぐに泣くのも、弱いのも、それなのに危ないとき、すぐわたしを庇おうとするところも大嫌い。
だからあなたはもう、戦っちゃ駄目。ケガレなんてわたしは怖くないもの、あなたより強いもの。
「あんたなんて、イスラデラス様に相応しいわけないでしょう?!プリンセスにはわたしがなるんだから!」
アヤカも、ユーリも、レイナも、メリアも、そこにいるのに、何も言わない。人形のような目で、わたしたちを観ている。
「だから、さっさと出て行って!
あんたなんてーーー大嫌い!」
ぼたぼたとあなたは、涙を零す。そんな顔をしても、もう慰めてあげない。ハンカチを貸してあげない。
ピンクの髪が揺れる。覚悟していたのに、走り去るあなたを見るのは、心臓が痛かった。
大嫌い。もう一度呟く。
あなたなんて大嫌い。
大嫌い。大嫌いだから、
わたしのことも嫌いになってね。
∮
「……………………いいの?」
空っぽな声で、メリアが言った。
「いいに決まってるじゃない。ほら、さっさと『玩具の僕』を殺しにいくわよ。どんどん殺さないといけないんでしょ?あんた達にも手伝ってもらうわ」
「そうだね。……………ごめんね」
彼女の白い頬を、滴が一つ、つたっていた。
アヤカも、ユーリも、レイナも無表情で、けれど何かを堪えるように、その瞳は潤んでいた。
彼女達は、選ばれなかった魔法少女なのだと言っていた。多分一緒に魔法少女をしていた誰かは、彼女達よりいっぱい傷ついてケガレたから、イスラデラスに食べられてしまったのだろう。
多分意思や行動をイスラデラスに操られている、もうすぐわたしがなるはずだった、あなた達。
最初は憎んだ。裏切り者って思った。けれど、彼女達も、必死に戦っているんじゃないだろうか。だってあの放課後がなければ、わたしは今もリリエラと『玩具の僕』を倒していたはずだ。
彼女達はイスラデラスを褒めるふりをして、真実を教えてくれたんじゃないだろうか。
ステッキを握りしめる。素材のわからないそれは、ひやりと、どこまでも冷たい。
魔法が、魔法少女としての力が、あいつに通用するのかは分からない。けれどもし、わたしがイスラデラスを殺せたら。あなた達も自由になれるだろうか。
もう一度、プリクラを撮りに行ったり、お泊まり会をしたり、カフェでケーキを交換できるのだろうか。
そうしてあの子も。
ちゃんと謝れたら、もう1度。
遊んでくれるかな。
∮
最後の戦い。
薄っぺらい気持ちで臨んで、木々に囲まれた、暗い村を訪れた。
何百とブリキの兵隊が吊り下げられた木が、鞭のように枝を振り抜くのを跳んで避ける。噛みつこうとしてくるテディベアを、魔法で固めて蹴り砕く。
壊して、倒して、傷つけて。
取り繕うことをやめたのか、不気味だけれどファンシーな形をしていた『玩具の僕』達は泥の固まりとか黒い影とか、化け物らしい姿に変わっていく。
アヤカは、ユーリは、レイナは、メリアはどこにいるだろうか。分からない。ただ目の前の敵を、ひたすらに倒す。
そうして目につく限りの玩具の……あいつの、僕を倒して。動くものはなにも見えなくなった瞬間に、あいつは、現れた。
それ、は双子の少年と少女だった。
クワを持った老婆だった。
片目のない老人だった。死装束の人形だった。苔むした蔦の固まりだった。四の頭を持つ獣だった。足のない禽だった。影で、闇で、この世の恐ろしいもの全てだった。
そうして、あの男だった。
イスラデラスと名乗った、魔法少女の王であるはずの、あの男。そうして今は、わたしを食べようとする、口だった。
「縺翫a縺ァ縺ィ縺�、縺昴≧縺励※縺ゅj縺後→縺�縺翫°縺偵〒荳也阜縺ッ謨代o繧後◆」
ああ。
勝てない。絶対に届かない。そう、確信してしまった。
それの言葉は、この世のものではなかった。聞くだけでも悍ましい、化け物の言葉だった。けれど、なにを言いたいのか分かった。
「邏�據騾壹j、蜷帙r謌代��荳也阜縺ォ騾」繧後※陦後%縺�」
それは、わたしがあれの捕食対象だからだ。1年かけてケガシた、とびっきりのご馳走だからだ。
腕のような、なにかが伸びる。
もしもなにも知らなかったら、そこには美しい男が見えていたのだろうか。あの子だったら、喜んで抱擁を受けていたのだろうか。
そうだ、あの子は。リリエラ。
地面を蹴って大きく後ろに跳ねると、それの表情らしきものが、変わったように思えた。
この魔法はあいつに与えられたもので、きっと効かない。それならば。
岩を持ち上げてぶん投げる。届くよりはやく、それは空中で静止する。
そうして逆に、わたしが投げた何倍もの勢いで、こちらに向かってきてーーー
ぶつかる寸前で、大きな衝撃。右から岩を蹴り飛ばした、少女の声。
「逃げて……お願い、逃げて!」
メリアが叫んだ。捕食するはずの夜だからなのか、『玩具の僕』がたくさん倒されたからか。縛りが、弱まっているのかも。
イスラデラスの影が黒い蔦となって伸びる。アヤカが、ユーリが、レイナが、弾き飛ばす。
「たくさんごめんなさい、でも、あいつの思い通りにならないで!」
アヤカの、悲痛な声がする。
食べられちゃだめ、私達みたいに、なっちゃだめ!
ユーリに、レイナに叫ばれて、身体が震えた。怖い。ここで逃げたら彼女達は。
黒い塊は、忌々しいというように唸り声を上げる。気配が大きく膨らんだ瞬間、彼女達は吹き飛ばされる。
一撃だった。倒れ伏して、家の壁に、木の根元に、地面に崩れて誰も、ピクリとも動かない。
「みんな!」
そうしてまた、影が伸びる。涙が溢れる。怖い。わたしはリリエラじゃない。魔法少女なんて大っ嫌い。ならなきゃよかったって、心から思う。
「助けをーーーだれか、助けを呼んでくる!」
魔法少女なら、1人になったって戦うべきなのだろう。けれどわたしは、あの子たちの友達だから。
イスラデラスはわたししか見ていない。わたしが駆け出すと、予想通り闇を蠢かせて追ってくる。この調子でみんなから引き離さないと。
足が縺れる。手が震える。振り返ってはいけないと思うのに、あいつはどこまで迫っているのかが気になってしまう。
怖くてたまらない。今にもあの蔦がわたしの首に絡んで、家々に吊るされた、人形のようにーーー
叫びそうになった瞬間、ひらりと、蝶が飛んだ。桃色の、とっても綺麗な。
それどころではないのに、思わず見惚れた。手のひらほどの桃色の翅が動くたびに、同じ桃色の鱗粉が舞う。
星屑のように。桜のように。
不思議と、怖さは薄れた。追ってくるあいつもこの光を恐れているのか、気配が薄れる。
呼ばれているようだった。だれにかは分からないけれど、蝶が案内してくれる方向につよく、足を踏み込む。
そうして唯一扉に人形の掛かっていない、小屋の扉を開けた。
そこには。
「ヒャッハーーーーーー!!!!村が燃える音は酒に合うぜぇ!」
「まだ焼いてないだろ爆弾持ってこい!」
「チーズ!リブロース!リブローォス!!!」
「あっあなた怪我してるじゃない!大丈夫?まぁ酒掛ければ治るわね!」
「こら酔いどれ聖女、そんなんじゃアルコール度数低いわよ!スピリッツにしなさいスピリッツに!」
「未成年にやめろ馬鹿ども!」
叫ぶ大人、食う大人、半裸の大人、歌う大人、踊る大人、マイク持ってる大人。
……………なんか、飲み会が、開かれていた。
∮
それ、は、苛立っていた。
糧に、それの正体が知られていた。抵抗された。傀儡も逆らった。そんなことはどうでもいい。何度も起こり、捩じ伏せたことだ。
けれど、あの蝶はなんだ?ここは己の領域なのに、現れたことすら感知できなかった。あの蝶に、放つ光に、触れることすら出来なかった。
それに、明確な性質はない。あるのは食欲と、よりケガレたものを捕食したい、という欲だけだ。
今年の糧は上出来だったのに、飲み込む寸前で小屋に逃げ込まれた。
この小屋もそれが創ったものではなく、しかもたった今、初めて存在に気が付いた。
忌々しいーーーそれの怒りに合わせて、風が荒れる。
貧相な小屋だ。糧はこの小屋の隅で、膝を抱えて震えている事だろう。数多の触手を鎚に変える。
糧の歪む顔を思い浮かべれば、幾らか気は鎮まる。恐怖の絶頂にいる糧を呑みこむことを、それは好んでいた。
叩き潰すため、振り下ろした瞬間ーーー扉が開き、中から煌々と、光が漏れた。
そうして、糧ではない女が現れる。
それの姿を、女は僅かも畏れなかった。
それどころかそれを見て満足そうに口角を上げ、背中を見せ、朗らかな声を出した。
「さあさあそれでは皆さん、婚約破棄オブザイヤー2023、シメになりまーす!」
∮
「腕に自信のある皆さん、怪異を斬ってみたかった皆さん、最近恋人に振られて八つ当たり先を探している皆さーん!殴り放題フリータイム、最後の一撃を喰らわせた方は会費無料になりまーす!」
「あっ会費掛かってたんですか……ちなみにおいくらですか?」
「開催国代表と司会は無料よ」
「良かったー俺ラッデラのお金持って無かったんですよ」
もはやツッコミは放棄した。
目の前ではよっしゃぁ!と雄叫びを上げた騎士が勢いよく闇を切り裂き、神々しい老人が後光をビームのようにして怪異を貫く。怪異の反撃こそあるものの、信じる宗教は違うが酒を飲んで意気投合した6人の聖女と4人の司教と3人の教皇が瞬く間に傷を癒やし怪異から出る瘴気も祓い、爆発だぁ!と叫ぶ男がジョッキを開けるたびに、村のどこかから火の手が上がる。
彼、忘年会前の探索中に爆弾の取り付けと燃やしちゃダメなものがないか確認してたみたいなの、女の子4人はちゃんと避けてるみたいよ、と水晶玉を見ながらゲソ食べてる人に教えて貰った。爆発オチなんてサイテー。
おどろおどろしい姿だった怪異は、えっ……あの……その…………えっ……?みたいな様子で段々と小さく、気配も薄くなっている。
店の隅では冒険者らしき年の差のある2人が、師匠、私も倒してきて良いですか?まだあなたには強いからだめ、もうちょっと弱ってからね、はーい!なんて会話もしているのも聞こえる。
強い人の戦い方を見るのも勉強だからね、と言っている事は真っ当だが行われているのは圧倒的なオーバーキル、これを参考にしてもリンチの仕方しか分からないだろう。もはやどっちが悪かわからない。
術師らしい誰かに拘束されて逃げることも叶わず、今日の前髪決まらなかったお前のせいだ!と理不尽すぎる難癖を付けられる。
家屋ほどあった体躯は遂に人と変わらないほどに小さくなり、記念撮影しよ〜自撮り棒持ってきたんだよねあっ怪異も写したいんで撮影NGな人ちょっと攻撃やめて離れてくださーい、とか。
それじゃ頑張ってねリンダ、はい師匠!おっがんばれよー頭狙え頭!あら可愛い、強化魔法付与しちゃう私も私も、みなさんありがとうございます、行きます!と微笑ましいやり取りの末に。
少女の一撃を頭に受け、バン、という水風船が割れるような音を立てて
ーーー怪異は砕け、消滅していった。
イェーイ!と誰からともなく歓声と、グラスを合わせる音がする。
酒持ってこーい!とより空気が盛り上がるなかで、ユージンの隣にいた男は、崩れるように椅子に座りこんだ。
「だ、大丈夫ですか」
「ああ、問題ない。喜ばしいことだ」
盛り上がる中で、ただ1人難しい表情を崩さなかった男ーーーラッレバの国王は、深く深く、溜息を吐いた。
「…………こんなに圧倒的とは思わなかったが」
「は、はは」
「あら、こうなるのも当然でしょ?彼みたいなのが珍しいだけで、ここにいるのは国の実力者ばかりだもの」
わたくしが混ざれば一撃だから、とリンチに参加しなかった女王も、気がつけば隣にいた。
世界はあなたが思うより広いのよ、と若き王に酒を注ぐ。
「……貴女には、感謝してもしきれないな。なにから何までーーー」
「良いわよ、盛り上がったし。それに感謝なら、そこの彼にもしときなさい。開催地をこの村に決めたのは、彼のおかげでもあるんだから」
「え、俺?なにもやってないですよ」
アンケートはボツになったし、会費だって知らなかったくらいなのに。
「違うわよ。去年の2次会に行く途中、あなた彼女とデートで抜けたでしょう?あれを尾行るの、もの凄く盛り上がったのよ。ーーー起こったより起きている話、語るより、体験する方が盛り上がるって、あなたが身をもって教えてくれたわ」
だから今年のテーマは体験型忘年会なわけ、実質あの雑魚とミヤっていう子の婚約破棄でしょう?
毎回こうだとMVPが固定されちゃいそうなのが今後の課題かしら、まぁ体験したやつは除けばーーーとつくね食べながら女王様は語る。思考が口から出ているのを傍目に、国王と顔を見合わせて、そっかぁ……と呟くことしかできなかった。
「ーーーミヤ!!!」
「リ、リリエラ?!あなた、なんでこんなところに」
だから、やっと我に返った少女2人が互いの名を呼ぶのも、気がつくのが遅れた。
リリエラの目に、また涙が溜まる。ミヤと呼ばれていた子の茶色の瞳も、潤んでいるように見えた。
「……ミヤのばか」
「馬鹿って、わたしは……」
「ミヤのばか、ミヤのばか!ミヤのばか!ばかばかばか!」
「馬鹿馬鹿いわないで、わたしよりテストの点低いくせに!」
あの怪異が魔法少女を喰うものだったこと、それに気が付いて、自分を追放したこと。言葉にしなくても、気が付いたのだろう。2人は友達で、親友だから。
涙を溢しながら、2人はお互いを抱きしめて、嗚咽を漏らす。そうして、そうだみんなは、とミヤが叫んだことから、2人揃って小屋の外に飛び出した。
かたく、手を繋いで。
「若いって良いわねえ。雪でも降らせる?」
「去年やったでしょ、蝶は?」
いいわねそうしましょ、と呟いてから、忘年会の間リリエラの隣に座っていた女性が、軽く指を振る。
現れた色とりどりの蝶は、ふわりと宙をひらめいて、輝く鱗粉が少女たちの足元を照らす。
「……失われた命がある。助けられなかったものも。それでも」
水晶玉を見ながら、国王がつぶやいた。画面の中では、2人が泣きじゃくる4人の少女と、同じく泣きながら、つよく抱き合っている。
それでも怪異は倒されて、もう誰かが犠牲になることはない。
長い夜は、終わったのだ。
「ほら2次会行くわよ、未成年とその付き添い以外全員参加!」
「ぜっっっったい行かねぇ!」