プロローグ
「戦国に皇軍、来訪す」の外伝になります。
武田(上里)和子らの恩師になる佐藤希典の回想です。
佐藤希典は、「皇軍」の兵士の一人として、この世界に結果的に赴くことになりました。
プロローグ時点は1596年で、「皇軍」がこの世界に来訪して54年程が経っています。
そして、佐藤希典は自分の人生について、色々と振り返っていました。
「ひいお祖父ちゃん。お父さんから聞いたのだけど、北米共和国の弔問特使として来ている武田和子を教えたことがある、というのは本当なの」
「本当だよ」
安楽椅子に横たわりながら、中学3年生になろうとしている初曾孫の美子に佐藤希典は答えた。
尚、その二人の傍で、ラジオが織田信長元首相の国葬の実況中継をしている。
「ふーん。ひいお祖父ちゃんがキチンと武田和子を指導していれば、北米植民地は独立戦争を起こさなかったような気がするけど、本当のところはどうなの」
「さあなあ。自分としてはキチンと指導したつもりだったのだがな。指導が足りなかったかな」
曾孫の美子の問いに、佐藤希典は韜晦しながら答えた。
「そうなんだ」
美子はそれ以上のことを、自分には言わずに考え込んだ。
そんな風に曽祖父と曾孫がやりとりをしていると、ラジオの声が更に気持ち高まって聞こえ出した。
「織田信長元首相の遺体が入った棺が、国葬の場から運び出されて火葬場に向かいだしました」
佐藤希典はその声を聞きながら、改めて想った。
本当にこんな人生を送ることになると、あのときまでは想わなかったことだ。
「あのとき」、「皇軍」がこの世界に来訪したとき、と言っても良い。
1920年に産まれた自分は徴兵検査に甲種合格した末に、何の因果か近衛第三連隊配属が決まり、南方作戦に参加することになったのだ。
そして、南方作戦にまで参加すると決まったことから、幼馴染の同級生の早苗と結婚して出征することに自分はなった。
更に考えれば、何とも皮肉なことに結婚して出征前の5日程、早苗と夜を共にしたことから、早苗は懐妊してしまい、自分は早苗に対して、
「自分に万が一のことがあったら、縁起でもないと言われそうだが、子どもに名前を付けられないから、この手紙に書いておく。息子なら正、娘ならコトエと名付けてくれ。もし、双子とかだったら、早苗が自分で考えた名前を付けてくれ」
という手紙を発送した末に、マレー行きの輸送船団に乗り込んだのだ。
そして、いよいよ明日にはマレー半島に上陸するという、その日の深夜に思わぬ事態に自分を含む南方作戦に赴いていた面々は遭うことになったのだ。
本当にあのとき、最初の大騒動は未だに明確に自分には思い出せる。
皮肉と言えば皮肉だが、寝入りの良い自分は「あのとき」の瞬間は完全に寝入っていて、いきなり叩き起こされる羽目になったのだ。
「おい、月の位置が変わっているぞ。こんなことがあり得るのか」
後から正確には分かったことだが、当直員が一瞬、意識を失って、空を見上げたら、月の位置が変わっていたことから大騒動になり、それこそ自分のような寝入っていた者まで寝ぼけ眼の状態で叩き起こされることになったのだ。
更に自分もこの状況を見て、周囲の者と一緒にパニックになった。
とはいえ、その状態も長くは続かない。
数時間も経てば、それなりに自分や周囲も落ち着かざるを得ず、どんな状況にあるのか、今後はどうすれば良いのか、ということを考えるようになった。
とはいえ、初年兵の自分は周囲の話を聞くしかなかったのが現実でもあった。
そうこうしていると、取りあえずは連絡が取れた陸海軍全ての部隊がルソン島に集うことが決まったと部隊長から話があり、輸送船に乗っていた自分達はルソン島へと運ばれていった。
そして、そこで情報を集めた結果、自分達が400年前の1541年12月にいるらしいことが分かったのだ。
それを聞いたとき、自分や周囲は呆然とするしかなかった。
アリエナイ、400年前に自分達がいるなんて。
だが、それとほぼ同時に天皇陛下をお救いせねば、という声が相次いで挙がった。
自分も近衛の一員として賛同した。
ご感想等をお待ちしています。