魔物と悩みと
結論から言えば、初めての実戦は散々な結果だった。
普段日本で生きていれば向けられることの無いであろう、魔物の本能から来る純然たる殺気に戦意を失う者は一人や二人では無かった。
その相手が自分より幾分か背丈が低く、どう見ても非力だろうと踏んできた場数が違う。そして魔物、戦ったのはゴブリンだったのだが、奴らは武器を所持していた。木と石で出来た槍だったり、斧だったりと俺達の物に比べお粗末な武器だ。それでも勝つことが出来た奴は少ない。危うく殺されそうになっていたのもいたくらいだ。
しかし、誰も大きな怪我を負った者はいない。騎士団の活躍ーーではなく、勇者様のお陰だ。本来なら近くいる騎士の人が助ける算段だったはずが、自分に割り当てられた魔物を倒したあと天笠は他の人が危なくなった所を誰よりも早く助けるという快挙を達成したのだ。それによって救われたクラスメイトは少なくない。これで天笠の株は更に爆上がりだろうな。
なにせ魔物を一刀両断して襲われていた女子を庇ったあと、「大丈夫?君が無事で本当に良かった」などと宣う奴だ。このままではガチ恋勢が増えてしまう。それでは王女様がっ......!これでライバルが増えてしまいましたよ、アリアナ王女。
助けられたとは言っても、天笠率いる高ランクスキル持ちの四人は違う。俺達よりも多くの魔物を俺達より短時間で討伐してのけた。まあアイツらは超人集団みたいなものだからな。俺には到底真似できない。
俺も一応戦ったのだが、聞いて驚け、誰にも助けられること無く魔物を倒すことに成功したのだ。
俺が戦ったのはお馴染みのゴブリンだった。身長は俺の半分くらいで、緑色の肌に頭からはコブのようなものが突き出していた。耳は先っちょが尖っていて、身につけているのは腰布のみ。日本だったら通報ものだ。
さて、そんなゴブリンだが、能力値的にはまったく強くない。今回俺達が乗り越えるべきは場の雰囲気だったのだろう。他の魔物もスライムやらなんやらと脅威度の低いものばかりだった。だからか、能力値的に最底辺の俺でもまともな戦いをすることができ、最終的には勝つことができたのだ。
これは事前に実戦である、という心構えをしていたからだと思う。そうでなければ俺も大半のクラスメイトのように天笠に助けられる羽目になってたことだろう。いや、もしかしたら助けてすら貰えなかったかも。
まあとにかく俺は上手く立ち回れたのではないだろうか。
唯一使える雷魔法でゴブリンの気を逸らし、ロングソードで首を切断。言葉にするのは簡単だが、実際にはこれ以上の苦労を伴った。大変だったのは魔法を当てることでなければ上手く剣を振るうことでもない。
生物、しかも人型の魔物を殺す、ということだった。
言ってみればこれは殺人を犯すのと似ている。対象が本物の人なのか、それとも人外かの違いでしかない。日本にいた頃も、小動物はおろか小さな虫くらいしか殺したことがない俺だ。
自分の握った刃が肉に食い込んでいく感触がまだ手に残っている。小さな体から飛び散った鮮血の温度をまだ覚えている。
吐きそうにもなった。他でもない自分が殺したのだという現実を突き付けられたような気がして。
ゴロリと設置されたベッドに寝転び自分の手を見る。この手で生き物を殺した。初めての経験だった。だが、それでも、この世界に居たいなら、絶対に避けては通れない道。やはり、俺は元の世界に居たかったと、そう思う。
そんなノスタルジックな気分を阻害するように、天幕の外から自分の声が呼ばれる。
「伊織ー、ちょっといい?」
学校生活の中で、先生の次に最もよく聞いた声。
(なんで市薗が?)
いつも突然現れる市薗に若干の不信感を覚えつつ、天幕の垂れ幕を引いて顔を出す。
「どうした?市薗。何か連絡事項でも?」
一抹の期待を込めてそう問いかける。これが自惚れなどでは無いことを俺は今までの経験からよく知っていた。
「え?何にもないよ?伊織が何してるか気になって!」
悪びれた様子もなくそう告げる市薗。俺のような陰キャには朗らかな笑顔が眩しい。浄化されそうだ。
「だから、ちょっと入れてくれない?」
恒例、アニメでしか見たことがないようなあざといポーズに釣られて自然と市薗を部屋の中に入れてしまった。二つある椅子に腰掛けてもらい、適当なお菓子を小皿に盛り付けて出す。何のための菓子折りかと思ったらこういう時に使うのか。
それをムグムグとつまんでいる市薗はハムスターのようでとても可愛らしい。
「今日の魔物討伐、伊織はどうだった?」
即座に話題提供、これが陽キャクオリティ。
「まあ悪くはなかったんじゃないか?時間は掛かったけど何とか倒せたし」
「そうだね、一人で戦ってるのカッコ良かったよ」
「そうか?結構無様だったと思うけどな。ほぼ泥試合だったぞ?」
本当に恥ずかしいことに、ゴブリンとの戦いは最後取っ組み合いにまでなっていた。殴る、蹴る、引っ叩く、こんな不恰好な戦いを見られていたとは最悪だ。
「ううん、皆固まって、それでも倒せなかったのに伊織は一人で戦ってたじゃん。.....凄いと思うよ」
「凄いのはお前だろ?何匹もいた魔物相手に大立ち回りだったじゃないか。俺にはあんなこと出来ないよ。それに比べて俺はタイマンだったのに満身創痍だ」
あ、やばい、自分で言ってて凄い情けない。女子が何匹も無傷で倒してんのに自分は一匹倒すのに怪我までするって.....再認識すると顔から火が出そう。男女差別なんて古いと思うかもしれないが、男子は女子に格好つけたがる生き物なのだ。
「そんなことない!そんな...こと.....ないよ」
穏やかな雰囲気は霧散し、途端に声を荒げる市薗。それはどこか思い詰めたような顔。よく見れば疲労が見て取れる。
「何か、あったのか?」
「え、なんで.....」
「その顔色見りゃ誰でも分かる。今、お前真っ青だぞ」
嘘、といった風に顔を触る市薗。真っ青というのはあくまで比喩だが、顔色が悪いのは本当だ。それも急に、というわけではなくさっきから段々と悪化していた。いつもは敬遠していても、幼馴染だ。心配しないわけがない。
「で?何があったんだ?」
「........うん、しょうもないことなんだけど。私、生き物を殺したんだなっ....て思うと....っ!」
市薗の手が震えている。生き物を殺すという行為に対する嫌厭、というよりも恐怖、という感情。気持ち悪いと考えるのではなく、殺した自分が怖い。そんな感じだろうか。
殺したのは市薗だけじゃない。こんな言葉を掛けるのはまた違うんだろう。
「確かに、お前はゴブリンやらスライムやらを殺した」
「っ!」
自らの罪を再度確認させる言葉に、市薗は肩を震わせる。
「でも、殺さないなんて選択肢は存在しないだろ?そうしなければ、次はお前の友人が、大切な人が危険なんだ。そんな状況に陥った時でもお前は魔物を殺さないか?そんな事無いよな。嫌でも、苦しくても、辛くても、ただ殺すんじゃない。誰かのために殺すんだよ。市薗」
これは詭弁だ。誰かのために、そんな言い訳をしても結局は自分の意思で魔物を殺すことに変わりは無い。それでも、今の市薗にはよく効く言葉だろう。彼女は馬鹿っちゃ馬鹿だが阿保ではないし、傲慢でも不遜でも図太くもない。むしろ繊細な所があるがゆえに、殺すための理由がいる。
「そう、だよね。私達がやらなきゃ誰かが襲われるんだもんね」
それに俺はコクリと頷き、反応を示す。
「うん!なんか吹っ切れた!ありがとね、伊織」
「礼を言われるようなことはやってない。ていうかお前らはそろそろ呼ばれてる時間じゃないのか?」
「あっ!そうだった!カルガロットさんに呼ばれてたんだ」
収集がかかっていることを指摘してやると、慌てたように立ち上がりついでにお菓子の皿をひっくり返す市薗。
「わっ!ごめん!」
「片付けはやっておくから大丈夫だよ。早く行きな」
ただでさえ遅れそうだというのにお菓子の片付けまでしていたら遅刻確定だ。取り敢えず見送ろうかと思い顔を上げると、ちょうど市薗が垂れ幕を上げて出て行く所だった。
「伊織」
「ん?どうした?」
「話、聞いてくれてありがとね。お礼と言ってはなんだけど、何かあったらーー私が伊織を守るよ」
そう言って彼女はニカッと笑う。垂れ幕から入ってきた太陽の光が後光のようで、まるで一枚の絵画のようだ。綺麗だ、そんな陳腐な感想が浮かび、ただただそれに見惚れた。
「あっ!時間!じゃ、じゃあね!」
今のセリフが気恥ずかしかったのか、市薗は顔を赤らめて走り出す。
俺は勘違いをしていた。たとえ強大な力を手に入れようと、どんなに強い武器を持とうと、性格が変わるわけでもないし心持ちが変わるわけでもない。市薗も一介の高校生に過ぎないんだ。
「鏡花!探してたんだよ!」
そんな天笠の声が外から聞こえてくる。それにエンカウントしなくて良かったと安心し、床に散らばったお菓子を片付けるために膝をつく。
それと同時に天幕の垂れ幕が開いた。市薗が忘れ物でもしたのかと顔を上げると、そこにいたのは俺に取っては忌むべき顔。
「おい、新谷ぃ。ちょっと顔貸せよ」
五十嵐とその一味だ。何に怒っているのか、顔には青筋が浮かんでいる。
またかと思いつつ、俺はコイツらに着いていった。
なんか一対一の会話多いですね。反省してます