02 北の大地1
―推定一〇世紀終わり頃? 蝦夷地ト・マクオマ・ナイ付近(現北海道苫小牧市周辺)
※年代はタケルが転生或いは憑依したアンドロイドの記憶からの推測。
タケルが上陸した場所は現代での北海道の苫小牧である。苫小牧はアイヌ語で『沼の後ろにある川』を意味する『ト・マクオマ・ナイ』が由来である。
地理的には海の近くで、石狩平野に夕張や羊蹄山等の資源地帯へのアクセスも(時間さえ許せば)比較的容易である事から、将来性も含めて選ばれた。
「とは言え、現状は何も無いんだよなぁ」
独りボヤきながら右手の指先から糸状の何かを出しながら左手で巻き取って行く全裸のタケル。
異星人謹製のアンドロイドの身体には多くの機能が備わっている。複合型ナノマシンによる人工細胞で構成されるその身体は、内部で生成合成した物質を使い、大きさに限度はあるものの3Dプリンターの様に物品を成形させる事が可能である。
今、タケルは屋根と囲いを草木で作った簡易的な塒の中で、服を作る為の繊維を作成している。全裸でもタケルを害する生物は居ないし、触覚や温度変化を知覚できるが、寒いとも暑いとも、そして痛いとも感じない。生物ではないので虫なども寄って来ない。
とは言っても、この辺りにも地元民であるアイヌの集落が存在している。彼らとばったりと出会ったら、やはり全裸ではお互いに気不味いし恥ずかしいとは思う。
それもあってか、タケルは集落からも海辺からも離れた場所にひっそりと塒を設営していた。
今タケルが生成して出している糸は植物のセルロースを模した分子構造で、繊維内に中空構造を持った木綿の様な見た目をしていた。
ちなみに木綿は一〇〜一一世紀頃に中国へ伝来したと言われている。
糸が出来上がったら今度はそれを布へと織るのだが、機織り機が無いので二本の木の枝の間、密に縦糸を張ってそこに横糸を交互に通して行くという極めて原始的な方法で布を織っていく。方法は原始的なのだが、そこは超高性能アンドロイドの身体を持つタケルである。正確無比な作業で機械で織ったような布を織り上げていく。
「染色はしなくて良いかな。それよりも刃物が無い……」
仕方が無いので指先の人工細胞を鋭利な刃物状に変化させて布を裁断する。縫うための針は海岸の砂に含まれる砂鉄から鉄を抽出して炭素鋼を合成して生成した。
「そのうちしっかりした拠点を作るなら作業用のロボットとか重機とか必要だよなぁ」
そんな事を呟きながら、ちくちくと針を進めて行き着物もどきを作り上げて行く。
「下着は……汚れないから別に要らんか。それよりも履物かな。北の大地で裸足だと不自然だろうし。それと着物が一枚だけじゃ不審がられるかな。季節にもよるだろうけどさ」
糸を出しては布を織り、裁断しては縫う。そんな繰り返しでタケルの日々は過ぎて行った。
「やっと野人から脱却したぞ」
何処となくアイヌの民っぽい着物を身に着けたタケル。作っているうちに興が乗ってしまい、染色や刺繍まで施した結果、アイヌの民がよく使う色と文様になった服を着たタケル。履物は結局、合成樹脂を鮭の革っぽく生成加工して製作した。形状はまんまハーフブーツである。
「一応、どこの部族とも被らないように文様はデザインしたから、出会っても遠い海の向こうから来たとか言えば怪しまれないとは思うけど、うーん」
現地住民との交流を持つべきか、それともひっそりとやって行くか。
「人目は避けてるけど、ばったり出くわさないとも限らないし。ただ交流を持たないと本格的な拠点設営の時が心配なんだよなぁ。と、それよりも喫緊でなんとかしないとならない事が」
先程からタケルの聴覚と嗅覚は塒の周りを徘徊する獣の気配を感知していた。
「熱源の大きさから、ヒグマだよね」
季節は秋。苫小牧にある川では現代でも鮭の遡上が見られるが、それを狙ってヒグマは山から出てきたようである。
現代では遡上する鮭を捕らえて食するのは釧路地方に生息するヒグマだけらしい。原因は明治から昭和にかけて人の生活範囲の広がりによって河川が汚染され、北海道内で鮭の遡上する川が減った事が原因との説がある。
どうやらこのヒグマは鮭を採りに来たが、嗅いだ事の無い匂いを感じて興味を持ってしまったようだ。
襲って来るなら返り討ち上等なのだが、やり過ごすと決めたタケルは身体の温度を周囲の気温と同じにしてヒグマの居る反対側から塒を抜け出すと、音も無く近くの木へと飛び上がった。
その直後、ヒグマはタケルの塒の中に潜り込んで来た。体長は凡そ二メートルはあるだろうヒグマは匂いを嗅いだり置いてある物を引っ繰り返したして一頻り中を見聞すると、塒から出て、来た方向へと引き返して行く。その後を二頭の子熊が戯れながら着いて行った。
「子連れだし倒さないで済むならそれに越したことはないよね」
ヒグマの親子を木の上で見送りながらタケルは呟く。そこではたと思いつく。
「ヒグマ型の作業ロボット、有りかもしれない」
善は急げ。タケルは材料を集め始めた。海岸で砂鉄や貝殻を集めたり、西に見える火山(現樽前山と思われる)まで足を伸ばして溶岩の中に含まれる微量元素を目当てに採取したりと動き回った。
集めた金属で合金を合成してそれで骨格を作り、その周りをナノマシンによる人工細胞で覆うのだが、タケルがその身体で作る事が出来るナノマシンについては、タケルの身体を形造るそれよりもスペックダウンした物となる様に制限がかかっている。しかし生物的な意味での飲まず食わずでの活動は可能だ。また制御ユニットは人工細胞による疑似ニューロンネットワーク集合体(つまりナノマシンによる人口の脳)による物となる。下手をするとヒトよりも知能は高くなる可能性がある。
このヒグマ型ロボットはナノマシン総量の十パーセント以上が欠損或いは損傷すると、タケルからの修復プロトコルが伝達されない場合には自己崩壊を起こし灰燼となるように設定された。
材料の関係で取り敢えず完成したのは五体。キムンカムイ型と命名されたそれは体長が三メートル近くあり、それぞれにクマイチロウ、クマジロウ、クマサブロウ、クマシロウ、クマゴロウと個体名も付けられた。輸送、採掘、建設等に力を発揮する事が期待される。彼らにはタケルが着ている物と同じ文様だが色違いの法被を羽織らせている。色は勿論、赤色、青色、緑色、桃色、黄色である。五匹揃ってクマレンジャー!……げふんげふん。
「お前ら、よろしくな」
「ぐぁ」
片前足を揚げて返事を返すクマレンジャー達。異星人のデータにあった生物のニューロンパターンが実装されている為に、それっぽい動作が自然に出来ている。タケルとのコミュニケーションは音声で行われる。獣の鳴き声に聞こえるが周波数成分の違いによってデータパターンが決められていて、タケルは彼らが伝える情報を理解する事が出来るようになっている。
本格的な拠点設営に向けて資源の調査と調達の為、五体のキムンカムイ型を引き連れてタケルの蝦夷地内を巡る旅が始まった。
余談であるが、タケルとキムンカムイ型が連れ立って旅するのを偶然目撃したアイヌ達は、タケルを『山の神の娘』と畏怖した。後の世で半ば妖怪扱いされて伝説となるのであった。
そんなこんなで十年程かけて蝦夷地を巡り、金属類を始めとして必要な資源の調達が出来る目処が立った。
「まずは小規模ながら発電設備と水素プラント、そして電気炉か」
上記の施設を作る目的は製鉄を行う事である。それによって総トン数二千トン前後の動力船を造船し、世界を巡って未来ではポピュラーになっている寒冷地向け作物であるジャガイモや救荒作物としても優秀なサツマイモ、三大穀物の一つであるトウモロコシ、アジア種と交配させる事で収量増加が望める綿花、香辛料である唐辛子、甜菜の原種であるテーブルビート等など、多くの有用な植物の収集を行うのだ。
その製鉄なのだがタケルは定番の高炉から始める気は更々無い。水素、メタン、一酸化炭素による直接製鉄法を用いるつもりである。その為に必要になるのはまずは電気。そして電気炉である。
タケルの構想にある発電施設は個体内凝集核融合による発熱素子を利用した蒸気タービンによるものである。
ここで少し個体内凝集核融合について記しておく。
一九八〇年代に常温核融合として一時話題になったが追試で再現性が認められず、暫くは世間から忘れられていた実験がある。しかしブームが去った後も真面目に細々と研究を継続していた科学者達と技術者達が二十一世紀に入ってから結果を出し始めた。
結果、特定条件下にある面心立方格子を結晶格子に持つ金属内に閉じ込められた水素が量子拡散する際に、外部電界によって結晶内に生じる局所的な強電界の影響を受けて金属の結晶格子内で陽子−陽子連鎖反応と同等の現象を起こす事が二〇三〇年代に入ってから実験的に確認された。その後、定性的に説明が出来る理論構築も成されて、タケルが本郷剛として最後に生きていた年代には工学技術として確立されていたのだ。
異星人提供の科学技術のデータにも勿論その技術が含まれており、タケルのアンドロイド体の機能なら比較的容易にナノ構造を持つ発熱体を製作する事が出来る。
このシステムの熱源は核融合であり、投入水素の質量の0.7パーセントがエネルギーに変換される。電界発生を担うナノ構造格子を持ったゼーベック効果素子の配置と接合如何により、発熱体の発生温度を低く設定すると、発熱体の寿命も発熱持続時間を長くする事が出来る。ただ、あまり低い温度設定だと、水蒸気を利用する場合には効率の良い目標圧力に足りなくなる。そこで沸点の低い溶媒(アンモニア水等がある)を使う事で低温でも目標の蒸気圧にする事が可能であり、高効率での長時間運転が可能になる。
また、この技術は定速航行が主となる船舶での利用に適している。タービンによる直接駆動でも良いし、発電機を回して得た電力によるモーター駆動でも良い。飲食不要のタケルだけで運用するなら無補給で世界一周も可能な船となる。
さて、直接製鉄法だと水素或いはアンモニアガスによる還元を行うので、生産されるのは殆ど炭素を含有しない純鉄となり、柔らか過ぎて構造物等には使えない。
そこで炭素を添加する必要が生じるのが難点だが、そこは後で浸炭させるか途中で一酸化炭素を吹き込む等して鋼鉄生産への対応が可能である。
何より小規模生産が目的なのだから、大規模になる高炉を中心に据えた間接製鋼法の設備をわざわざ作る必要もない。
「でも将来的には圧延設備や金属加工の工作機械は欲しいかな」
後々に造船やプラント建設を行うなら鋼材や鋼板、鋼管は必須アイテムだろう。それに金属加工をやるにしてもタケル自身でレーザー加工や3Dプリンター的な成形は出来るのだが、それでは製作できる部品や構造物の大きさに限界がある。
「やる事が盛り沢山だなぁ」
クマレンジャー達に囲まれ、ちまちまと掌から発電機用の被覆銅線を生成しながらタケルはボヤく。クマイチロウとクマジロウのペアが器用に木製のドラムを回して被覆銅線を巻き取っていた。残り三体は傍目からは寝そべってリラックスしている様にしか見えないが周辺警戒である。
調査終了から二〇年程経過した今はクマレンジャー達に運搬して貰った資源で作った建物の中に組み上げた個体内核融合発熱体利用のボイラーと、タービンに復水器の試運転中。その傍らで発電機を作るために銅鉱石から銅を抽出しながら被覆銅線を作るタケルである。因みに原料は口から噛み砕いて体内に取り込んでいるのだが、砂を噛むなんて生温い程に不味いので、この時ばかりは味覚と嗅覚は遮断している。
この頃になるとタケルは付近のコタン(集落)との交流を持つ事になった。
それはそうだろう。離れているとはいえ、体長二メートル超えの大型ヒグマを五頭も引き連れた女が、そいつらを使役しながら一人で変な建物を作っているのだから気が付かれないはずもなく、恐れを懐かれないはずも無い。
日本人気質のせいか彼らの目を気にしたタケルは、周囲のコタンに挨拶回りに出掛けた。
手土産はタケルが造った鉄製の鍋釜や小型刃物に砥石だ。
この当時、まだ北方貿易も盛んでなく、北前船など影も形も無い。蝦夷地での鉄器の流通量は非常に少なく、タケルの贈り物は周辺のコタンの人々に非常に喜ばれた。また噂を聞き付けた遠方のコタンの人も訪れ彼らの持ち込んだ毛皮等と交換もした。
少し月日が経つと製鉄や鍛治に興味を持った近所のコタンの者が教えを請いに訪れる。
教える事についてタケルは悩んだが、小規模であれば良いかと考えて、木炭と砂鉄から製鉄するタタラ製鉄モドキを炭焼きの手法とともに伝えた。
「これ、将来的にはアイヌと和人の交易で対等の取引が出来るようになるんじゃね? ジャガイモとか甜菜とか栽培始めたら、下手すると蝦夷地の方が有利になる可能性があるな。ああ、でも問題は木炭作りの森林資源か……」
ふと蝦夷地の将来に想いを馳せるタケル。
「まあ、ここを拠点にして文明を進めれば、そのうち石炭利用にシフトするんだろうけど」
ふぅ、と溜息を吐いてふと目線を上げると巻取り作業をしているクマイチロウとクマジロウが『どうしたの?』とでも言うように首を傾げていた。