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朝起きたら、底辺漫画家の俺のもとに美少女がいたんだが

作者: オジ3号

漫画家さんの職場については、完全に想像です。

あと、多分誤字あります。




飲み過ぎた、飲み過ぎてこんな幻覚を見ているんだ。


俺は思わずそうつぶやいた。声は情けなく震えていて、何かをごまかすように、視線は右下あたりをさまよっている。重い瞼をぎゅっとつぶって、もう一度開く。朝の太陽の強い光に、わずかな目の痛みを感じながら、もう一度右下を見る。息をのんだ。


そこには目をつむる前と変わらず、16歳位の美少女が静かな寝息を立てていた。柔らかそうな薄い茶色の髪と真っ白で細い腕が、儚げな雰囲気を醸し出している。視線を向けるのは2度目でありながら、俺は再度見惚れてしまった。もし俺が、10歳ほど若く、気力に満ち溢れていた頃だったのなら、迷わず告白していたかもしれない。しかし今の俺は、どこに出しても恥ずかしいような、売れない底辺漫画家兼アシスタントだ。こんな、街中でもそうそう見かけないような美少女と、お近づきになる機会すらないはず。


見て見ぬふりをしていた、この場で最大の疑問に思考を向ける。一体どうして、俺の部屋の布団の上に、こんな美少女がいるのだろうか。


「ふぁあぁぁぁぁ。」


「ひっ」


突然、美少女が声を出して起き上がった。ずっと聴いていたくなるような、美しい声。作業用BGMにしたい位なのに、俺はその声に情けなく縮み上がった。何せ、こんな状況に至るまでの記憶がない。もし俺が彼女に対して、何かまずいことをしていたのなら、大ヒット漫画家になると言う夢ともおさらばで、ブタ箱行である。


「どうしたんですか、そんなに怯えて」


彼女はチラリとこちらを見ると、緑色の目を細めて優しく笑った。俺がおびえていることに対して、不思議に思っているという感じの口調だった。もしかして彼女は、この状況に至るまでの経緯を、知っているのだろうか。


「あのぉ、どうしてここにいるんですか」


何かもっと、違う聞き方があっただろうと俺は思ったが、混乱した頭では、その素晴らしい文までは思いつかない。


「私のことわからないんですね」


今までの、穏やかな様子とは打って変わって、泣き出しそうな様子で彼女は目を伏せた。震えるまつ毛が、儚さに拍車をかけている。彼女は着ている白いシャツの袖を握り締めて、弱々しい口調で言った。


「自分で考えてください。私は明日までここに泊まりますから。」


彼女は身勝手な宣言をして、静かに立ち上がった。その動作により、彼女が、下にショートパンツしか履いていないことに、気がついた。真っ白な太ももに目が吸い寄せられて、慌てて頭を振って思考をそらす。そんなくだらないことをしているうちに、彼女はいつの間にか寝室からいなくなっていた。


結局、彼女との会話で分かった事は何もなかった。それどころかさらに疑問点が増えている。いったい俺は、これからどうすれば良いのだろうか。わずか数分で疲労困憊となった頭で考えるが、当然のことながら、解決策は思いつかなかった。


(とりあえず、仕事行くか。)


部屋から出て行った彼女を追いかけて、さらに得られる情報があるとは、到底思えなかった。


〜〜〜


「おはよう」


ぼそぼそした声で、机に向かっている同僚に挨拶をする。彼女ー橋本さやかは、俺よりもさらに小さい声で挨拶を返すと、再度机に向かった。どうやら、かなり集中して描いているようだ。


耳にかかっていた彼女の長い黒髪が、頭を傾けたことによって、さらりと落ちた。彼女はそれをうっとうしそうに、耳にかける。

真っ白な肌によく映える艶やかな黒髪、日本人で似合う人は少ないであろう真っ赤な口紅。現実離れしたほど整った容姿は、むしろ彼女が創作された人間であるのではないかと思わせるほどだ。


俺の仕事先とは、売れっ子漫画家先生のアシスタントだ。彼女は俺と同じアシスタントだが、技量は彼女の方がはるかに上で、何より才能がある。この仕事場の中で次にデビューするとしたら、きっとそれは彼女に違いない。


その時俺は、本当に笑顔で祝福してやれるのだろうか。彼女の美しい横顔をチラリと見て、自分の才能のなさにため息をついた。こんなことをいちいち考えてしまうところも、自分がダメな理由だと思う。


気分を切り替え、仕事に手をつける。今日は早めに切り上げて、新しいキャラクターでも考えよう。そんな予定を立てた時、俺の頭にわずかな違和感が現れた。何かを見落としているような。


しばらく思考を巡らせてみるが、違和感の正体には思い当たらない。潔く諦めて、机に積み上がった原稿に目を向けた。






「うーん、やっぱり微妙だなぁ、前回よりはマシだけど。」


必死で考案したキャラクターに対して吐き出された評価に、思わず眉をしかめてしまう。俺は、仕事場の先輩にあたる漫画家に、キャラクターの批評をしてもらっていた。


ここでは、トップである漫画家の先生に、自分の創作物の批評をもらう前に、いちど先輩の許可を受ける必要がある。大勢のアシスタントの作品を見ていたら、それだけで時間がなくなってしまうので、合理的なシステムだとは思う。しかし個人的には、このシステムがなくなればいいのにと、祈ってしまう。


なぜなら、これで20回目。彼の口から、俺に対して許可が出された事は1度もないからだ。他の同僚は、2、3回で許可をもらう。自分だけが取り残されている状態だった。そのままでいると、情けなさと悔しさを言葉に出してしまいそうで、強く拳を握りしめて、こらえる。先輩が細かくコメントを言ってくれていたが、対して耳に入らなかった。締めくくるような言葉が聞こえたので、ノロノロと顔を上げる。


「でも、センスはあると思うんだよ、絶対。次も頑張れ!」


「……はい。ありがとうございます。」


先輩の気遣うような一言に、思わず叫び出しそうになった。センスのあるやつが、20回も許可を出されないまま、くすぶっているわけないじゃないか。それでも何とか絞り出した、取り繕うような礼に、先輩は穏やかな微笑みを返した。





リュックサックを背負って外に出て、予想以上の寒さに肩を震わせた。安物のマフラーをつかんで、口元まで引き上げる。寒さを言い訳にした、みっともない顔を隠すための行為だった。


俺はいつまで、夢を追い続けられるのか。まあ、アシスタントとしてならば、一生続けられるかもしれない。そこまで技術があるわけではないが、描き上げる速度は速いし、経験も積んだ。「役に立つ」部類に入るだろう。


そう考えて、さらに気が滅入る。結局俺は、漫画を描く道具ぐらいにしかなれないのだろうか。小さく舌打ちをして、生産性のない考えを止める。努力が足りないだけだ。自分は大器晩成型なのだと、何度使ったかわからない言い訳を心の中で繰り返し、駅に向かって足を速めた。




帰宅して扉を開けたとき鼻に飛び込んできたのは、しばらく嗅いでいない家庭料理の匂いだった。もしや家を間違えたのか。恐ろしい考えが頭をよぎる。


「おかえりなさい」


しかしその懸念は、聞き覚えのある鈴のような声に、吹き飛ばされた。はじめに聞いたような、優しさのこもった声でもなく、去り際に聞いたような泣き出しそうな声でもなく、何の感情もこもらないおざなりな挨拶だったが。


彼女はエプロンをつけて、台所に立っていた。酒のつまみしか入っていないはずの冷蔵庫から、いったいどうやって材料をひねり出したのかわからないが、フライパンを持ち何かを炒めている。


「えっと、料理、してるんですか。」


「それ以外の何に見えるんですか。」


素早く、冷たい声で返事が返ってきた。すみません、と思わず謝りそうになって、やめた。そもそも何に対しての謝罪だろう。こちらを見もせずに料理をしている彼女を見ると、会話をすることも無駄なように思えた。


疲れきった体を、ソファーに沈める。何が何だか、もう、よくわからない。目をつむって、昼間考えたキャラクターに脳内で修正を加え始める。自分にできる、精一杯の現実逃避だった。思考にゆっくりと、もやがかかっていった。





「っつ」


小指の痛みに、思わず肩が跳ねた。足に視線を向けると、机にぶつけた小指が目に入った。台所に、料理をしている彼女はいない。どうやら、いつの間にか眠ってしまったらしい。


机の上には、ラップのかかったあんかけご飯が乗っていた。彼女が作ったのだろうか。俺の目の前に置いてあると言う事は、食べて良いと言うことだろう。勝手な解釈をして、寝ぼけながらそれをレンジに入れた。


少し温めすぎたあんかけご飯を食べながら、彼女のことについて考える。家に突然現れ、三日間居座ると言う宣言をし、俺にご飯を作る美少女。一体何が目的なのだろう。正体不明の美少女なんて、まるでフィクションのような話だ。考えれば考えるほど、気力だけが消費されていくような気がする。


次第に、まぁどうでもいいかと投げやりな気持ちが浮かんでくる。はじめが嘘のように不機嫌で、こちらと大して会話をしようともしないし、三日間経てば本当に消えていきそうだ。


俺には、それよりももっと大切なことがあるだろう。そこまで行き着いたところで、ふと思った。本当にそうなのだろうか。一心不乱に夢を追っていた少年時代は、とうに過ぎ去った。今ここにいるのは、アシスタントを適当にこなしつつ、出したキャラクターを却下されては子供のように不貞腐れる、才無しのみっともない大人。


(違う、努力が足りないだけだ。もっと頑張れば……)


思考に没頭していく俺は、あんかけご飯が既に冷め切っていることに気がつかなかった。






翌日、完全に寝坊した俺は、職場に続く階段を、息を切らせながら上っていた。家と職場の往復以外に運動する事はほとんどないので、俺の体力は成人男性の半分以下なのだ。階段を上り切り、職場の扉の目の前まで来たところで、いつもより室内が騒がしいことに気がつく。


「橋本さんすごい!」


「やっぱ才能あるよーーー」


「羨ましいっ!」


聞こえてきた声は、テンションが高く、誰もがうれしそうだ。ついにこの時が来てしまった、と俺は思った。なるべくゆっくりと扉を開ける。一秒でも、真実を知るその時間を遅らせたかった。


室内に入った瞬間、名前も知らない女性アシスタントに肩を掴まれた。彼女は勢いをつけて楽しそうに、しゃべりだす。


「ね、聞いた?橋本さん、さがみ賞取ったんんだって!」


「……いや、知らなかったっす。」


やはりそうだったのか。


さがみ賞。漫画家を目指すものなら、誰もが聞いた事のあるような賞だ。そして俺が毎年、もちろん今年も、応募して1度も取ったことの無い賞。


それを応募して1年目の彼女が取った。どれだけ凄いことなのか、わからない奴はいないだろう。悔しさで奥歯をギリギリと噛む。


まさに話題の中心である彼女は、5、6人に囲まれて、困ったように笑っていた。妬ましい。心の底から、そんな感情が溢れ出てくる。ひょっとしたら気づいていないだけで、声にすら出ていたかもしれない。


昨日考えていたことの答えが出た。才能の塊である彼女がデビューして、俺は祝福ができない。その事実が自分の才能のなさを的確に表しているような気がするのは、卑屈になり過ぎだろうか。


「……すいません、なんか急に腹が痛くなって。ちょっと、外出てきます。」


いまだに彼女の偉業を誇らしげに語っている女性にそうを告げて、俺はその場を飛び出した。




自動販売機でペットボトルのブラックコーヒーを買って、公園のベンチに座った。空はどんよりと曇っていて、晴れてくる様子はない。蓋を開けて、コーヒーを喉に流し込む。幼い頃から好きになれない苦い味が、舌の上を滑っていく。


漫画家は、諦めよう。不意にそう思った。


明確な理由は思いつかなかったが、不意に浮かんでた気持ちは、しっかりとした決意となって俺の心を占めた。しかし困ったことに、決意をした途端、雪崩のように記憶が目覚めさせられていく。


祖父に買ってもらった漫画を初めて読んだ日のこと。初めて漫画家になりたいと思った日のこと。親に夢を告げて叱られた日のこと。友達に見せた漫画を褒められた日のこと。今の先生にアシスタントとしてお世話になり始めた頃のこと。


まるで走馬灯のようだと感じた。



もう考えるのはやめようと、ベンチから立ち上がったとき、誰かにコートの袖を掴まれた。


「待って」


後ろを振り返るとそこには、白い息を吐き出す、橋本さやかの姿があった。走ってきたのか、息が随分と苦しそうだ。しかし、一体どうしたのだろうか。彼女は先ほど、大勢に囲まれて祝福を受けていたはずだ。外に用があるとは思えない。


「えっと、あのさ、これからご飯とか行かない?」


彼女はぎこちない笑みでそう言った。その様子はどう考えても、不自然だった。賞を受賞したばかりのタイミングで、冴えない同僚に食事の誘いをすると言うのは一体どのような意味があるのだろうか。


「ごめん、今日はちょっと体調悪いから」


俺は彼女のまっすぐな瞳から、目をそらしながら言った。我ながら見え透いた嘘だとは思ったが、彼女の性格を考えると、間違いなくこれで引いてくれると言う自負があった。


「お願い、ほんの少しだけでいいから!時間は取らせない!近くにお粥屋さんがあるんだって、行こうよ」


しかし予想に反して、彼女は引き下がらなかった。ますます不自然だ。そもそも、俺と彼女は、友人と呼べる関係性ですらないのに。ここまで食い下がられる理由があるだろうか。


だが、時間は取らせないと言っているし、少し位付き合ってもいいだろうか。先ほどの決断を経て、俺の心は、彼女に対して大分穏やかに接することができるようになっていた。


「わかったよ、少しだけなら」





彼女に連れられてきたのは、最近できたと言う中華粥店だった。この辺の店にしては落ち着いた雰囲気で、店員もあまり多くない。俺と彼女は一番奥の席に案内され、向かい合って座った。


彼女は白いハイネックを着ていた。俺の勘違いかもしれないが、彼女の普段の服装とはだいぶ印象が違う。テーブルに身を乗り出してこちらを見つめていて、胸が強調されるような姿勢になっている。眼福、そんな一言が浮かんでくる位には、俺の気持ちも回復していた。


「ねぇ、私、賞とったの」


「はあ、知ってるよ。おめでとうございます。」


いつもの凛とした態度とは反対に、今日の彼女はどこか自信なさげだ。視線が俺とテーブルの間を彷徨い、居心地悪そうに椅子に何度も座り直している。直球で話題に入らないのも珍しい。


「えっと、それで……」


よく見ると耳がうっすらと赤く染まっている。突然彼女は、大きな深呼吸をした。


「お待たせしましたーご注文はお決まりですかー」


「うぁっ」


大きく吸い込んで彼女が何かを言おうとしたところで、間延びした店員の声がそれを遮った。ずいぶんと驚いたようで、彼女は小さく椅子から飛び上がる。机が小さく浮き上がり、豊かな胸がふる、と揺れた。


「えええっっと、中華粥でいいかな?新条くんも!」


「あ、うん」


何かをごまかすように、やけにハイテンションでこちらに聞いてきた。勢いにつられて、彼女の問いに頷く。


「承知いたしましたーそれでは中華粥お二つでー」


店員は特に感情を感じさせない声で注文を受け取り、早足で去っていった。それを見届けると彼女は、先ほどよりさらに大きく息を吸う。肩は、小刻みに震えている。何か言いたいことがあるのだろう、とは察せられたが、内容まではこちらも分からない。気づけば俺まで緊張していた。


「あ、あの、私と付き合ってくれませんか‼︎」


「へ?」


緊張、その他諸々の感情を一気に吹き飛ばすような声量で、彼女は叫んだ。そこには確かに、普段の思い切りの良い姿の片鱗が見える。一方俺は、完全に予想の外から来た文章に、情けない声を漏らした。


(つっつっっ付き合う⁉︎どういうことだ?聞き間違いか?)


学生時代以来、全く縁のなかった言葉。その5文字が。頭の中を駆け巡る。脳はすでにその動きを止めていて、いくら駆け巡らせたところで、どんな返答すればいいかもわからない。軽いパニック状態に陥っていた。


目を回しかけたところで、強い視線に気づく。彼女は視線の先を定め、上目遣いでこちらを見ている。顔は首下まで真っ赤に染まっているが、瞳からは、曖昧なごまかしでは絶対に許されないような圧が見え隠れしている。


「あの、つつ付き合うって、俺と、橋本さんが?」


「それ以外誰がいるの!」


ただ時間稼ぎのためだけの質問は、少し怒ったような口調で強く返された。


「付き合ってくれますか!」


彼女は再度繰り返す。正直、言われた事はものすごく嬉しい。彼女は美人だし、しっかりしているところも、たまに子供っぽいところも、とても魅力的だと思う。


けれど、こちらが告白するならまだしも、彼女が告白する理由というのは、全く思いつかない。だって俺は何の取り柄もない人間だ。今すぐ頷きたいところではあるが、それより先に。


「何で俺に告白を?」


聞いてすぐに後悔した。これはもしや、一昔前に流行った、嘘告というものなのではないだろうか。後ろの席のあたりに、スマホを持った人がいて、俺のうろたえる様子を撮影しているに違いない。きっと、彼女はこの質問に嘲笑を返し、明日から職場でその動画が公開されるのだろう。思考が、下り坂を転がり落ちていく。


しかし彼女は、俺の滑稽な様子を気にすることなく、斜め下を見ながら、少し恥ずかしそうに言った。


「えっとね、最初はすごく素敵なキャラクターを描く人だなぁって思ってたんだ。それで、だんだん、新条くんの描いているキャラクターがすごい愛されてるんだなぁっていうのがわかるようになってね。それで、私もそのキャラクターになってみたいって思っちゃったの。それが好きになった理由だよ。」


彼女の返答は、きっと、昨日までの俺を泣いて喜ばせるものだっただろう。しかし今日の俺は、その返答を聞いて、嘲笑される以上の不快感を覚えた。

漫画家を諦めると決めた俺に、キャラクターを作る能力が魅力として残るわけがないだろう。


「……そうなんだ。本当にごめんなんだけど……俺、漫画家諦めることにしたんだ。もう多分キャラクターも描かないし。だから……」


「え?」


彼女の声から、絶望したような響きが聞こえた。


「橋本さんとは、付き合えない」


「な、なんで辞めちゃうの。新条くん才能あるって毎回言われてるじゃん」


「そんなのお世辞に決まってるだろ」


泣きそうな表情でこちらを見ている彼女に、なぜだか苛立ちが湧いてくる。


「才能あるっていうのは、橋本さんみたいなことを言うんだろ。応募して1年目で、賞取っちゃうような」


嘲笑するように返したのは俺の方だった。蓋をしていた気持ちが、少しずつ溢れ出してくる。


「大体なんだよ、俺のキャラクターが好きって。毎回却下されてるの見てるだろ。周りに評価されてないんだよ。俺のキャラクターは。評価されないキャラクターに何の意味もないだろ」


そうだ。昔は確かに、自分の作るキャラクターのひとつひとつが愛おしかった。けれど、くすぶっているうちに、愛着なんて憎しみに変わった。どうしてもっと評価されてくれないのか、とそいつらに思っていた。滑稽なことに、自分の作るキャラクターに対して、八つ当たりをしていたのだ。


「別に自分の作ったキャラクターなんて、今は特に好きでもないよ。そりゃ昔の阿保な俺はどう思ってたか知らないけど」


俺はそう吐き捨てて、立ち上がった。ポケットから財布を取り出し、1000円札を数枚テーブルの上に置く。もう帰ろう。


「ごめん、やっぱ体調悪いから帰る」


最悪だ。なぜもっとすっきりあきらめさせてくれないのか。彼女のほうに見向きもせず、俺は店から出ようとした。


「新条くん!待ってよ」


彼女は、最初俺を呼び止め飯に誘ったときと同じように、俺の服の袖をつかんだ。振り切ろうとしたが、予想外に強く掴まれて、バランスを崩し前につんのめる。


「どうしてそんな、自分のこと卑下するの。私はあなたの作ったキャラクターが好きなんだよ!」


「だから何なんだよ、俺はもうやめるんだよ。キャラクターは関係ないだろ」


もう家に帰らせて欲しい。ここ1時間であった事は全て忘れて、就活雑誌でも読み始めたかった。しかし、そんな気持ちは彼女には伝わらないらしく、周りの目も気にせずまくし立てる。


「そんなわけないでしょ!キャラクターは作者の分身だよ、魅力的なキャラクターは、魅力的な人からしか生まれないんだよ!私はあなたのことがずっと羨ましかった。私みたいなくだらない人間じゃ、絶対にできないことだから」


彼女は頬には一筋の涙が流れていた。


「ずっと嫉妬してた!あなたが書いたアイディアブックを覗いて、盗作まがいのことだって……したことあるんだよ……」


勢いのままに発せられていたいた言葉は、次第に弱々しくなっていく。しかし、その弱々しい言葉は、俺に強い衝撃をもたらした。彼女が、橋本さやかが俺に嫉妬?


袖を掴む力も消えて、今ならこの場から簡単に立ち去れると思ったが、なぜか俺はそうできなかった。


「羨ましい……羨ましいんだよ」


彼女はうなだれて、呟いている。彼女は本気で、俺の作ったキャラクターが好きだと思ってくれているのか。


「だから、辞めないでよ……」


ポタポタと、テーブルに雫が落ちている。


「なんで今更言うんだよ……」


先ほどまで激しい感情の渦に飲まれていたことが嘘のように、俺の心はやるせなさに包まれていた。もっと早く言ってくれれば、きっと今でもがんばり続けることができていただろう、と無意味に思う。


もう、俺の心は折れてしまったのだ。


「今更、じゃないでしょ、気づいてないの?もう諦めてるなら、涙を流すことなんてないじゃない!」



彼女のその言葉に、衝動的に頬に手をやる。指先に、生ぬるい水の感触が伝わった。


これは涙か?俺が彼女の言葉に心を動かされ、涙を流しているのか。信じられない、信じたくない現象だった。俺の一世一代の決断は何だったのだろうか。


その涙は、疑いようもない心残りの証明だった。


「俺は、まだ諦められていないのか……?」


泣きながらも、彼女がフッと鼻で笑う。


「当然でしょ!そんなにボロボロ涙流しちゃってみっともない!わかったら、諦めるなんて……言わないで!」


自分自身の姿は棚に上げた、残酷なほどまっすぐな言葉だった。


「ここにあなたのファンがいるんだから!」


胸に、一陣の風が吹き抜けたようだった。心にこびりつき、視界を狭めていた劣等感が流れ落ちていく。


「そう……なのか。ありがとう」


初めて、心からの笑みを、彼女に返せた気がした。同時に、俺の中の疑問が氷解していく音がした。


そうかあの子は……だったのか。


「本当にありがとう。俺なんかのファンでいてくれて。絶対に今度お礼するから」


そう彼女に告げて、全速力で走り出す。


「え、新条くんどこ行くのーーー」


後から、彼女の呼び声が聞こえたが、手を軽く振って走り続ける。


あの子が家にいるのは、今日までだったはずだ。急がなければ。焦る気持ちはあったが、緊張感はあまりなかった。きっと待っていてくれると、確信していたから。


昨日までは、あの子の存在が、フィクションみたいな話だと思っていた。そしてそれは、間違いではなかったのだ。





「ただいま、花子ちゃん!」



玄関の扉を勢い良く開け、うずくまって、布団の上ですすり泣く少女に声をかける。少女はこちらに気がつくと、目を見開いて、振り返った。


「思い出してくれたの!」


今日の彼女は花柄のワンピースを着ていて、その姿に懐かしさがこみ上げてくる。


「うん、忘れちゃってて、本当にごめん」


彼女の正体は、俺が人生で初めて作ったキャラクターだ。確か小学生の時だったと思う。当時読んでいたラブコメに憧れて、俺の理想を突き詰めて作った人。初恋の人でもあると思う。幻覚なのか現実なのか今でもはっきりしないが、それでも現実世界で会うことができて本当に嬉しい。


「よかった、帰る前に思い出してもらうことができて」


花子ちゃんは名前の由来通り、花のように微笑んだ。


「ずっと会いたかったんです。私のことを愛してくれて、大切にしてくれたあなたに」


「俺だって会いたいと思ってたよ」


「あなたのとは熱量が全然違います。あなたみたいに私は忘れたりしませんでしたよ」


態度はかなり軟化したものの、まだ少しすねているようだ。口をとがらせるお茶目な仕草に、忘れかけていた恋心が疼く。


「どうして、思い出してくれたんですか」


俺は彼女に、橋本さやかさんとの出来事を話す。


「はぁぁぁーーーーー!?」


しかし話している途中で、突然彼女が奇声を発した。


「どういうことですか!他の女と話して私のことを思い出した!?あなたはふざけてるんですか!」


「いや、ふざけてなんかいないよ、真剣に話し合ってきたんだ」


あまりの勢いに思わずたじろいだが、さやかさんの真剣さと気遣いをもう一度丁寧に伝える。


プチッ


「この鈍感男!私というものがありながらぁぁぁ!」


俺が作ったお淑やか設定はどこへやら。彼女は俺に布団を叩きつけると、ものすごい勢いで部屋から飛び出して行った……。








ー3年後ー










「すいません。ここのベタ塗りお願いします」


分厚い束になった原稿を、19歳の彼女に差し出す。彼女は椅子ごと振り返り、数年前と変わらぬ、華やかな笑顔で微笑んだ。


「分りました。新条先生」


花子ちゃんは、とても有能なアシスタントとして、俺の漫画を手伝ってくれていた。


「ちょ、そこイチャイチャしない!っていうか人の旦那に手を出さない!」


花子ちゃんと俺の手が触れた瞬間に、どこからか凛とした声が聞こえてくる。


「さやかさん、来てたなら言ってくれればよかったのに」


「ここに来てるって伝えたら、この女狐尻尾を出さないのよ!あなたももっと警戒してちょうだい!」


頬を膨らませて腰に手を当てたさやかさんの姿が、そこにはあった。


「ねぇ、それより今日、どこか夜食べに行かない?」


数年前より髪が伸びて、腰までのロングヘアになった彼女は、毛先をいじりながら言う。相変わらず照れ屋な彼女の、可愛らしい誘いに、思わずにやける。


「へー素敵ですね!私もご一緒していいですか!」


「ちょっ、図々しいわよ。あんたは黙ってなさい!」


今日も、さやかさんと花子ちゃんは仲が良い。数年前、想像もしていなかった漫画家としての人生は、他の選択肢が考えられないほどに幸せだった。


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