03 北の大地2
―推定西暦一〇二〇年頃? 蝦夷地ト・マクオマ・ナイ付近(現北海道苫小牧市近辺)
※年代はタケルが転生或いは憑依したアンドロイドの記憶からの推測。
タケルがこの地にやって来て活動を始めてから七〇年以上が経過した。地元のアイヌ達とは上手く付き合えているとタケルは思っている。
「オタウシメノコよ、行ってしまわれるのか?」
水に浮かぶ鉄製の巨大な船をタケルが見上げていると、白髪髭の老人がタケルに問い掛けてきた。彼は近所のコタンの長で名をコタンラムと言う。
オタウシメノコとは、この界隈でのタケルの通称であり『浜に住む女』を意味する。
しかしこれはタケルを目の前にして呼ぶ時に使わる通称である。何十年も容姿が変わらず、巨大なキムンカムイ(ヒグマ)を使役し、製鉄と炭焼きの技術をアイヌに伝えた事から、タケルは人々から『オタウシカムイ(浜に住む女神)』と密かに呼ばれて崇められている。火を使う製鉄を伝えた事と海の近くに居を構えて何やら水辺でやっている事から、火の女神であるアペフチカムイと水の女神であるワッカウシカムイの縁者だと思われているらしい。因みにアイヌの伝承ではアペフチカムイとワッカウシカムイは姉妹神である。
「そうだね。船も完成した事だし、海の向こうに色々と探しに行かないと」
長かったなぁ、とタケルは思う。資源を集め小規模ながらも製鉄所や化学プラントを建設し、建設重機を造り、総トン数二〇〇〇トン級の船が接岸出来る内陸掘込式の港と船渠を作って造船を始めて、ようやく動力船の完成までに漕ぎ着けた。
「若いもん達が誰を連れて行くのか噂をしとるんだが」
「その噂は知ってるけど、アイヌは誰も連れては行かないよ。何年も危険な旅をする事になるだろうし、大体この船は人や食べ物を積む事を考えていないから」
「そうか。一人で行かれるのか」
この船はタケル一人でも運用が出来るインテリジェント・シップである。元々そのつもりで作ったから船倉は有っても人が生活出来る様な機能は備えていない。
一人とは言っても、一応は護身と言うか威嚇の為にクマレンジャーから一体を連れて行く事にはしている。残りはタケルが帰って来るまで拠点で留守番だ。それと操船の補助で二〜三体、ロボットを製作する予定である。
このクマレンジャーであるが、不思議な事に各個体毎に性格の違いが現れ始めている。例えば周囲から長男と思われているクマイチロウは作業中は他の四体の動きを俯瞰してフォローに入ったりとリーダーの様な働きをする。クマジロウとクマサブロウは黙々と作業に勤しみ、クマシロウは区切り毎にクマイチロウから指示を仰ぐ様な行動をする。
そして末っ子のクマゴロウ。こいつは問題児で、クマイチロウが目を離すと必ず脱走して近くのコタンで子供たちの相手をしていたり、アイヌの民の狩りや採集の手伝いをしていたりするのだ。まあ、地元の人々の人気者ではあるのでタケルは好きにさせている。
「連れて行くとしたらクマジロウかクマサブロウかな。クマゴロウを連れて行ったら皆が寂しがるでしょ?」
「確かに、あいつは何かと皆の傍に居るからの」
「それに、船は進水したけど今すぐ出発って訳じゃないし」
進水式の時は周囲のコタンから人が集まりお祭り騒ぎだったなぁ、とタケルは遠い目をする。幾らオタウシカムイが作った物だとしても巨大な鉄の塊が水に浮くなんて信じられない。きっと沈んでしまうだろうから悲しむオタウシカムイを皆で慰めようと集まったのだ。
そしていざ進水。皆がハラハラして見守る中、鉄の船は一向に沈む気配が無い。タケルが護岸から大ジャンプを決めて船に乗り込み、操船して接岸させると大歓声が上がった。それからは大騒ぎから飲めや歌えの大宴会となってしまった。まあ、コタンの人達が楽しめたなら良いかとタケルは思う。
「浮いて動くからいつでも行けるのでは?」
「荒れた海を無事に乗り切れるかとか、色々と試さなきゃいけないんだ。それにこのままだと目立つから木造船に偽装したいから。出発は一年後くらいかな。まぁ期待しててよ。この地でも育てられる美味しい作物を沢山探してくるからさ」
「またここへ帰って来てくれるのなら嬉しい限りだ。オタウシメノコは海向こうのコタンへ帰ってしまうのだと皆が噂しとるからな。しかし帰って来てくれるとしてもワシも歳だ。それまで生きていられるかどうか」
「ん〜、私の見立てだとコタンラムは玄孫の子供の顔を確実に見る事が出来るよ?」
「貴女にそう言って貰えるとは有り難い事だ」
「貴方がヘカチだった時、イジメられてクマゴロウにしがみついて泣いてた頃から知ってるからねぇ」
アイヌ民族の風習として四〜八歳までは名付けが行われない。それまでは単に『子供』とか『少年』とか呼ばれるのだ。赤ん坊の頃には『糞の塊』とか付けられる場合もあるらしい。因みに『ヘカチ』とは少年の意である。
「はて、そんな事があったかの?」
幼少の頃を言われて気恥ずかしさから、そっぽを向いて惚けるコタンラム。
「貴方をイジメたお調子者のアイニジが、しっかり者のサッチシと世帯を持ったのもビックリしたけどね。亡くなったのは残念だったけど……」
「ウェンカムイ(人食い熊)と勇敢に戦った末の最期だった。あいつはコタンの英雄。息子もなかなか立派な男になっているから、あの世でアイニジも安心して暮らしておるだろう」
「彼の息子って、サンクルかぁ。まだ小さい頃に『このギラギラしたのの作り方、俺にも教えて!』って私がコタンにと贈った刃物を持って来た時はびっくりしたよ。あの頃は皆とはまだそんなに親しくしてなかったのに」
「あのハガニを伝えてくれたお陰で、この辺りのコタンは皆が豊かになった」
懐かしそうに言うタケルに、コタンラムが微笑みながら言った。ハガニとはタケルが伝えたハガネと言う単語がいつの間にか訛ったものだ。
「まだまだ豊かになるよ。その為に私は海を征くんだから」
コタンラムに向き直りタケルは真剣な表情でそう言うと、にこりと笑みを浮かべるのだった。