暴力の果てに
「カハッ......!」
容赦なく鳩尾に打ち込まれた拳に身体がくの字に折れ曲がる。続いて横腹に鋭い蹴りが炸裂し、俺は数メートルの距離をスライディングして倒れた。周りでは五十嵐達が俺を見て笑っている。
「名無しの森」の中にあった、開けた場所で俺は暴力を振るわれていた。五十嵐に面を貸せ、もとい強制連行を受けた俺はここに引きずってこられ、開幕一番がさっきの鳩尾パンチだ。
「クソがっ!お前みたいなストーカー野郎が市薗を連れ込みやがって!」
寝転がった俺に対して何度も、何度も、蹴りを叩き込む五十嵐。暴力を振るう理由はただの嫉妬だった。市薗が俺の天幕から出てきたのを見て俺と市薗の仲を勘違いしたのだろう。
「違っ...!ただ話してただけで!」
しかし、激昂した五十嵐にその声は届かない。いや、聞こえていてもコイツは暴行をやめないはずだ。最早これは憂さ晴らしでしかない。それとは関係無しに、周りの奴は面白がって俺を殴る。
コイツらも、日本に居た頃は暴力という一線は越えなかった。口撃、嫌がらせが関の山で、直接的な手段に訴えることは無かったのだ。だが、ここは異世界。暴力が肯定された世界で、しかも力を手にした彼らが線を踏み越えない理由はどこにも無かった。召喚初日から、今日まで。何度もこれを体験してきた。
全身が痛い。悔しいし、やり返したいとも思う。でも、多勢に無勢どころではない力の差が両者の間には存在する。数的面だけではなく単純な個々の戦力でさえ劣った俺にできるのは彼らの気が済むまでただ耐えることのみ。
「クソッ!はあ.....はあ......」
ずっと人に暴力を振るうというのは疲れるだろうな。思いっ切りやれるならまだしも、非力な俺を殺さないように手加減しながらやらなきゃいけないんだ。思ったよりも余裕がある。この調子なら......
「おら、立てよクソ野郎」
腕を引っ張られて無理矢理立たされる。立っているだけでも足がズキズキと痛んで涙が出そうだ。
「”水よ”」
五十嵐が始めたのは魔法の詠唱。詠唱とも呼べないような短さだが、これもれっきとした魔法の一つだ。五十嵐の手のひらに水が集まっていき、一つの水球を形成する。それは勢いよく射出され、俺の腹に直撃した。
「ゴホッ........ッ...!」
さっきのパンチとは比べ物にならない重さと衝撃。下手をすれば骨が折れるほどの威力に、俺の口から胃液が吐き出される。
「ガハッゴホッゴホッ...!」
くの字に折れ曲がるどころでは済まず、地面に崩れ落ちるようにして倒れ伏す。今の水球は水属性の初級魔法だ。しかし、その威力は木を破砕し、魔物を打ち倒す力を持った魔法。間違っても人間の身体に向かって打ってはいけない代物だ。それが自分に打ち込まれる。
痛い、痛い、痛い、もう嫌だそんな思いが頭の中を支配する。俺の目に映るのは三日月型に歪んだ五十嵐達の瞳。一分の狂気を孕んだそれを見て、ゾワリと背筋に嫌な汗がつたう。
息も絶え絶えに、俺はもう一度立ち上がらせられた。
何度も体のどこかに痛みが走る。休む暇など無く、延々と続く鈍い痛みに段々と頭が朦朧としてきた。いつまでこんなのを耐え続けなければいけないのか。
(駄目だ......考えるな....!耐えていれば、いつかは...!)
終わらないなんて事は絶対に無い。時間の制約もあれば体力、気力、興味にも限界ってものはあるからだ。それまで、耐えればっ!
♦︎♢
「チッ!この野郎!」
魔力が尽きたのか、手段は魔法から物理攻撃に変わっていた。さっきよりマシだが、痛めつけられた体ではどんなものでも通常よりダメージが入る。確実に何本か骨が逝っているし、痣では済まない傷がいくつも出来ていると思う。
それでも殺されないだけ良いと考えなければやっていられない。
「そろそろ終わりにしてーー」
やっと終わるのか。そう安堵した時だった。不自然に五十嵐の言葉が途切れる。そして、殴られていた俺ではなく殴っていた彼らの顔から愉悦の表情が一瞬で消え、代わりに恐怖の表情が浮かび始めた。視線は俺ではなく俺の後ろに注がれている。
「グルルルルルルゥゥゥゥ.......」
恐る恐る背後を振り向くと、そこには体長三メートルを超える恐竜のような魔物が涎を垂らして佇んでいた。
「ヒッ...」
声にもならない悲鳴が喉から漏れる。全員が硬直状態の中、いち早くそこから回復したのは五十嵐だった。
「なんだこの魔物がぁ!俺がぶっ殺してやるよ!」
無謀にも、この魔物を倒す意思を見せる五十嵐。それに勇気づけられたのか、鞘から剣を抜き放つ。剣を振り上げ、立ち向かって行く五十嵐達とは反対方向に俺は走り出す。あんなのと戦うなんて冗談じゃない。早く逃げたいという気持ちでいっぱいだが、足が上手く動かず転んでしまう。
追ってきていないかと後ろを見ると、五十嵐達奮闘しているように見えた。
「オラァァァァァア!!!」
雄叫びを上げながら剣を魔物に叩きつける。が、あっけなく剣は折れ、尻尾の一振りで五十嵐がここまで飛んできた。それに続くように取り巻きの二人も殴られて俺の近くに胴体着地をかます。
(やっぱり、無謀だったんだ.....!)
「名無しの森」における最強の魔物、フォレストレックス。大きな頭部と、それに生えた何本もの牙が特徴の準竜種に分類される魔物だ。脅威度はC、圧倒的なパワーそしてフィジカルを誇る。まさにティラノサウルスが生きていたのならこんな姿なのかもしれない。
どんなイレギュラーがあろうと、俺には倒せない魔物。それが今目の前で俺を見据えている。身体の震えが止まらない。目を逸らせばすぐにでも飛びかかってくるのが分かっているから動きようがない。
「お、おい、コイツやばくないか.....?」
「そうだよな、どうすんだよ五十嵐!」
彼我の差を理解したのか、取り巻きの二人が立ち上がり五十嵐に判断を仰ぐ。自分で決めろよそれくらい!
「逃げるぞお前ら!」
それに五十嵐はすでに走り出している。俺も痛む身体に鞭を打ち、力を振り絞って足を回す。
走って、走って、走っても後ろにいるフォレストレックスの姿が見えなくなることはない。魔物と俺達人間とでは、足のリーチに差がありすぎて勝負にならないのだ。それに歩きにくい森の中で全速力が出せるはずもなく。
気づけば、真後ろに大きく開かれた口が迫っていた。
そして前を走っていた五十嵐が振り向き、口を引き攣ったまま笑みを浮かべる。その顔には少しの罪悪感と安心感が浮かんでいた。次に何をするのか、その時は理解していなかった。それでも、俺の口は勝手に動いていたんだと思う。
「待っ........!!!」
「''雷光よ''」
五十嵐の指先から一筋の電撃が発射され、俺に直撃する。瞬間、身体中を痛みが走り、手足が麻痺して動かすことが出来なくなった。走っていた格好のまま地面に倒れ、声すら発することが出来ない。
後ろにはフォレストレックスが迫っているのが分かる。分かってしまう。倒れている俺に興味を示したように五十嵐達を追いかける足を止め、俺を覗き込んでいた。
風切り音。
「はっ?」
そして再び体に痛みが走る。うつ伏せに倒れた俺が見たのは宙を飛ぶ人間の腕。一瞬、何が起きたのか分からなかった。理解したくなかった。それでも、今までに経験したことが無い、耐え難い激痛に無理矢理それを理解させられる。あれは、俺の腕だ。動いたからか、瞬時にフォレストレックスが鋭い鉤爪を使って腕を切断したのだ。下手をすれば俺の命は刈り取られていたことだろう。
「あがっ.....あぎぃ.....!」
あまりの痛みに声すら出ない。ボタボタと血が滴り落ち、痛みで頭が真っ白になる。五十嵐に対する憎悪などすでに存在しない。あるのはこの痛みから解放されたいという気持ちだけだ。
涙、鼻水、ありとあらゆる体液を垂らしながらも這いずって逃げようと身体を動かす。しかし、それは無駄な抵抗。フォレストレックスに捕まるよりも早く、俺は痛みで気を失った。
♦︎♢
「以上、お前達四人は森の中での訓練に進めることにする。このまま平野でやっても進歩は見込めない。いいか?」
先の訓練を直に見て、勇者とその一行の成長速度に驚いたはものの、カルガロットは即座に育成計画を切り替える。元々の予定と少し早いが、森の中での訓練に移行することを決定。
「はい、それで構いません」
カルガロットからの提案に勇樹が仁、三葉、鏡花の三人を代表して答える。それはまさに自信満々といった様子で、自分の実力を微塵も疑っていない。
(森の中.....大丈夫かな...)
伊織に勇気づけてもらったが、それでも戦うことへの不安は消えない。それでも伊織が頑張っているのだから自分も気張らなきゃ!という思いで鏡花は気合を入れる。
「不安なのかい?鏡花。大丈夫だよ、僕が守るからね」
ここぞとばかりに鼻に着くセリフを決める天笠。ここに伊織がいたならば「寒っむ....」と言って鳥肌が立っていそうだが、生憎というべきか今彼は絶賛連行中だ。
「ううん、大丈夫!自分の身は自分で守らなきゃ!」
そんな天笠の決め台詞なぞいざ知らず、遠回しにそれを断る。切れ味は抜群、天笠は吐血しそうだ。
「三葉ちゃん、天幕に戻ろっ!」
ダメージを受けた天笠と、それに寄り添う林道を置いて女子二人は天幕へと戻っていく。
「三葉ちゃん何お菓子食べる?」
「ええ、頂くわ」
お菓子用意して、棚からお皿を取り出そうと鏡花が扉を開けた途端、中の皿の一枚が音を立てて割れた。
「きゃっ!」
悲鳴をあげた鏡花を心配して三葉が近づく。鏡花を棚から遠ざけ、怪我の有無を確認する。
「大丈夫?怪我は?」
鏡花の無事を確認すると床にかがみ込み、破片を集め始める。不可思議な現象に、鏡花は言いようのない不安に駆られるのだった。
主人公がうめき声以外で喋らないという画期的な回です。