27 海征かば
―ユリウス暦千百十二年、五月。蝦夷地ト・マクオマ・ナイ。
アトゥイカムイは海上公試と試験航海の後に点検整備を受けた。その際に公試中に出た細かい問題点に対する改修を受けて、今年の四月に就航の運びとなった。
ここの所その影が薄かったサンゴリラン達もアトゥイカムイに配置される。
そしてもう一つ、船齢十七年になる貨物船エタスペ号の改修も行われた。機関は相変わらずのレシプロ蒸気機関で固定ピッチスクリューだが、航海用レーダーとクオーツ時計、ジャイロコンパスが搭載された。これらとコンピュータが連動する六分儀で天測を行えば自位置が即座に算出される様になり、沿岸航海に依らない輸送業務が行える様になった。また、ルイ、アルトゥル、イマヌエル達サンゴリランがアトゥイカムイへと移る為、運用は和人とアイヌの混成された人員で行われる事になる。なお船内の使用言語は現代日本語を共通語としている。
さて、就航したアトゥイカムイの初任務だが、オーストラリア大陸に無人の双曲線航法用のアンテナを建設する事になっている。使用電波は長距離まで到達する超長波を使用して地上局の数を減らしている。(現代ではGPSにより運用が停止されて久しいオメガ航法である。因みに世界中に八局あったオメガ局のうちの一つは日本の対馬に存在していた。これも黒歴史ノート由来の知識なのだが、タケルさんあなたホント一体どういう中高生時代を過ごして来たのかな?)
まずは蝦夷地、オーストラリア、北アメリカ大陸西海岸に三つの局を設置し、太平洋とインド洋の東側をカバーするのを目標としている。
ただ、超長波を使う為にアンテナは高さ四百〜六百メートルの物が必要になるのが難点だ。
その為、アトゥイカムイには建設資材の他に偽装和船にも積める建設用重機も積み込まれた。そして建設作業での高所作業はサンゴリランが担当する事になっている。彼らならクレーン要らずでアンテナ部材の引き上げが出来るからであり、よしんば落ちたとしても死なない程度には頑丈だからだ。
実は成層圏プラットフォームで擬似的なGPSにしようかと言う話も出たのだが、上空2万メートル以上に浮かべても地上から見て結構目立つのに加えて、衛星に比べて見通し距離が短いので必要数が多くなる事と使い捨てにしないなら時々地上に降ろして定期的に気囊にガスを補充する必要がある為にボツになった。
無人無線局なら人の来ない僻地に設置する事で人目に付かないように出来る。ただ故障の際には現地に人を送る必要が生じるのだが成層圏プラットフォームを狙った地上(この場合は蝦夷地)に降ろすよりは容易だと考えられた。
「気を付けて行ってらっしゃい!」
「「いってきまーす!」」
岸壁から声をかけるタケルにアトゥイカムイの甲板上からシズクとフウカの元気な返事が聞こえる。
今回の船旅にはタケルは同行しない。シズクとフウカは試験航海の時と同じくオブザーバーでの乗船となる。
もやいが解かれるとアトゥイカムイは霧笛を鳴らし、スラスターを使って岸壁からゆっくりと離れて行く。
「左舷スラスター停止。右舷スラスター微速五秒」
船橋では船長の雄大が指示を出していた。
「左舷スラスター停止。右舷スラスター微速五秒。了」
航海士が指示に従って操船を行って岸壁から十分に離れると反対側のスラスターを使い船を停止させる。
「前進、一ノット」
「前進、一ノット。了」
主機である電動機が回転を始め、船は人が歩くよりも遅い速度で前進を始める。
「船首左舷スラスター微速二秒」
「船首左舷スラスター微速二秒。了」
若干船首が左に振れていたので修正をかけて、船長は船を慎重に進めていく。
「船長、水路出ます」
「霧笛鳴らせ。さあ外洋で長距離航海だ。征くぞ諸君。前進十二ノット。針路そのまま」
港を出た船は霧笛を鳴らしてト・マクオマ・ナイに別れを告げてオーストラリア大陸西海岸へと今旅立つ。
「前進十二ノット。針路そのまま。了。フィンスタビライザーも展開しますか?」
「波は穏やかだ。格納したままで大丈夫だろう」
オーストラリアまで約八千キロメートルの長旅である。補給の必要が無いので何事も無ければ二十日以内に到着出来る予定である。
「ところで我らが姫神様がたは?」
船に関わる者達の間ではシズクとフウカは密かに『姫神様』と呼ばれている。カムイ扱いされているタケルの娘達であり、三十路も近いのに見た目が十五〜十六歳の頃から変わっていないからでもあろう。とは言え畏怖されている訳では無く、慕われ親しまれているのであるが。
「港を出る前は甲板左舷に居たのですが……。お呼びしますか?」
「いや、好きにしていてもらおう」
この時、シズクとフウカは船尾に居て、陸に向かって港が見えなくなるまで手を振り続けていた。
※ ※ ※ ※ ※
「あれ? 母さんは?」
アトゥイカムイが出港してから幾日か経ったある日、リクが部屋を訪ねると、そこにタケルの姿は無く、部屋ではホムラが一人で図面を作成していた。
「なんか『ニッケルとコバルト取ってくる』って言って出かけたよ」
「その二つって確か蝦夷地内で産出するのは分かってるけど、まだ開発してないだろうに。一人で採掘に行ったのか?」
「掘るの面倒だから南鳥島の海底まで行ってノジュールを拾って来るって。『四百気圧位へーきへーき。千気圧でもよゆー』とか言ってたからマジで行ってるんじゃないかな」
太平洋の平均深度は四千メートル前後。水深十メートルにつき一気圧上昇するのだ。そこを行くと言う事は泳ぎでなく徒歩で行っていると思われる。
「何やってんだよ母さん……。でも拾って来るって、一人で持てる量なんて」
リクが言い終わらないうちにホムラが口を挟んだ。
「それも突っ込んだけど、入れ物は現場で作るから大丈夫だってさ。序に精錬もしてくるって」
「ああ、うん。確かに母さんなら可能か……」
「小型潜水艇位は造っちゃうんじゃないかな」
「やりそうだよなぁ。でも動力はどうするんだろ?」
「人力とかじゃない? 足漕ぎ式とかやりそうだよね……」
リクとホムラは同時に大きく溜め息を吐いた。
「それでホムラは何やってたんだ?」
「んー、母さんには口止めされてるんだけどなぁ」
それを聞いてリクは嫌な予感がした。ニッケルとコバルトと言えば耐熱合金を作るのには必須の材料である。アマネに断られたタケルは、どうやらホムラに泣きついて頼み込んだ様だ。
「……ジェットエンジンのタービンだな?」
「やっぱりバレるよね。でも残念。タービンじゃなくて発熱体の耐熱向上の為の冷却。数値モデルを考えてたんだけど……。あ! そうだ、ねえねえリク兄、お願いがあるんだけど」
そう言ってホムラは急に甘えた態度でリクに擦り寄る。が、リクはその手で彼女の頭を掴んで近付けないように抑えた。
「あー、何するんだよ。可愛い妹がお願いしてるのに」
「お前がそんな態度を取る時って大概碌な事じゃないからな」
ホムラは舌打ちすると不貞腐れてリクに言う。
「むぅ。ただスパコン作ってってお願いしようとしただけじゃないか。シミュレーションに必要なんだよね、お願いリク兄!」
「お前な、今のSoCだけで手一杯なんだって」
「そこを何とか。今のSoCに固定小数点でも良いから積和演算ユニット載せてさ」
「お前なぁ。千ノード以上は無理だぞ?」
「わーい。リク兄だいすき」
ホムラの言い方はどう聞いても棒読みである。リクはがっくりと肩を落として「インターコネクトどうしようか。構築も時間はかかるよなぁ」とブツブツ言いながら部屋を出ていった。
リク達がト・マクオマ・ナイの拠点でわちゃわちゃとやり合っている頃、タケルは海面から十メートル程度の深度をドルフィンキックで南南東に向けて泳いでいた。既に陸地からは八十キロメートルは離れている。
ト・マクオマ・ナイから南鳥島までは南南東に約二千三百キロメートルである。一応、天測で位置確認を行える様に防水バッグの中に磁気コンパスと六分儀、クオーツ時計を入れて持って来ているので、タケルは時々海上に出ては天測を行っている。(磁気コンパスで得られる磁方位は真方位からのズレがあるので、夜間に北極星を使って真北を確認する必要がある)
このドルフィンキックで進むタケルの速度だが、時速約五十キロメートル。イルカの全速並の速さである。(自由形百メートルの世界記録を時速換算すると時速7.68キロメートルなので、如何に人間離れしているか分かるだろうか)
天測で止まる時もあるが、それでも五十時間以内に到着してしまう。極論を言えばタケル一人で世界中を巡る事が可能なのだ。
こんな無茶が出来るのもタケルがアンドロイドであり、基本的に呼吸も食事も不要だからである。
そして二日後、特にトラブルも無くタケルは南鳥島海域へと到着していた。彼女は到着すると取り敢えず南鳥島に上陸した。南鳥島は三角形をした面積が二平方キロメートルにも満たない平坦な島である。
その砂浜で仁王立ちで海を眺めるタケル。
全 裸 で。
衣服は防水バッグに入れてあり、タケルは帰着した時に着用するつもりだ。
「帰りは浮力のあるカプセル作ってそこに精錬したのを入れて曳いて行くしかないか。それじゃさっさとノジュール回収回収っと」
この海域にはコバルト・リッチ・クラストと呼ばれる所謂マンガン団塊が深海底に存在している。成分として銅、ニッケル、コバルトが1%以上が含まれているのが特徴である。埋蔵量は相当量が見込まれている。実際タケルが本郷剛として生きていた二十一世紀半ばに本格的な採掘が始まったばかりであった。(ちなみに南鳥島には小規模だが鳥の糞が化石化したグアノ鉱床が存在しており、リン肥料として大正から昭和初期まで採掘されていたが資源枯渇で閉山している。総採掘量は一万二千トン以上と推定される)
タケルはその身体の3Dプリンター的な機能で合成樹脂を生み出してノジュールを入れる為の網を作り、深海に潜っては回収して南鳥島へ持ち帰るを繰り返した。
取り敢えず量として十トン程度を持ち帰ったところでタケルは精錬してみる事にした。勿論、口から咀嚼して飲み込み体内で成分を分けるのだ。
「この方法、久しぶりにやるよねぇ」
海辺で胡座をかいて岩の塊をボリボリと齧り咀嚼する全裸の美少女。酷い絵面である。小規模ながら金属精錬の設備が出来てからはタケル自身が体を張って精錬する事は無くなっていたから何十年かぶりである。
マンガン団塊をボリボリ齧ってはインゴッドを3Dプリントで生成し、またボリボリ齧る。そんな事を繰り返して生成したのがマンガンが約二トン、銅とニッケル、コバルトがそれぞれ約百キログラム、アルミニウムが三百キログラム、チタンが三十キログラムと、他にもレアアースや金銀が少量が抽出された。嬉しい事にパラジウムが微量ながら含まれていたのは僥倖であった。ちなみに精製した後で残る残滓、石炭で言う所のズリの排出方法だが、それは乙女の秘密である。
そして処理したマンガン団塊の総量が百トンになる頃にはマンガンが約二十三トン、銅、ニッケル、コバルトがそれぞれ約1トン強、アルミニウムが約三トン弱、チタンが約三五〇キログラムとなった。
「これだけあれば取り敢えずなんとかなるかな? マンガンも使い道が多いけど、この量は持って帰るのは無理かぁ」
取り敢えず、アルミニウムが三トンもあるので、これでカプセルを作って中に詰めようとするが、ここでタケルは気付く。
「これ曳いて泳ぐって無理じゃん。帆走か足漕ぎボートみたいにしてスクリュー回して進むしかないよねぇ……」
結局、タケルはアルミニウムでカプセル状の船体を作り、チタンで駆動系とスクリューを作り組み込んだ。軸受の潤滑油は体内合成で賄う事になる。
結局、その作業に二〇日もかかってしまい、ト・マクオマ・ナイへ帰着するのは、出発してから一ヶ月以上が経過してからだった。
そろそろSF的与太話の色合いが強くなり始めます。曰く『主人公の暴走』




