第38話 新妻優子の学校生活 2
そして昼はやって来る。それまでの授業に、まるで身が入らなかった。
キンコンカンコンと鐘の音が鳴るとともに、先生はチョークを置いた。
「今日はここまで。これで授業を終わります。」
数学の授業が終わった。教師に礼をして、俺は早速新妻さんの方を見る。
「お昼だね」
「う、うん」
新妻さんは緊張した面持ちで、ぎくしゃくと動く。俺と新妻さんのやり取りを見たのか、司が後ろからやって来た。
「お? 悟、今日は新妻さんと食べんのか?」
「今日から新妻さんは俺と食べるんだよ」
「新妻さん、悟に何かされたらすぐに教えてくれよ。俺が警察にチクっとくから」
「前科をつけようとするな、前科を」
「はははは」
牧瀬はいつものように徒党を組んで昼食を食べていた。もう新妻さんにちょっかいをかけることはないだろう。どことなく、女子集団の活気も落ちているような気もする。
「じゃあ新妻さん、食べようか」
「う、うん……」
俺は新妻さんの机に、自分の机をくっ付ける。新妻さんはお弁当を出した。お弁当を開けると、そこには大量の白米と、ごくわずかなおかずしか、なかった。
「新妻さん、ご飯多くない?」
「あ、あはは、私、ご飯好きなんだぁ~……」
無理をして笑っているというのがよく分かる。新妻さんがトイレで一人でご飯を食べていたのは、もしかするとこういう事情もあったからなのだろうか。
「俺のおかずも分けてあげるよ」
「え、う、ううん、いいよ、全然。私これが好きだから」
「またまた。はい、ミートボール」
俺は箸を逆に持ち、ミートボールを新妻さんの弁当に入れた。
「ほ、本当に、大丈夫」
「俺が大丈夫じゃないのよ。そんな少ないおかずで、栄養偏るわよ」
「お母さん……?」
俺は唐揚げや卵焼きを次々と新妻さんの弁当に入れていく。あらかたおかずも入れ終わり、新妻さんの弁当もにぎやかになった。
「ご飯が喜んでる……」
ご飯の精霊の声が聞こえてしまった。
「あ、ありがとう」
「新妻さん、俺のミートボールって言ってみて」
「お、俺のミートボー……ル」
新妻さんが顔を赤くする。
「わ~、悟が新妻さんにセクハラしてんだ~。やらし~」
「「「やらし~」」」
「うっせぇ、ぶっ殺すぞてめぇら! こっち見てんじゃねぇ! 一生アリの行列でも眺めてろ!」
「新妻さんの前でそんな言葉使って嫌われんぞ~」
司たち男集団の揶揄を受けた俺のことを、新妻さんはぽかん、と見ている。
「と、ここまでが次の文化祭でやる、マクベスの序盤の演技で」
「嘘つけ!」
新妻さんはふふふ、と口元に手をかざし、笑う。
「笑ってくれて良かったよ」
新妻さんの顔にも笑顔が戻ってきた。
「新妻さん、今何か悩みは?」
「悩み……? ないよ」
新妻さんが人を殺す、という原因の調査に乗り出す。
「じゃあ嫌いな人がいるとか、殺したいほど憎い人がいるとか」
「十上くん……かな」
「え?」
呆気にとられ、俺はぽかんと口をあけてしまう。
「嘘です」
べ、と新妻さんは舌を出した。
「え、どこから嘘? 新妻さんが俺と喋ってるところから? 俺が新妻さんの隣にいるこの状況が、世界の嘘なのか⁉」
「そんなところから嘘はつけないよ」
新妻さんは屈託のない笑顔で、笑った。今まで見たことのない新妻さんの表情に、ついつい見とれてしまう。
「楽しいね」
新妻さんは俺が思っているよりもずっと、よく笑う人だった。
「起立~、気を付け、礼~」
「「「ありがとうございました!」」」
帰りのホームルームが終わり、帰宅の時間になった。
「じゃあ……ばいばい」
新妻さんがいつものように、控えめに帰りの挨拶をしてくる。だが、今日は逃がさない。いつもは新妻さんのためを思って何もしてこなかったが、今回からは積極的に新妻さんに関わらせてもらう。新妻さんに人を殺させるわけにはいかない。
「新妻さん、一緒に帰らない?」
「……え?」
俺の提案が相当予想外だったのか、新妻さんは目に見えて狼狽する。
「い、いよ?」
「マジ?」
新妻さんが承諾するのも、俺にとって予想外だった。
「じゃあ今すぐ用意するからちょっと待ってて」
「うん」
「三十秒で支度しな!」
「支度するのは十上くんだよ?」
「三分間待ってやる」
「なんで十上くんが待ってる側なの……?」
新妻さんはきょとん、としている。
「よし、準備出来た! じゃあ行こうか、六角島シーパラダイス!」
「行かないよ!」
俺は教科書を開きながら、教室を出る。
「えっと、あっちが北だから……こっちか」
「こっちだよ!」
昇降口とは逆の方向に歩き出した俺を、新妻さんが止める。
「十上くん……!」
「地図に載ってるんだから絶対こっちだよ! 俺が全責任を取る!」
そして俺は新妻さんの言葉を無視して、昇降口とは逆方向にずんずんと向かう。
「十上くん、決断力がすごいね」
新妻さんは呆れ半分、感心半分といった面持ちで、俺の後をついてきた。
「迷った……」
そして数分歩いた俺は、見たこともない場所でうろたえていた。
「だからあっちだって……」
「そう思ってたなら最初から言ってよね!」
「言ったよぉ~……」
新妻さんはめそめそとする。
「クソ……これだから人に任せっきりの奴は!」
「あっちだよ」
俺は昇降口に向かって、ようやく歩き出した。新妻さんと帰ることが出来る、というわくわく感からか、ついつい、くだらないことをしてしまう。
新妻さんと共に最寄り駅に向かって歩き始める。
「十上くんと一緒にいると、楽しいね」
「ん?」
それはいわゆる、結婚したら良いお嫁さんになりそうだな、の女の子視点ということでよろしいか。
「俺も楽しいよ」
こくり、と新妻さんは首を縦に振る。
「新妻さんは電車通学?」
「うん」
「俺と一緒か……。どこで降りるの?」
「上篠だよ」
「え、俺と一緒じゃん」
今まで俺は新妻さんと同じ駅で通学していたのか。授業が終わった後はいつも風のように帰る新妻さんと、教室で暫く時間を潰して帰る俺とでは、ライフスタイルが違ったのか。
天子と待ち合わせるために毎回同じ号車に乗っていたのが災いしたか。電車の中でスマホばかり見ていなければ、新妻さんを見つけることも出来たかもしれない。
「もしかしたら家も結構近いのかもね」
「あ、家……」
新妻さんが困惑した顔で俺を見る。
「家……来るの?」
「え?」
「え?」
俺と新妻さんは、互いに視線を交錯させた。それは、行っても良い、ということなのか、そこまでついてくるのかよ、という意味なのか、一体どっちなんだ。
「行ってもいいの?」
「え? えと、近くに公園があるから、そこまでなら……」
「マジ?」
なんたる放課後アバンチュール。まさか俺の高校生活にこんなダウンロードコンテンツがあるとは思ってもいなかった。
「デュエルカード持って行って良い? 俺速攻デッキ使うから」
「え? い、いいけど」
「やっぱ止めとこう」
男が公園に集まると言えば、やはりデュエルカードゲームだろう。そんな男の小さなあるあるは、新妻さんには通用しないらしい。
「楽しみだなぁ」
「う、うん」
心なしか、新妻さんもドキドキとしているように見える。




