25 海上公試と帰参する合川
取り敢えず本話含めて五話、毎日投稿になります。
―ユリウス暦一一一〇年、六月初旬。蝦夷地ト・マクオマ・ナイ。
結局、六人の下人達の譲渡(残留)を合川は了承した。やはり彼らと馬一頭との交換が魅力的だったようであるし、蝦夷地遠征で彼自身の持ち馬を失っていた事も大きかったようだ。
馬は飼育されている牧場で合川自身に選ばせた。芦毛の体高五尺(約一五〇センチメートル)で扱いやすかった五歳の牡馬を選んだ合川は御満悦であった。しかし、その牡馬が去勢されているのを彼は気付いていない。そりゃ農耕に使うのだから種牡馬で無い限り去勢は必須である。
この馬の調達であるが、タケル達は毎年の様に陸奥国にひっそり侵入しては野馬を捕獲している。その際には、農耕に使えそうな比較的馬体のしっかりした脚の太いものを選別しているのだ。
それらが交配された結果なのか、南部馬の平均である体高一四五センチメートルを越える馬体のものが出始めている。寒冷地になるに従って哺乳類は同種でも体格が大きくなると言われているが、ト・マクオマ・ナイでの繁殖はまだ四世代目が産まれ始めたばかりであり、馬体の大きさは純粋に遺伝的なものと思われる。
―ユリウス暦一一一〇年、六月初旬。蝦夷地ト・マクオマ・ナイ南方の沖合。
改修されたアトゥイカムイはシズクとフウカが中心となって順調に海上公試を進めていた。訓練を受けていた元孤児の若者達も乗組員として参加して慣熟訓練に励んでいる。
アトゥイカムイは本来の船型を取り戻した上に、機関関係は砲塔とバルジが付いていたときのままにされた。全速の試験はまだであるが現在、余裕で三〇ノット(時速五五キロメートル)の速度を出せている。改修の途中で船体に幾つかの小さなクラックが見付かりはしたが、それは全て修復補修してあり強度も耐久性にも問題は無い。
「ロールは安定してるね」
「フィンスタビライザーの効きも良いよね」
「「さすが、わたし達の船だねー」」
舵を切り針路を変えるアトゥイカムイの船橋でシズクとフウカは上機嫌だ。
「船長、船内各部、現状で異常は認められません」
船橋に入って来た船員が報告する。この船橋にも操舵手、航海士、通信士等の船員が何人か配置されている。機関室を含め各部とは船内電話や放送で連絡が出来る様になっている。
彼らの服装はこの時代にそぐわない作業服と安全靴を着用し、海上公試中と言うこともあり、全員がヘルメットを被りライフジャケットを着込んでいる。
今入って来た彼は、異常が無いか広い船内各部を目視で確認して来たのだ。お疲れ様である。
「ごくろうさま。疲れたでしょ?」
「貴方は少し休んでて良いよ」
シズクとフウカが彼を労うと、彼は目礼をしつつシズク達に願い出た。
「お心遣い、ありがとうございます。では、一緒に確認作業を行った全員に休憩を頂きたくお願いします」
「いいよー。後は帰港するだけだし」
「次期船長、大丈夫だよね?」
フウカが航海士の後ろに陣取っている三〇歳前後の男性に声を掛ける。海上公試が終わるまではアトゥイカムイの船長はシズクとフウカがその任に就いているが、実運用では彼が船長になる事が決まっている。
「ええ、問題ありません。おい、しっかり休んどけよ。入港接岸は忙しいし気が抜けないからな」
「はい。失礼します」
そう言って退出する彼を見送りながらフウカが呟く。
「みんな硬いよね」
「仕方ありません。規律は大切ですので」
真面目な顔で次期船長、孤児として移住した頃の名は末廣であったが、彼はタケルに頼み込んで名付けをして貰い、今は『雄大』を名乗っている。元孤児の若者の大半はタケルに名付けをして貰っているのだが、当時タケルは「安請け合いするんじゃなかった。命名辞典が欲しい……」とボヤいていた。彼らの家名はそのうち自分で決めて貰う事になっている。
「航海に出ると長いから、今からそんなだと息が詰まると思うよ?」
「では、その時にでも考えましょう。今は公試の最中ですのでまだ気を抜けません」
「次期船長は真面目だねー」
「お母さん達なんか、んーと、お気楽? 適当? いい加減? その場のノリで行動してたよね」
「ビール飲みたさに内陸深くまで行っちゃうとかね」
二人は『シンタ』であった頃の『記録』と『記憶』を思い出して笑う。
「ビールですか。あれは良いものです。自分の奥は苦くて苦手だと言うのですがね」
一〇代半ばで移住して来た彼は、同じ元孤児の女性と所帯を持ち、既に子供も居るのだが、航海が本格的に始まったら父親が単身赴任状態の家庭になる事が確定している。因みにタケルはビールを作ると時々皆にお裾分けをしていたりするのだが、食料優先の為にまだ量産は出来ないでいる。
そんな雑談を皆で交わす彼らを乗せ、アトゥイカムイは一路ト・マクオマ・ナイへと向かった。
―ユリウス暦一一一〇年、七月中旬。陸奥湾、外が浜。油川沖。(現青森県青森市油川)
この日、アトゥイカムイは平舘海峡を通り陸奥湾へ進入、青森湾(陸奥湾の南西。現在の青森港がある)の奥にある油川の港の沖合に碇泊していた。油川の岸から丸見えの位置だ。
油川は中世以前から港として栄えたと記録が残る場所であるが、現代の漁村と比べても閑散とした雰囲気が漂っている。(平安時代の北方貿易の中心となった外が浜の港・湊の詳しい記録を見付ける事が出来なかったので、今の青森港に近い事から取り敢えず油川にしました。鎌倉時代以降は貿易の中心が、外が浜から十三湊に移ったのがはっきり分かるのですが。適当で申し訳ない)
その油川では大変な騒ぎになっていた。それはそうだ。見たこともない巨大な船が突然現れたと思ったら、目と鼻の先とも言える沖合に碇泊したのだから。(まだ公試中なので船長はシズクとフウカなのだが……。こっそりひっそりはどうした? お前ら母親の事を『お気楽、適当、いい加減』とか言えないぞ)
そんな騒ぎを余所にアトゥイカムイの後方のウェルドックから和船に偽装した上陸用舟艇が出て来た。偽装和船は帆柱も立てず帆も揚げずに動力を使った自力航行で、港から外れた浜へと乗り上げた後に船体下部にある無限軌道を使ってそのまま上陸した。(上陸用舟艇じゃなくてこれって水陸両用艇じゃね? そして偽装とは一体……)
和船偽装上陸用舟艇はそのまま無限軌道で砂浜を走行し、砂浜が土の地面に変わる場所まで来ると前面のランプドアを降ろした。
「タケル様からも告げられておろうが、預けた文は其の方の主に間違いなく渡す事。我らもすぐに戻らねばならん。早う去ね」
「しかと承った。然らば御免」
上陸用舟艇に載せられていたのは旅装と蝦夷地産の南部馬を与えられた合川太郎佐次だった。
「ほれ、持ちて行け」
合川が馬を挽きながら上陸用舟艇を降りると、上陸用舟艇の乗員が何かを彼に向かって放り投げた。それは飾り気のない鞘に収められてはいるが一振りの太刀だと分かる。
「忝なし」
合川は投げ渡されたそれを受け取ると、そう一言告げて即座に馬に跨り、振り返らずに逃げるように去って行く。
「よーし! 我々も撤収するぞ、急げ!」
上陸用舟艇の乗員も合川を見送る事無く、即座に撤収してアトゥイカムイへと帰還した。
―ユリウス暦一一一〇年、七月下旬。奥州平泉。藤原清衡居館。
「あの痴れ者が戻ったと?」
合川帰還の報告を聞いた清衡は憮然とした表情になった。どの面下げてとの思いからであろうか。
「然り。奥御館様に御目通りを願いております」
「して、彼奴は独りで戻りたと。他の者は如何したか」
「合川太郎の申すに、皆諸共に冬の蝦夷地にて行倒れたと。其れに如何な事か世迷言を申しておりまして」
取次の者が語る合川の言い分を聞いた清衡は増々不機嫌となる。
「吾の館待を皆失うたか……。捨て置くにあらずや。疾く呼びて来よ」
こうして合川は清衡との目通りが叶う。但し清衡の彼を見る目はまるで罪人に対するそれであった。清衡の付けた館待を全て失った挙げ句に、件の蝦夷から何も得られていなかったのだから、それも宜なるかな。
合川は畏れながらと今までの経緯を話して行くが、居合わせた者からの合川への糾弾の場へと忽ちのうちに変わってしまった。
「皆、黙せ」
清衡の一声で合川を責め立てる声がピタリと止む。
「油川に城の如き巨船が現れたとあるが、此れは真か?」
しんと静まり返った室内に清衡の詰問する声だけが響いた。
「真にございます」
「汝が其の船で夷狄ヶ島より戻り来たるは真か?」
「真にございます」
「汝が相見えた蝦夷の女頭目が天変鳴る神の如き力を振るうたとあるが此れも真か?」
「真にございます!」
その事に話が及んだ途端に合川の顔色は悪くなり、ガタガタと震えながら脂汗を流す。
「ふむ、では女頭目より預かりし文と云う此れは如何なる物ぞ」
清衡が合川の前に放り投げたのは、掌に乗る程の大きさの、継ぎ目の無い金属の箱だった。
「己(私)の血を垂づれば開くと聞き及びますれば。尾籠にて候う」
そう言うと合川は指先を噛み切り、滲んだ血を箱へと滴らせた。すると箱から薄翠色をした半透明の玉が、まるで水面から浮かび上がる様に現れ、その場に居た一同は驚きの声を上げる。
「何とも面妖な……。此れは玉か?」
恐る恐る清衡がその玉を取ろうとして手を伸ばした、その時。玉が光を放ち始めて浮き上がると、そこを中心として人の姿が浮かび上がる。
その姿は、アイヌ風衣装を纏ったタケルであった。合川に渡されたのは異星人のナノマシン技術でタケルが造った映像再生装置。(玉が浮き上がった様に見えたのは箱から玉を支持する細い柱が伸びたからである)
それを見ていた同席している者の中には恐れから腰を抜かしている者も居る。しかし清衡は恐れずに声を上げた。
「妖か!?」
傍らの太刀に手をかけて斬りかかろうとする清衡を合川は慌てて止める。
「お待ちを! 此れは件の女頭目の幻にて! 害無しにて候!」
『私は烏珠剛琉。合川某なる痴れ者を遣わしたる藤原を騙る野盗の頭目に告ぐ』
混乱する清衡らに構わずタケルの映像と音声の再生が始まった。
タケルが映像を通して語った内容は至ってシンプルだった。
大和言葉で語られたそれは現代語で要約すれば『自分達を奴婢に貶しめて全て奪うとか舐めた事を吐かしてんじゃねぇぞ、ダボが。寝言は寝て言えや。てめぇら潰すぞ?』である。どこの不良だ。
そして、一五センチ砲で粉々にされる騎馬兵を模した土人形の映像や、巨大さが分かるように撮影された海上を航行するアトゥイカムイの映像に、タケルの記憶から映像化した自衛隊の総合火力演習の映像(戦車とかヘリとかの映像を見せても理解できないだろうに正直言ってやり過ぎである)を流した後で『お互い手出し無用。砂糖の製法が欲しいなら、頭目が自ら出向いて頭を下げて教えてくれと乞うならば教えてやらない事もない。でも対価はそれなりに貰うからな』と上から目線の言葉で締めくくった。
清衡の顔色は、映像とタケルの言葉に赤くなったり青くなったりと忙しい。
「合川、汝が見聞きしはこれか?」
「然り。終のものは己も見聞きしませなむ……」
清衡の問いに合川は平伏して答える。
「如何にせむ……」
難しい顔をしながら清衡は顎髭を扱きながら考え込んだ。
烏珠剛琉と名乗る蝦夷の女頭目の、此方を見下して、あからさまに煽る態度と言葉には業腹であり、このまま終わらせるのは癪である。とは言え相手の事を良く調べもせずに夷狄だからと舐めてかかり、力で恭順を迫ろうとしていたのはこちらである。
癪だから、面子が立たないからと征伐に赴いたとして、幻で見せられたものが、まやかしではなく真であるなら、奥州の全勢力で挑んだとしても海を渡る間に全滅させられるのは清衡にも容易に想像が出来た。よしんば蝦夷ヶ島に渡れたとしても、待っているのは見せられた土人形と同じ運命であろう。
「詮無し也」
清衡は今回の件は『無かった事』として扱う事にした。今まで通り何事も無く蝦夷ヶ島の蝦夷との間で交易を行う事としたのだ。勿論この件は国司にも報告はしないで、此処で揉み消すつもりである。
ふと清衡がタケルが送り付けた『文』の存在を思い出して其れを見ると、幻を映し出していた玉と箱が砂のように崩れて更に淡雪のように消えて行くところだった。
その頃、タケルは「しまった。拠点用に荒地の一つでも要求しとけば良かった」と後悔していた。
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