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トオルは当時小学3年生でした。
その年頃はませてる奴が多いですからね、トオルもサンタクロースの正体に気づいていました。
ところが、奴は幽霊や怪異は信じてた。
まあ、言ってしまえば怖がりだったんですよ。
それもかなりの怖がりでした。
夜暗くなってから1人で帰るのが嫌で、歳の離れた兄に迎えに来てもらう事もしばしば。
会話の中で怪談の類が出ると必死になって耳を押さえて大きな声を上げるんです。
あんまりにリアクションが良いから、からかわれてばっかりでしたよ。
ある時なんか、あいつの机の中に詰め物をした白い軍手を入れた奴がいましてね、、あの時のトオルと来たらもう顔を真っ青にして半狂乱になっちゃって。
慌ててネタバラシをしたら、もう怒ったのなんの。
しばらく誰とも口を聞きませんでした。
何にでも信じちゃって、想像力が豊かだったせいでただの軍手も奴には人の手に見えてしまった。
そんな風だったから、ある日あいつが『振り返らずの一角』で幽霊に追いかけられたと言った時、みんなは「またトオルがなんか言ってるよ」って笑って相手にしなかったんです。
トオルの話によると、あの一角を歩いていると後ろから『カラ』と音がした。何かと気になったが後ろを見てはいけないから、さっさと通りすぎろうとまた一歩足を動かした。するとまた『カラ』
トオルが立ち止まると背後の音も止まりました。でも、トオルが歩き出すとまた、『カラカラカラ』と音がついてくるんです。
トオルは半泣きでそこを駆け抜けました。
『カラカラからカラカラからカラカラからカラカラ』
「もう、あそこは通らない」トオルは強張った表情で言いました。
ところが、その日からあいつは幽霊に気に入られてしまったらしいんです。
『振り返らずの一角』以外でも、帰り道に1人で歩いていると背後から『カラカラ』と音がするようになった。しかも、最初と違って音はどんどん自分の方に近づいてくるようになった。
相当怖かったんだと思います。
でも、最初の時に散々バカにされて笑われましたからね。
僕らに弱音を吐かなくなった。
丁度その頃はあいつの兄さんが合宿で県外に行ってて、あいつはギリギリまで僕らと帰りました。
分かれ道でじっと不安な顔で僕らを見るあいつの顔が忘れられません。
もっと、早く気づいていればよかった。
でも、もう遅いですね。
ある日ーーそれがあいつが幽霊にあった最後の日です。
トオルは『カラカラ』という音の代わりに凄い力でランドセルを『ナニカ』に掴まれたと言いました。
これまで音だけだったのに、音だけでも恐ろしかったというのに掴まれているという事実にトオルは震え上がった。ーーだって、それはつまりすぐ後ろに『ナニカ』がいる事を意味するから。
あいつは軍手を人の手と見間違えた時と同じように狂ったように叫びながら前へ進もうと、『ナニカ』から逃げようと走り出しました。ところがその『ナニカ』はこれまで大人しかったのが嘘のように恐ろしい力でトオルのランドセルを掴んで離さない。
普通だったら到底勝てないような力です。
でも、火事場の馬鹿力というやつでしょうか、あいつはその状態で何十メートルも走り続けた。最後には大声を出し続けた喉は枯れて、もうダメだと思った時、すっと背後の『ナニカ』が消えたんです。
あいつはその隙を逃さず後ろを振り返る事なく家へと逃げ帰りました。
次の日、あいつが学校へ行くと朝礼で先生が硬い表情でクラスメイトが亡くなった事を告げました。
あいつの話を笑って聞いていた1人。
幽霊なんかまるで信じてなかった、そんなもので怖がるトオルをいつも馬鹿にしていた、そいつがあの『振り返らずの一角』で仰向けに倒れていた。
問題なのは、そのクラスメイトは自分の家がある方とは逆に足を向けて倒れていた。もし、真っ直ぐ前を見ていたのならそうなるはずはない。
みんなその事実に震え上がりました。
つまり、そいつは多分振り返ってしまったんだ。
そして、『ナニカ』に捕まってしまったんだ。と。
×
青年は話終えると、ふうと息を吐いた。
その様子からは恐ろしい話を語りおえた達成感と若干の疲労が見てとれる。
「僕、恐ろしいんです。
もし、トオルが後ろを振り返っていたらと思うと」
「本当に恐ろしいんです」と彼は独り言のように呟いてそれっきり黙り込んでしまった。
私は先程の話を反芻していた。
それからしばらくしてポツリと彼に返した。
「私は、幽霊は信じない」
「ええ、僕だって信じていませんでした。でも、今は違います。幽霊はいます、いるんです」
その言葉に私は内臓がひっくり返るような恐怖を感じた。
喉がカラカラと乾く。
さっきから気付いている事実。
ーー空は既に夕暮れから先、薄闇がかかっている。そして話を聞いている内に前方にあった手前の角は後方に過ぎ去り、今やっと一つ目の角が真横にある。
つまり私は今、『振り返らずの一角』にいるのだ。
無意識のうちに歩くスピードを上げていた私に対して青年は半歩遅れてついてきているのだろう。隣にいたはずの姿は見えない。
乾いた唇を舐める。「何が理由なんだ?恨みを晴らそうっていうのか?」
けらけらとおかしそうな笑い声が後ろから聞こえた。
「そんな力はありませんよ。
幽霊はただそこに存在するだけで、生きているものに影響を与えることはないんです」
「それじゃあ何故存在するんだ。存在して生者に関わろうとする」
青年は私の問いかけに少々考え込んだようだった。
しばらくして彼は静かに言った。
「知って、ほしいのかもしれません。
なにか伝えたいのかも。
僕もよく分かりません。何故なんだろう。何で存在しているんだろう、、、」
生ぬるい妙な風が私の頬を撫でた。後方からやってきたそれは私の前へと吹き抜けていく。
私がそれに気を取られているともうすっかり私との差が開き、後ろの方にいるであろう青年が言った。
「もしかしたら、自分の意図で存在しているのではないかもしれない。
良く言うじゃないですか、人の死は2度あるって。そう言う事なのかもしれない。
僕らの事を忘れられない誰かの未練や後悔が僕らをここに残しているのかもしれない」
二つ目の角はもうすぐそこだ。
私は息をするのも忘れてただ必死になって足を前に進めた。かつて同じように恐怖から逃れようとしていたあの少年のように。
ーーその時だった。私の背後の人がそれを口にしたのは。
「先生、伝えてくれますか?トオルに。
もう忘れてくれと」
角を通り過ぎた私は恐る恐る振り返った。
そこには誰もいなかった。




