第7話
とはいえ、この世界におけるこの頃の織田信長は、単なるインド株式会社の従業員(一応は幹部候補生扱いだったらしいが)に過ぎない。
私なりに耳をそばだててはみたが、美子と織田信長が結婚したばかりの頃は、それこそ日本有数の大企業の幹部候補生の新婚家庭と考えるならば、ありふれた生活をこの夫婦はしていた。
そして、更に時が流れていくのだが。
生活といえば、「皇軍」がこの世界に来てから、徐々に変わっていくことになった。
例えば、教師に私が転職したばかりの頃、摂津、大坂の街(?)には街灯等は影も形も無かった。
だから、月の無い夜ともなれば、極めて物騒な話になり、家から出ないのが当然だった。
だが、夜の街の治安を向上させるためもあり、又、「皇軍」知識に基づく産物が徐々に量産化等されるようになっていたことから、ガス灯による街灯が点るようになり、更に後には電灯による街灯が点るようになる等、生活が進化していくことになった。
少し裏話めいたことをすれば。
「皇軍」は工作艦明石等と共にこの世界に来てはいた。
だから、技術者が皆無だったわけでは無いし、それなりに資源さえあれば増加試作レベルならば可能という現実があった。
だが、実際にこの世界に広めるとなると、完全な量産化が必須なのは当然な話になる。
更に言えば、工作艦明石等があるとはいえ、それに搭載している工作機械等が完全駆動できないと工作艦の役目等が果たせる訳が無く、又、経年劣化等によって工作機械等が劣化するのも当然だ。
そして、工作機械等を作ろうとすれば。
それこそ卵が先か親鳥が先かという話になりかねないが。
技術のすそ野、それこそモノや人のレベルから、大きく広げていかないと、「皇軍」が持参して来た様々なモノを量産化等するのは不可能な話になってしまうのだ。
とはいえ、そんな進化が一度にできる訳が無い。
だから、分かりやすいように銃を例として挙げるならば。
それこそ皇軍はボルトアクション式小銃をこの世界にもたらしてはいたが。
それを量産化するとなると鉄の量産化を始めとして様々な裾野を作っていく必要があるし、そうかといって日本の内外の事情を考えれば、そんな裾野が作られて広がるのをずっと待つ訳にもいかない。
だから、それこそたたら製鉄によって火縄銃をまずは造って量産化する羽目になった。
そして、前装式ライフル銃や後装式ライフル銃、機関銃へと試作の上で量産化することになった。
結果を先に述べるならば、それこそ「皇軍来訪」から30年近くを掛けて、ようやくボルトアクション式小銃の量産化に、日本は成功するということになったのだ。
軍艦にしても似たようなことが起こった。
まずは木造帆船を造って、更に鉄骨木皮の機帆船を造って、ということをやっていき。
最終的に皇軍がこの世界に持参した軍艦を凌ぐモノ、大和級戦艦等を造れるようになるのには50年余りの歳月が掛かるという事態になったのだ。
そんな感じですそ野を作っていくとなると、色々と大変なことになる。
「皇軍来訪」直後の頃は鉄道を全国に敷こうとする等は全くの夢物語といってよく、まずは河川等の流路を変えて洪水対策等をした上で道路網を全国に広げていく方が遥かに優先ということになった。
そうしないと後々で色々と問題が多発するのは必須だったからだ。
(例えば、私にとって身近な大和川の流路変更にしても、「皇軍来訪」直後は大和川は淀川に流れ込んでいたのであり、現状では当時の大和川が天井川であったことも相まって、何らかの洪水対策が必須だったという状況だった)
ともかくまずはすそ野を広げた上で、というのが「皇軍来訪」直後の日本本国全土では、当然な状況だったのだ。
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