第1話
会津人ならば、長州人の「希典」という名を付ける筈が無い、というツッコミの嵐が起きそうですが。
小説ということで緩く見て下さるように、平にお願いします。
自分は会津の地元ではそれなりの地主出身で、長男で頭の出来も良かったので中学校に進学することを親も認めてくれた。
だが、問題は頭の出来が良かったが、それなりだったことだ。
そして、陸軍士官学校や海軍兵学校を目指すことは、頭の出来からちょっと無理がある一方で、体力等は超一流にあった。
そうしたことから、中学校で自分なりに頑張ったが、結果的に陸軍士官学校等を目指すのは無理だと諦めて、親の後を継ぎ将来は地主(といっても父も自分も田畑を耕す身だったが)になろう、と考えていたのだが、徴兵検査を受けたら自分の体力等が買われて、地元の連隊に入るだけでは済まず、近衛歩兵第三連隊に配属されることになったのだ。
そして、近衛歩兵第三連隊に配属されて、皇軍、大日本帝国陸軍の宿痾といえる猛訓練に自分は遭ったがその一方で、
「お前らは文字通りに帝の楯になる近衛歩兵なのだ。その一員に相応しい兵士たれ」
と厳しく教導されることにもなった。
小中学校での教育に加えて近衛連隊での教導から自分はそうならねば、とある意味で洗脳された。
そして、400年前に自分達がいるらしいことを教えられたのだ。
この時代の逆賊の足利将軍家を筆頭とする今上陛下、帝を蔑ろにして憚らない武士どもを打ち破って天皇親政の正しい日本を取り戻すのだ。
そう武藤章近衛師団長が獅子吼したら、自分を始めとして全ての近衛師団の将兵が、師団長が言う通りだ、日本に速やかに向かい、天皇親政の正しい日本を取り戻すのだ、と叫ぶ事態が起きた。
そして、自分達はルソン島から日本本土へ向かい、更には山崎の戦いで勝利を収めて、京に入った。
更には今上陛下、帝の御いたわしい姿を遥か遠くから拝見して、自分も含めて全ての近衛師団の将兵が正しい日本を取り戻すのだ、とあの時には固く決意したのだ。
だが、そういった決意、高揚感も時と共に少しずつ冷めていくのが現実というものだった。
例えば物を買う通貨にしても、紙幣は紙くず同然なのだ。
この時代の通貨は金銀銅貨で、紙幣には信用がない以上は、通貨にならないのが当然だからだ。
そのために腹立ちの余りに紙幣を燃やして灯りにする者までいた程だった。
又、主計士官や技術を持った者らが四苦八苦して、朝廷を通じて撰銭令を出して、又、悪銭を回収して良銭を造るようなこともした。
それで出来た銅貨が古銭と一緒に給料として渡された時は、事情は分かるとはいえ、自分も含めて周囲の皆が近衛兵の誇りを忘れて、こんなの自分が慣れ親しんだお金じゃない、として暴動を起こしたくなったくらいだった。
とはいえ、この時代で使える通貨が手に入ったのは大きかった。
何故なら、それを使って買い物等ができるようになったからだ。
多くの将兵が一時休暇(といっても一月以上の)を取得しては、故郷を確認に赴いた。
そして、改めて過去の世界に戻ったことを多くの者が痛感した。
自分は地元が近い者達と話し合い、十数名で共同して故郷の会津等を回った。
磐梯山の山容が全く違い、更に自分が知っている裏磐梯三湖が影も形もないことを見て、自覚した時に自分は人目もはばからずに号泣せざるを得なかった。
本来なら年上の者に、
「男が泣くな」
と変な口実で殴られるのだろうが、他の者も大なり小なり故郷に赴いては、似たようなことをやらかしていたのだ。
故郷の姿が違うというのは、本当に多くの者にとって衝撃だった。
例えば、東京近郊の者は利根川の流れが違うことに目を見張った。
瀬戸内海沿岸や有明海沿岸等の干拓によってできた土地が未だに無いこともあって、故郷が海の底という者もそれなりにいた。
そうした場合に多くの者が自分と同様に号泣することになった。
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