第12話
だが、こういった北米植民地の現状を、日本本国、特に政府は苦々しく想うようになっていた。
カリブ諸島侵攻作戦までは日本政府も北米植民地側の懇願から認めはしたが、北米植民地によるスペイン本土侵攻作戦等については日本政府は全く認めていないことだったのだ。
そういった暴走について悪びれるどころか、日本のために血を流して尽くした自分達に何故に恩賞の沙汰等が無いのか、という態度を北米植民地の主要人物が執っては。
それこそ昭和初期の関東軍等の現地軍の暴走が可愛らしく見える程のことをしているのに、北米植民地の面々は自分達を何様だと考えている等と日本本国政府が苦々しく考えるのも当然のことだった。
更に外国人年季奉公人の大量の北米植民地への流入が起きている。
その結果として、日本人や異人種との通婚も現地では頻繁に起こっているのを聞かされては。
北米植民地は本当に日本の植民地なのか、異国ではないのか、という声が日本本国内の民衆の間から挙がるのも当然のことだった。
特に外国人年季奉公人についての問題が深刻だった。
豊かな日本本国に憧れて、それこそアジア各地から年季奉公人として日本本国を目指す外国人は少なくなかった。
そういった彼らが使った主な手段が年季奉公人だった。
だが、こういった外国人年季奉公人は、日本本国では色々な意味で嫌われた。
勿論、感情的な外国人嫌いからくるものもあったが、それ以上に日本人労働者から外国人年季奉公人は、自分達の雇用を奪って賃上げを阻害する代物だと敵視されたのだ。
実際にそういった現実が日本本国では起きていて、私も大日本帝国全労連の一員として積極的に外国人年季奉公人禁止の声を1570年前後には挙げていた。
だが、その一方で北米植民地の開拓等には外国人年季奉公人が必要不可欠と言える現状があった。
こうしたことから、北米植民地に住む日本人は外国人年季奉公人禁止が、自分達のところにまで適用されるのではないか、という疑心暗鬼を抱くようになった。
日本本国政府は自分達に冷たい態度をこれまで執っている。
それから考えれば外国人年季奉公人が植民地でも禁止されるのでは、それは自分達に暗に死ねというに等しい、と北米植民地の日本人の多くが考えるようになり、その中に和子らも入ったのだ。
更に厄介なのは、北米植民地の有力者である和子らが、それなり以上に日本本国政府上層部とつながりがあったことだった。
何しろ和子の異父姉は織田(上里)美子であり、後の徳川家康、松平元康と織田信長はお互いを親友と呼ぶ有様で、松平元康の長男の信康と織田信長の長女の徳子は結婚している間柄だった。
他にも本願寺顕如の長男の教如は、北米植民地の本願寺門徒の指導者になっていた。
(教如が1558年生まれであることから、事実上の北米植民地の指導者は顕如の猶姉になる和子だったようだが)
本願寺は門跡寺院であることから、皇室ともそれなりにつながるといえる。
こうした現実から、これだけ深いつながりがあるのに、何故に日本本国は自分達の事情が分からないのだ、と北米植民地側は不満、鬱屈を溜め込む事態が起きてしまったようだ。
更に困ったことに1574年の大日本帝国憲法制定直後の衆議院選挙で、織田信長率いる労農党は大一党の地位を占め、更に織田(上里)美子は貴族院議員にもなった。
そして、詳細は私には分からないが、最終的に織田信長が日本の初代首相になった。
織田首相は首相就任直後の国会において、選挙公約から日本本土での外国人年季奉公人を禁止する法律を提出して可決制定したが、結果的にこのことが北米植民地を激発させて、北米共和国独立戦争を引き起こすことになったのだ。
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