第39話 新妻優子の学校生活 3
「ついた」
「はぁ~」
上篠駅から降りて、歩くこと十五分、俺は数多くのアパートが立ち並ぶ、ヤシノキ団地に到着した。
「新妻さんってヤシノキ団地住んでたんだ」
「う、うん。あそこだよ」
「はぁ~」
新妻さんは五階にある部屋を指さした。
「あそこが新妻さんの家?」
「うん」
「そうか~」
ヤシノキ団地は、俺の家から自転車で約二十分。俺と新妻さんは、そう遠くない距離で暮らしていたらしい。
「これで何かあったらいつでも新妻さんに頼れるね」
「私、十上くんの家知らない……」
「俺が困ったことあったら新妻さんの家におしかけちゃうかもね」
「駄目!」
新妻さんが突如として、声を荒らげた。俺はびっくりして、肩をそびやかす。
「ご、ごめん」
「あ、そ、そうじゃなくて、え、えっと……」
新妻さんはあからさまに目を白黒させながら、手をバタバタとさせた。
「お、怒ったわけじゃなくて、本当に、いきなり……来られたら、ちょっと、都合が……」
「い、いや、俺も悪かったよ、そんなこと言って」
「そうじゃなくて!」
新妻さんは再び声を上げる。
「来て欲しいって、言ったときに、来て欲しい……かな」
濁すような言い方で、新妻さんはえへへ、と笑った。女の子にはいろいろと準備もあるのだろう。俺は軽率な発言をしてしまったようだ。
「そうだね」
「ほ、本当に、怒ってないから、お、怒らないで……ね?」
新妻さんは上目遣いで俺を見てくる。
「うん、分かった」
俺は近くのベンチに歩き出した。
「ご、ごめんね。お、怒った? 怒った?」
新妻さんは俺の後を追いかけて、てこてこと歩いてくる。
「怒ってない怒ってない。座ろうぜ」
「う、うん」
新妻さんは俺の隣に腰かけた。
「……」
「……」
無言。なんだか妙な時間が過ぎていく。新妻さんがあんなに感情を露にするのは初めて見た。
「私」
「……?」
「私、いじめられてて」
「うん」
新妻さんはゆっくりと、口火を切った。俺は新妻さんの話を傾聴する。
「もう死んじゃおうかと思ったような時もあって」
「……うん」
知っている。もし俺が、俺以外が何もしなければ、新妻さんはきっと自殺していたんだろう。
「いつからいじめられてたの?」
「少し前から……」
俺は今までずっと新妻さんがいじめられていた、というのに気が付きもしなかったのか。
「そんな私にでも、声をかけ続けてくれたのが十上くんで」
俺はそんなに褒められた人間じゃあ、ない。俺は新妻さんがいじめられていたことにも気が付かずに、のうのうと話しかけていただけだ。新妻さんの苦しみにも気が付かず、仮初の関係性を構築していただけにすぎないのだ。
寄り添おうとすらしていなかった。俺はそんな俺が褒められることが、許せない。
「わ、私、喋るのも苦手だから、あんまり上手く喋れなくて」
新妻さんは言葉を選んでいるのか、所々文節が切れながら話している。自分が発する言葉で誰かが傷つくかもしれない、と思っているのだろう。考えなしに言葉を発する俺とは大違いだ。
「でも、十上くんは私の話、聞いてくれて」
「うん」
「十上くんと話す時は、いつもより楽に喋れる」
「そうなんだ」
新妻さんはほっ、と胸を撫で下ろす。新妻さんの心の支えになれているのなら、俺も嬉しい。
「だから、本当に、十上君には感謝してて」
「そっか」
「ありがとう」
新妻さんは立ち上がり、俺に向かって頭を下げた。
「苦しゅうないよ。顔を上げて」
新妻さんは顔を上げる。
「ちなみにだけど、戦国時代は面を上げよ、って言われて本当に一回で上げてたら不躾だったらしいよ」
「え!」
新妻さんは慌てて頭を下げる。
「うそうそ、冗談冗談。令和の時代にそんなしきたりはないよ」
「む……」
新妻さんは若干不服そうな顔で俺を睨みつける。そして改めて、俺の隣に座った。
俺は再び、真剣な顔をして新妻さんと対峙する。
「新妻さん、今困ってることとかは本当にないの?」
新妻さんは少しの間を開ける。
「……うん。十上くんがいたから」
「そっか」
どうやら、新妻さんが何に困っているかを引き出すことは出来ないらしい。今後新妻さんを観察していくことで知るしかないだろう。
その後しばらく新妻さんと雑談を交わし、新妻さんは自分の部屋へと帰って行った。
「さて、と」
俺はゆっくりと立ち上がった。新妻さんが住んでいるこの団地のことを調べる必要がある。俺はヤシノキ団地の周辺を、ロールプレイングゲームの勇者よろしく、くまなく探索した。ボスのいない部屋も見て回るのが、ゲームの醍醐味だ、ってね。
俺はヤシノキ団地の周辺を探索し始めた。
「おぉ……」
団地の裏に入ると、そこには入り組んだ道があった。ゲームならこの先に何か貴重なアイテムが落ちていたりするのだが、お生憎様、どうやらこのヤシノキ団地は複雑な構造になっている場所が多いらしく、先に進めない。
案外、ここを進めば百円くらいなら落ちているのかもしれない。
「すげぇ~……」
一軒家に住む家にとって、団地なんてものは完全に未知の世界だ。いろいろな人が住む集合住宅だからこそ、この複雑な構造が出来ているんだろう。
ここは俺にとっては、もはや異世界だ。雑居な建物が立ち並び、道を歩けばバルコニーから綺麗なお姉さんが煙草をふかしながら少年を誘惑する、異世界の街並みなのだ。独特な雰囲気を持つ街並みというのは、どこかそそられるものがある。俺は少しながら、興奮してしまう。
団地の裏をそのまま覗いてみると、ススキが生い茂っている場所へとたどり着いた。この先に行くには、中々骨が折れそうだ。そろそろ夜も更けてきたころだし、今回はここまでにしてまた次回探検しにこよう。
俺はそう決心して、家へと帰った。




