第5話
私が教えた上里家の兄弟姉妹6人の中で和子が何故に一番、印象に残っているのか。
それは和子が色々な意味で目立ち、又、背伸びをしているのが、いつか熟練の教員になっていた自分には見えてしまったからだ。
上里家の兄弟姉妹を上から順に思い起こしていくと、勝利はそれこそ一滴も日本人の血が流れておらず、周囲から外国人視されても柳に風で平然と受け流していた。
だが、和子は違った。
実母がシャム人の永賢尼であり、更に6歳までアユタヤで生まれ育ったことから、日本語も最初の頃は余りきれいとは言えず、そういった風貌や言葉遣いから、どうしても周囲から外国人視されやすいのを、私は日本人だとして、和子は物凄く嫌ったのだ。
更に言えば、実父が上里松一なのも、和子が背伸びをした原因だった。
上里松一は、インド株式会社の取締役であり、元皇軍士官ということも相まって、小学校の児童の親達の中では最上級の存在と言えた。
その父に恥ずかしい娘と思われたくない。
そう自ら考えて、和子は背伸びをして頑張ったのだ。
だが、それが却って良くなかったのだろう。
和子は小学校にいる間ずっと、特にいじめられたり、嫌われたりということは無かったが、周囲から浮いたままだった。
(尚、私が聞くところによれば、初等女学校でも同様だったらしい)
その一方で、和子は極めて優秀な児童であり続けた。
それこそ学級委員を男女それぞれ1名から選ぶとなると、
「上里和子さんがいいと思います」
と同級生からすぐに声が挙がる存在であり続けた程だ。
周囲から浮いているのに、学級委員に推薦されるのも妙な話と思われそうだが。
学級委員をやるとなると優秀なのが必要不可欠である一方、学級の面倒を見るという厄介ごとをさせられる身になるというのも現実なのだ。
だから、そういった背景から、和子は学級委員を務め続けることになったのだ。
そんな長々と回想してしまうのも、和子が上里家の兄弟姉妹の中で歪みを最も背負った存在では、ということを自分は感じるからだ。
だから、北米独立戦争を主導するという事態にまで至ったのでは、と教師の目から見えるのだ。
上里家の兄弟姉妹9人と一括りにされるが。
それこそ親の違いが色々とある。
上2人の美子と勝利は、上里松一と血が繋がっておらず、永賢尼の連れ子養子(?)なのだ。
中3人の和子と正道(道平)と智子は、上里松一と永賢尼の子だ。
下4人の清から里子は、上里松一と愛子の子になる。
美子と勝利は、良い意味で気楽な立場だった。
松一の養子(赤の他人)なのを周囲も承知しており、当時の美子に至っては自由奔放(?)に養父の松一を女として誘惑する程だった。
(和子が私にまで、
「姉の美子には困っています。それこそ風呂上りに裸で父に抱き着こうとまでするのです」
と愚痴った程だ。
よく30歳代前半の男が10代半ばの少女のそんな戯れに耐えられるもの、と私は驚嘆した程だ)
ともかく、血のつながらない親子として割り切った関係を容易に築けていたのだ。
そして、下4人の清から里子は上里松一と愛子の子であり、正妻の子ということになる。
これまた、極めて安定した立場にいるといえる。
だが、中3人は上里松一と現地妻の永賢尼の子なのだ。
更に言えば、実母の永賢尼の出家に伴って、正妻の愛子に引き取られた立場ということになる。
正道(道平)や智子は、物心つく前に愛子に引き取られていたことから、この関係について余り悩むことは無かったようだ。
だが、和子は自分が産まれたことで、実父と正妻がすぐに結婚して幸せに暮らせなかったのでは、とまで一時は思い悩む事態にまで至ったらしい。
勿論、両親も愛子も違うとは言ったが、和子は悩んだらしい。
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